


長尾景春の乱と江古田・沼袋原の戦い
豊島氏は文明8年(1476年)に勃発した長尾景春の乱において、長尾景春に同調して山内・扇谷両上杉氏と戦った。この乱において、両上杉方の江戸城と河越城の間に位置する練馬城は、近隣の豊島氏の城である石神井城とともに、両城の連絡を遮断する役割を果たした。
文明9年(1477年)4月13日、扇谷上杉氏の家宰太田道灌は江戸城を出発し、練馬城に矢を撃ち込むとともに周辺に放火した。これをみた練馬城主の豊島泰明は、石神井城にいる兄の泰経に連絡を取り全軍で出撃。道灌もこれを引き返して迎え撃ったため、両者は江古田原で合戦となった(江古田・沼袋原の戦い)。戦いの結果、豊島方は泰明ほか数十名が討ち死にし、生き残った泰経と他の兵は石神井城へと敗走することになった。
第1部 中井〜江古田


ルート
- セブン-イレブン 新宿中井駅前店(新宿区中落合)
- 一の坂(ここから新宿区中井)
- 栗原家住宅(重要文化財)
- 二の坂
- 三の坂
- 四の坂(林芙美子記念館がある)
- 五の坂
- 六の坂
- 七の坂
- 八の坂
- バッケの坂
- 公益財団法人 三井文庫と三井高利の墓(中野区上高田)
- はいれる?
- 哲学堂公園(国指定名勝)の菖蒲池(ここからは公園散策)
1904年、哲学館大学(現東洋大学)創始者である井上円了氏が、文部省より大学公称の許可を得たのを記念し一堂(四聖堂)を建立したのに始まる。 - 松が丘北野神社(中野区松が丘)
- 戦国時代の江古田・沼袋原の戦いに関連
- 1477年5月25日 太田道灌 vs 豊島泰経
- ここで戦勝祈願
- 江古田古戦場の碑(ここから中野区江古田)
- 江古田植物化石層発見の地
- 徳川将軍御膳所跡(スキップ?)
- 江古田氷川神社
- 戦国時代の江古田・沼袋原の戦いゆかりの地。
- 江戸築城の3年後にあたる寛正元年(1460年)創建。道灌、ここでも戦勝祈願。
- 北江古田遺跡
- 国立療養所中野病院跡
第2部 練馬のつつじと城址公園

ルート
- 練馬区役所本庁舎 20F展望ロビー
- 練馬区立平成つつじ公園
- 田島山十一ヶ寺墓地
- 田島山十一ヶ寺(たじまさんじゅういっかじ)は浄土宗の寺院群。「練馬十一ヶ寺」とも。各寺院は、元は浅草にあった田島山誓願寺の塔頭であった。
- 小野蘭山(おの らんざん、1729-1810)、池永道雲(いけなが どううん、1674-1737)、澤村宗十郎(さわむら そうじゅうろう)、千葉周作(ちば しゅうさく、1793-1856)など文化財となっている墓がある。
- 豊島園駅前広場
- どんぶり坂(伝練馬城堀遺構)
- 練馬区立向山(こうやま)庭園
鉄道大臣を務めた政治家・江木翼(えぎ たすく、1873〜1932)の邸宅跡。 - としまえん古城の塔
- 閉園した「としまえん」のシンボル「古城の塔」は1926年9月15日の開園と同時に誕生。日本における近代遊園地の草創期の空気を色濃く伝える。
- 近くに「この土地の歴史と思い出」という解説板が設置されている
- 練馬城址公園の花のふれあいゾーン
- 園内マップ。川辺の散策ゾーンを歩いていける。
- 尾崎遺跡資料展示室(春日小学校内)
- 練馬大根碑(おまけ。練馬春日町駅近く)
第3部 光ヶ丘とグラントハイツ



歴史
- 1942年 旧日本陸軍の成増飛行場が現在の光が丘に建設される。現在のIMAの中央やや東寄りを、南北に滑走路が貫いていた。
- 1945年 太平洋戦争敗戦により、成増飛行場が連合国に接収される。
- 1946年 東武啓志線が全線開通。現在の光が丘秋の陽小学校の北側に、同線の終着駅であるケーシー駅設置。
- 1947年 連合国軍が、成増飛行場跡地をグラントハイツと改称、着工する。名称の由来は第18代アメリカ大統領のグラント将軍にちなむ。
- 1948年 グラントハイツが完成。アメリカ空軍の家族宿舎となる。このことから周囲には米軍関連の店も並んだ。
- 1959年 東武啓志線が廃線。
- 1960年代 グラントハイツの返還運動が高まる。
- 1971年 グラントハイツ全面返還を合意。
- 1973年9月30日 グラントハイツの全面返還が完了。返還に伴う代替施設として、横田飛行場を米軍へ追加提供した。
- 1981年 都立光が丘公園が開園。
- 1987年 IMAオープン。
- 1991年 都営地下鉄12号線(大江戸線)の開通。