2025年2月24日(月・振休)の13時から、8人で「高輪皇族邸など、プリンスホテルじゃない高輪エリア(白金高輪駅より)の裏路地散策をしよう!」を開催しました。
白金高輪駅周辺を出発し、寺院や旧大名屋敷の痕跡、高輪皇族邸の周辺、急な階段が続く裏路地をたどり、最後は大久保だんご総本店を目指すコースです。冬らしい冷たい空気は残っていましたが、空はよく晴れ、日なたを歩くと心地よい散歩日和でした。
高輪と聞くと、品川駅周辺のホテル街を思い浮かべる人も多いかもしれません。しかし今回歩いたのは、そうした華やかな表通りとは少し離れた住宅地です。細い道を曲がるたびに石碑や古木、墓所、石垣、階段が現れ、「こんな道が残っていたのか」「何度も近くを通っているのに知らなかった」と声が上がる、発見の多い散歩になりました。
港区高輪
高輪は港区の南部にあり、東側の低地と西側の台地で高低差が大きい地域です。江戸時代には東海道沿いに町が発達し、高台には熊本藩細川家をはじめとする諸大名の屋敷や寺院が置かれました。明治以降は皇族や政財界人の邸宅も増え、現在の落ち着いた住宅地へとつながっています。
今回のコースでは、わずか約2.3キロの間に、江戸の職人文化、寺町、大名屋敷、皇室ゆかりの場所、忠臣蔵、そして台地を刻む裏路地までが凝縮されていました。距離だけを見ると短いコースですが、立ち止まって解説を読み、坂や階段を上り下りすると、数字以上に内容の濃い散歩になります。
高輪の歴史
江戸の高輪は、市街地の南端にあたる場所でした。海側には東海道が通り、旅人や物資が行き交う一方、台地には大名の下屋敷や寺院が並びました。下屋敷は、藩主の居住だけでなく、庭園、倉庫、避難場所などの役割も持った広い敷地です。
その後、明治時代に大名屋敷が役割を終えると、広い土地は皇室施設、学校、官公庁、住宅地などへ姿を変えました。ただし、敷地の境界や石垣、古木、曲がりくねった道には、江戸時代の土地利用の記憶が残っています。今回の散歩は、有名建築を見上げるだけではなく、そうした「地形と道に残る歴史」を探す時間でもありました。
高輪の地名の由来
「高輪」という地名は古く、戦国時代の記録には「高縄原」の名が見られます。港区の説明では、「高縄」は高台を通るまっすぐな道を意味する「高縄手道」の略とされています。別の説もありますが、実際に高輪を歩くと、台地の尾根筋を通る道と、その両側へ落ち込む坂や階段がよく分かります。
文字で由来を読むだけでなく、自分の足で高低差を確かめられるのが街歩きの面白さです。表通りから一本入っただけで視界が急に狭まり、さらに角を曲がると階段が現れる景色は、高輪という地名の背景を体感させてくれました。
今回歩いたルート
石村近江の墓
最初に訪ねたのは、魚籃坂の上り口近くにある石村近江の墓です。石村近江は江戸三味線の発展に大きく貢献した人物で、京都方面から江戸へ移り、楽器の構造や製作技術を磨いた名工として知られます。住宅地の中に立つ史跡碑は、注意していなければ通り過ぎてしまいそうです。
三味線というと演奏者に注目しがちですが、音色を支えた製作者にも長い系譜があります。街角の小さな碑から、江戸の芸能文化と職人の技へ話が広がり、散歩の始まりから早くも「知らなかった歴史」に出会えました。
魚籃寺
続いて魚籃寺へ向かいました。寺名の由来となった魚籃観世音菩薩は、魚を入れた籠を持つ姿で表されます。魚籃坂の名もこの寺に由来し、寺院の存在が周辺の地名として残った例です。
坂道と寺町が一体になった景観は、高輪・三田周辺らしい特徴です。大きな観光地のようなにぎわいはありませんが、由来を知ってから歩くと、何気なく見ていた坂名が歴史の案内板に変わります。
旧細川邸のシイ
高輪地区総合支所の裏手では、旧細川邸のシイを見学しました。ここはかつて肥後熊本藩細川家の下屋敷があった場所です。東京都指定天然記念物のスダジイは、幹に大きな空洞や傷を抱えながらも枝葉を広げています。
推定樹齢300年以上とされる巨木を見上げると、人の世代をはるかに超えて、この土地の変化を見てきたことが想像できます。冬でも濃い緑を保つ葉と、荒々しい幹の対比が印象的で、参加者もしばらく足を止めて眺めていました。
高輪皇族邸
旧細川邸跡の周辺から、高輪皇族邸へ向かいました。高輪皇族邸は旧高松宮邸で、故高松宮同妃が使用した宮邸です。また、2020年3月から2022年4月までは、上皇上皇后両陛下の御仮寓所として使われました。
内部を見学する場所ではありませんが、周囲の落ち着いた環境や広い敷地から、この一帯がかつて大名屋敷、のちに宮邸となった土地であることを感じられます。ホテルや幹線道路の印象とは異なる、静かな高輪の一面です。
大石内蔵助外十六人忠烈の跡
高輪皇族邸に近い旧細川家下屋敷跡には、赤穂事件後、大石内蔵助良雄ら17人が預けられ、1703年に切腹した場所が残されています。忠臣蔵ゆかりの場所としては泉岳寺が有名ですが、討ち入り後に義士たちが各大名家へ分けて預けられた経緯を知ると、事件の舞台が広い地域に及んでいたことが分かります。
目の前の静かな住宅地と、約300年前の緊迫した出来事との落差に、皆で解説を読み込みました。歴史上の事件を「点」ではなく、その後の移動や場所のつながりとして捉えられるのも、実際のルートを歩く良さです。
丸山神社と興意法親王の墓
丸山神社は、江戸城下の整備に伴って17世紀半ばに現在の高輪一丁目付近へ移ったと伝わる神社です。周辺には寺院や墓所が点在し、住宅地の中に歴史的な空間が細かく組み込まれています。
興意法親王は誠仁親王の皇子で、江戸へ下向したのち、1620年に亡くなりました。墓所は寺地の移転に伴って現在地へ改葬されたとされます。大きな石塔を前にすると、普段の暮らしのすぐ隣に、近世初期から続く記憶が重なっていることを実感します。
高輪の裏路地と階段
後半はいよいよ今回の大きな楽しみだった裏路地歩きです。高輪の台地には、地図で見ただけでは分かりにくい細道や階段が何本も通っています。二人が並ぶのも難しい幅の道、家と石垣の間を抜ける階段、途中で二方向に分かれる小径など、進むたびに景色が変わりました。
大通りからは近代的な建物が見えているのに、足元には古びた石段が続きます。新しいマンションと木造建物、コンクリート塀と古い石積みが同じ視界に入り、高輪が一度に造られた街ではなく、時代ごとの更新を重ねてきたことが伝わってきます。
階段を下りきったと思うと、次の角でまた上りが現れます。「この先はどこへ出るのだろう」と確かめながら進む時間そのものが楽しく、参加者同士の会話も自然に弾みました。観光名所を順番に見るだけではなく、道そのものを観察する散歩になりました。
ゴールの大久保だんご総本店
最後は大久保だんご総本店へ。歩いたあとの甘いものを楽しみにしていましたが、この日は残念ながらお休みでした。おはぎや桜餅を期待していたこともあり、店先では惜しむ声が上がりました。
それでも、「次は営業日に合わせてまた来たい」という次回への楽しみができました。目的のお菓子を食べられなかったことまで含めて、あとから思い出す散歩になりそうです。
まとめ
今回の高輪散歩では、約2.3キロの中で、江戸三味線の名工、魚籃寺、旧細川邸の巨木、高輪皇族邸、赤穂義士ゆかりの場所、皇族墓所、そして複雑な裏路地を巡りました。
有名な施設を遠くから眺めるだけでは分からない土地の来歴が、碑や木、石垣、坂、階段の一つひとつから見えてきます。全員が初めて知る道や歴史スポットに何度も出会い、晴れた冬空の下で、立ち止まっては話が広がる楽しい午後になりました。
高輪は、目的地へ急いで通り抜けるよりも、一本裏へ入り、高低差を味わいながら歩くことで面白さが増す街です。閉まっていた和菓子店への再訪も兼ねて、季節を変えてもう一度歩いてみたいコースでした。
今回利用したTimeWalk
今回の街歩きでは、現在地の近くにある歴史スポットを探せる街歩きWebアプリ「TimeWalk」を利用しました。
