赤塚・泉福寺の歴史|1681年の十一面観音と鎌倉・室町時代の板碑群

板橋区赤塚六丁目の泉福寺(せんぷくじ)は、中世から江戸時代にかけての文化財を伝える真言宗の寺院です。天和元年(1681)の年号と奉納者の名が残る十一面観音立像や、鎌倉時代後期から室町時代の板碑群があり、赤塚の人々が続けてきた供養と信仰をたどれます。

泉福寺の名が残る1340年の鐘銘

泉福寺は、暦応3年(1340)に造られた大堂の銅鐘の銘文にその名を残しています。鎌倉幕府が滅んだ後、南北朝の対立が続いた時代に、赤塚では寺院と信仰に関わる活動が営まれていました。銅鐘は現在、松月院大堂に由来する文化財として知られ、泉福寺と大堂を結ぶ史料にもなっています。

現在の赤塚周辺には松月院、増福寺、大堂など複数の寺院があり、時代ごとにそれぞれの役割が変わりました。銅鐘の銘文は、建物の姿が残っていない時代にも寺院の存在を伝える数少ない記録の一つです。

1681年の十一面観音立像

泉福寺の十一面観音立像は、天和元年(1681)7月15日に下赤塚村の春日伊兵衛が奉納した仏像です。木造寄木造で、眼には玉眼をはめ込み、全身に漆箔を施しています。像の高さは53.1センチメートルです。

頭上に小さな仏面を重ねる十一面観音は、さまざまな姿で人々を救うとされる観音菩薩の一つです。泉福寺の像は、左手に水瓶を持ち、右手を下へ伸ばして蓮華座の上に立っています。光背の表には十一面観音を表す梵字が配され、裏には造立の年と奉納者を示す銘文が刻まれています。

像、光背、蓮華座が制作当初のものとして伝わり、造立年と奉納した人物を特定できる点が特徴です。平成4年(1992)2月28日に板橋区指定有形文化財となりました。十一面観音立像の一般見学はできません。

1286年から1503年の板碑群

泉福寺には、弘安9年(1286)から文亀3年(1503)にかけての年号を持つ板碑が伝わります。板碑は、板状の石に仏を表す文字や供養のための言葉などを刻んだ中世の石造物です。特に関東地方では、鎌倉時代から室町時代にかけて多く造られました。

寺院に古い板碑がまとまって残ると、供養を行った人々の名、年月日、仏への祈りを時代順に検討できます。泉福寺の板碑群は、現在の赤塚の地名が成立する前後も含めて、中世の地域社会に供養の習慣が根付いていたことを伝えます。

赤塚の中世史を残す寺院

泉福寺の資料には、14世紀の銅鐘銘、13世紀末から16世紀初めまでの板碑、17世紀の観音像がそろっています。石に刻まれた年号と仏像の奉納記録をつなぐことで、赤塚の宗教活動を長い時間の流れの中で見ることができます。

同じ赤塚に残る増福寺の名号板碑は、「南無阿弥陀仏」を大きく刻んだ別の形式の中世石塔です。板碑の形と銘文を比較すると、異なる仏教信仰の表現も確認できます。

所在地と見学案内

泉福寺の所在地は板橋区赤塚6-39-7。東武東上線「下赤塚駅」から徒歩約15分です。十一面観音立像は非公開の文化財のため、通常の境内参拝と寺宝の見学は区別してください。赤塚の寺社や中世の遺跡については、赤塚・成増周辺の歴史と文化財でも紹介しています。

参考資料

板橋区「泉福寺のご案内」、板橋区『令和7年度版 板橋区文化財マップ』。