四谷の神社仏閣10か所を歩く|服部半蔵・鬼平・四谷怪談を巡る歴史散歩

新宿区四谷の須賀神社の鳥居と境内

四ツ谷駅から若葉、須賀町、左門町へ歩くと、短い距離のなかに寺院と神社が続きます。西念寺には服部半蔵の墓、愛染院には内藤新宿の成立に関わった高松喜六の墓があり、戒行寺には「鬼平」こと長谷川平蔵ゆかりの供養碑があります。左門町まで進めば、四谷怪談で知られるお岩にまつわる寺社が向かい合います。

この一帯に寺社が集まった背景には、江戸城の拡張と外堀普請があります。四谷の寺町が形づくられた過程をたどりながら、四ツ谷駅周辺の神社仏閣10か所を歩きます。

四谷に寺町が生まれた理由

江戸時代初期、江戸城の拡張と外堀の整備に伴い、麹町や清水谷周辺にあった寺社の一部が四谷へ移りました。須賀神社は寛永11年(1634)、江戸城外堀普請のため清水谷から現在地へ移ったと伝えられます。妙行寺や日宗寺も同じ寛永11年に現在地へ移転しています。

寺社の移転が重なり、現在の若葉・須賀町・左門町には寺院が密集する景観が生まれました。四谷見附と江戸城外堀の成り立ちは、「半蔵門から四谷門」の史跡を巡る記事で詳しく紹介しています。

江戸城三十六見附の位置図
江戸城三十六見附の位置図。四谷見附は外堀と甲州街道が交わる重要な地点でした。
徳川将軍家の系図
徳川将軍家の系図。西念寺では徳川家康の長男・松平信康と服部半蔵の関係が寺の由緒につながります。

四ツ谷駅から巡る神社仏閣10か所

四ツ谷駅から若葉、須賀町、左門町へ進む順番です。各名称からGoogleマップを開けます。

  1. 西念寺
  2. 愛染院
  3. 須賀神社
  4. 妙行寺
  5. 戒行寺
  6. 永心寺
  7. 本性寺
  8. 陽運寺
  9. 於岩稲荷田宮神社
  10. 日宗寺

1. 西念寺|服部半蔵と松平信康

西念寺には、徳川家康に仕えた服部半蔵はっとりはんぞう正成の墓があります。西念寺は、正成が家康の長男・松平信康の菩提を弔うために創建した寺院と伝えられます。信康は天正7年(1579)に切腹し、正成はその死を悼みました。

寺には、三方ヶ原の戦いの功により家康から拝領したと伝わる槍も残ります。槍は安政2年(1855)の大地震や第二次世界大戦の空襲で損傷しました。服部半蔵の墓とともに、徳川家と伊賀者の記憶を四谷に伝える史跡です。

2. 愛染院|内藤新宿を生んだ高松喜六

愛染院には高松喜六と塙保己一はなわほきいちの墓があります。高松喜六は元禄10年(1697)、日本橋から甲州街道最初の宿場・高井戸までの距離が長いことから、幕府へ新しい宿場の開設を願い出ました。翌年に許可され、宿場開設資金5,600両を納めて問屋・本陣を経営します。

こうして生まれた内藤新宿は、現在の「新宿」という地名の源流になりました。四谷の寺町を歩く途中で、江戸の交通網が新宿の都市形成へつながった場所に触れられます。

3. 須賀神社|四谷十八ヶ町の総鎮守

須賀神社の前身は清水谷にあった稲荷神社で、寛永11年(1634)に江戸城外堀普請のため現在地へ移りました。寛永20年(1643)には須佐之男命すさのおのみことを合祀し、「四谷天王社」として親しまれます。明治元年(1868)に須賀神社と改称しました。

江戸初期から四谷十八ヶ町の鎮守で、六月の祭礼は古く「天王祭り」と呼ばれました。社内に伝わる三十六歌仙絵は天保7年(1836)の奉納で、大岡雲峰の絵に千種有功の書を合わせた文化財です。戦災を免れ、現在まで伝わっています。

新宿区四谷の須賀神社の鳥居と境内
須賀神社(新宿区四谷)、2012年。撮影:Harani0403/Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0。

映画『君の名は。』で知られる石段も境内の近くにあります。須賀神社から左門町へ続く散歩は、四谷から明治神宮外苑を歩いた記事でも紹介しています。

4. 妙行寺|江戸城拡張で移った赤門寺

妙行寺みょうぎょうじは15世紀中頃の創建とされ、寛永11年(1634)に清水谷から現在地へ移りました。10代将軍・徳川家治から「赤門」の称号を認められ、「赤門寺」と呼ばれるようになったと寺伝にあります。

須賀神社と同じ1634年の移転という点に、外堀普請が四谷の街並みを大きく組み替えた痕跡が残ります。

5. 戒行寺|「鬼平」長谷川平蔵ゆかりの寺

戒行寺かいぎょうじは文禄4年(1595)に麹町で建立され、江戸城外堀工事に伴って現在地へ移りました。境内には、火付盗賊改方として知られる長谷川平蔵ゆかりの供養碑があります。

池波正太郎の『鬼平犯科帳』は、この実在の長谷川平蔵を主人公のモデルとしました。江戸の治安行政と時代小説が重なる場所です。

6. 永心寺|戦災を越えた江戸時代の本堂と山門

永心寺の本堂は享保11年(1726)の建立です。新宿区内では戦災を免れた江戸時代の寺院建築が少なく、山門とともに区の文化財に指定されています。山門は薬医門形式で、寺町だった四谷の景観を建物そのものが伝えています。

7. 本性寺|家康の江戸入府と四谷の毘沙門さま

本性寺ほんしょうじは、徳川家康の江戸入府に従った三河の郷士・三田佐兵衛尉守綱が営んだ隠居所を起源とします。寛永18年(1641)にその地が僧へ譲られ、寛文10年(1670)に本性寺が成立しました。

戦前は「四谷の毘沙門さま」として賑わい、本堂・山門・毘沙門堂は戦災を免れました。境内には国学者・萩原宗固の墓もあります。

8. 陽運寺|お岩信仰を伝える寺

左門町へ進むと、四谷怪談のお岩にゆかりを持つ陽運寺があります。道を挟んだ近くには於岩稲荷田宮神社があり、現在の左門町では寺と神社の双方がお岩信仰を伝えています。

この周辺の坂や路地を含めた四谷の地形は、信濃町から四谷の裏路地を歩いた記事と合わせると位置関係がつかみやすくなります。

9. 於岩稲荷田宮神社|実在のお岩と『東海道四谷怪談』

於岩稲荷田宮神社は、四谷左門町にあった田宮家の屋敷神に由来します。実在のお岩は田宮家を支えた人物として伝えられ、後世の芝居『東海道四谷怪談』に描かれたお岩とは性格の異なる伝承を持ちます。

明治12年(1879)の火災を契機に神社は中央区新川へ遷り、昭和27年(1952)には四谷の旧地にも再建されました。怪談が生まれる以前から続く田宮家の信仰と、江戸後期の演劇文化を分けて見ると、四谷怪談の背景が立体的になります。

新宿区四谷にある於岩稲荷田宮神社の外観
於岩稲荷田宮神社(新宿区)、2020年。撮影:Abasaa(あばさー)/Wikimedia Commons/Public Domain。

10. 日宗寺|1619年創建、外堀普請で四谷へ

日宗寺は元和5年(1619)に麹町で創建され、寛永11年(1634)に現在地へ移りました。境内には夜明鬼子母神の伝承があり、本堂前には日蓮聖人の銅像があります。

須賀神社、妙行寺、日宗寺に共通する1634年の移転をたどると、現在の寺町が江戸城外堀の建設と深く結びついていることが分かります。

四谷の歴史をさらに歩く

寺町の西側にある四谷見附と外堀を深く知るなら、半蔵門から四谷門まで歩く記事がつながります。須賀神社・左門町から外苑方面へ進むなら、四谷から明治神宮外苑の散歩記事、地形と裏路地を味わうなら、信濃町から四谷の裏路地散歩もあわせて楽しめます。

参考資料