板橋区赤塚七丁目の増福寺には、「南無阿弥陀仏」の文字を大きく刻んだ名号板碑(みょうごういたび)が残っています。地上高は208センチメートルあり、板橋区内で最大の板碑です。中世の念仏信仰を伝える石塔が、江戸時代の紀行文にも記録されています。
増福寺の創建と赤塚の村
増福寺は寛永8年(1631)、松月院の住職によって開かれた曹洞宗の寺院です。松月院は室町時代後期の赤塚城主・千葉自胤に関わる由緒を持ち、近世には将軍家から寺領を与えられた寺院でした。増福寺はこうした赤塚地域の寺院のつながりの中で成立しました。
寺が開かれた江戸時代初期、赤塚には農村が広がっていました。現在の住宅地の中に残る寺院の境内は、村人の葬送、先祖供養、年中行事と結び付いた場所でした。増福寺に伝わる板碑の制作年代は、それより古い中世にさかのぼります。
板碑とは何か
板碑は、主に中世に造られた薄い板状の石製供養塔です。関東地方では青緑色の緑泥片岩を使ったものが多く、上部を山形に仕上げ、仏を表す梵字や供養の言葉、建立年月日などを刻みました。故人の追善供養や生前の信仰を願って建てられました。
増福寺の板碑には、梵字による仏の表現ではなく、「南無阿弥陀仏」という六字名号が中心に刻まれています。阿弥陀仏の救いを願い、名を唱える念仏信仰と関係する形式です。下部には建立年月日などがあったとみられますが、長い年月の摩耗によって読み取りにくくなりました。
「南無阿弥陀仏」を刻んだ大きな石塔
増福寺年未詳名号板碑は、地上高208センチメートルを測ります。板橋区の文化財解説では、区内に残る唯一の完形の名号板碑として紹介されています。上部から下部まで大きな破損を免れている一方、文字の一部は長年の風化を受けています。
形状などの特徴から、制作時期は14世紀後半と推定されています。南北朝時代から室町時代初期にかけての赤塚で、念仏に関わる供養が行われていたことを伝える石造物です。増福寺の創建は17世紀のため、板碑の来歴を考える際には、石塔が造られた時代と現在の寺院が開かれた時代を分けて考える必要があります。
『遊歴雑記』に記録された名号板碑
江戸時代後期、十方庵敬順は各地を訪ねた見聞を『遊歴雑記』に書き残しました。文化12年(1815)序の弐編には、増福寺の板碑が「下赤塚村一町面了弁の名号石」として挿絵入りで登場します。
敬順は石の表面や文字の様子を観察し、名号部分を中心に拓本も取りました。拓本は、紙を石に当てて墨で文字や模様を写し取る記録方法です。『遊歴雑記』からは、江戸時代後期の時点ですでに下部の銘文が磨耗していたことが分かります。約二百年前の観察記録が、現在の石塔を考える資料になっています。
文化財登録と所在地
増福寺年未詳名号板碑は、平成2年(1990)3月30日に板橋区登録有形文化財(考古資料)となりました。所在地は板橋区赤塚7-14-5です。東武東上線の下赤塚駅から徒歩約14分、東京メトロ地下鉄赤塚駅から徒歩約16分の場所にあります。
赤塚には松月院、大堂、泉福寺などにも中世の石造物が伝わります。周辺の文化財と村の歴史については、赤塚・成増周辺の歴史と文化財で紹介しています。
参考資料
板橋区「増福寺のご案内」、板橋区『令和7年度版 板橋区文化財マップ』。
