
西新宿の高層ビル街から北新宿・大久保へ歩くと、現代美術、古社、江戸の農業、近代の文学とキリスト教史が短い距離の中に重なっています。現在の西新宿八丁目から北新宿一帯は、江戸時代から明治期にかけて柏木村・柏木と呼ばれ、畑や屋敷が広がる地域でした。近代以降は都市化が進みましたが、神社や史跡の説明板、旧居跡から、かつての土地の姿をたどることができます。
1. 「LOVE」ロバート・インディアナ
新宿アイランドの正面に立つ「LOVE」は、アメリカのポップアート作家ロバート・インディアナの代表作です。インディアナは1962年に「LOVE」の文字を用いた絵画を発表し、簡潔な文字と強い色彩を組み合わせた作品で知られるようになりました。
新宿の作品は、1968年に発表された彫刻をもとに、インディアナ自身が新宿アイランドのために配色を考え、1993年に制作したものです。アルミニウム製の大きな文字を二段に重ね、「O」だけを斜めに配置した構成は、正面だけでなく横や背面から見ても印象が変わります。新宿アイランドでは「人間の愛と未来」をテーマに複数のパブリックアートが設置されており、「LOVE」はその象徴として親しまれています。
2. 成子天神社
成子天神社は、菅原道真を祭神とする西新宿の古社です。社伝では、道真が太宰府で亡くなった延喜3年(903)、その知らせを受けた家臣が道真の像を平安京から柏木村へ持ち帰り、祀ったことに始まるとされます。江戸時代には、3代将軍徳川家光から柏木鳴子の地を与えられた春日局の勧請により社殿が造営されました。戦災による焼失と再建を経て、現在の境内は平成25年(2013)の造営で整えられています。
青梅街道から鳥居をくぐると、高層ビルや集合住宅に囲まれた街中とは雰囲気が変わります。本殿のほか、富士塚、浅間神社、力石、七福神などが境内に集まり、地域の信仰が一つの場所に重なってきたことが見どころです。


鳴子ウリと江戸の農業
「江戸・東京の農業 鳴子ウリ」の場所をGoogleマップで見る
鳴子ウリは、江戸時代に柏木地区の成子、現在の西新宿八丁目付近で栽培されていたマクワウリの仲間です。新宿区に伝わる江戸野菜の一つで、現在のビル街になる前、この一帯に畑が広がっていたことを伝えます。史跡だけでなく農作物にも土地の記憶が残る点が、この場所の面白さです。
成子天神社の富士塚「成子富士」
成子富士は、富士山を信仰する富士講の人々が大正9年(1920)に築いた富士塚です。境内にあった小山へ富士山の溶岩を配してつくられ、高さは約12メートルあります。遠くの富士山へ参詣することが難しかった人々は、身近な富士塚に登ることで富士登拝になぞらえました。
石を積んだ山肌や登山道、浅間神社に注目すると、単なる築山ではなく、富士山を小さな境内に再現した信仰施設であることが分かります。高層建築を背景に富士塚が残る景観は、農村だった成子と現代の西新宿が重なる場所ならではの見どころです。登拝できる時期や時間は神社の案内に従ってください。
3. 西條八十旧居跡
西條八十は、詩人、作詞家、フランス文学者として活動した人物です。童謡「かなりあ」をはじめ、「東京音頭」「蘇州夜曲」「青い山脈」など、童謡から歌謡曲、映画音楽まで幅広い詞を残しました。新宿との縁が深く、生涯のうち約50年間を現在の新宿区内で過ごしています。
この旧居跡は、西條が昭和10年(1935)から昭和19年(1944)の疎開まで暮らした場所です。柏木に住んだ時期は、作詞家として多数のヒット曲を生み出し、映画やレコードを通じて作品が広く知られた時代と重なります。建物は残っていませんが、住宅地の中に立つ説明板から、北新宿が近代文化を担った人物の生活と創作の場でもあったことが分かります。
西條八十の代表的な童謡・歌謡曲を見る(外部リンク)
4. 聖書学院発祥の地
聖書学院の源流は、明治34年(1901)に中田重治とチャールズ・E・カウマンらが神田で始めた伝道と伝道者養成の活動にあります。施設は明治37年(1904)に柏木へ移り、この地が本格的な教育と宣教の拠点になりました。現在の案内板が示すのは、学院が長く活動した柏木時代の場所です。
聖書学院は、聖書研究だけでなく、各地へ赴く伝道者や牧師を育てる学校でした。昭和38年(1963)に東村山へ移転するまで、北新宿は日本のホーリネス系キリスト教の人材育成を支える場所の一つでした。周囲は一般の住宅地になっていますが、説明板を読むと、この一帯が長く宗教教育と宣教の拠点だった歴史を知ることができます。
5. 内村鑑三終焉の地・今井館聖書講堂跡
内村鑑三は、明治から昭和初期に活動したキリスト教思想家・聖書学者です。札幌農学校でキリスト教に入信し、新聞記者や著述家として活動した後、教会制度に依存せず聖書と信仰を重視する無教会主義を唱えました。日露戦争を前に非戦論を主張するなど、信仰と社会問題を結び付けて論じた人物でもあります。
内村は明治40年(1907)から昭和5年(1930)に亡くなるまで柏木のこの地で暮らし、自邸に併設された今井館聖書講堂で講義を続けました。講堂は大阪の実業家・今井樟太郎の遺志と遺族の寄進によって建てられ、内村の聖書研究と講演の中心となりました。現在の史跡では、住居と講堂が一体となった学びの場が住宅地の中に存在したことを想像するのが見どころです。
旧講堂は道路整備に伴い昭和10年(1935)に目黒区中根へ移築され、今井館の活動は現在も継承されています。この場所には建物そのものではなく、内村が晩年を過ごし、講義を行い、生涯を閉じた土地の記憶が残されています。

6. 鎧神社
鎧神社は、北新宿の鎮守として信仰されてきた神社です。社伝では、醍醐天皇の時代に近くの円照寺が創建された際、鬼門を守る社として祀られたとされます。さらに、日本武尊が東征の途中で甲冑を納めたという伝承や、平将門の死後、その鎧を埋めて霊を慰めたという伝承が社名の由来として伝わっています。
平将門を討った藤原秀郷が病にかかり、将門の鎧を埋めて祠を建てたところ快癒したという異説もあります。史実として確認できる出来事と、地域で語り継がれた伝説を分けて読むことが大切ですが、複数の物語が残ること自体が鎧神社の特徴です。住宅地の中の静かな境内と、隣接する円照寺との位置関係を見ると、神社と寺院が結び付いていた神仏習合の時代を想像できます。
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