新宿駅西口から初台へ歩くと、東京の水道と都市開発の歴史が一本の道としてつながります。現在の西新宿には東京都庁や超高層ビルが並びますが、1965年まで、この一帯の大部分を占めていたのは東京の近代水道を支えた淀橋浄水場でした。
さらに西へ進むと、初台には玉川上水の旧水路や橋の名残が残ります。江戸の上水、明治の近代水道、昭和の副都心計画、現在の高層ビル街まで、約370年にわたる東京の変化を現地で確かめられる散歩コースです。

西新宿は「水の街」から高層ビル街へ変わった
現在の西新宿二丁目から三丁目付近には、明治から昭和にかけて淀橋浄水場が広がっていました。東京都水道局によると、淀橋浄水場は東京の近代水道で最初の浄水場として建設され、1898年12月に神田・日本橋方面への給水を開始しました。
原水は玉川上水から引き入れ、沈殿とろ過を行ったうえで鉄製の水道管を通して市内へ送りました。江戸時代の上水は開水路や木樋を使って水を運びましたが、明治の東京では人口増加、水質悪化、コレラ流行、消防用水の確保が大きな課題となり、近代的な水道設備が必要になりました。
1899年にはろ過池が完成し、ろ過した水を鉄管で供給する体制が整いました。東京の蛇口へ安全な水を送り続ける仕組みは、この西新宿から本格的に始まったのです。東京水道全体の歴史は、東京水道の歴史|江戸の上水から浄水場・ダム・巨大水道網までで詳しく紹介しています。

なぜ淀橋浄水場は西新宿につくられたのか
淀橋浄水場の水源となった玉川上水は、1653年に工事が始まり、1654年に江戸への給水を開始しました。多摩川の羽村から四谷大木戸方面まで水を運び、江戸の人口増加を支えた上水です。
明治になると、玉川上水は新しい役割を担います。東京都水道局の資料では、1898年の淀橋浄水場給水開始以後、玉川上水は浄水場への導水路として利用されました。江戸の生活用水を運んだ水路が、近代都市東京の水道システムへ組み込まれたのです。
西新宿と初台を一緒に歩く意味もここにあります。浄水場跡だけを見ても水の入口は見えません。初台側に残る玉川上水の旧水路や橋跡までたどると、多摩川から西新宿へ水が運ばれた地形と経路を街の中で追うことができます。

現在の西新宿に残る淀橋浄水場の痕跡
浄水場は1965年3月31日に閉鎖され、機能は東村山浄水場へ移りました。巨大な浄水場そのものは姿を消しましたが、西新宿には当時を伝える痕跡が点在しています。
淀橋浄水場跡の記念碑
新宿エルタワー付近には淀橋浄水場跡を伝える記念碑があります。現在はオフィスビルと道路に囲まれていますが、この地点から都庁方面まで、かつて大規模な浄水施設が連なっていました。
旧淀橋浄水場の蝶型弁
新宿住友ビル周辺には「東京水道発祥の地」の碑と旧淀橋浄水場の蝶型弁があります。蝶型弁は管路の水量を調整・遮断する設備です。巨大な浄水場を支えた機械設備が、高層ビル街の足元に保存されています。

煉瓦のモニュメント
西新宿には、浄水場で使われていた煉瓦を利用したモニュメントも残ります。浄水場の施設はほぼ失われましたが、設備や材料を手掛かりにすると、現在の街と水道施設だった時代を重ねて見ることができます。
1965年以後、浄水場跡は新宿副都心になった
淀橋浄水場の閉鎖は、西新宿の風景を大きく変えました。東京都水道局は、周辺の市街化と副都心計画の進展によって浄水場の閉鎖が決まり、その跡地が東京都庁をはじめとする高層ビル群へ生まれ変わったとしています。
1971年には京王プラザホテルが開業し、その後、新宿住友ビル、新宿三井ビルなど超高層建築が相次ぎました。1991年には東京都庁が丸の内から西新宿へ移転し、新宿副都心の象徴となりました。
浄水場跡が大規模な一体開発用地になったことは、西新宿が超高層ビル街へ変わる大きな条件でした。各ビルの建築史や特定街区の仕組みは、西新宿の高層ビル群はなぜ生まれた?淀橋浄水場跡から歩く新宿副都心の歴史で詳しく紹介しています。

浄水場より前の西新宿――角筈と十二社
高層ビル街や浄水場ができる以前、この一帯は角筈と呼ばれた地域でした。江戸の市街地から見ると西郊に位置し、農地や集落が広がっていました。
現在の新宿中央公園周辺には熊野神社があり、その西側にはかつて十二社池や滝がありました。江戸後期から明治にかけては景勝地・行楽地として知られ、現在の超高層ビル街とはまったく異なる風景が広がっていました。
西新宿の歴史は、農村と行楽地だった時代、近代水道を支えた浄水場の時代、副都心として高層化した時代という三つの大きな変化を重ねて見ると理解しやすくなります。

初台へ向かうと玉川上水の痕跡が現れる
都庁周辺から西へ進むと、新宿副都心の景観から初台の街並みへ変わります。ここでは玉川上水の旧流路をたどる散歩ができます。改正橋跡、玉川上水跡、玉川上水のモニュメント、葵橋跡など、かつて水路が通っていたことを示す地名や構造物が残っています。
玉川上水は1654年に江戸への給水を始め、1898年からは淀橋浄水場への導水路として利用されました。1965年の淀橋浄水場廃止後、小平監視所より下流への通水は停止しました。初台周辺では水面が見えなくなった場所も多いものの、旧水路の線形は道路や緑道、橋跡として都市の中に残っています。
玉川上水新水路や水道道路をさらに西へたどる場合は、幡ヶ谷~新宿|玉川上水新水路・水道道路・和泉川暗渠を歩くもあわせて読むと、水道施設と現在の道路の関係がつながります。

「初台」という地名と代々幡町
渋谷区によると、初台の地名は、徳川秀忠の乳母となった「初台の局」にちなむと伝えられています。初台の局は1591年に当時の代々木村で二百石の知行地を与えられ、晩年をこの地で過ごしたとされています。
明治22年(1889)、代々木村と幡ヶ谷村が合併して代々幡村が成立し、1915年には代々幡町となりました。1932年、東京市の市域拡張で渋谷町・千駄ヶ谷町と合併し、現在の渋谷区へつながります。
この地域の都市化を進めた大きな存在が鉄道です。京王電気軌道は1910年に設立され、1913年に笹塚―調布間を開業しました。1916年には新宿―府中間がつながり、新宿と郊外を結ぶ交通軸が形成されていきました。
新国立劇場まで歩くと、初台の現代史につながる
初台駅前の新国立劇場は1997年に開場しました。オペラ、バレエ、舞踊、演劇のための国立劇場として整備され、東京オペラシティとともに現在の初台を代表する文化拠点になっています。
江戸の玉川上水、明治の鉄道、昭和の都市化、平成の文化施設という変化を重ねると、初台は「新宿の隣駅」というだけではなく、東京の西郊が市街地へ組み込まれていく過程を残す地域として見えてきます。
新宿駅から初台までの歴史散歩ルート
- みんなの泉(馬水槽)――明治期の東京と水を考える出発点
- 淀橋浄水場跡(新宿エルタワー付近)――西新宿が浄水場だった時代を確認
- 新宿歩行者専用道第2号線「タイムズ・アベニュー」――立体的に整備された副都心の都市構造
- 東京水道発祥の地・旧淀橋浄水場蝶型弁――近代水道の設備を現地で見る
- 淀橋浄水場の煉瓦モニュメント――失われた施設の材料を見る
- 東京都庁第一本庁舎――浄水場跡から副都心へ変わった象徴
- 新国立劇場――初台の現代的な文化拠点
- 改正橋跡――玉川上水旧流路の痕跡
- 旧代々幡町燈籠――かつての自治体名を伝える史跡
- 玉川上水跡――水路の線形を街中でたどる
- 玉川上水のモニュメント――初台に残る上水の記憶
- 葵橋跡――旧水路に架かっていた橋の痕跡
西新宿・初台の歴史年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1654年 | 玉川上水が江戸への給水を開始 |
| 1889年 | 代々木村と幡ヶ谷村が合併し代々幡村が成立 |
| 1898年 | 淀橋浄水場から神田・日本橋方面への給水開始 |
| 1899年 | 淀橋浄水場のろ過池が完成 |
| 1913年 | 京王電気軌道が笹塚―調布間を開業 |
| 1915年 | 代々幡村が町制施行し代々幡町となる |
| 1916年 | 京王電気軌道の新宿―府中間が開通 |
| 1932年 | 代々幡町などが東京市へ編入され渋谷区が成立 |
| 1965年 | 淀橋浄水場が閉鎖 |
| 1971年 | 京王プラザホテル開業 |
| 1991年 | 東京都庁が西新宿で開庁 |
| 1997年 | 新国立劇場開場 |
2023年8月24日の散歩イベント
このコースは2023年8月24日の散歩イベントで使用しました。新宿駅周辺から西新宿の淀橋浄水場跡をたどり、都庁周辺を経て初台へ向かう構成です。当日の写真や実際に歩いた順序は、記録を整理したうえでこの章に追記します。

