

湯島天満宮
湯島天神、湯島神社とも。
雄略天皇2年(458年)勅命により創建。神紋は加賀梅鉢紋。
ご祭神は天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)と菅原道真。
アメノタヂカラヲは岩戸隠れの際は岩戸の脇に控えており、アマテラスが岩戸から顔をのぞかせた時、アマテラスを引きずり出してそれにより世界に明るさが戻った。表鳥居は東京都指定文化財となっている。1355年に菅原道真公を勧請しあわせて奉祀した。
菅原道真公
菅原道真(845~903)は平安前期の公卿・学者・文人。宇多天皇の信任が厚く、寛平6年(894)遣唐使に任ぜられたが献言してこれを廃止。延喜元年(901)藤原時平の中傷により大宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷され、配所で没した。学問・書・詩文にすぐれ、後世、天満天神として祭られる。
天神さまと梅
天神さまは五歳の時、梅の花を見て
『うつくしや 紅の色なる梅の花 あこが顔にも つけたくぞある』
と和歌をよまれ、太宰府に行かれる時、自宅の紅梅殿でよまれた
『東風(こち)吹かば 匂いおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ』
の名歌の中の梅の木が道真公を慕って一夜のうちに太宰府に飛来したと伝えられる”飛梅伝説”(とびうめでんせつ)など 道真公と梅にまつわる話が多く残っています。
天神さまと牛
天神信仰の中でも、天神さまと牛とは切っても切れないものがあり、古くより様々な縁起・伝承を見ることが出来ます。道真公は承和十二年六月二十五日乙丑の年に、ご生誕になり、延喜三年二月二十五日の丑の日に薨ぜられ、また「菅家聖廟略伝」には、菅公自ら遺言をされ、「自分の遺骸を牛にのせて人にひかせずに、その牛の行くところにとどめよ」とあり、その牛は、黙々と東に歩いて安楽寺四堂のほとりで動かなくなり、そこを御墓所と定めた、と書かれています。ほかにも、天神さまと牛との関わりについて数多く見られ、道真公がいかに深く牛を慈しんでいたかも窺われます。