精神科患者150人にツツガムシ病原体を接種|新潟大学の「発熱療法」は人体実験だったのか

ツツガムシ病原体オリエンティア・ツツガムシの電子顕微鏡像

1952年11月から1956年初めにかけて、新潟精神病院の入院患者へ恙虫病つつがむしびょう原体が人工的に接種されました。

厚生省と法務省の最終調査が確認した人数は150人です。大部分の患者は39℃前後まで発熱し、その状態を数日間続けた後に抗生物質を投与されました。11人では接種部位の皮膚が約1cm四方、深さ約3mm切除され、うち5人は接種から24時間以内の処置でした。

患者の保護義務者から事前の了解は得られていませんでした。新潟精神病院の診療録本文には病原体を接種した事実が記載されず、接種、抗生物質投与、皮膚切除の多くを新潟大学医学部の桂内科側が担当しました。

当時の精神医学には、感染症や薬剤で高熱を起こして病気を治療する「発熱療法」が実在していました。一方、桂内科はツツガムシ病に対する抗生物質の少量投与法を研究していました。精神疾患を治す発熱療法と、ツツガムシ病治療法を調べる研究が同じ患者の身体で重なったことが、1957年に国会・法務省・厚生省を巻き込む人権問題へ発展しました。

精神科患者150人に何が行われたのか

厚生省が1957年11月に全国の都道府県知事へ送った通知は、事件の最終的な調査結果を具体的に記録しています。接種は1952年11月に始まり、1956年初めまで続きました。対象は新潟精神病院の精神科入院患者150人です。

項目政府最終調査で確認された内容
実施期間1952年11月~1956年初め
対象新潟精神病院の入院患者150人
処置恙虫病つつがむしびょう原体を人工接種
発熱大部分が39℃前後で数日間発熱
その後抗生物質を投与して解熱
皮膚切除11人
早期切除5人は接種後24時間以内
切除範囲約1cm四方、深さ約3mm
家族等への事前了解保護義務者から得ていなかった
病院の診療録接種した事実を本文に記載していなかった
主な実施者接種・投薬・皮膚切除の多くを新潟大学側医師が担当

1957年3月の国会では、初期調査の数字として149人と報告されました。年別の延べ人数は、1952年21人、1953年93人、1954年18人、1955年12人、1956年5人です。後の厚生省・法務省の最終調査では150人とされました。

病院側と大学側は、精神疾患に対する「発熱療法」として行ったと説明しました。法務省の調査は、そこに別の研究目的が重なっていたことを明らかにしていきます。

なぜ病気を感染させて精神疾患を治そうとしたのか

20世紀前半の精神医学には、患者へ意図的に高熱を起こす「発熱療法」がありました。代表例がマラリア熱療法です。オーストリアの精神科医ユリウス・ワーグナー=ヤウレッグは、神経梅毒による進行麻痺の患者へマラリアを感染させ、高熱を繰り返し起こす治療を発展させました。この研究により1927年にノーベル生理学・医学賞を受賞しています。

発熱療法を開発した精神科医ユリウス・ワーグナー=ヤウレッグ
ユリウス・ワーグナー=ヤウレッグ。マラリア熱療法の研究で1927年ノーベル生理学・医学賞を受賞。Wikimedia Commons/Public Domain

日本でも発熱療法は導入されました。事件後の1961年に厚生省がまとめた「精神科の治療指針」には、神経梅毒に対する熱療法としてマラリア熱療法、ワクチン熱療法、硫黄熱療法が掲載されています。マラリア熱療法では、治療中の患者の血液を別の患者へ接種し、38℃以上の熱発作をおおむね10回起こす方法が示されていました。

新潟精神病院側には、マラリアなどに代えて恙虫病つつがむしびょうによる持続的な発熱を利用できるのではないかという考えがありました。発熱療法という治療思想に、大学側の感染症研究が組み合わさったことで、患者治療と研究の目的が重なっていきます。

ツツガムシ病はどれほど恐ろしい病気だったのか

恙虫病つつがむしびょうは、Orientia tsutsugamushiという病原体によって起こる感染症です。病原体を保有するツツガムシの幼虫に吸着されることで人へ感染します。

1945年に米陸軍省が発行したツツガムシ病予防ポスター
1945年、米陸軍省のツツガムシ病予防ポスター。National Library of Medicine/Wikimedia Commons/No known copyright restrictions

「ツツガムシ」という生物そのものと、病気を起こす病原体は別です。ツツガムシが媒介し、その体内に存在するOrientia tsutsugamushiが感染症を引き起こします。

ツツガムシ病を媒介するLeptotrombidium属のツツガムシ
ツツガムシ病を媒介するツツガムシ。撮影:Michael Wunderli/Wikimedia Commons/CC BY 2.0

戦前までの古典型ツツガムシ病は、新潟、山形、秋田の河川流域で特に恐れられた地方病でした。1954年に『衛生動物』へ発表された寺邑誠祐の研究は、届出資料から1949年までの致命率を新潟県35.4%、山形県39.3%、秋田県19.1%と算出しています。新潟の35.4%は当時までの届出例を集計した歴史的な値で、すべての時期・地域の患者にそのまま当てはまる数字ではありません。

状況を変えたのが抗生物質です。クロラムフェニコールなどが使われるようになり、同研究は秋田県では1950年以降、抗生物質使用後に死亡者が出ていないと報告しました。事件が始まった1952年は、ツツガムシ病が「恐ろしい地方病」から「抗生物質で治療できる感染症」へ変わりつつあった時期でした。

地域に根づいた感染症が医学研究や行政を大きく動かした別の例として、山梨県はどうやって『地方病』を終息させたのかでは、日本住血吸虫症との長い闘いを扱っています。

桂内科は何を研究していたのか

新潟大学医学部の桂内科は、1950年前後から恙虫病つつがむしびょうに対する抗生物質療法を研究していました。1957年3月29日の衆議院文教委員会では、法務省人権擁護局が現地調査の途中経過を説明しています。

政府答弁によると、桂内科は自然感染したツツガムシ病患者へ抗生物質を投与し、1949年7人、1950年50人余り、1951年58人を治療し、死亡者を出さなかったと報告していました。研究は投与量の削減へ進み、当初一人当たり合計約10gだった抗生物質を、その後は合計約1.5g程度まで減らす少量投与法が検討されました。1952年6~9月には県内の自然感染患者65人に少量投与法を用いたと政府が説明しています。

自然感染患者では感染した時刻を正確に把握できません。人工的に病原体を接種すれば、感染時点、発熱までの日数、抗生物質を与える時期と量、再燃の有無をそろえた条件で観察できます。新潟精神病院での接種は、精神科の発熱療法と桂内科のツツガムシ病治療研究を同時に進める形で始まりました。

新潟大学医学部が旧制新潟医科大学から現在へつながる制度史は、日本の医学・病院の歴史と系譜で整理しています。

研究者自身の論文に残る「人体実験」の文字

事件を批判した側だけが「人体実験」という言葉を使ったわけではありません。同じ時期の桂内科による別の研究報告では、病原体を接種した20人を研究者自身が「実験的恙虫病つつがむしびょう患者」「人体実験」と記していました。

渡辺正二郎が『日本内科学会雑誌』44巻12号に発表した研究では、「実験的恙虫病患者にHi-Naを使用せる20例」と記し、考察でも「人体実験としては」と表現しています。薬剤の濃度や投与開始時刻を変えた結果を検討し、再接種を行った例も記録されました。

この論文の20人と、新潟精神病院で政府調査の対象になった150人を同一集団として結び付ける資料は確認できません。事件が社会問題化した後の1957年10月には、桂重鴻自身も『日本内科学会雑誌』に「リケッチア症の臨床―恙虫病を中心として」を発表し、発熱療法を目的にリケッチアを接種した患者の観察を報告しています。

「治療」か「研究」か――国会と法務省の調査

1957年3月、事件は国会で取り上げられました。病院・大学側の説明は、精神疾患を治療するための発熱療法だったというものです。法務省人権擁護局は3月18日から現地へ調査員を派遣し、関係者の聴取と資料確認を行いました。

3月29日の衆議院文教委員会では、調査途中の段階ですでに複数の疑問が報告されました。病原体接種とその後の治療の多くを桂内科の医師が担当し、新潟精神病院の主治医の関与が薄い例があったこと、患者によって抗生物質の投与時期や方法が異なったこと、接種後1~2日程度で抗生物質を与えて解熱させた例があったことなどです。

さらに、ツツガムシ病原体を使った発熱療法が1956年に終了した後も、新潟精神病院ではマラリアやチフスワクチンを使う発熱療法が続いていました。

法務省人権擁護局は8月30日の最終勧告で、150人への恙虫病つつがむしびょうリケッチア接種について、精神疾患の治療より桂内科が進めていたツツガムシ病治療の研究実験に重点が置かれていたと認定しました。「発熱療法」という治療目的は実在しましたが、その同じ患者を感染症治療法の研究対象としても利用した点が事件の核心でした。

11人の皮膚を切り取ったのはなぜか

1957年3月の初期報道と国会審議では、皮膚を切除された患者は8人とされていました。政府の最終調査で確認された人数は11人です。

切除されたのは恙虫病つつがむしびょう原体の接種部位で、約1cm四方、深さ約3mmでした。5人は接種後24時間以内に切除されています。病院・大学側は、接種部位にできる潰瘍の悪化を防ぐ治療目的があったと説明しました。

厚生省の調査は、特に早期切除について、潰瘍予防の意図があったとしても、接種した部分を早い段階で除去するとツツガムシ病の発症を防げるか観察する意図も働いていたと整理しています。同じ皮膚切除という処置に、局所症状を抑える治療と、病気の成立過程を調べる研究の二つの意味が重なっていました。

患者や家族には説明されていたのか

政府最終調査によると、恙虫病つつがむしびょう原体接種について患者の保護義務者から事前の了解は得ていませんでした。1957年3月14日の国会では、大学側の説明として、生命に危険がないと考えていたこと、治療として実施したことなどを理由に承諾を取らなかった趣旨が紹介されています。

新潟精神病院の診療録本文にも、ツツガムシ病原体を接種した事実は記載されていませんでした。体温表には発熱の経過が残り、桂内科側には研究記録があったと文部省が説明しています。

対象患者の社会的立場も記録されています。1957年3月時点の149人の延べ内訳として、措置患者40人、生活保護患者90人、国民健康保険12人、健康保険9人と国会で報告されました。多くは精神科病院に入院し、措置入院や生活保護の下に置かれた患者でした。

1947年にはニュルンベルク綱領が示され、人体を対象とする研究で自発的同意を重視する原則が明文化されていました。世界医師会がヘルシンキ宣言を採択するのは1964年です。人体を医学研究の対象とする際の同意という問題は、解剖や献体の歴史ともつながります。関連する日本の医学史は腑分けの歴史で扱っています。

「8人死亡」は事実か――広まった数字を一次資料で検証

現在の研究倫理資料やインターネット上の説明には、「8人死亡、1人自殺」とまとめた例があります。1957年3月14日の国会会議録を読むと、数字の意味は異なります。

恙虫病つつがむしびょう原体の接種を受けた患者のうち、その後9人が死亡していたことが国会で報告されました。そのうち1人は自殺でした。大学側は、ほかの死亡について肺結核、肺炎、もともとの疾病などを挙げ、病原体接種との因果関係を否定しています。最も早い死亡例でも接種から約4か月後だったと説明しました。

数か月にわたる調査をまとめた厚生省と法務省の最終文書は、「病原体接種によって8人が死亡した」と認定していません。

項目1957年3月の初期報道・国会政府最終調査
接種人数149人150人
皮膚切除8人11人
接種後に死亡した患者9人と国会で報告、うち1人自殺接種による死亡とは認定していない
保護義務者の事前了解問題として追及得ていなかったと認定

1957年、新聞報道から国会・政府調査へ

事件が社会問題として表面化したのは1957年です。3月2日、日本弁護士連合会が法務省、文部省、厚生省などへ善処を求めたことが3月14日の国会会議録に記録されています。3月3日には全国紙・地元紙が大きく報じ、厚生省は国会で新聞報道を通じて事件を知ったと説明しています。

日付出来事
1957年3月2日日本弁護士連合会が関係省庁へ善処を要望
3月3日全国紙・地元紙が報道
3月14日衆議院文教委員会で本格追及
3月18日~法務省人権擁護局が現地調査
3月29日国会で調査途中の結果を報告
6月8日厚生省が新潟県知事へ通知
7月11日衆議院文教委員会第30号で参考人聴取
8月30日法務省人権擁護局が新潟精神病院・新潟大学側へ勧告
11月4日厚生省が全国の都道府県知事へ通知

厚生省の11月4日通知は、この事件を新潟だけの問題として終わらせず、全国へ注意を促しました。通知は「精神障害者、乳幼児等意思能力が十分でない患者」を挙げ、治療や研究に際して患者の人権を尊重するよう都道府県へ求めています。

米軍はこの人体実験に関与していたのか

戦後日本の恙虫病つつがむしびょう・リケッチア研究には、米軍医学研究機関との協力や研究費が存在しました。1946年に米陸軍が設置した406th Medical General Laboratoryには、ウイルス・リケッチア、細菌学、医学動物学などの研究部門があり、日本人研究者も多数参加しました。1955年の同研究所報告には、新潟県患者由来のKato株に関する記録も残っています。

1957年の日本の医学論文には、米陸軍軍医総監部との研究契約による研究費援助を明記した例もあります。こうした資料から、米軍による日本のリケッチア研究支援そのものは確認できます。

一方、厚生省・法務省の最終調査と1957年の国会会議録が確定した新潟精神病院150人への接種の当事者は、新潟精神病院と新潟大学医学部桂内科です。150人接種そのものの直接の資金提供者として米軍を認定した記述は、これら政府一次資料にはありません。米軍資金との直接接続は、後年の著作や論考で提起された別の論点として扱う必要があります。

731部隊との関係はどこまで分かるか

この事件を扱う後年の著作では、731部隊や戦後の米軍医学研究網との連続性が論じられることがあります。厚生省・法務省の最終調査、1957年の国会会議録で事件の当事者として具体的に確認できる中心は、新潟精神病院と新潟大学医学部桂内科です。

731部隊との関係は、事件そのものの政府認定と、後年の医学史・ジャーナリズムによる問題提起を分けて考える必要があります。旧日本軍の化学兵器に関する国内研究・動物実験・製造網は、旧日本軍の毒ガス研究・実験・製造網で整理しています。

事件現場の新潟精神病院は現在どうなったのか

事件が起きた新潟精神病院は、現在の新潟信愛病院と同じ場所に建っていた病院ではありません。青山信愛会の公式沿革によると、1911年、西蒲原郡にしかんばらぐん坂井輪村大字平島の高台に「新潟脳病院」として開院しました。1953年に新潟精神病院へ改称し、事件当時はこの平島の病院が使われていました。

1969年、関屋分水事業に伴って現在の新潟市上新栄町へ移転し、1982年に新潟信愛病院へ改称しました。新潟市の資料では、関屋分水は平島から関屋浜まで約1.8kmを掘削した大規模事業です。旧病院の建物単位の正確な位置を裏付ける旧地籍図は今回確認していないため、事件現場は「平島の旧病院」「現在の平島・関屋分水起点周辺」という地域レベルで捉えるのが適切です。

この事件は日本の研究倫理史で何を変えたのか

事件直後の行政上の具体的な結果は、厚生省が1957年11月4日に全国の都道府県知事へ出した通知です。通知は、精神障害者や乳幼児など意思能力が十分でない患者への治療・研究について、人権を尊重し慎重に取り扱うことを求めました。

国際的には1947年にニュルンベルク綱領が示され、研究対象者の自発的同意が重要な原則として明文化されていました。世界医師会のヘルシンキ宣言は1964年に採択されます。その後の日本の研究倫理制度は、国際的な倫理原則、臨床研究ルール、倫理審査委員会など複数の制度が積み重なって形成されました。

新潟事件は、現在の制度へ一直線につながる唯一の起点ではなく、1950年代の日本で「治療」と「研究」、「患者」と「被験者」、「医師の判断」と「本人・家族の同意」が社会問題として問われた重要事件の一つです。

まとめ

1952~1956年、新潟精神病院の精神科患者150人へ恙虫病つつがむしびょう原体が人工接種されました。病院側には感染症によって高熱を起こす発熱療法という当時の治療思想があり、新潟大学医学部桂内科はツツガムシ病に対する抗生物質の少量投与法や再燃防止を研究していました。

11人では接種部位の皮膚が切除され、保護義務者から事前了解を得ず、病院の診療録本文には接種事実が記載されていませんでした。1957年、法務省人権擁護局は最終的に、精神疾患治療より桂内科のツツガムシ病治療の研究実験に重点が置かれていたと認定しました。

同じ時期の桂内科の医学論文には、研究者自身が病原体を接種した患者を「実験的恙虫病患者」「人体実験」と記した例も残っています。事件後、厚生省は全国へ通知を出し、精神障害者や乳幼児など意思能力が十分でない患者の人権尊重を求めました。

参考文献・参考サイト

  1. 厚生省「新潟精神病院における恙虫病原体接種事件について」(1957年11月4日)
  2. 第26回国会 衆議院文教委員会 第10号(1957年3月14日)
  3. 第26回国会 衆議院文教委員会 第14号(1957年3月29日)
  4. 国会会議録検索システム(第26回国会 衆議院文教委員会 第30号、1957年7月11日)
  5. 厚生省「精神科の治療指針」(1961年)
  6. 渡辺正二郎「不飽和七員環化合物の実験的及び臨床的研究 第22報」『日本内科学会雑誌』44巻12号
  7. 桂重鴻「リケッチア症の臨床―恙虫病を中心として」『日本内科学会雑誌』46巻7号(1957年)
  8. 寺邑誠祐「秋田県下の恙虫及び恙虫病の研究」『衛生動物』5巻1-2号(1954年、26-41頁)
  9. Taewoo Kim, “The status and roles of the 406th Medical General Laboratory of the U.S. Army, 1946-1953”
  10. “Origins, Importance and Genetic Stability of the Prototype Strains Gilliam, Karp and Kato of Orientia tsutsugamushi”
  11. Kiyoshi Asanuma, “Description of a new chigger mite, Mackiena smadeli n. sp.”(1957年)
  12. 国立国会図書館レファレンス協同データベース「新潟精神病院で行われたツツガムシ人体実験について」
  13. 青山信愛会/新潟信愛病院 公式沿革
  14. 新潟市「関屋分水」関係資料
  15. U.S. HHS Office of Research Integrity, Nuremberg Code
  16. World Medical Association, Declaration of Helsinki