夜景がとてもきれいな川沿いの緑道(越中島公園、永代公園など)を歩きます。写真目的、散歩目的OKです。解説付きです♪

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海水館の碑

ここは明治29年(1896)に完成した新佃島埋立地の一部で、房総の山々を望むことのできた閑静な景勝地でした。ここに明治末から大正年間にかけて多くの文化人が集った海水館がありました。海水館は坪井半蔵によって明治38年に開業した割烹旅館兼下宿で、当時の京橋区新佃島東町一丁目26、27番に建設されました。島崎藤村は明治40年から翌年にかけて海水館に止宿して自伝小説『春』を朝日新聞に連載し、小山内薫は明治42年から44年にかけ宿して『大川端』を読売新聞に連載しました。他にも荒畑寒村(あらはたかんそん)・木下杢太郎(もくたろう)・佐藤惣之助・竹久夢二・日夏耿之介(ひなつこうのすけ)・三木露風・横山健堂(けんどう)・吉井勇ら多くの作家・芸術家が利用し創作活動を行ないました。この碑は昭和43年(1968)、藤村の母校である明治学院大学の藤村研究部によって建てられたもので、裏には『春』の執筆由来の記が記されています。

中の島公園 感潮池

満潮になると、この中に海水が入ってくるようです。潮の満ち引きを感じることのできる池とのことです。

隅田川テラス

隅田川テラスとは、堤防を補強する護岸基礎を親水施設として開放した場所です。現在、隅田川の両岸約47㎞の内、約32㎞の区間で整備され都心の貴重な水辺空間として、多くの方々に利用されています。

深川猟師町跡

江戸時代の初め、隅田川の河口付近に深川猟師町が開けました。 これは、現在の清澄・佐賀・門前仲町・富岡あたりになります。寛永6年(1629)、 摂津(大阪府) 方面から来た八人の漁師たちが幕府に願い出て、汐除堤(しおよけつつみ)の外の干潟になっているところを埋め立て、自分たちの名前をつけた八つの町をつくりました。その時の町名は、弥兵衛町・次郎兵衛町・藤左衛門町・親兵衛町・利左衛門町・助十郎町・彦左衛門町・助右衛門町で、これに大島町を加えた九力町をあわせて深川猟師町と呼びました。元禄8年(1695)、町名を清住町・佐賀町・相川町・熊井町・冨吉町・諸町・黒江町・大島町と改め、八ヶ町となりました。 やがて、深川の猟師町にはその他の町も含まれるようになり、昭和の中頃まで漁業や海苔の養殖を続けていました。

隅田川大橋

完成 1979年

隅田川大橋は隅田川唯一の二層式の橋で、首都高速9号深川線建設にあわせて架橋されたもので、先に下段の隅田川大橋が、完成の翌年に上段の高速道路高架橋部分が開通した。首都高速9号深川線の高架橋と一体化されて建設されており、中央区側で同高速箱崎ジャンクションを、江東区側で福住出入口をそれぞれ構造体に含む。また地下には地下鉄半蔵門線が通っている。隅田川にかかる橋梁のなかでも比較的新規に建設されたため高架部も高めに設計されており、遠方臨海副都心の建造物まで見ることができ、眺めがよいものとなっている。

水天宮

この記事を書いた人
ゆる歴史散歩会 会長
なかまつ

北海道大学工学部卒。美術館は週に2回、海外旅行は年に6回行く、ゴリゴリの理系出身のIT系ビジネスマン。隣が図書館のため毎月10冊の本を借りている。趣味の延長で、東京の歴史や芸術を楽しむゆる〜いイベントを企画している。

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