海底の不発弾は今も残っている?磁気探査船と日本の不発弾探査の歴史

海底の不発弾を探査する磁気探査船のイメージ

港の航路を深くする浚渫しゅんせつ工事では、海底を掘る前に「爆弾が埋まっていないか」を調べる作業が行われることがあります。

対象になるのは、第二次世界大戦中に海へ投下・敷設された機雷や爆弾などです。戦後80年を超えても、日本の港湾工事では磁気を使った探査が続いています。

その中心にあるのが磁気探査船です。海底近くに磁気センサーを保持しながら航走し、鉄を含む危険物がつくる磁気の乱れを記録します。異常地点が見つかれば潜水士などが確認し、安全を確かめた後に浚渫へ進みます。

この仕組みが現在の港湾工事に組み込まれるまでには、戦時中の機雷敷設、戦後の掃海、1972年に起きた重大事故、専用の磁気探査船の建造という長い経緯がありました。

磁気探査船とは何をする船なのか

国土交通省九州地方整備局の「みなと用語辞典」は、磁気探査船じきたんさせんを、磁気センサーを海底面から一定の高さに保ちながら航走し、海底下の機雷きらいや爆弾などの危険物を検知・記録する船と説明しています。

一般向けには「不発弾探査船」と表現すると用途が分かりやすいものの、港湾工事や作業船の資料では「磁気探査船」「磁気探査」という名称が使われています。

磁気探査で測るのは、機雷や爆弾の鉄製部分が周囲の地磁気に与えるわずかな変化です。磁気センサーを一定の間隔で移動させ、位置情報と一緒に記録すると、海底のどこに磁気異常があるかを地図上に落とし込めます。

磁気異常の原因には、機雷や爆弾のほか、鋼材、ワイヤー、鉄くずなどもあります。磁気探査で異常地点を絞り込み、確認工程で危険物かどうかを判定します。

探査方法には、磁気探査装置を備えた船で航走する方式のほか、曳船で探査台船やセンサーを取り付けた装置を引く方式、小型船による探査、潜水士が磁気探知器を使う方式などがあり、海域や工事条件に応じて使い分けられています。

なぜ日本の海底に機雷が残ったのか

第二次世界大戦末期、米軍は日本の海上交通を遮断するため、B-29から日本周辺の海へ大量の機雷きらいを投下しました。「飢餓作戦(Operation Starvation)」です。

1945年、B-29から投下されるMark 26航空機雷
1945年、B-29から投下されるMark 26航空機雷。U.S. Air Force/Wikimedia Commons/Public Domain。

海上自衛隊の資料によると、この作戦では終戦までの約5か月間に11,277個の機雷が日本本土周辺へ敷設されました。一方、終戦後の掃海対象として残された機雷について、海上自衛隊は米軍敷設分約10,700個、日本海軍が防御用に敷設した分約55,000個と説明しています。11,277個は「飢餓作戦で敷設された数」、約10,700個は「戦後に残った米軍機雷」という別の集計です。

終戦後、日本近海では大規模な掃海そうかいと航路啓開が始まりました。海上自衛隊の資料では、戦後の業務掃海は1985年9月まで約40年間続きました。

船が航行するための航路を安全にする作業と、浚渫船が海底を掘り下げても安全な状態にする作業では、必要な深さが異なります。海底の泥や砂の中に埋没した機雷は通常の船舶航行に触れなくても、浚渫の刃やグラブが届けば危険になります。

戦争が終わり、航路が再び使えるようになった後も、「海底を掘る場所の安全確認」という仕事が残りました。

1972年の触雷事故が探査体制を変えた

1972年5月26日、新潟港で浚渫しゅんせつ作業をしていた大型浚渫船「海麟丸」が、海底に残っていた米軍の機雷きらいに触れて爆発し、沈没しました。

国会会議録では、乗組員46人のうち2人が死亡し、44人が負傷した事故として記録されています。

事故現場は、それ以前にも維持浚渫が繰り返されていた場所でした。当時は、過去に浚渫済みの場所では改めて磁気探査を行わない運用がありました。海麟丸の事故は、その前提を崩しました。

同年7月17日には、関門港の大瀬戸周辺でも浚渫船「第27瀬戸塩号」が残存機雷による事故に遭いました。

1973年の運輸白書は、新潟港と関門港で浚渫船が残存機雷によって大破した事故を受け、浚渫工事前の磁気探査を強化し、「最新装置を搭載した磁気探査船3隻」を建造中だと記しています。

造船資料では、この時期の磁気探査船「あがの」「まいこ」の姿と仕様を確認できます。

「あがの」は日本海側、「まいこ」は瀬戸内海側での使用を想定した船で、船体にはFRPが採用されました。磁気を測る船自身が測定を乱さないよう、船体や艤装に非磁性材料を多く使う設計です。

磁気探査船は、実際の事故を受けて港湾工事の安全手順に組み込まれていった作業船でした。

磁気探査はどう進むのか

現在の磁気探査じきたんさは、海底を掘り始める前から計画されます。

工程作業
1. 探査計画工事区域、過去の資料、必要な探査深度などから測線を決める
2. 海上磁気探査船・台船などで磁気センサーを移動させ、位置情報と磁気データを記録する
3. 解析周囲と異なる磁気反応が出た地点を抽出する
4. 確認潜水士や水中機器などで磁気異常点を確認する
5. 除去・処理危険物なら関係機関と連携して安全な方法で処理する
6. 再探査除去後に再度磁気探査を行い、異常が残っていないか確認する
7. 浚渫安全確認後に海底を掘削する

関門航路事務所は現在も、磁気探査、潜水による確認・除去、再度の磁気探査、安全確認、浚渫しゅんせつという流れを公式に示しています。

位置の記録にはGNSSが使われます。磁気の値だけでは「どこで反応したか」を工事に生かせないため、探査船の位置と磁気データを対応させます。

磁気異常地点では、機雷きらいや爆弾のほか、港の鉄製構造物や工事由来の金属片も見つかります。危険物かどうかは確認工程で判断されます。

本当に見つかる――実際の発見事例

磁気探査や工事前調査は、実際に機雷や爆弾を見つけています。

東京湾・第三海堡――200個を超える不発弾等

東京湾口に築かれた第三海堡だいさんかいほは、船舶航行の安全を確保するため、2000年度から撤去工事が本格化しました。

周辺には戦時中に爆発物が投棄された経緯があり、撤去工事では金属探査を重ねながら作業が進められました。国土交通省関東地方整備局の沿革資料によると、工事では200個を超える不発弾等が発見され、自衛隊と協力して処理されました。

関門航路――2013年に約900kgの機雷

2013年6月29日、関門航路の浚渫しゅんせつ工事で、海底に機雷きらいらしい物体が見つかりました。

門司海上保安部によると、長さ約2.1m、重さ約900kgで、第二次世界大戦中の米軍機雷とみられるものでした。発見場所は下関側の陸岸から約200mでした。

海上自衛隊が機雷を安全な海域へ移し、8月13日に水中爆破しました。処理の瞬間には約100mの水柱が上がりました。

2013年、関門航路で発見された機雷の水中爆破処理
2013年、関門航路で発見された約900kgの機雷の爆破処理。約100mの水柱が上がりました。出典:海上保安庁 門司海上保安部。

松山港――250kg爆弾5発など

松山港では2010年、浚渫前の磁気探査で旧日本軍の九九式250kg爆弾5発、15cm砲弾2発、弾薬箱2箱が見つかりました。

発見された危険物は海上自衛隊が水中で処理しました。磁気探査が港湾工事に入る前の安全確認として機能した具体例です。

秋田港――これまでに127個

秋田港周辺は1945年8月14日の土崎空襲を受けた地域です。

国土交通省秋田港湾事務所は、B-29の進入コース周辺に不発弾が残っている可能性があるため、港湾工事前に磁気探査を実施していると説明しています。同事務所の資料では、秋田港周辺でこれまでに127個の不発弾が発見・処理されています。

新潟港――1994年には実際の機雷を引き揚げた

1972年に海麟丸事故が起きた新潟では、機雷が残る可能性のある海域を安全に浚渫しゅんせつするため、機雷へ大きな衝撃を与えにくい「軟衝撃グラブ」が開発されました。

1994年8月18日、信濃川右岸の浚渫区域で、この装置が実際の機雷きらいをつかみ、安全に引き揚げています。

東京湾だけではない――現在も全国で続く磁気探査

海底の不発弾探査は全国の港湾で行われています。

国土交通省東京湾口航路事務所は2025年度、「東京湾中央航路磁気探査」を発注しています。対象は中ノ瀬西側の中央航路で、発注資料には「機雷等を探査」と明記されています。

2026年度には福岡県の苅田港かんだこうで磁気探査が契約され、博多港でも磁気探査業務が発注されています。関門航路では、航路を維持・拡幅する浚渫事業の工程そのものに磁気探査と潜水確認が組み込まれています。

港湾工事では、海底を深く掘る、杭を打つ、構造物を設置するといった作業があります。過去に爆撃や機雷敷設があった海域では、工事区域ごとに危険物の有無を確かめる作業が現在も続いています。

東京湾の埋立地や港湾がどのように造られてきたかは、関連記事「豊洲の歴史|海から生まれた街は工場・市場・タワマンへどう変わったのか」でも紹介しています。

磁気探査船と掃海艇は何が違う?

磁気探査船じきたんさせんと海上自衛隊の掃海艇そうかいていは、どちらも海中の機雷きらいに関わりますが、仕事の入口が異なります。

磁気探査船は、港湾工事を安全に進めるため、工事予定区域の海底に磁気異常がないかを調べる作業船です。国土交通省の工事や民間の探査会社による業務として運用されます。

海上自衛隊の機雷戦部隊は、機雷の捜索、識別、除去・処分などの対機雷戦を担います。2026年3月には組織が再編され、「水陸両用戦機雷戦群」が新設されました。EOD(爆発物処理)部隊も危険物処理に関わります。

2026年、掃海母艦ぶんごから機雷対処任務に出る日米EODチーム
2026年、佐世保での機雷戦訓練MINEX 1JA。海上自衛隊と米海軍のEODチームが活動する様子。U.S. Navy/Public Domain。

港湾工事で磁気異常が見つかり、確認の結果、機雷や爆弾と判明すれば、海上保安庁や海上自衛隊など関係機関との連携に移ります。

2013年の関門航路の機雷でも、工事中の発見後に海上自衛隊が機雷を移動し、水中爆破で処理しました。

戦後80年を超えても続く海底の戦後処理

防衛省統合幕僚監部の集計では、2024年度に海上で処理された機雷は0個でした。一方、魚雷、爆雷、爆弾、砲弾などを含む「その他の爆発性危険物」は1,249個、重量約2.2トンでした。

この統計は、年代や発見方法を区別せず、海上の爆発性危険物全体を集計したものです。現在も海で爆発物処理が継続している規模を示す数字です。

第二次世界大戦末期に日本周辺へ投下された機雷、戦後約40年間の掃海、1972年の浚渫船事故、その後に建造された磁気探査船、そして2025年・2026年にも発注される港湾の磁気探査は、一続きの歴史です。

港の海面の下では、海底を掘る前に磁気を測り、異常地点を一つずつ確認する作業が現在も続いています。

戦争が残した危険物の戦後処理という点では、陸上や島に残った化学兵器にも長い処理の歴史があります。関連記事「旧日本軍の毒ガス研究・実験・製造網|大久野島から全国の化学兵器拠点をたどる」では、その研究・製造拠点と戦後処理をまとめています。

参考資料

  1. 国土交通省 九州地方整備局 港湾空港部「みなと用語辞典 磁気探査船」
  2. 国土交通省『昭和48年度 運輸白書』「港湾における安全の確保」
  3. 国会会議録検索システム「第68回国会 衆議院運輸委員会 第25号」(1972年5月31日)
  4. 国会会議録検索システム「第68回国会 参議院運輸委員会 第13号」(1972年5月30日)
  5. 国会会議録検索システム「第71回国会 参議院運輸委員会 第17号」(1973年6月28日)
  6. 日本船舶海洋工学会 造船資料保存委員会『船の科学』1974年12月号(磁気探査船「あがの」)
  7. 日本船舶海洋工学会 造船資料保存委員会『船舶』1975年12月号(「あがの」「まいこ」)
  8. 海上自衛隊「水陸両用戦機雷戦群について」
  9. 海上自衛隊「海上自衛隊70年史に関する展示」機雷・掃海関係
  10. 国土交通省 九州地方整備局 関門航路事務所「事業情報」
  11. 沖縄不発弾等対策協議会「磁気探査指針」
  12. 物理探査学会「磁気傾度計を用いた海底のUXO探査」
  13. 国土交通省 関東地方整備局 港湾空港部「港湾・空港関係組織100年の沿革」東京湾口航路・第三海堡関係
  14. 海上保安庁 門司海上保安部「海上防災」関門航路の機雷処理
  15. 防衛省 中国四国防衛局 広報資料(松山港の磁気探査・不発弾処理)
  16. 国土交通省 東北地方整備局 秋田港湾事務所「第二次世界大戦と土崎港」
  17. 国土交通省 北陸地方整備局 新潟港湾空港技術調査事務所「軟衝撃グラブ」
  18. 国土交通省 関東地方整備局 東京湾口航路事務所「令和7年度 東京湾中央航路磁気探査」関係資料
  19. 国土交通省 九州地方整備局 苅田港湾事務所「積算書等の公表」
  20. 国土交通省 九州地方整備局 博多港湾・空港整備事務所「契約結果」
  21. 防衛省 統合幕僚監部「令和6年度における不発弾等処理実績」