セルゲイ・ラフマニノフ(1873–1943)の「アメリカ時代」は、ロシア革命後に生活と仕事を組み直した26年間です。1917年に祖国を離れ、1918年にアメリカへ渡った44歳の音楽家は、作曲家・指揮者から世界的な巡業ピアニストへ活動の重心を移しました。創作は少数の大作へ凝縮され、演奏、録音、編曲を通じて自らの音楽を後世に残しました。
2025年12月19日の演奏会で取り上げられたバッハ、クライスラー、チャイコフスキー、《リラの花》を手がかりに、亡命後の生涯とピアノ編曲の聴きどころを解説します。
ラフマニノフのアメリカ時代を3分でつかむ
- 1917年:ロシア革命の混乱のなか、家族とともにロシアを離れました。
- 1918年:スカンディナヴィアでの演奏活動を経てアメリカへ渡り、ピアニストとして生活を再建しました。
- 1919年以降:演奏旅行と録音を本格化し、自作や他作曲家の作品を自らの演奏で残しました。
- 1926–1940年:ピアノ協奏曲第4番から《交響的舞曲》まで、作品番号40–45の主要6作品を完成させました。
- 1943年:ビバリーヒルズで死去しました。70歳の誕生日を迎える4日前でした。
| 時期 | 主な出来事 | 音楽活動の変化 |
|---|---|---|
| 1917年 | ロシアを出国 | 作曲家・指揮者として築いた生活基盤を失う |
| 1918年 | アメリカへ移住 | 演奏会を主な収入源とする |
| 1919年 | アメリカで録音を開始 | 演奏解釈をレコードに残す |
| 1926年 | 創作を本格的に再開 | ピアノ協奏曲第4番と《3つのロシアの歌》を完成 |
| 1931–1940年 | 晩年の主要作品を作曲 | 変奏曲、狂詩曲、交響曲、《交響的舞曲》へ創作を集中 |
| 1943年 | ビバリーヒルズで死去 | 演奏・録音・作品の三つの遺産を残す |
なぜラフマニノフはアメリカへ渡ったのか
ラフマニノフはモスクワ音楽院を卒業後、作曲家、ピアニスト、指揮者として成功しました。オペラ《アレコ》、ピアノ協奏曲第2番、交響曲第2番、《鐘》、《徹夜祷》など、現在も演奏される主要作品の多くはロシア時代に生まれています。
1917年の革命によって、彼の領地、収入、社会的な基盤は失われました。同年末、家族とともに演奏旅行の名目でロシアを出国し、ストックホルムやコペンハーゲンなどで演奏を続けました。1918年にはアメリカへ移り、ニューヨークを拠点に新しい生活を始めます。

44歳で巡業ピアニストとして再出発
ロシアを離れた時点で、ラフマニノフは著名な作曲家・指揮者でした。一方、亡命後の家計を支えたのはピアノ演奏です。独奏会や協奏曲の公演に必要なレパートリーを整え、アメリカとヨーロッパを巡る演奏家として活動しました。
1918年12月8日にはプロヴィデンスで、同月21日にはニューヨークのカーネギー・ホールで演奏しています。移動、練習、公演が年間の多くを占め、作曲は夏季や演奏旅行の合間に進められました。創作数の減少は、亡命による環境の変化と、演奏を主な職業にしたことの両方から生じました。
録音産業が「本人のラフマニノフ」を残した
1919年4月、ラフマニノフはニューヨークで初期のレコード録音を行いました。その後も録音を重ね、自作のピアノ曲、協奏曲、編曲作品、ショパンやリストなどの演奏を残しています。
フィラデルフィア管弦楽団とは、4曲のピアノ協奏曲を録音しました。自ら指揮した交響曲第3番、《死の島》、《ヴォカリーズ》の録音もあります。楽譜だけでは分かりにくいテンポ、音の切り方、旋律と内声のバランスを、作曲者自身の演奏から確かめられます。

亡命後に完成した6つの主要作品
ラフマニノフがロシアを離れた後に完成させた、作品番号付きの主要作品は6作です。作曲をやめたのではなく、長い演奏活動の合間に一作ずつ推敲し、作品番号40から45へ連続してまとめました。
| 完成年 | 作品 | アメリカ時代を知るポイント |
|---|---|---|
| 1926年 | ピアノ協奏曲第4番 ト短調 Op.40 | ロシア時代の構想をもとに完成。初演後も改訂を重ねました。 |
| 1926年 | 《3つのロシアの歌》Op.41 | ロシア民謡を合唱と管弦楽で扱い、故国の記憶を作品へ移しました。 |
| 1931年 | 《コレッリの主題による変奏曲》Op.42 | コレッリ作品で広く知られた「ラ・フォリア」の主題を、独奏ピアノで変奏しました。 |
| 1934年 | 《パガニーニの主題による狂詩曲》Op.43 | 24の変奏からなり、第18変奏では主題を反転させて大きな旋律を作ります。 |
| 1936年 | 交響曲第3番 イ短調 Op.44 | ロシア的な旋律と、晩年の引き締まった構成が共存します。 |
| 1940年 | 《交響的舞曲》Op.45 | 最後の完成作。過去の自作や正教会聖歌を引用し、生涯の音楽を振り返ります。 |
この6作のうち、《パガニーニの主題による狂詩曲》と交響曲第3番はフィラデルフィア管弦楽団と深く結びつき、《交響的舞曲》も同楽団によって初演されました。アメリカ時代の創作は、巡業生活と録音文化、アメリカのオーケストラとの協働のなかで形になりました。
アメリカ時代の中心は演奏・録音・編曲
ラフマニノフの編曲は、原曲をピアノへ移すだけの作業ではなく、演奏会で自ら弾くための再設計です。旋律を残しながら低音、内声、対旋律、音域を組み替え、ピアノ一台で複数の声部と大きな音響を作りました。
編曲の時期を比べると、亡命前の《リラの花》と、亡命後の《愛の悲しみ》、バッハ編曲、《子守歌》が一つの線でつながります。ロシア時代から持っていた「歌わせるピアノ」に、巡業ピアニストとして磨いた明快なリズム、広い音域、立体的な声部処理が加わりました。
4曲を原曲とラフマニノフ編曲で聴き比べる
| 曲 | 原曲 | 編曲年 | 聴き比べの中心 |
|---|---|---|---|
| バッハ:パルティータ第3番 | 無伴奏ヴァイオリン | 1933年 | 暗示された和声を、低音と内声で立体化 |
| クライスラー:《愛の悲しみ》 | ヴァイオリンとピアノ | 1921年 | 旋律の間、半音階の内声、ワルツの揺れ |
| チャイコフスキー:《子守歌》 | 歌曲 | 1941年 | 歌の旋律と伴奏を一人の両手へ再配置 |
| ラフマニノフ:《リラの花》 | 自作歌曲 | 1914年 | 旋律を細かな音型の内側に置く自編曲 |
J. S. バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番
原曲は一挺のヴァイオリンで演奏されます。単音の連続から和声や複数の声部を感じさせるのがバッハの書法です。ラフマニノフは1933年、〈プレリュード〉〈ガヴォット〉〈ジーグ〉をピアノ独奏用に編曲しました。
〈プレリュード〉では、原曲の細かな音型を保ちながら、低音と対旋律を加えます。右手の速い動きだけでなく、左手がどの地点で低音を変え、和声の方向を作るかを聴くと、編曲の設計が分かります。〈ガヴォット〉では舞曲の区切り、〈ジーグ〉では声部の追いかけ合いが聴きどころです。
F. クライスラー:《愛の悲しみ》
クライスラーの原曲はヴァイオリンとピアノのための小品です。ラフマニノフは1921年に独奏ピアノ版を作りました。原曲の指示が「レントラーのテンポ」であるのに対し、編曲版には「ワルツのテンポ」と記されています。
旋律の途中に休符を置いて歌い出しを遅らせ、内声には半音階的な動きを加えます。主旋律だけを追うより、旋律が止まった瞬間に別の声部が何を語るかを聴くと、物悲しさが一色ではなく、ためらいと憧れを含む表情へ広がる過程を感じられます。
P. チャイコフスキー:《子守歌》Op.16-1
原曲は歌とピアノのための作品です。ラフマニノフは1941年に独奏ピアノ版を作り、晩年の演奏会で取り上げました。声が担っていた旋律と、ピアノ伴奏が作る揺れを、一人の演奏者の両手へ再配置しています。
旋律が高音に現れる場面だけでなく、中声部へ沈む場面にも注目します。低音は子守歌の一定した揺れを支えながら、和声が変わる地点で深さを増します。華やかな技巧より、声部の距離と音色の変化が中心となる編曲です。
S. ラフマニノフ:《リラの花》Op.21-5
《リラの花》は1900年に作曲された歌曲で、ラフマニノフ自身が1914年にピアノ独奏版へ編曲しました。今回の4曲では唯一、ロシアを離れる前の編曲です。
歌の旋律は細かな分散和音の内側に置かれ、伴奏と一体になって流れます。旋律だけを強く浮かせるより、周囲の音型から自然に現れるように書かれています。亡命後の編曲と比べると、音響の拡大よりも、短い歌曲の呼吸と透明な質感が前面に出ます。
アメリカ時代を支えた3つの関係
フリッツ・クライスラー:共演と録音の相手
ヴァイオリニストのフリッツ・クライスラーとは共演と録音を重ねました。ラフマニノフによる《愛の悲しみ》と《愛の喜び》の編曲は、クライスラーの旋律を自分の演奏会レパートリーへ取り込んだ作品です。二人の録音では、ヴァイオリンとピアノが主従ではなく、対等な声部として応答します。
ウラジーミル・ホロヴィッツ:第3協奏曲を受け継いだピアニスト
ラフマニノフとホロヴィッツは1928年に出会いました。ホロヴィッツはピアノ協奏曲第3番を重要なレパートリーとし、作品の名声を広げました。作曲者と次世代の演奏家が同じ都市で交流したことも、アメリカ時代の音楽文化を象徴します。

フィラデルフィア管弦楽団:作品と録音を形にした楽団
フィラデルフィア管弦楽団は、ラフマニノフのアメリカ時代を語るうえで欠かせない存在です。レオポルド・ストコフスキー、ユージン・オーマンディのもとで協奏曲録音を行い、交響曲第3番や《交響的舞曲》の初演にも関わりました。ラフマニノフが求めた厚い弦の響きと明瞭な声部は、同楽団との演奏と録音に残っています。
演奏会で聴きたい3つのポイント
1. 低音が変わる瞬間
ラフマニノフの編曲では、左手の低音が音楽の遠近感を作ります。同じ旋律が続いていても、低音が一段深くなると和声の意味と音の広がりが変わります。
2. 主旋律の裏で動く内声
《愛の悲しみ》では、主旋律の間を半音階的な内声が埋めます。バッハ編曲では、原曲に暗示された別の声部をピアノが具体的に鳴らします。旋律が休む場所ほど、内声がよく聞こえます。
3. 原曲の編成がピアノ一台へ変わる方法
ヴァイオリン、歌曲、無伴奏作品という異なる原曲が、同じピアノ独奏へ編み直されています。旋律の位置、伴奏の幅、低音の追加、声部の数を比べると、ラフマニノフが原曲の何を残し、何を作り替えたかが分かります。
2025年12月19日の演奏会概要


- 開催場所:紀尾井町サロンホール
- 開催日:2025年12月19日(金)
- 開場:18時30分
- 開演:19時
- 終演:20時45分
プログラム
- J. S. バッハ 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ ホ長調 BWV1006より抜粋(原曲およびラフマニノフ編曲)
- F. クライスラー《3つのウィーン古典舞曲集》より〈愛の悲しみ〉(原曲およびラフマニノフ編曲)
- P. チャイコフスキー《6つのロマンス》Op.16より〈子守歌〉(原曲およびラフマニノフ編曲)
- S. ラフマニノフ《12のロマンス》Op.21より〈リラの花〉(原曲および作曲者によるピアノ編曲)ほか
出演者
- 竹内伶奈(ソプラノ)
- 井戸遼太郎(テノール)
- 関口太偲(ヴァイオリン)
- 中原豪志(ピアノ)
よくある質問
ラフマニノフのアメリカ時代はいつからいつまでですか
1918年にアメリカへ移住してから、1943年にビバリーヒルズで死去するまでを指すのが一般的です。ロシアを離れた1917年末からアメリカ到着までのスカンディナヴィア滞在も、亡命後の時代に含めて考えられます。
亡命後に作曲した作品が少ないのはなぜですか
生活を支えるため、演奏旅行を主な職業にしたことが大きな理由です。祖国、家、日常の創作環境を失った影響も重なりました。完成作は減りましたが、作品番号40–45の6作、複数の編曲、旧作の改訂を残しています。
アメリカ時代の代表作は何ですか
《パガニーニの主題による狂詩曲》、交響曲第3番、《交響的舞曲》が代表的です。ピアノ作品では《コレッリの主題による変奏曲》、協奏曲では改訂を重ねたピアノ協奏曲第4番があります。
本人の演奏は聴けますか
多数の録音が残っています。自作のピアノ独奏曲と協奏曲に加え、バッハ、クライスラー、ショパン、リストなどの演奏も聴けます。編曲作品では、楽譜と本人の録音を合わせると、声部の出し分けやテンポの扱いを具体的に確認できます。
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参考文献・資料
- Library of Congress, Russian Collections: Music
- Rachmaninoff Network, Post-1917 Collection of Printed Music
- Rachmaninoff Performance Diary, Solo Pianist
- Rachmaninoff Performance Diary, Gramophone Recording Artist
- Steinway & Sons, Sergei Rachmaninoff
- ピティナ・ピアノ曲事典「ラフマニノフ」
- Russian Music Publishing, Sergei Rachmaninoff Critical Edition of the Complete Works

