板橋区西部の赤塚・成増周辺には、武蔵千葉氏が関わった寺院、中世の板碑、村の鎮守に伝わる田遊びや獅子舞など、多様な文化財が集まっています。寺社の由緒には室町・戦国期の領主の動きが残り、江戸時代の祭礼や村の行政を伝える石碑もあります。赤塚台地の村々に残る歴史を、場所と時代に沿ってたどります。
中世の赤塚と武蔵千葉氏
室町時代後期には、千葉自胤(ちばよりたね)が赤塚郷と深く関わりました。赤塚八丁目の松月院は、延徳4年(1492)に自胤が寺領を寄進して中興したと伝わる曹洞宗寺院です。境内には千葉一族ゆかりの墓地や中世の僧の墓が残り、徳川家康から40石の寺領を与えられた歴史も伝わっています。
松月院境内の発掘調査では、約1400~1500年の五輪塔、宝篋印塔、板碑などがまとまって見つかりました。破損した石造物が穴に埋められていたことは、室町時代末期の寺院と供養の場の変化を考える材料です。出土品については松月院境内遺跡の中世石造物で詳しく紹介しています。
赤塚諏訪神社に伝わる田遊びと獅子舞
大門十一番地付近の赤塚諏訪神社は、千葉自胤が15世紀後半に信州諏訪神社から分霊を勧請したと伝わります。旧下赤塚村の鎮守で、毎年2月13日夜には田遊びが行われます。田遊びは田起こしや種まきなどの農作業を模して豊作を祈る予祝の行事で、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
春祭には神社や八幡神社を舞台に獅子舞が行われ、用具も文化財として伝わります。境内の夫婦イチョウ、旧参道入口の「乳ノ木様」と呼ばれるこぶケヤキ、境外社の富士塚は、地域の信仰が神事の場と周辺の樹木・塚に結び付いたことを伝えます。
赤塚氷川神社と村の祭り
赤塚四丁目の赤塚氷川神社も村の鎮守として祀られ、毎年2月10日に赤塚氷川神社田遊びが行われます。赤塚には複数の田遊びが伝わっており、冬から早春に農作業を演じる行事は、稲作と村の年中行事が密接に結び付いていたことを表します。
泉福寺・乗蓮寺に伝わる中世と江戸の石造物
赤塚六丁目の泉福寺には、弘安9年(1286)から文亀3年(1503)までの板碑が残ります。暦応3年(1340)に造られた大堂の銅鐘にも寺の名が記されています。赤塚五丁目の乗蓮寺は、かつて板橋宿にあった浄土宗寺院で、昭和46年(1971)から移転を進め、当地に移りました。中世の板橋氏ゆかりの墓や、江戸時代の飢饉の犠牲者を供養する塔などが伝わっています。
赤塚の村政と近代への変化
明治22年(1889)の町村制施行で赤塚村が成立すると、村役場は松月院に置かれました。昭和7年(1932)に板橋区が成立するまで、寺院は村の行政にも関係する場所でした。赤塚村自治記念碑はこの歩みを記録しています。
