2025年4月29日、ゆる歴史散歩会では新宿区中井から中野区江古田、練馬、光が丘へと続く地域の歴史をテーマに街歩きを行いました。中井の坂道と昭和初期のアトリエ、哲学堂公園の建築、江古田・沼袋原の古戦場、練馬城ゆかりの史跡、春のツツジ、旧成増飛行場とグラントハイツの歴史を、当日の写真とともにたどります。
中井・江古田の坂と寺社、練馬の城跡と花、光が丘の戦後史。隣り合う地域を巡ると、武蔵野の地形の上に中世・近代・現代それぞれの歴史が重なっています。
今回の歴史散歩のエリア
中井・江古田:中井駅周辺の坂道、旧島津家住宅アトリエ、林芙美子記念館付近、哲学堂公園、江古田・沼袋原の戦いゆかりの場所。練馬・豊島園:区役所展望ロビー、平成つつじ公園、田島山十一ヶ寺、練馬城跡と練馬城址公園、向山庭園、旧としまえん古城の塔。光が丘:公園・花の見どころと、成増飛行場・グラントハイツ跡地。
中井の坂道と昭和初期のアトリエ
西武新宿線・都営大江戸線の中井駅付近から坂の多い住宅地へ。新宿区の景観ガイドラインでも、中井の斜面には一の坂から八の坂が並び、坂ごとに石垣や階段、植栽の表情が異なると紹介されています。台地の斜面に沿って住宅地が発展したことを、実際の道の勾配から感じられる場所です。

三の坂の近くに残る旧島津家住宅アトリエは、洋画家・島津一郎のために1932年に建てられた建物です。国の登録有形文化財で、北側に大きな採光窓を持つ画室や中2階を備えています。画家の制作に適した光を取り入れる工夫が、建築の特徴になっています。外観には現在の仮設設備も写っており、歴史的建物が現代の街の中で受け継がれている様子が分かります。


四の坂付近には、小説家・林芙美子の旧宅を公開する林芙美子記念館があります。付近の道標を目にしながら歩くと、近代の文学者が暮らした落合・中井の街の広がりを実感できます。周辺の一の坂・二の坂・五の坂から八の坂、バッケの坂も、行程資料に含まれる坂道です。


哲学堂公園――哲学を歩いて学ぶ庭園
中野区の哲学堂公園は、哲学者・井上円了が1904年に創設した公園で、2020年に国の名勝に指定されました。「四聖堂」や「六賢台」をはじめ、哲学に関わる概念を表す建物・石造物・小道など「77場」が配されています。公園の中を歩くこと自体が、東洋と西洋の思想に触れる仕組みになっています。
四聖堂は孔子・釈迦・ソクラテス・カントを顕彰する堂。朱色が目を引く六賢台には、日本・中国・インドの思想家や賢人6人が祀られています。建築を知ったうえで庭園の起伏や水辺を見ると、一つひとつの場所に意味を込めた公園の構成がより身近に感じられます。








江古田の古戦場と先史時代の痕跡
哲学堂公園から中野区江古田方面へ進むと、松が丘北野神社、江古田古戦場の碑、江古田植物化石層発見の地、江古田氷川神社、北江古田遺跡など、異なる時代の歴史に関わる地点が続きます。寺社と史跡を合わせて巡ることで、同じ土地が長い時間を経て使われてきたことを感じられます。
文明9年(1477年)、太田道灌と、豊島泰経・泰明ら豊島氏の勢力が争いました。背景には1476年に始まった長尾景春の乱と、山内・扇谷両上杉氏の対立があります。練馬城と石神井城を拠点とした豊島氏は、江戸城と河越城を結ぶ地域の争いにも関わりました。江古田・沼袋原の戦いで豊島方は敗れ、のちに石神井城も落城します。現在残る碑や地名は、戦国前夜の武蔵野の姿を考える手掛かりです。
中世の合戦史に加え、江古田植物化石層発見の地や北江古田遺跡は、城や武将の時代よりずっと古い自然・人の営みを考える入口になります。行程資料には三井文庫と三井高利の墓、徳川将軍御膳所跡、国立療養所中野病院跡も記載されています。施設内の見学可否は各管理者の案内に従ってください。
練馬の眺望と満開のツツジ
練馬エリアでは、練馬区役所20階の展望ロビーから街を見渡す視点と、地上の公園・寺町・城跡を結び付けて歩く構成です。展望ロビーは地上約80メートル。遠くの市街地を望んだ後に歩くと、練馬の街の高低差や緑の多さにも目が向きます。
練馬駅近くの平成つつじ公園には、春の散策を彩るツツジが植えられています。白や赤桃色の花を近くで見ると、同じツツジでも花色によって雰囲気が大きく変わります。新緑の季節、散策路には白や赤桃色の花が咲いていました。



平成つつじ公園では、ツツジに加えてバラの花も見られました。公園の名前にもなっているツツジとともに、当日の花の風景を紹介します。

なお、平成つつじ公園は2026年4月1日から2027年8月までの予定で全面改修工事中です。これは開催当時と異なる現在の利用情報です。再訪時は練馬区公式案内で開放状況を確認してください。
田島山十一ヶ寺から練馬城の痕跡へ
練馬の田島山十一ヶ寺は、かつて浅草にあった田島山誓願寺の塔頭に由来する浄土宗の寺院群です。墓地には本草学者・小野蘭山、剣術家・千葉周作ら歴史上の人物と関係する墓があります。行程資料には池永道雲、澤村宗十郎も記されています。墓地での見学は寺院側の案内と参拝者への配慮が必要です。
石神井川沿いに勢力を伸ばした豊島氏の練馬城は、1477年の合戦でその歴史を大きく変えました。城が台地と谷の自然地形を利用していたことは、練馬区の遺跡解説でも紹介されています。行程にある「どんぶり坂」は、練馬城の堀に由来すると伝わる場所です。ただし、区の解説では当時の城の地表遺構は現在残っていないとされており、伝承と発掘で確認された遺構は区別して見る必要があります。

練馬区立向山庭園は、昭和初期に鉄道大臣を務めた政治家・江木翼の邸宅跡と伝わる場所です。現在は庭園として親しまれ、石組みと水の景観が残ります。坂と城跡の話題から庭園へ移ると、武蔵野の地形と住宅地の歴史がつながって感じられます。

近くには、1926年に開園した「としまえん」を伝える古城の塔も残ります。中世の練馬城と、近代の遊園地の記憶を、同じ地域で見比べられる場所です。かつての遊園地跡地は、2023年5月に一部開園した都立練馬城址公園へと姿を変えました。園内の「花のふれあいゾーン」や「川辺の散策ゾーン」からも、石神井川周辺の景観を楽しめます。

行程資料では、練馬城址公園の先に尾崎遺跡資料展示室や練馬大根碑も挙げられています。練馬大根は江戸に野菜を供給した近郊農村としての歴史に関係する題材です。中世の豊島氏については石神井公園と石神井城跡を巡った開催レポートにも写真と解説を掲載しています。
光が丘――成増飛行場からグラントハイツ、公園の街へ
光が丘は現在、高層住宅と大きな公園の広がる街ですが、1943年には旧陸軍の成増飛行場が建設されました。敗戦後は米軍が接収し、1948年に米軍家族宿舎「グラントハイツ」が完成します。建設資材などを運んだ通称ケーシー線は1959年に廃止され、基地の全面返還は1971年に合意、1973年9月30日に完了しました。
返還後は住宅・学校・商業施設・公園を備えた街へと整備され、1981年に都立光が丘公園が開園、1987年に光が丘IMAが開業、1991年には都営地下鉄12号線(現在の大江戸線)が練馬―光が丘間に開通しました。街路や公園の配置を見ながら歩くと、飛行場・米軍住宅・大規模住宅地という土地利用の変化を想像できます。詳しい土地の変遷は光が丘の歴史――成増飛行場とグラントハイツでたどれます。

光が丘駅周辺の夏の雲公園、春の風公園、四季の香ローズガーデン、光が丘公園、秋の陽公園、茜雲公園は、行程に含まれる緑のスポットです。花を愛でる時間と、近現代史を学ぶ時間が交互に訪れるのも、このエリアの面白さです。
地域別の行程資料
散策時にまとめた地域別の行程資料です。周辺の史跡を再訪する際にも役立ちます。
中井~江古田
- 中井駅付近(セブン-イレブン新宿中井駅前店)→一の坂・栗原家住宅→二の坂→三の坂・旧島津家住宅アトリエ。
- 四の坂・林芙美子記念館周辺→五の坂→六の坂→七の坂→八の坂→バッケの坂。
- 三井文庫・三井高利の墓(上高田)→哲学堂公園の菖蒲池→松が丘北野神社→江古田古戦場の碑。
- 江古田植物化石層発見の地→徳川将軍御膳所跡→江古田氷川神社→北江古田遺跡→国立療養所中野病院跡。
練馬~豊島園・春日町
- 練馬区役所20階展望ロビー→平成つつじ公園→田島山十一ヶ寺墓地。
- 豊島園駅前広場→どんぶり坂→向山庭園→古城の塔。
- 練馬城址公園・花のふれあいゾーン→尾崎遺跡資料展示室(春日小学校内)→練馬大根碑。
光が丘
- 光が丘駅5A出口→夏の雲公園(みらいの広場・ジャブジャブ池)→春の風公園(蛙池・つつじ園)。
- 四季の香ローズガーデン→成増飛行場・グラントハイツ跡→光が丘公園(バードサンクチュアリ・キャンプ広場・屋敷森跡地)。
- 秋の陽公園→茜雲公園→光が丘駅。
旧記事から引き継いだ地図・参考図版
地域の位置関係を知るための区別地図と、当初の行程図です。江戸城見附図と徳川家系図は別の時代の補助資料として収録しています。
地域地図・行程図・旧版の参考図版を開く







関連する歴史散歩とTimeWalk
練馬城跡・寺町を詳しく読むなら練馬駅から豊島園・練馬春日町への歴史散歩、軍用飛行場や米軍住宅から現在の街への移り変わりは光が丘の歴史解説をご覧ください。
近くの史跡を自分のペースで探したいときは、現在地や指定地点の周辺にある歴史スポットを地図で調べられるWebアプリTimeWalkも利用できます。各施設の公開・立入条件は現地の案内に従ってください。

