半蔵門から四谷見附へ|麹町・甲州街道・江戸城外堀をたどる歴史散歩

皇居西側にある半蔵門の門と石垣

皇居西側の半蔵門から、麹町大通り(新宿通り)を西へ進み、四谷見附まで歩く歴史散歩です。一直線に延びる道筋に、江戸城の内郭門、町人地として栄えた麹町、外堀の四谷門が連なります。現在はオフィス街と駅前の景観ですが、道の向き、町割り、石垣、高低差を追うと、江戸城西側の交通と防御の仕組みを歩いて確かめられます。

五街道としての甲州街道(甲州道中)の起点は日本橋です。一方、千代田区の四谷門跡の解説では、四谷見附は「半蔵門を起点とする甲州街道の口」とされています。日本橋から延びる五街道としての甲州道中と、江戸城内から半蔵門・四谷門を経て西へ向かう道筋を分けて見ると、この地域の位置関係が分かりやすくなります。

江戸城の主な見附と現在の主要線路を示した地図
江戸城の主な見附。四谷見附は江戸城西側の外堀に置かれた城門の一つでした。

今回のコース概要

  • 出発:半蔵門
  • 道筋:麹町大通り(新宿通り)を西へ
  • 主な見どころ:半蔵門、麹町の町割り、四谷門跡、江戸城外堀跡、四谷見附橋
  • 到着:四谷見附・JR四ツ谷駅周辺

半蔵門前から四谷見附までは、現在の道路でも大きく曲がらずに西へ進みます。江戸城の門、城下の町人地、外堀の門が一本の軸で結ばれていること自体が、この散歩の最大の見どころです。

半蔵門|江戸城西側の「こうじまち口」

半蔵門は江戸城内郭門の一つで、「こうじまち口」とも呼ばれました。千代田区の文化財解説によると、1620年(元和6年)、仙台藩主の伊達政宗ら東国大名によって築造され、四谷門とともに甲州街道方面へ通じる要衝でした。

江戸時代には、半蔵門から城内へ入り、現在の代官町通りを通って竹橋門方面へ抜けることができました。門名の由来には、伊賀者の服部半蔵が付近に屋敷を拝領していたとする説などがあります。1871年(明治4年)に渡櫓門が撤去され、現在は高麗門が皇居の通用門として使われています。

皇居西側にある半蔵門の門と石垣
皇居の半蔵門。撮影:Chris 73/Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0。

麹町|江戸城西側の商業地はどう生まれたか

半蔵門から四谷へ延びる大通りの両側には、江戸時代の麹町こうじまちが形成されました。千代田区によると、半蔵門正面を一丁目として西へ町が続き、現在の聖イグナチオ教会付近が十丁目、さらに四谷御門の外側には十一丁目から十三丁目まで置かれていました。

この町並みは、江戸城西側の武家地を支える商業地として発展しました。通りの北側には番町の旗本屋敷、南側には大名屋敷が広がり、麹町の商家は武家屋敷の御用をまかなっていました。竹屋、魚屋、呉服商、菓子店などが並び、日本橋の商家に対抗するほどの商業地だったと伝えられています。

麹町という地名の由来には複数の説があります。麹を扱う商人にちなむ説、「小路」に由来する説、武蔵国府へ向かう国府路こうじに由来する説です。国立国会図書館や千代田区の資料でも、麹・小路・国府路の複数説が紹介されています。

東京都千代田区の行政地図
現在の千代田区。半蔵門から四谷へ向かう麹町の位置関係を確認できます。

麹町四〜六丁目|町人地・武家地・外堀が接する場所

四谷見附へ近づく麹町四〜六丁目では、江戸の町人地と武家地、外堀の境界がよりはっきりします。千代田区の町名由来板によると、通り沿いには商家が並び、背後には寺社や火除地、旗本・大名屋敷が配置されていました。麹町四丁目は江戸切絵図の版元や呉服商、菓子店などが店を構えた高級商業地の一つでした。

現在の麹町五丁目付近では、江戸初期の外堀開削に伴う土で南側の低地を埋め立てたとする伝承も残ります。六丁目には現在も心法寺があり、四ツ谷駅に近づくにつれて町人地から外堀・四谷御門へ景観が切り替わります。オフィスビルが続く現在の通りでも、街区の奥行きや高低差に江戸期の都市構造が残っています。

四谷門・四谷見附|江戸城外堀の西の出入口

四谷門は、通称「四谷見附」と呼ばれた江戸城三十六見附の一つです。1636年(寛永13年)、外堀の整備に合わせて枡形ますがたと石垣が築かれ、工事は長門萩藩主の毛利秀就もうりひでなりが担当しました。門は1639年(寛永16年)に構築され、外麹町口、四谷口、山ノ手口などとも呼ばれたのち、四谷門の名が定着しました。

枡形は、城門の内外を直線で通さず、四角い空間と複数の門で進行方向を折る防御構造です。四谷見附では、江戸城内から麹町を通ってきた道が外堀を越え、西の四谷・内藤新宿・甲州方面へつながりました。交通の要衝であると同時に、城下への出入りを管理する場所でもありました。

門は1872年(明治5年)に撤去され、1899年(明治32年)には枡形と石垣の大部分も撤去されました。現在は北側の石垣が現存し、南側の石垣もJR四ツ谷駅舎の下部に保存されています。江戸城外堀跡は1956年に国史跡に指定され、四谷見附周辺では城門跡、堀、鉄道、橋が重なる東京の都市史を一度に見ることができます。

四谷見附橋|街道が直線化された近代の転換点

現在の新宿通りは、そのまま四谷見附橋を渡って新宿方面へ続きます。江戸時代の甲州道中は、外堀手前の四谷大横町で曲がり、土橋と枡形を通って四谷門へ入る屈曲した経路でした。明治になると、この曲がりが交通上の障害となり、東京市は外堀と甲武鉄道をまたぐ橋を整備しました。

初代の四谷見附橋よつやみつけばしは1913年(大正2年)に完成しました。迎賓館赤坂離宮につながる景観を意識し、ネオ・バロック様式の高欄や橋灯を備えた橋でした。現在の橋は1991年(平成3年)に架け替えられましたが、旧橋の意匠を受け継いでいます。江戸の枡形を通る屈曲した道から、近代都市の直線道路へ変わった場所として見ると、四谷見附橋の意味がよく分かります。

江戸城外堀と四ツ谷駅|堀底に鉄道が走る理由

四ツ谷駅周辺では、駅や線路が周囲の市街地より低い位置にあります。江戸城外堀の谷地形を利用したためで、近代にはこの低地へ甲武鉄道が通されました。千代田区の景観資料では、1893年(明治26年)に甲武鉄道が建設され、四ツ谷・市ヶ谷・牛込・飯田町に停車場が整備されたとされています。

四谷見附では、江戸期の外堀、明治期の鉄道、大正期の橋、現代の駅が同じ断面に重なっています。橋上から線路を見下ろし、石垣と堀跡の高さを比べると、江戸城の防御地形がそのまま近代交通の空間へ転用されたことが分かります。

半蔵門から四谷見附までの主な立ち寄り地点

  1. 半蔵門 解説板
  2. 平河天満宮常夜燈
  3. 麹町大通り街路庭園・完成記念碑
  4. 四谷門跡
  5. 江戸城外堀跡(四谷門地区)
  6. 現存する四谷門の枡形石垣
  7. 江戸城外堀史跡展示広場

甲州街道の起点は半蔵門か、日本橋か

五街道として整備された甲州道中の起点は日本橋です。国土交通省も、日本橋を五街道の起点として説明しています。一方、千代田区の四谷門跡の解説では、四谷見附を「半蔵門を起点とする甲州街道の口」としています。

この二つは対象にしている道の範囲が異なります。日本橋は幕府が定めた五街道の起点、半蔵門から四谷見附へ向かう道は江戸城内側から西へ抜ける重要路です。半蔵門前から四谷見附まで歩くと、江戸城と甲州方面を結ぶ西の交通軸を体感できます。

四谷見附からつながる歴史散歩

四谷見附から若葉・須賀町・左門町方面へ進むと、江戸城外堀の整備とともに形成された四谷寺町へつながります。西念寺、須賀神社、於岩稲荷田宮神社などは、四谷の神社仏閣10か所を歩く歴史散歩で詳しく紹介しています。

外堀を南へたどるなら、赤坂見附から四谷見附へ|江戸城外堀と見附を歩く歴史散歩が続きのルートです。半蔵門から南側の紀尾井町・平河町・隼町を歩くコースは、赤坂見附から半蔵門の歴史散歩|紀尾井町・平河町・隼町を歩くで紹介しています。

TimeWalkで周辺の史跡を探す

TimeWalkは、現在地や指定した地点の近くにある歴史スポットを地図で探せるWebアプリです。半蔵門、麹町、四谷見附の周辺でも、街歩きの前後に近くの史跡を探せます。現在地から歩ける史跡を地図で探す。

参考資料