2026年6月29日(月)19時から、「日本橋から九段下まで日本橋川沿いを歩いてみよう」を開催しました。今回は日本橋のたもとを出発し、常磐橋、鎌倉河岸、一橋門跡、雉子橋門跡などを経て、九段下近くの俎橋まで歩く約3.2kmの歴史散歩です。
参加者は18名で、うち5名が初参加でした。仕事帰りにも参加しやすい平日夜の開催で、ビルの明かりと水辺の照明に包まれながら、江戸城外郭と日本橋川の歴史をたどりました。東京で一人参加できる街歩きイベントを探している方や、歴史初心者でも楽しみやすい内容で、初めて通る道や知らなかった史跡が次々に現れる、発見の多い散歩になりました。
中央区日本橋・千代田区大手町から九段下
今回歩いたのは、東京都中央区の日本橋から千代田区の大手町、内神田、一ツ橋、神田神保町を抜け、九段下へ向かう日本橋川沿いです。現在はオフィス街の印象が強い地域ですが、江戸時代には魚河岸、河岸地、江戸城の門、大名屋敷などが集まり、水運と城下町の機能を支える重要な場所でした。

日本橋川は、神田川から分かれて都心を流れ、隅田川へ注ぐ川です。普段この一帯を歩いていても、川の名前まで意識する機会は意外と少なく、今回も「日本橋川という名前を初めて知った」という反応がありました。川を一本の軸として街を見ると、日本橋、大手町、神保町、九段下が歴史的につながっていることがよく分かります。
日本橋川が支えた江戸の町
江戸の町では、川や堀が人と物を運ぶ交通路でした。日本橋の北詰付近には日本橋魚河岸が栄え、江戸の食を支える魚市場として長くにぎわいました。関東大震災後に市場機能は築地へ移り、さらに2018年には豊洲市場が開場しました。現在の市場だけを見ると場所が移り変わったように見えますが、その前段階に日本橋川の水運を利用した魚河岸があったことを現地で学びました。
また、日本橋上空の首都高速道路は地下化事業が進められています。2026年時点でも工事が進行中で、将来は高架構造物が撤去され、日本橋川の空が開ける計画です。集合場所でこの話をすると、現在の景観が大きく変わることに驚きが広がりました。完成後の姿を想像しながら今の日本橋を見ることも、現地を歩く面白さの一つです。

地名に残る川と江戸城の記憶
日本橋川沿いには、鎌倉河岸、一ツ橋、雉子橋、俎橋など、少し不思議な地名や橋名が続きます。これらは単なる呼び名ではなく、築城資材の荷揚げ、江戸城の門、周辺の土地利用などと結びついた歴史の手がかりです。
鎌倉河岸は、江戸城築城の際に相模国方面から運ばれた材木や石材を扱い、鎌倉から来た材木商が関わったことから名付けられたとされます。一ツ橋は、家康の江戸入府のころに日本橋川へ架けられた橋に由来し、のちに一橋徳川家の屋敷が置かれました。一橋大学の校名も、この一ツ橋の地に学校の前身が置かれた歴史につながります。
今回歩いたルート
日本橋魚河岸跡と日本橋
日本橋のたもとで集合し、まず日本橋魚河岸跡と日本国道路元標について確認しました。日本橋は江戸時代の五街道の起点であり、近代以降も道路網の基準点として位置づけられています。
ここでは、豊洲市場の前が築地市場、その前には長く日本橋魚河岸が栄えていたことを紹介しました。現在の橋やビル街からは想像しにくいものの、かつては魚を積んだ船や商人で活気に満ちた場所でした。時代ごとの市場の移転を一本の流れとして知ることで、東京の食文化と水運の関係が身近に感じられます。
常磐橋と常盤橋御門跡
日本橋川を上流へ進み、常磐橋へ向かいました。明治10年(1877年)に木橋から石橋へ架け替えられた常磐橋は、夜の照明に石造の輪郭が浮かび、参加者から「きれい」という反応がありました。

隣には常盤橋御門跡の石垣が残ります。高層ビルや首都高速道路のすぐそばに、大きな石を組んだ江戸城外郭の遺構が現れるのは、このルートの大きな見どころです。現代の都心と江戸の城郭が同じ視界に入るため、時代の重なりを実感できます。

さらに近くには日本銀行本店があります。本館は1896年竣工で、辰野金吾が設計した国指定重要文化財です。明治期の建物が今も中央銀行の本店として使われていることを知り、その古さに驚く様子が見られました。
鎌倉河岸・鎌倉橋
続いて、鎌倉河岸の町名由来板を確認しました。「鎌倉」という名前が神奈川県の鎌倉と関係し、江戸城築城の資材輸送に由来することを知ると、歴史的な地名が現在まで残っていることに関心が集まりました。

鎌倉橋付近では、水辺空間の変遷を示す説明板を見ながら、日本橋川と周辺の街並みが時代とともにどのように変わったのかを確認しました。説明板だけを読むよりも、すぐ横を流れる川や首都高速道路、ビル街を同時に眺めることで、過去と現在の位置関係が分かりやすくなります。

日本橋川周辺には、竜閑さくら橋のように近年整備された歩行者動線もあります。歴史ある水辺に、新しい橋や緑道が加わっていることも、現在進行形で変化する東京を歩く面白さです。

大手町川端緑道
大手町川端緑道は、日本橋川沿いに整備された緑豊かな歩行空間です。オフィス街の中央にありながら、水辺と植栽、照明が落ち着いた雰囲気をつくっています。参加者同士で話をしながら歩き、史跡の解説を聞くだけでなく、夜の街並みそのものも楽しみました。


大人の散歩会では、歴史の知識だけでなく、普段通らない道を実際に歩くことも大きな魅力です。今回も「全然知らない道や歴史スポットがたくさんあった」と盛り上がり、東京の歴史を歩いて学ぶ時間になりました。
一橋門跡
一橋では、川岸にわずかに残る石垣を見ながら、かつての江戸城外郭門をイメージしました。一橋門の石垣は江戸時代初期に築かれ、門そのものは明治期に撤去されました。遺構が大きく残っていなくても、橋と石垣、川の位置を合わせて見ると、門が城下の出入口として機能していたことが想像しやすくなります。

一橋大学という名称の由来にもつながる場所であることを知り、現在の学校名と江戸の地名が結びつく点も印象的でした。身近な名称の背景を現地で確かめることは、歴史散歩ならではの楽しみです。
雉子橋門跡
雉子橋門跡では、説明板を見ながら江戸城外郭門があった当時の様子を学びました。雉子橋の名は、徳川家康が朝鮮からの使節をもてなすための雉を付近で飼育したことに由来すると伝わります。
橋や道路だけを見ると日常的な都市景観ですが、「ここに門があり、人や物の出入りを管理していた」と知ることで、同じ場所の見え方が変わります。残された説明板やわずかな地形の違いを手がかりに、失われた江戸城を想像しました。
ゴールは俎橋(まないたばし)
ゴールは九段下近くの俎橋でした。「俎」は難読漢字で、参加者の多くが最初は読めませんでしたが、読み方は「まないたばし」です。最後まで橋名に驚きがあり、約90分の散歩を締めくくる印象的な地点になりました。
日本橋から俎橋まで歩くと、魚河岸、水運、江戸城の門、明治の近代建築、現代の再開発が一本の川沿いに連続していることが分かります。地図上では近い場所でも、歩くことで初めて気づく高低差、石垣、橋の形、川との距離がありました。
まとめ
今回は18名で、日本橋川沿いを日本橋から九段下まで歩きました。初参加の方が5名いらっしゃいましたが、いろいろな方と話をしながら、楽しく学べる雰囲気の散歩になりました。
有名な日本橋から出発しても、少し上流へ進むだけで、常磐橋の石橋、鎌倉河岸の地名、一橋門や雉子橋門の痕跡など、普段は見落としやすい歴史スポットが続きます。歴史初心者でも、現地の説明板や残された石垣を手がかりにすると、江戸の町の姿を無理なく想像できます。
ゆる歴史散歩会では、東京周辺の歴史スポットや文化施設を、初心者にも分かりやすく巡る街歩きイベントを開催しています。一人参加の方も多く、歴史に詳しくない方でも気軽に参加しやすい雰囲気です。
今回利用したTimeWalk
今回の街歩きでは、現在地の近くにある歴史スポットを探せる街歩きWebアプリ「TimeWalk」を利用しました。
