北青山・神宮前の歴史散歩|表参道から善光寺・徳冨蘆花・大山柏の史跡へ

表参道のケヤキ並木と表参道ヒルズ

表参道駅を出て北青山から神宮前へ歩くと、現在のブランド街のすぐ脇に、江戸の街道と寺社、明治文学、戦前の考古学、1945年の戦災が重なっています。2025年2月に歩いたコースをもとに、現在も徒歩でたどれる7地点を歴史背景とともに紹介します。

北青山・神宮前を歩く前に知りたい地域の歴史

「青山」の地名は、天正18年(1590)に徳川家康の重臣青山忠成あおやま ただなりがこの一帯に土地を与えられたことに由来します。現在の青山通りは、江戸時代には相模国の大山方面へ向かう大山道として使われました。港区によると、青山家の屋敷地から分かれた大山道以北が現在の北青山につながり、江戸の町名には「青山善光寺門前」もありました。

20世紀に入ると、明治神宮の創建にともなって表参道が整備され、1927年には同潤会青山アパートが完成しました。震災復興の集合住宅だった建物は、のちに店舗やギャラリーも入る表参道の象徴となり、2003年に解体されました。跡地には2006年、表参道ヒルズが開業しています。表参道の成立や同潤会、暗渠になった旧渋谷川については、「原宿・表参道・青山の歴史散歩」で詳しく紹介しています。

解体前の同潤会青山アパート(2002年)
解体前の同潤会青山アパート(2002年)/撮影:PhantomII.Rider、Wikimedia Commons、CC BY-SA 4.0

神宮前の低地にはかつて渋谷川が流れ、現在のキャットストリートの一部はその旧河道に沿っています。大通りの都市史と、路地や水路の痕跡が近接していることも、この地域を歩く面白さです。

旧渋谷川遊歩道(キャットストリート)から旧参道橋方向を望む
旧渋谷川遊歩道(キャットストリート)。旧穏田橋付近から旧参道橋(表参道)方向を望む(2010年)/撮影:Rs1421、Wikimedia Commons、CC BY-SA 3.0

表参道から巡る歴史散歩ルート

表参道駅周辺から北青山、神宮前へ、次の7地点を徒歩でつなぎます。寺社から文学、考古学、戦災へと時代を移しながら歩けるルートです。

秋葉神社|善光寺の近くに残る火防の信仰

北青山三丁目、青山通りから一本入った場所に秋葉神社があります。秋葉信仰は火難除け・火防の信仰として江戸の町でも広がりました。港区の資料には、現在の秋葉神社が青山両社講によって守られていることが記されています。

地域の記録では、秋葉神社は江戸後期に青山善光寺の周辺で祀られ、明治期の神仏分離を経て現在地へ移ったと伝えられます。寺の門前と火防の神社が近接する配置には、江戸から近代へ続いた青山の信仰空間が残っています。

青山善光寺|谷中から青山へ移った寺

青山善光寺は信州善光寺ゆかりの浄土宗寺院で、江戸初期に谷中で創建され、火災後の18世紀初頭に青山へ移りました。表参道が整備されるよりはるか前から、この一帯に信仰の拠点が置かれていたことになります。境内には人力車発明記念碑、松尾芭蕉の句碑、戦災殉難者の供養塔などがあり、本堂では戒壇巡りも行われています。

東京都港区北青山の善光寺本堂
北青山の善光寺本堂(2010年)/撮影:Rs1421、Wikimedia Commons、CC BY-SA 3.0

高野長英の碑と幕末の青山

境内には幕末の蘭学者高野長英たかの ちょうえいの碑があります。長英は幕府の対外政策を批判した『戊戌夢物語』を著し、1839年の蛮社の獄で投獄されました。脱獄後は各地を潜行し、青山では「沢三伯」と名乗って医師として身を隠しました。1850年、青山の潜伏先を幕吏に囲まれ、ほどなく亡くなります。

善光寺の碑文は勝海舟かつ かいしゅうによるものです。江戸以来の寺院の境内に、幕末の思想・蘭学史と明治の交通史、さらに昭和の戦災記憶までが重なっています。

修験四恩寺|北青山の市街地に残る小寺

修験四恩寺は北青山三丁目にある仏教寺院です。東京都の宗教法人名簿では、特定の宗派本山に属さない「単立」の寺院として登録されています。青山通りや表参道の商業地から近い場所に、小規模な寺院空間が残っています。

江戸の青山には武家地だけでなく寺社地や門前町が点在していました。四恩寺は、現在の街路だけでは捉えにくい青山の宗教史を歩いて確かめられる地点です。

妙圓寺|江戸から原宿に続く日蓮宗寺院

妙圓寺みょうえんじは寛永4年(1627)、円成院日光上人が四谷千日谷に草庵を結んだことに始まる日蓮宗寺院です。寺の公式由緒によると、隠田村の名主から土地の寄進を受け、宝永3年(1706)に現在の神宮前へ移りました。

再興を担った日寛上人は本堂や庫裡、客殿を整えました。また、加賀前田家出身で広島浅野家に嫁いだ満姫の信仰を受け、前田家・浅野家の江戸祈願所となった由緒から、前田家の「梅鉢」を寺紋としています。現在の原宿・神宮前に、江戸初期から続く寺院史が残る場所です。

徳冨蘆花住居跡|明治文学が生まれた神宮前

作家徳冨蘆花とくとみ ろかは明治33年(1900)に逗子から神宮前へ移り、明治38年(1905)に再び逗子へ移るまで暮らしました。渋谷区の案内によると、この住居で『思出の記』を完成させ、『黒潮』『慈悲心鳥』『霜枯日記』などを発表しています。

現在は住宅や店舗が密集する一角ですが、標柱が明治文学の舞台だった場所を伝えています。蘆花が暮らした時期は、明治神宮の創建や表参道の整備より前です。現在の「表参道」という街のイメージが形成される前の神宮前を考える手掛かりになります。

大山史前学研究所と大山柏邸跡|表参道にあった私設考古学研究所

現地の説明板が伝えるのは、「大山史前学研究所と大山柏おおやま かしわ邸跡」です。柏は陸軍元帥大山巌おおやま いわおの次男で、ドイツ留学の経験をもとに、考古学・人類学と自然科学を組み合わせて先史時代を研究する「史前学」を構想しました。

昭和4年(1929)、柏は当時の渋谷区隠田、現在の神宮前にあった自邸に大山史前学研究所を開設しました。当時、考古学の専門研究室を持つ大学はまだ限られており、大学や官庁から独立した私設研究所が調査研究の一翼を担っていました。研究所は各地の遺跡調査を行い、1930年には千葉県市川市の姥山貝塚で人骨収集にも参加しています。

邸宅と研究所は1945年5月の空襲で焼失しました。大山巌の邸宅跡としてだけを見ると通り過ぎてしまう場所ですが、戦前日本の考古学研究が民間の研究所でも進められていたことを伝える史跡です。

「和をのぞむ」|1945年5月25日の山の手空襲

昭和20年(1945)5月25日夜から翌26日未明、東京の山の手地域は大規模な空襲を受けました。現在の港区・渋谷区・新宿区・中野区などが攻撃され、表参道周辺でも多くの人が亡くなりました。北青山と神宮前を歩いてきたルートは、最後にこの戦災記憶へつながります。

表参道交差点に立つ「和をのぞむ」は、港区政60周年を機に2007年に建立された戦災犠牲者慰霊碑です。港区と地域の実行委員会は現在も5月25日に碑前で献花を行っています。青山善光寺にも戦災殉難者の供養塔があり、同じ地域で空襲の記憶が受け継がれています。

山の手空襲と表参道の被害、同潤会青山アパートまで含めた20世紀の街の変化は、「原宿・表参道・青山の歴史散歩」でも紹介しています。裏原宿側から歩くコースは、「表参道~原宿ナイトウォーク」でたどれます。

あわせて歩きたい表参道・青山の歴史記事

参考資料

この記事を書いた人
ゆる歴史散歩会 運営者
なかまつ

北海道大学工学部卒。現在はIT系会社員の傍ら、年間400回以上の街歩きイベントを企画し、これまで延べ25,000名以上の方にご参加いただいている、ゆる歴史散歩サークルを運営しています。東京の歴史・文化・建築・地形などを、初心者でも気軽に楽しめるイベントとして企画しています。

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