越中島公園から相生橋、中の島公園、永代公園、隅田川テラスへ。水面に映る橋の灯りを楽しみながら、江戸の海辺、幕末の軍事施設、明治の文学と船員教育、深川の漁業、関東大震災後の復興橋梁までをたどる夜景散歩です。写真を撮りながら歩きたい方にも、東京の水辺の歴史を知りたい方にも見どころが続きます。
今回のコース概要
主な見どころは、越中島公園周辺、相生橋と中の島公園、海水館跡、永代公園、隅田川テラス、深川猟師町跡、隅田川大橋、水天宮方面です。川沿いには視界が開ける場所が多く、橋梁と高層建築、水面の反射が重なる夜景を楽しめます。
越中島は、江戸の河口に生まれた土地
越中島は、もともと隅田川河口にできた寄洲でした。江東区によると、江戸初期に播州姫路藩主・榊原越中守の別邸があったことから、俗に越中島と呼ばれるようになりました。現在の高層住宅や大学、公園が並ぶ風景の下には、江戸の海岸線の記憶があります。
幕末には幕府の調練場が置かれ、元治2年(1865)までに越中島砲台が築かれていました。東京海洋大学の調査では、砲台の推定範囲は現在の越中島キャンパス内、職員会館から係船場付近に重なります。平成22年(2010)の江東区の調査では、学内から多数の切石も見つかりました。
明治になると、この一帯は船員教育の拠点へ変わります。東京海洋大学越中島キャンパスには、明治7年(1874)竣工の重要文化財「明治丸」と、明治36年(1903)竣工の第一・第二観測台が残っています。海と航海を学ぶ場所として受け継がれた歴史は、越中島が東京湾に面した土地だったことと深く結びついています。
越中島公園と中の島公園|水面に最も近い夜景
越中島公園は1971年に開園した江東区立公園で、晴海運河に面して細長く広がります。対岸には佃・月島の高層建築が並び、夜になると水面に灯りが伸びます。建物を正面から見るだけでなく、水際の遊歩道を少しずつ移動すると、橋や街灯が画面に入り、夜景の表情が変わります。
相生橋のたもとにある中の島公園は、川の中に位置する小さな公園です。園内には潮の満ち引きに合わせて水が出入りする感潮池があり、東京湾に近いこの水辺が今も潮汐の影響を受けていることを目で確かめられます。相生橋の向こうには東京海洋大学の明治丸があり、近代の船と現代の湾岸景観を同じ視界に収められる場所です。
海水館跡|明治の文人が眺めた「東京の海」
相生橋の中央区側、現在の佃三丁目には「海水館」の碑があります。海水館は明治38年(1905)に坪井半蔵が開いた割烹旅館兼下宿で、当時の新佃島は房総方面まで望める海辺の景勝地でした。島崎藤村はここに滞在して自伝小説『春』を執筆し、小山内薫、吉井勇、三木露風、竹久夢二らの文化人もこの地域に足跡を残しました。
現在は高層建築が並び、明治期の海岸風景とは大きく変わりました。それでも、碑の近くから水辺へ出ると、海水館が「都心から離れた静かな海辺」として選ばれた地理的な理由が分かります。夜景を見る場所に、近代文学の舞台が重なっているのがこのコースの特徴です。
深川猟師町|埋立と漁業がつくった町
深川猟師町は、江戸初期の隅田川河口に生まれました。寛永6年(1629)、摂津方面から来た漁師たちが幕府に願い出て、汐除堤の外側に広がる干潟を埋め立て、町を開いたと伝えられています。現在の佐賀、永代、門前仲町、富岡などにつながる地域で、漁業と海苔養殖は昭和中頃まで続きました。
深川は寺社の門前町であると同時に、水運と漁業に支えられた水辺の町でした。江戸期の運河と町の広がりは、「深川絵図を徹底解説|富岡八幡宮・木場・門前仲町」で古地図から確認できます。大正期の工場・倉庫・住宅地への変化は、「大正東京・深川区を古地図で徹底解説」もあわせて見ると、水辺の利用が時代ごとに変わったことが分かります。
永代橋と永代公園|江戸の大橋から震災復興のシンボルへ
永代橋の初代は元禄11年(1698)に架けられました。明暦の大火後、江戸の市街地が本所・深川方面へ拡大するなかで、隅田川東岸と中心部を結ぶ重要な橋になりました。享保4年(1719)には幕府が撤去を決めたものの、地元の町方が存続を願い出て、以後は町方による維持管理も行われました。
文化4年(1807)には、富岡八幡宮の祭礼日に群衆が集中して落橋する大事故が起きました。現在の永代橋は関東大震災後の帝都復興事業で建設され、大正15年(1926)に竣工した鋼製三径間カンチレバー式タイドアーチ橋です。橋長184.7メートル、幅員25.6メートル。大きな放物線を描くアーチと当時最大級の支間を実現した技術が評価され、平成19年(2007)に国の重要文化財に指定されました。
永代公園からは、この大きなアーチを川面越しに見られます。正面から渡ると構造の大きさが際立ち、川沿いから横に眺めるとアーチ全体の輪郭が見えます。夜は橋梁のライトアップと水面の反射が重なるため、構造そのものを写真に収めやすい場所です。永代橋と周辺の歴史は、「水天宮・日本橋箱崎から永代橋・清洲橋へ|隅田川の歴史散歩」でも詳しく紹介しています。
隅田川テラス|防災施設が水辺の散歩道へ
隅田川では、高潮や地震に備える護岸整備とあわせて、川沿いを歩けるテラスが整備されてきました。東京都は現在も、橋からテラスへ下りやすくする動線、テラスの連続化、夜間照明などを進めています。防災のための河川施設が、都心とベイエリアをつなぐ歩行空間としても使われている点が特徴です。
夜の隅田川テラスでは、橋の下をくぐるたびに視界が切り替わります。永代橋のアーチ、隅田川大橋の二層構造、箱崎方面の高架道路、対岸の建物群が連続し、江戸の水運路だった川が現代都市の景観軸として残っていることを実感できます。
隅田川大橋|道路・高速道路・地下鉄が重なる現代の都市構造
隅田川大橋は昭和54年(1979)に竣工しました。下段を一般道路、上段を首都高速9号深川線が通る二層構造で、さらに地下には東京メトロ半蔵門線が走ります。江戸期の渡しや木橋、震災復興橋梁と並べると、隅田川を越える交通の形が大きく変化したことが分かります。
歩道からは上流側に清洲橋、下流側に永代橋を望める区間があり、隅田川の橋を比較する観察地点にもなります。装飾的なアーチを持つ永代橋と、交通インフラを上下に重ねた隅田川大橋を続けて見ると、20世紀東京の橋梁史が一続きになります。
水天宮へ|隅田川東岸から日本橋へつなぐ
隅田川大橋を越えると日本橋箱崎町・蛎殻町方面へ入り、水天宮へつながります。湾岸の埋立地、深川の漁業地、震災復興橋梁、近代的な高速道路を歩いてきた後に、日本橋の町へ入ることで、川が地域を分ける境界ではなく、人と物を運ぶ軸だったことが分かります。月島から人形町までの水辺史を広く歩く場合は、「月島から人形町へ|佃・石川島・新川・箱崎の史跡と夜景を巡る歴史散歩コース」も参考になります。
夜景と歴史を一緒に見るポイント
- 越中島公園では、佃・月島の高層建築と水面の反射を見る
- 中の島公園では、感潮池と明治丸を同じ水辺の歴史として見る
- 海水館跡では、明治期には目の前が東京湾だったことを想像する
- 永代公園では、永代橋のアーチ全体を横から見る
- 隅田川大橋では、一般道・高速道路・地下鉄が重なる都市構造を見る
TimeWalkで周辺の史跡を地図から探す
越中島、門前仲町、永代橋周辺には、今回紹介した場所以外にも水運、埋立、寺社、橋梁に関する史跡が点在しています。TimeWalkは、現在地や指定地点の近くにある歴史スポットを地図で探し、自分で歴史散歩を楽しめるWebアプリです。現在地から歩ける史跡を地図で探すと、散歩の途中で寄れる場所を見つけられます。
まとめ
越中島から永代公園、隅田川テラスへ続く水辺では、江戸の河口と埋立、幕末の砲台、明治の文学と船員教育、深川の漁業、震災復興橋梁、現代の高速道路までが数キロの範囲に重なっています。夜景の美しさと、東京が水辺を使いながら広がってきた歴史を同時に楽しめる散歩コースです。

