板橋区四葉二丁目の四葉稲荷神社には、江戸時代後期から明治時代にかけての山岳信仰を伝える「木曽御嶽塚」が残っています。境内に造られた小さな塚には、長野県の御嶽山を信仰する人々が建てた石碑が置かれています。嘉永4年(1851)の碑は、当時の四ツ葉村に木曽御嶽信仰が広がっていたことを伝えます。
四ツ葉村の鎮守だった稲荷神社
四葉稲荷神社は、江戸時代に四ツ葉村の鎮守として祀られていた神社です。板橋区の文化財マップには、元亀3年(1572)の創建を伝える棟札が以前はあったと記されています。創建の年については、棟札が残されていたとする伝承に基づきます。
江戸時代の四ツ葉村は、赤塚や徳丸の村々と隣り合う農村でした。鎮守の神社は、日々の祈願や村の祭礼に使われる場所であるとともに、さまざまな信仰を受け入れる場にもなりました。その一つが木曽御嶽山を信仰する人々の築いた塚です。
木曽御嶽塚とは何か
木曽御嶽塚は、霊山として崇拝された木曽御嶽山を小さな塚の形で表した人工の築造物です。麓から頂上へ向かうように山の神々や行者に関わる石碑を配置し、身近な場所で山への信仰を表すことができました。富士山を信仰する人々が築いた富士塚と共通する性格を持ちます。
江戸時代後期、庶民の間では御嶽山に登るための信仰団体「御嶽講」が各地に組織されました。講員は費用を出し合い、登拝や祭礼を行い、講に参加した記念として石碑を建てました。こうした石碑には、建立年や願主、信仰した神の名が記されることがあります。
赤塚一山講と一山行者
四葉稲荷神社の木曽御嶽塚を築いたのは、木曽御嶽信仰の行者・一山行者のもとに組織された「赤塚一山講」です。赤塚一山講は、赤塚や徳丸、四葉周辺の人々が参加した山岳信仰の集団でした。
木曽御嶽信仰は、山へ登る修行とともに、村や町で行う礼拝や講の集まりを通じても受け継がれました。四葉の境内に塚が残ることで、実際に山へ行く人だけでなく、地域で信仰を支える人々の活動もたどれます。
嘉永4年と明治40年の石碑
塚の上には嘉永4年(1851)6月、四ツ葉村の一山元講が建てた「御嶽山座王大権現」碑があります。江戸時代末期に村の講が活動していたことを示す、年号の確かな資料です。
さらに明治40年(1907)に建てられたと考えられる「三笠山大神」「八海山」の石碑も残ります。御嶽山の周辺に信仰される山や神々を、境内の一つの塚で表したものです。江戸末期に築かれた塚が、明治時代にも信仰の対象として受け継がれた様子が分かります。
文化財登録と所在地
四葉稲荷神社木曽御嶽塚は平成29年(2017)3月29日に板橋区登録記念物(史跡)となりました。所在地は板橋区四葉2-9-11、四葉稲荷神社境内です。赤塚氷川神社にも同じ赤塚一山講に関わる木曽御嶽塚があり、二つの史跡から講の活動範囲を知ることができます。
赤塚・徳丸一帯の寺社と農村の歴史については、赤塚・成増周辺の歴史と文化財、徳丸・高島平周辺の歴史と文化財で紹介しています。
参考資料
板橋区「四葉稲荷神社木曽御嶽塚」、板橋区『令和7年度版 板橋区文化財マップ』。
