板橋区立小豆沢公園には、かつて荒川に架かっていた「三代目戸田橋」の親柱が保存されています。親柱とは橋の入口などに立てられる柱で、橋の名前や建設年代を伝える役割を持ちます。この柱は昭和7年(1932)に完成した鉄橋の一部です。元の橋は昭和53年(1978)に架け替えられましたが、親柱は公園に移され、現在も見ることができます。
中山道の「戸田の渡し」
江戸時代、板橋宿から蕨宿へ向かう中山道は荒川を渡る必要がありました。橋が整備される以前、人々は「戸田の渡し」で船に乗って川を越えていました。渡し場は旅人や荷物が行き交う交通の要所でしたが、増水や天候によって運航が左右されました。
明治維新後になると、川をいつでも渡れる橋が求められます。明治6年(1873)には東京府や埼玉県に複数の架橋案が提出され、調整を経て木橋の建設が進められました。
1875年の初代戸田橋と1912年の二代目
初代戸田橋の渡り初めは明治8年(1875)5月26日に行われました。初代の橋は有料で、人や車、馬などから渡橋料を集めて建設費をまかないました。橋の通行料が無償になったのは明治31年(1898)です。
大正元年(1912)には二代目の木造土橋が完成しました。大正12年(1923)の関東大震災では橋が損傷しましたが、応急修理を経て人々の避難を支えました。川を越える橋は日々の交通路であると同時に、災害時にも重要な施設でした。
1932年の三代目戸田橋
昭和7年(1932)12月24日、三代目戸田橋が鉄橋として完成しました。設計は橋梁技術者の増田淳によるもので、当時の近代的な橋梁デザインが特徴でした。木橋から鉄橋へ変わったことで、交通量の増加に対応する道路橋としての役割が強まりました。
昭和39年(1964)の東京オリンピックでは、聖火ランナーがこの三代目戸田橋を渡っています。三代目は昭和53年(1978)に四代目の橋が完成するまで利用されました。
親柱の移設と保存
三代目戸田橋が役割を終えた後、板橋側の親柱は小豆沢公園入口に、戸田側の親柱は戸田橋親水公園に残されました。橋本体が架け替えられても、両岸に保存された親柱から三代目の鉄橋の姿をしのぶことができます。
現在の戸田橋は四代目です。昭和53年(1978)8月の完成以降、板橋区と埼玉県戸田市を結ぶ道路橋として利用されています。同じ場所で渡し船、木橋、鉄橋へと交通施設が変わった経緯は、中山道の近代化を知る手がかりです。
小豆沢公園で見られる親柱
板橋側の親柱は板橋区小豆沢3丁目3番の区立小豆沢公園入口付近にあります。周辺には中山道の旧道や志村一里塚もあり、江戸時代の街道と昭和期の橋梁をあわせてたどれます。志村・小豆沢周辺の歴史と文化財では、城跡、街道、寺社を含む地域の変化も紹介しています。
参考資料
板橋区公文書館「(クイズ)板橋を知る」問題8・戸田橋の歴史、板橋区『令和7年度版 板橋区文化財マップ』。
