いもり川暗渠を歩く|青山学院から南青山・広尾、渋谷川合流点へ

表参道のケヤキ並木と表参道ヒルズ

青山学院のキャンパスから南青山、広尾へ。現在の地図には川の青い線がありませんが、住宅街の細道や坂、高低差をたどると、かつての水の流れが街の形に残っています。その川が「いもり川」です。

青山学院の資料では、水源は現在の青山キャンパス内にあり、そこから常陸宮邸、東京女学館、羽沢橋付近を通り、明治通りを越えて渋谷川へ合流した流れが紹介されています。南青山から広尾まで、江戸の大名屋敷、近代の学校や病院、寺院、国際コミュニティが重なる谷を歩きます。

いもり川とは?青山学院から広尾へ流れた小河川

いもり川は、現在の青山学院付近を水源とし、南へ流れて広尾一丁目付近で渋谷川に合流していた小河川です。現在は大部分が暗渠あんきょとなり、水面を見ることはできません。

暗渠は、川や水路を地下へ通し、その上を道路や緑道などとして使う形です。東京では細く蛇行する道、周囲より低い道、橋の名、擁壁や階段などが旧河道を探す手がかりになります。暗渠そのものの見つけ方は、「暗渠まるわかりガイド|東京の消えた川を見つける街歩き入門」で詳しく紹介しています。

東京の街で暗渠を見つける手がかりを示した図
暗渠を探す手がかり。細道や蛇行、高低差、橋の痕跡などを組み合わせると、地上から消えた川の流路を読みやすくなります。『「暗橋」で楽しむ東京さんぽ 暗渠にかかる橋から見る街』をもとに作成。

青山学院に残った水源の痕跡|大名屋敷の庭園と発掘調査

いもり川の水源を考えるうえで最も重要な場所が青山学院です。青山学院資料センターの資料は、いもり川の水源が現在の青山キャンパス内にあったとしています。

1991~1992年、学会館の増改築に伴う発掘調査で、ウェスレーホール東側を囲むような水路跡が見つかりました。この一帯は江戸時代、伊予西条藩いよさいじょうはん松平家上屋敷の庭園にあたり、水路の西側では築山状の盛り土や、水辺へ下りる緩やかな階段状の遺構も確認されています。

さらに1886年(明治19年)の「実測東京全図」には、ほぼ同じ場所に小島を持つ池が描かれています。発掘された池跡と古地図の池が重なることで、現在の大学キャンパスの地下に残る水の歴史が具体的になります。

いもり川の水源があったとされる場所をGoogleマップで見る

江戸の切絵図や明治期の地図と現在の街を重ねる方法は、東京の古地図を使った街歩きガイドも参考になります。

常磐松へ続く谷|東京農学校が移った近代の風景

青山学院から南へ下ると、旧常磐松ときわまつの一帯へ入ります。東京農業大学の前身である私立東京農学校は1898年、渋谷村常盤松の御料地へ移転しました。現在の東京農業大学は世田谷にありますが、近代の一時期、農業教育の拠点がこの谷と台地の周辺に置かれていました。

江戸期には大名屋敷と田園が広がり、明治以降は学校や大規模施設が進出しました。現在の南青山・広尾の景観からは想像しにくい土地利用の変化ですが、低地と高台の差は今も街路の勾配にはっきり残っています。

旧渋谷川遊歩道の暗渠上の街路
近接する旧渋谷川の暗渠上につくられた遊歩道。川が道路へ変わった東京の暗渠を比較する参考になります(2010年)/撮影:Rs1421、Wikimedia Commons、CC BY-SA 3.0

旧渋谷川の暗渠と表参道周辺の歴史は、「原宿・表参道・青山の歴史散歩」で紹介しています。

南青山から広尾へ|細道と坂に川の形が残る

いもり川を歩く楽しさは、大きな史跡が連続することより、住宅街そのものが旧河道の輪郭を残していることにあります。水源域から南へ進むと、道幅が急に細くなる場所、曲線を描く路地、左右の土地が高くなる場所が現れます。

広尾へ近づくほど谷は深くなり、短い距離の中に坂や擁壁が増えます。地図だけでは一本の道路に見える場所でも、現地で周囲を見上げると、自分が谷底を歩いていることが分かります。

広尾の住宅街に残る坂道
広尾の住宅街の坂道。2023年の広尾散歩で撮影した景観で、谷と高台が近接するこの地域の地形がよく分かります。
広尾の緑の多い住宅街
広尾の住宅街。大規模施設と低層住宅、坂道が近い距離に重なる街並みも、谷沿いを歩くと立体的に見えてきます。

広尾の近代史|日本赤十字社と日本ユダヤ教団

広尾には、明治以降に大規模な医療・教育施設や国際的な施設が集まりました。日本赤十字社医療センターの前身は1886年に開院した博愛社はくあいしゃ病院で、翌1887年に日本赤十字社病院となり、1891年に現在の広尾へ移転しました。

いもり川の流路をたどると、現在の日本ユダヤ教団の近くも通ります。Jewish Community of Japanは1952年末に現在地を取得し、1953年5月に東京のシナゴーグを開設しました。旧施設は2008年に解体され、2009年に現在の建物が完成しています。設計は建築家槇文彦まきふみひこらの槇総合計画事務所です。

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西麻布交差点付近から見た霞坂
広尾に隣接する西麻布の霞坂(2003年)。谷から高台へ上がる坂が連続する地形は、南青山から広尾一帯の水路を考える手がかりになります。出典:港区オープンデータ/CC BY 4.0

渋谷から広尾へ続く鎌倉道、旧久邇宮邸、日本赤十字社医療センターなど周辺史は、「渋谷から広尾の歴史散歩」で詳しくたどれます。西側の谷筋を比較するなら、「西麻布の歴史を巡る夜散歩|笄町・霞町・笄川と坂道を歩く」もつながりの深い記事です。

東北寺と江戸時代の広尾

住宅街の中にある東北寺とうほくじは、江戸時代から広尾の歴史を伝える寺院です。法務省の史料解説によると、麻布桜田町にあった東北庵を起源とし、1696年(元禄9年)に現在地へ移りました。渋谷区の年表にも同年の移転が記録されています。

渋谷区によれば、広尾はかつてツクシが生える「土筆ヶ原」と呼ばれ、その後「広野」となり、元禄期の検地のころから「広尾」と呼ばれるようになったと伝わります。いもり川が流れていた谷の周囲には、寺院、大名屋敷、農地が入り交じる江戸郊外の景観が広がっていました。

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西麻布三丁目の大横丁坂
広尾に隣接する西麻布三丁目の大横丁坂。谷と高台の距離が短い周辺地形を実感できます。写真:港区オープンデータ(CC BY)

広尾一丁目で渋谷川へ合流|消えた川が見える川へ戻る

いもり川を南へたどる散歩の終点は、広尾一丁目の渋谷川沿いです。青山学院の水源から地下の流れを追ってきた道が、ここで現在も水面の見える渋谷川につながります。

広尾一丁目児童遊園地周辺に立つと、北側から下ってきた谷と渋谷川の低地が一つにつながります。暗渠散歩の最後に開渠の川へ出るため、地形の変化を最も理解しやすい場所です。

広尾一丁目児童遊園地・渋谷川合流地点をGoogleマップで見る

西麻布の堀田坂
広尾の北東に続く西麻布の堀田坂。周辺では低地から高台へ上る坂が連続し、水が刻んだ谷の輪郭が現在の道路にも残ります。写真:港区オープンデータ(CC BY)

いもり川暗渠を歩く6つのポイント

  1. 青山学院の水源域 — 発掘された水路跡と江戸期の大名屋敷庭園を重ねて見る出発点です。
  2. 南青山の谷へ下る区間 — 道の勾配と周囲の高低差が旧河道を探す手がかりになります。
  3. 日本ユダヤ教団周辺 — 広尾の国際性と戦後史を伝える地点です。
  4. 広尾の坂と住宅街 — 谷底と高台が近接する地形を体感できます。
  5. 東北寺 — 元禄期から現在地にある寺院で、江戸の広尾へ時間を戻せます。
  6. 広尾一丁目児童遊園地・渋谷川合流地点 — 地下へ消えたいもり川の流れが、現在も見える渋谷川へつながる終点です。

周辺の暗渠・歴史散歩へ

主な参考資料