足立区の竹ノ塚・六月・島根・栗原で神社仏閣巡り&初詣

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竹の塚(たけのつか)

かつての武蔵国足立郡竹塚村(たけのづかむら)である。沿線の白幡塚史跡公園(東伊興3丁目)をはじめとして、一帯に無数の古墳(塚)が存在し、それに竹が自生していた様子から、この地域が「竹塚(たけのづか)」と呼ばれるようになったという説、この地に所縁のある日本武尊(ヤマトタケルノミコト)を祀る塚があり、武塚(タケノツカ)が転じて竹塚になったとする説がある。

足立区は東京23区の中で最もフィリピン人が多い地域として知られており、特に竹ノ塚駅周辺はフィリピン人の信者が多いキリスト教会が複数あるため、自然とこの周囲に集まったという説もある。

六月(ろくがつ)

東に東六月町もある。六月という珍しい地名ではあるが、由来は明らかではない。伝説には源義家源の家系図)が当地の土豪と苦戦の末に辛勝したのが酷暑の六月であったからという。自閉症児を扱ったヒット作、漫画『光とともに…』の舞台になっている。江戸時代は幕府の直轄領であった。

島根(しまね)

江戸時代における村名であり、そもそもの由来として『新編武蔵風土記稿』には、江戸時代にこの島根地区が低地にあたる足立区の中で目立つ微高地に位置し、一般に「嶋畑」と呼ばれる水田の中に島のように盛り上がった陸田があったことから「嶋畑村」と呼ばれ、後に転じて「嶋根村」となったものであるとの記述がなされている。

栗原(くりはら)

江戸時代頃に登場した「栗原」の由来についてはあまり詳しくは分かっていない。

行くところ

  1. 竹塚神社
    天元年間(978年 – 983年)に創建された。1056年(天喜四年)、源頼義源の家系図)が奥州征討に出征する際に、ここに陣を構え、松を植えたという。この松は1849年(嘉永2年)に雷が落ち、枯死してしまった。
  2. 赤山街道(千住道)
    江戸幕府の代官職を世襲した伊奈氏(関東郡代)が、その拠点である赤山陣屋(川口市赤山)と小菅陣屋(葛飾区小菅・東京拘置所付近)を連絡するために整備した道です。多くの部分が区画整理によって直線化されています。
  3. 真言宗豊山派 慈照山 大悲院 萬福寺
    • 創建年代は不明であるが、1478年(文明10年)の板碑があることをもって、室町時代中期には既に存在していたと推測される。
    • 幕末期より寺子屋が置かれ、明治時代に小学校「竹嶋学校」が置かれた。「竹嶋」は竹の塚村と島根村の子弟を対象とすることからきている(寺子屋・竹嶋小学校跡)。
  4. 真言宗豊山派 正入山 西光院
    • 江戸時代初期、河内胤盛(1630年没)の開基である。河内家は元々は後北条氏の家臣であったが、北条氏滅亡後は竹の塚に定住し名主を務めた家柄である。
    • 境内には、大日如来坐像がある。足立区内最大の金銅仏であり、足立区の有形文化財に登録されている。
    • 正矯小学校跡:明治9年(1876年)4月に竹嶋小学校として当寺に創立? 明治12年(1879年)2月に正矯(せいきょう)小学校と改称。→この辺りの歴史は不明瞭。このPDFにも記載あり。
  5. 六月八幡神社真言宗豊山派 幡勝山 炎天寺
    • 前九年の役出征のために当地を通りかかった源頼義・義家父子源の家系図)の軍勢が賊に遭遇して苦戦した際、八幡神に戦勝を祈願して勝利を得ることができた。そこで、旧暦6月の出来事だったことから村名を「六月村」、源氏の旗(幡)が勝ったことから山号を「幡勝山」、祈願が成就したことから院号を「成就院」、炎天続きだったことから寺名を「炎天寺」とした。
    • 八幡神を祀るために当寺の隣りに六月八幡神社を創建し、その別当寺となっていた。当寺は「俳句寺」「蛙のお寺」として知られる。
    • 江戸時代の俳人小林一茶は、江戸に住んでいた時に当寺をたびたび訪れており、一茶の俳句として有名な「やせ蛙まけるな一茶これにあり」もここで詠まれている。
  6. 島根鷲(わし)神社
    創建年代は不明であるが、1318年(文保2年)の中興といわれている。島根村の鎮守であった。祭りに奉納される「島根ばやし」「島根神代神楽」は、古来より伝承されているもので、両方とも足立区の無形民俗文化財に登録されている。境内には、江戸幕府8代将軍徳川吉宗が座ったという「将軍石」や富士塚が残されている。
  7. 日蓮宗 天下長久山 国土安穏寺(こくどあんのんじ)
    応永17年(1410年)日通が開山、千葉満胤(1363-1426)が開基となり創建、長久山妙覚寺と称した。日通は宗祖日蓮聖人にゆかりある本間氏(鎌倉時代から戦国時代まで佐渡国を支配した氏族)の出身で、懇意にしていた日祐聖人の遺命を奉じ、寺院の建立に努めたとされる。その後徳川秀忠家光父子が巡遊し御善所となる。寛永元年(1624年)徳川家祈願所位牌安置所となり現寺号を賜り葵紋の使用も許された。
    • 千葉満胤(ちば みつたね)は、南北朝時代から室町時代にかけての下総国守護で、千葉氏の第13代当主です。1365年に父・氏胤の急逝によりわずか3歳で家督を継ぎ、室町幕府の関東統治を支える鎌倉府の重鎮として、鎌倉公方(足利氏)に従い東国で大きな勢力を振るいました。しかし、1416年に発生した「上杉禅秀の乱」で敗れた足利持氏に反旗を翻して禅秀側に加わったため、乱の終結後に降伏して隠居を余儀なくされ、千葉氏の宗家としての地位が衰退する転換点を作った人物でもあります。
  8. 栗原氷川神社
    栗原氷川神社は栗原村の鎮守。創建年代は不詳だが、天正2年(1574)の再建とみられることから、それ以前の鎮座と推測される。天喜年間(1053~58)奥州に向かう源頼義源の家系図)が当社で休憩したとの伝承がある。
  9. 真言宗豊山派 無量山 徳寿院
    西新井大師総持寺の末寺。