解説付き!上野~御徒町~秋葉原の歴史を巡る夜散歩。普段歩かないところを歩きます。運動目的の参加もOKです♪

上野~御徒町~秋葉原の歴史を巡る夜散歩 イベント

今回訪れる予定の場所

佐竹氏
佐竹氏は甲斐源氏の武田氏と同じく、源頼義の三男で源義家の末弟・源義光の子孫である清和源氏・義光流の一族。久保田藩は、江戸時代の藩の一つ。秋田藩とも呼ばれる。久保田城を居城とし、藩主は佐竹氏が治めた。宗家の初代当主は佐竹昌義(1081-1147)で、現在は第36代当主・佐竹孝である。分家の佐竹四家(東西南北家)のうち北家の21代当主・佐竹敬久が現在の秋田県知事である。

秋葉神社(総本社)
秋葉山本宮秋葉神社は東海随一の霊山との呼び声も名高い秋葉山を神体山と仰ぎ、創建は和銅2(西暦709)年と伝えられております。中世には「秋葉大権現」と称して、その御神徳は国中に知れわたり、朝廷からは正一位の神階を賜り、著名な武将からも数多くの名刀が寄進されました。更に江戸時代には全国に秋葉講が結成され、街道は参詣者で賑わいました。今なお古式の祭儀がそのままに営まれ、全国津々浦々より崇敬されております。御祭神は、火之迦具土大神(ヒノカグツチノオオミカミ)と申し上げ、伊邪那岐・伊邪那美二柱の神の御子で火の主宰神です。静岡県浜松市天竜区春野町領家にあり、秋葉大権現の起源です。「秋葉神社」は日本全国に点在し、神社本庁傘下だけで約400社です。

https://www.akihasanhongu.jp/

秋葉神社(東京都台東区松が谷3丁目10−7)
明治初年頃大火災の頻発により、東京市民の火災鎮護の祈願所として現在の秋葉原の地に建立された。後に鉄道駅の設置により現在地に遷座されたが、『秋葉原』の名も当社にその起源を発するものである。

寄席発祥の地
 江戸時代、寛政十年(1798)6月に初代山生事花楽が下谷稲荷社 (現下谷神社)の境内で五日間の寄席興行を行いました。 これが江戸における最初の寄席興行といわれております。 落語自体はもっと前から存在しましたが、それ以前の落語は、 身分の高い方の前で一対一で話をしたそうで、寄席の定義というのは一般の人を対象に、木戸銭(きどせん。見物料)をとって落語を聞かせることだそうです。 馬喰町で職人をしていた京屋又五郎という人が、 山生亭花楽と名乗り「風流浮世おとし噺」の看板を掲げ、 下谷稲荷社 (現下谷神社)の境内の賭け小屋で、 一般の人を対象に木戸銭を取って落語を聞かせました。 これが江戸における最初の寄席興行といわれており、 寄席は、寛政の後の文化・文政の時代には百数十軒にも増加したそうです。
 山生亭花楽の名前の由来は「山椒は小粒でピリリと辛い」をかけて付けられたそうです。 山生亭花楽は後に三笑亭可楽と名前を変え現在は9代目です。 平成十年(1798年) 寄席発祥二百年を記念して、 都内四つの亭席・落語協会・落語芸術協会を始め落語関係者の協力により境内に記念碑が建てられ、同年四月十日、落語関係者二百名参列の下、 除幕式が執り行われました。
 下谷神社は奈良時代天平二年(730年)に現在の上野の山に祀られました。 今年で1292年、東京では最も古いお稲荷さんです。寄席発祥の江戸時代寄席発祥の頃は、 現在の浅草通りに面して祀られていましたが、 関東大震災後、 区画整理のため現在地に移され昭和九年に社殿が造営されました。
浅草通りに建つ赤鳥居の額は東郷平八郎の筆によるものです。拝殿天井には横山大観画伯の 「龍」の絵がはめ込まれています。下谷神社の大祭は「江戸の祭りは下谷から」と言われるように下町で最も早い夏祭りで、 隔年に行われる本祭りには本社神輿の担手だけで七千人以上が集まり、 境内の周りには百四十軒以上の露天商が軒を並べまつりを盛り上げます。

佐竹秋葉神社(東京都台東区台東4丁目4−21)
秋田佐竹藩上屋敷跡地に明治22年に、秋葉神社の分霊を勧請して創建されました。

佐竹家上屋敷・佐竹っ原跡
江戸時代、この付近一帯は、出羽国久保田(秋田)藩の上屋敷があった地である。藩主は佐竹氏で、二十万石を領有した、東北地方屈指の外様大名であった。
佐竹家上屋敷の当地開設年代は、『武鑑』からみて、元禄二年(1689)もしくは翌三年と考えられる。 屋敷地広大で、現在の台東三・四丁目東半分にわたっていた。
佐竹家八代藩主佐竹義敦(号曙山)は、日本初の本格的西洋医学書の翻訳書『解体新書』(安永三年[1774]刊) 付図を描いた藩士小田野直武らとともに、洋風画の一派「秋田蘭画」の基礎を築いた。また天明年間(1781-1789)の狂歌師手柄岡持も藩士であり、当時の文化人がここを中心に活躍していたことがうかがわれる。
明治になって佐竹家上屋敷や近隣の武家屋敷が撤去され、当地は野原となり、俗に佐竹っ原と呼ばれた。ここは見世物小屋が集中して賑わったが、明治時代半ばから民家が立ち並び、商店街として発展した。 現在、「佐竹」の名は、「佐竹商店街」として継承されている。

浅草・鳥越きりしたん殉教記念碑
この地に鳥越川が流れ、隅田川にそそいでいた。この今は暗渠となっている鳥越川のほとりで江戸時代の初期1613年8月16日、小伝馬町の牢獄に捕らえられていた者と共に8名のキリシタンが、幕府の禁教令にめげず信仰を守り通して斬首された。同じく翌17日には14名、9月19日にはさらに5名がこの鳥越川のほとり、甚内橋より東の地に処刑された。これらの、幕府の迫害にも屈せず、神への純正なこころを貫き通した人々の殉教をいつまでも忘れぬよう、この地にこの記念碑を建立した。

国立衛生試験所発祥の地
国立衛生試験所 (現、 国立医薬品食品衛生研究所) は、わが国最初の国営の医薬品試験研究機関、 東京司薬場として、1874年(明治7年)3月、 現在の中央区日本橋馬喰町に発足し、1875年(明治8年) に現在の千代田区神田和泉町2番地で本格的業務を開始しました。1945年(昭和20年) 3月の東京大空襲に罹災し、 世田谷区上用賀に移転したのち、2017年 (平成29年) 10月に川崎市に移転しています。

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イベントの様子

この記事を書いた人
ゆる歴史散歩会 会長
なかまつ

北海道大学工学部卒。美術館は週に2回、海外旅行は年に6回行く、ゴリゴリの理系出身のIT系ビジネスマン。隣が図書館のため毎月10冊の本を借りている。趣味の延長で、東京の歴史や芸術を楽しむゆる〜いイベントを企画している。

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