東大観世会・東大観世OB会合同自演会の予習資料

番組(公式)

竹生島(ちくぶしま)

琵琶湖の竹生島を舞台に、参詣に訪れた廷臣の前に湖の主(龍神)と弁才天が現れる、祝祭感に満ちた脇能物です。見どころは、なんといっても後半に展開される「神域の圧倒的な躍動感」です。前半の静かな湖畔の情景から一転、天女が優雅に舞い、続いて龍神が激しく力強く波を蹴立てて現れるダイナミックな対比は、観る者に清々しい福徳を感じさせます。

蝉丸(せみまる)

盲目ゆえに逢坂山に捨てられた皇子・蝉丸と、逆髪という奇病ゆえに放浪する姉が出会い、再び別れていく悲哀の物語です。この曲の最大の魅力は、「不遇の姉弟が交わす魂の共鳴」にあります。琵琶を弾き孤独を慰める蝉丸と、狂乱しながらも弟の気配を察する逆髪。互いの境遇を嘆きつつも、再びそれぞれの過酷な運命へと戻っていく別れのシーンは、能楽の中でも屈指の叙情性を持ち、観客の涙を誘います。

花月(かげつ)

『花月』は、離ればなれになった父と子が再会する「狂女物(きょうじょもの)」に近い構成を持ちながら、少年「花月」の瑞々しい芸尽くしが主眼となっている、華やかでドラマチックな演目です。

あらすじ

九州・筑紫(福岡県)の英彦山(ひこさん)の麓に住む男(ワキ)が、数年前に神隠しにあった息子を探すため出家し、諸国を巡ります。男が京都の清水寺を訪れると、そこには「花月」と呼ばれる、歌い踊ることで有名な喝食(かっしき:禅寺で僧の身の回りの世話をする少年)(シテ)がいました。

花月は弓を持って現れ、清水寺の美しい景色を愛で、弓矢で鶯を狙おうとしますが、不殺生を説かれて思いとどまります。その後、父の前で自らの身の上を語り、軽やかな「狂言尽くし(曲舞)」や「カケリ」などの舞を披露します。その様子を見た男は、この少年こそが失った息子であると気づき、親子は名乗り合って共に修行の旅へと出ます。

見どころ

花月の芸尽くし: シテ(花月)が見せる、弓を使った所作や、テンポの速い舞が最大の見どころです。若々しく、活気に満ちた美しさが表現されます。

清水寺の情景描写: 物語の舞台となる清水寺の華やかな春の様子が、詞章(言葉)によって鮮やかに描かれます。

能とは

能楽(のうがく)
「能」と「狂言」を合わせた総称のことで、明治時代以降に定着した呼び名です。ユネスコ無形文化遺産にも登録されており、悲劇的・幻想的な「能」と、喜劇的・日常的な「狂言」を交互に上演することで、人間のあらゆる側面を表現する日本最古の舞台芸術全体を指します。

能(のう)
能楽のうち、超自然的な存在(神・霊・鬼など)を主人公とし、仮面(能面)を用いて歌と舞で構成される象徴的な歌舞劇です。極限まで削ぎ落とされた抽象的な所作と、荘厳な囃子によって、人間の情念や生死の境目、幽玄の世界を描き出すことに主眼が置かれています。

演奏形式

仕舞(しまい)
能の見どころをダイジェストで、面や装束をつけずに舞うこと。紋付・袴(もんつき・はかま)の正装で舞います。能面や豪華な衣装は使いません。能一曲の中の最も盛り上がる部分(通常数分程度)を抜き出して演じます。

居囃子(いばやし)
面や装束をつけず、紋付・袴姿で座ったまま能の一部を演奏する形式です。仕舞が「舞」をメインとするのに対し、居囃子は「囃子(楽器)」と「地謡(歌)」が揃い、シテ(主役)は座ったまま謡うか、最小限の所作のみを行います。

連吟(れんぎん)
複数人で、楽器を伴わずに謡(うたい)のみを合唱する形式です。物語の特定の場面を抜き出して披露されることが多く、地謡(合唱団)としての技術や、声の重なりの美しさを純粋に楽しむことができます。

素謡(すうたい)
能一曲のすべてを、舞や楽器を伴わず、座った状態で「謡(言葉と歌)」だけで表現する形式です。視覚的な情報がない分、観客は言葉の響きから情景や登場人物の心理を自由に想像して鑑賞します。

連調(れんちょう)
一人の謡に対し、複数の太鼓や小鼓などの打楽器を合わせて演奏する形式です。複数の楽器がリズムを合わせることで、通常の演奏よりも音の厚みが増し、打楽器が持つ独特の掛け声や拍子の力強さが際立ちます。

一管(いっかん)
能楽で使われる唯一の管楽器である「笛(能管)」を、独奏する形式です。通常は囃子の一員として演奏されますが、一管では笛の音色そのものの美しさや、演者の息遣い、旋律の奥深さを単独で披露します。

独吟(どくぎん)
一人の演者が、楽器を伴わず一曲の一部を謡う形式です。連吟と異なり一人の声だけで表現するため、その演者の声量、節回しの個性、そして作品の解釈が色濃く反映される、極めてシンプルかつ緊張感のある演奏です。

役職(出演者の役割)

シテ
能の主役であり、物語の中心となる人物を演じます。神、幽霊、武将、女性など、多くの場合「能面」をつけて現れ、舞を舞うことで物語の核となる感情や情景を表現する、最も重要な役割です。

ワキ
主役(シテ)の相手役を務める「脇役」です。多くは旅の僧や大臣などの「現実の人間」であり、面をつけず、物語を進行させたりシテの正体を引き出したりする、いわば観客の代表のような立ち位置です。

シテツレ
シテ(主役)に同行する連れ合いの役です。シテの妻、侍女、家来などを演じ、物語に彩りや厚みを与えますが、あくまでシテの引き立て役として、主役を補助する動きや謡を行います。

ワキツレ
ワキ(相手役)に同行する家来や従者の役です。ワキと同様に現実の人間として登場し、ワキの行動を助けたり、大人数での行列を表現して舞台を賑やかにしたりする役割を担います。

間(あい)
「間狂言(あいきょうげん)」の略で、能の前後半の合間に登場し、物語の背景や状況を平易な言葉で解説する狂言方の役です。休憩時間のような役割を持ちつつ、観客に物語の内容を分かりやすく伝える案内人のような役割も果たします。

後見(こうけん)
舞台の後方に控え、演者の装束を整えたり、小道具を出し入れしたりする「黒衣」のような役割ですが、実際にはその流派の熟練者が務めます。万が一演者が倒れたり絶句したりした際には、その場で代役を務めるほどの重責です。

地謡(じうたい)
舞台の右側に座り、物語の状況説明やシテの心理描写を歌(コーラス)で表現するグループです。通常8人程度で構成され、一人で舞うシテに代わって「心の声」を圧倒的なボリュームで歌い上げる、能における重要なオーケストラ的役割です。

シテ方五流(してかたごりゅう)

観世流(かんぜりゅう)
室町時代に観阿弥・世阿弥親子によって創設された、最大かつ最古の流派です。江戸時代には幕府から筆頭として遇され、現在も圧倒的な門弟数を誇ります。その芸風は「優美・華麗」と評され、時代に合わせて変化を取り入れる柔軟さと、洗練された「幽玄」の美を追求するのが特徴です。

宝生流(ほうしょうりゅう)
観世流と並び歴史が古く、江戸時代には「下掛(しもがかり)」の筆頭として五代将軍・綱吉などの寵愛を受けた流派です。芸風は「重厚・古風」で、謡(うたい)の節回しが非常に力強く独特なため、「謡の宝生」とも呼ばれます。格調の高さを重んじ、落ち着いた品格のある舞台が特徴です。

金春流(こんぱるりゅう)
聖徳太子の時代まで遡るとされる、最も長い歴史を持つ流派です。豊臣秀吉が熱心に後援したことでも知られ、奈良を本拠地としていたことから、素朴で古色豊かな芸風を今に伝えています。型が非常に大きくダイナミックで、他の流派とは異なる独特のリズムや型を保持しているのが特徴です。

金剛流(こんごうりゅう)
法隆寺に属した坂戸座を源流とし、京都を本拠地とする唯一の流派です。その華やかな芸風から「舞金剛(まいこんごう)」と称され、さらに貴重な能面を多く所有していることから「面金剛」とも呼ばれます。動きが軽快で優雅であり、京都らしい雅(みやび)な雰囲気を色濃く残しているのが特徴です。

喜多流(きたりゅう)
江戸時代初期に、金春流から独立した最も新しい流派です。他の四流が中世からの伝統を継ぐ「家」であるのに対し、喜多流は武士の精神を反映した「流儀」として確立されました。芸風は「剛毅・質実」で、武士が好んだような、無駄のないキレのある鋭い動きと力強さが大きな特徴です。

「観世能楽堂」の移転秘話

渋谷の松濤から銀座への移転は、単なる劇場の引っ越しではなく、観世流にとって「150年ぶりの原点回帰」という大きな歴史的意味を持っていました。

その背景にある興味深いエピソードをいくつかご紹介します。

150年ぶりの銀座帰還

実は、江戸時代の観世流の本拠地は銀座(現在の銀座一丁目付近)にありました。

1633年、三代将軍・徳川家光から土地を拝領し、明治維新まで約200年間にわたり「観世屋敷」を構えていたのです。

時代が変わり、松濤の地で43年間活動してきましたが、二十六世宗家・観世清和氏にとって、銀座への移転は「祖先のゆかりの地に戻る」という悲願でもありました。

松濤の舞台をそのまま「解体・移築」

GINZA SIXにある現在の舞台は、新しく作ったものではありません。

松濤の能楽堂で使用されていた総檜(ひのき)づくりの舞台を、一度バラバラに解体し、銀座まで運び込んで再構築しました。

各部材は解体時に一度長野県佐久市で保管され、職人の手によって再び組み上げられました。何十年もの間、数々の名演を吸い込んできた「木の記憶」を銀座へ引き継いだのです。

「銀座」という立地へのこだわり

松濤は閑静な住宅街でしたが、老朽化が進んだ際に「より開かれた能楽堂」を目指して銀座が選ばれました。

ターゲットの拡大:GINZA SIXという商業施設に入ることで、これまで能に馴染みのなかった若年層や、海外からの観光客がふらりと立ち寄れる環境を作りました。

多目的ホールの顔:能の公演がない日は、ファッションショーやコンサートなど、多目的な文化発信基地として活用できるよう、舞台の一部(目付柱)を取り外し可能にするなどの工夫も施されています。

防災拠点としての役割

意外な秘話として、この能楽堂は「帰宅困難者の受け入れ施設」としての機能も備えています。

震災などの非常時には、約1,000人を収容できる避難所になることが契約に含まれています。伝統を守る場所が、現代都市の安全を守る拠点にもなっているのは、銀座という街との新しい共生のかたちと言えます。

松濤の旧跡地が駐車場(NPC24H松濤第7パーキング)になっているのは少し寂しい気もしますが、その魂(舞台そのもの)は今、銀座の地下でより華やかに生き続けています。

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