AMBIENT KYOTO – TOKYO|坂本龍一×高谷史郎『async – immersion』を初心者向けに解説

麻布台ヒルズギャラリーで開催中の「RYUICHI SAKAMOTO + SHIRO TAKATANI AMBIENT KYOTO – TOKYO」は、坂本龍一さかもと・りゅういちのアルバム『async』を出発点に、高谷史郎たかたに・しろうの映像、ZAKの立体音響、そして展示空間そのものを組み合わせた《async – immersion》を単独で見せる展覧会です。

美術館で絵を見る展覧会とも、客席で演奏を聴くコンサートとも、一本の映像を最初から最後まで追う映画とも少し違います。中心にあるのは、音楽を「曲」として聴くだけでなく、音が置かれた空間の中に身体を置くという考え方です。坂本龍一をよく知らない人でも、まず「音・映像・空間の関係を見る作品」と考えると入りやすくなります。

何を見る展覧会なのか

今回展示されるのは、《async – immersion》という一つのインスタレーションです。2017年の『async』を基礎に、高谷史郎が制作した映像と、音響ディレクターZAKによる空間音響を組み合わせています。東京展では横幅26.4メートルのスクリーンを用い、2023年の京都展と同等のスケールで展開されます。音響は麻布台ヒルズギャラリーの空間に合わせて再構築されています。

高谷の説明によれば、映像には坂本のスタジオにある機材やピアノ、庭、空や雲、水の波紋、アイルランド・モロッコ・東京・ドイツの風景、東日本大震災の津波で被災したピアノなどが登場します。ただし、映像は音楽にぴったり同期するようには作られていません。作品名の「async」は「非同期」を意味し、一部を除いて音と映像の関係が固定されないこと自体が作品の核になっています。

公式FAQでは、『async』の音楽は約1時間、映像は約2時間で、それぞれが連続しながら非同期で進むと説明されています。映画のような「冒頭」と「結末」を追う構造ではなく、入場した時点から作品に入れる設計です。

坂本龍一とはどのような音楽家だったのか

坂本龍一さかもと・りゅういちは1952年東京生まれ、2023年没の音楽家・作曲家です。東京藝術大学大学院で作曲と電子音楽を学び、1978年に『千のナイフ』でソロデビュー。同年、細野晴臣、高橋幸宏とYellow Magic Orchestra(YMO)を結成しました。YMOはシンセサイザーやシーケンサーを前面に出した音楽で国際的に知られ、日本のポップミュージックと電子音楽の歴史に大きな位置を占めます。

1983年のYMO「散開」後、坂本はソロ作品、映画音楽、プロデュース、舞台、インスタレーションへ活動を広げました。大島渚監督『戦場のメリークリスマス』では英国アカデミー賞作曲賞、ベルナルド・ベルトルッチ監督『ラストエンペラー』ではアカデミー賞作曲賞やグラミー賞などを受賞しています。

坂本を「映画音楽の人」や「YMOの人」だけで捉えると、今回の展覧会につながる部分を見落とします。1980年代以降も電子音、環境音、ノイズ、民族音楽、クラシック、現代音楽を横断し、1990年代末以降は音と映像、建築的な空間、メディア技術を組み合わせる作品にも継続的に取り組みました。山口情報芸術センター[YCAM]で2007年に発表した高谷史郎との《LIFE – fluid, invisible, inaudible…》は、その流れを示す代表作です。

YMO以降を短く整理すると

  • 1980〜90年代:ソロ作品を発表しながら映画音楽を多数制作し、世界的な作曲家として評価を確立。
  • 1999年:オペラ《LIFE》を制作。高谷史郎が映像監督を担当し、のちの協働につながる。
  • 2000年代以降:音響・映像・霧・水・センサーなどを組み合わせたインスタレーションや舞台作品を展開。
  • 2011年以降:東日本大震災と原発事故を受けた社会活動を続ける一方、自然、環境、物質そのものが発する音への関心を深める。
  • 2017年:8年ぶりのオリジナルアルバム『async』を発表し、「設置音楽」という考えを本格的に展覧会へ展開。
  • 2023年:最後のオリジナルアルバム『12』を発表。同年3月28日に死去。

晩年の坂本龍一は「音・自然・時間」をどう考えたのか

坂本龍一さかもと・りゅういちは晩年、完成された旋律だけでなく、雨、波、物が触れ合う音、街の雑音、古い楽器の揺らぎなどに注意を向けました。2017年の『async』をめぐるインタビューでは、雨や波、心臓の鼓動のような自然のリズムは規則的な反復ではなく「非同期」に満ちていると語り、人工的に整ったリズムや平均律から距離を取りたいという考えを示しています。

この関心には、2011年の東日本大震災と福島第一原子力発電所事故、2014年に公表したがんの療養などを通じて、自然の力や時間を以前とは違う角度から意識した経験が重なっています。坂本自身も、震災と病気によって「自然の存在と力」をあらためて認識したと述べています。

さらに晩年には、始まりと終わりがはっきりした音楽より、同じ反復が二度と起こらないような音のあり方への関心も語りました。音楽は時間芸術ですが、坂本にとって時間は均一な目盛りではなく、変化し、ずれ、戻らず、環境や身体とともに知覚されるものでした。《async – immersion》で音と映像を完全同期させない構成は、こうした考え方とつながっています。

アルバム『async』とはどのような作品か

『async』は、坂本龍一さかもと・りゅういちが2017年に発表したオリジナルアルバムです。前作『out of noise』から約8年を経て制作され、ピアノやシンセサイザーだけでなく、環境音、物音、声、さまざまな質感の音が層のように組み合わされています。

題名の「async」は「asynchronous(非同期)」に由来します。複数の音が同じ拍やテンポへきれいに揃うことより、互いに別の時間で動くこと、自然界にある不規則さやずれを音楽の構造として扱うことが重視されています。坂本は自宅のピアノを非常に弱く弾き、外のストリートノイズが入り込むような親密で曇った響きを求めたとも説明しています。

『async』は発売直後から「設置音楽」として展開されました。2017年4月、ワタリウム美術館の「坂本龍一|設置音楽展」では5.1chサラウンドと映像を組み合わせ、高谷史郎が空間構成と映像を担当。同年末にはICCで「坂本龍一 with 高谷史郎|設置音楽2 IS YOUR TIME」が開かれました。今回の《async – immersion》は、アルバムを一度きりの音源として閉じず、空間作品へ拡張してきた流れの延長上にあります。

高谷史郎とダムタイプ

高谷史郎たかたに・しろうは1963年生まれのアーティストです。映像、写真、光、舞台美術、サウンド、コンピュータ制御など複数のメディアを組み合わせ、劇場と美術館の双方で作品を発表してきました。1984年に結成されたアーティスト集団ダムタイプの創設メンバーの一人で、1998年からは個人制作も並行して行っています。

ダムタイプは、映像、美術、音楽、ダンス、デザイン、プログラミングなど異なる背景を持つメンバーが参加する集団です。固定された一人の演出家を置くのではなく、作品ごとに複数のメンバーが協働する方法をとってきました。舞台作品とインスタレーションを横断し、映像・音・身体・機械・社会的なテーマを同じ空間で扱う点が特徴です。2022年の第59回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展では日本館の代表作家を務めました。

高谷の役割を「坂本の音楽に映像を付ける人」と考えると狭すぎます。高谷は、スクリーンの大きさ、光、暗さ、映像の速度、会場の奥行き、鑑賞者が立つ位置まで含めて、視覚と空間を組み立てる作家です。《async – immersion》でも映像は音楽の説明図ではなく、音とは別の時間を持つ要素として存在します。

坂本龍一と高谷史郎はなぜ長く協働したのか

坂本龍一さかもと・りゅういち高谷史郎たかたに・しろうの協働は長期にわたります。高谷は1999年の坂本のオペラ《LIFE》で映像監督を担当し、2005年には京都・法然院などで音と映像のライブを共同制作。2007年にはYCAMの委嘱で《LIFE – fluid, invisible, inaudible…》を制作しました。その後も《LIFE-WELL》、舞台作品《TIME》など、音、映像、自然現象、身体を結ぶ作品を重ねています。

『async』でも、高谷はアルバムのアートワーク撮影から関わり、5.1ch版『async surround』の映像、ワタリウム美術館の《async – drowning》、ニューヨークのPark Avenue Armoryで行われた『async』公演の映像を担当しました。音を立体的に置きたい坂本と、映像・光・空間を組み立てる高谷の仕事が交差した結果として、《async – immersion》があります。

音楽を「聴く」のではなく、空間の中で「体験する」とは

一般的なコンサートでは、演奏者と客席の向きが決まり、音楽は演奏開始から終了まで時間に沿って進みます。録音作品も通常は左右のスピーカーやヘッドホンから再生し、聴き手は一つの再生位置で音を受け取ります。

坂本龍一さかもと・りゅういちが『async』以降に使った「設置音楽」は、音そのものを空間に立体的に置くという発想です。音響装置、部屋の大きさ、壁や床、映像、光、鑑賞者の身体まで含めて一つの作品環境をつくります。ICCも2017年の「設置音楽2」で、『async』は空間性を強く意識した作品であり、一般的な「アンビエント」とは異なる新しい空間=設置音楽として体験される作品だと説明していました。

インスタレーションとは、絵や彫刻を一点ずつ並べるのではなく、展示される場所全体を作品として構成する美術の方法です。映像、音響、照明、物体、建築、鑑賞者の動線などを組み合わせることができます。《async – immersion》の場合は、坂本の音楽、高谷の映像、ZAKの立体音響、スクリーンと展示室が一体の構成要素です。

「ambient」とブライアン・イーノの関係

英語の「ambient」は「周囲を取り巻く」「環境の」といった意味を持ちます。音楽史で「アンビエント・ミュージック」という語を広く定着させたのがブライアン・イーノです。1978年の『Ambient 1: Music for Airports』でイーノは、聴き手の注意を強制せず、環境の一部として存在しながら、意識を向ければ細部も聴ける音楽を構想しました。

〈AMBIENT KYOTO〉もこの歴史を踏まえています。2022年の初回は「BRIAN ENO AMBIENT KYOTO」として、イーノの音と光のインスタレーションを展開しました。翌2023年には坂本龍一+高谷史郎、Cornelius、Buffalo Daughter、山本精一らへ広げ、「アンビエント」を特定ジャンルの音楽だけでなく、音・映像・光・建築・環境の関係を考える枠として扱っています。

ただし、『async』そのものを単純に「イーノ型のアンビエント音楽」と分類するのは正確ではありません。坂本の「設置音楽」は、背景として流れる音楽を目指すより、音を空間の中に具体的に配置し、音の質感や時間のずれへ注意を向けさせる方向にあります。今回の展覧会名にある「AMBIENT」は、音楽ジャンル名より広い「環境をどうつくり、どう知覚するか」という意味で理解すると整理しやすくなります。

京都版と東京版は何が同じで、何が違うのか

《async – immersion》は、2023年の〈AMBIENT KYOTO 2023〉で初めて発表されました。会場は京都新聞ビル地下1階の旧印刷工場で、約1000平方メートル、天井高約10メートルの大空間を使ったサイトスペシフィックな展示でした。主催者の2026年の説明では、京都版は29台のスピーカーと6台のサブウーファーを用いて立体音響を構成しています。

東京版は作品の核となる音楽と映像を引き継ぎ、26.4メートルの巨大スクリーンも京都版と同等のスケールです。一方、会場は麻布台ヒルズギャラリーに変わり、音響はその空間に合わせて再構築されています。したがって、京都版の単純な再上映ではなく、同じ素材を別の建築条件へ「設置し直す」ことが東京版の重要な点です。

また、2023年の京都展は複数会場に複数アーティストが参加した催しでした。東京展は《async – immersion》一作品に集中した単独展示です。坂本龍一の回顧展でも、YMOや映画音楽を年代順に紹介する展覧会でもありません。『async』から発展した一つの作品世界に焦点を絞っています。

麻布台ヒルズギャラリーの空間はどう使われるのか

麻布台ヒルズギャラリーあざぶだいヒルズギャラリーは、ガーデンプラザAのMB階にある、美術館仕様の設備を備えた展示施設です。公式情報ではギャラリーの広さは687平方メートル。今回はこの空間に26.4メートルのスクリーンを設け、《async – immersion》一作品を展開します。

作品の音響は、京都で使った設定をそのまま移植するのではなく、麻布台の会場に合わせてZAKが再構築しています。これはインスタレーションにとって重要な違いです。音楽ファイルが同じでも、空間の形や大きさが変われば、作品を成立させる音響設計も変わるためです。東京展では「会場そのもの」が作品の外側にある単なる器ではなく、作品を成立させる条件の一つとして扱われています。

普通のコンサート、映画、美術展との違い

  • コンサートとの違い:演奏者を正面に見る形式ではなく、録音された音を空間に立体的に配置する「設置音楽」が中心です。
  • 映画との違い:映像と音が基本的に同期せず、一本の物語を最初から最後まで追う構成ではありません。
  • 一般的な美術展との違い:多数の作品を順番に見るのではなく、一つのインスタレーションが展示空間全体を使います。
  • 音楽アルバムを聴くこととの違い:『async』の音楽を、映像と立体音響、展示空間の条件と組み合わせて再構成しています。

初心者は何を見ればよいか

坂本龍一の経歴や現代美術の用語を覚えてから行く必要はありません。公式FAQも、事前知識がなくても鑑賞できると案内しています。予習として押さえるなら、次の三点で十分です。

  1. 『async』は、規則的に揃う音より、自然界のような「ずれ」や非同期性を重視した2017年の作品であること。
  2. 高谷史郎の映像は音楽を説明するための映像ではなく、音と別の時間を持って動くこと。
  3. この作品では、音楽・映像・音響・建築空間をまとめて一つの作品として考えること。

この三点を知っておけば、「これは音楽展なのか、美術展なのか」という疑問も整理できます。答えは、どちらか一方ではなく、音楽を素材にしたインスタレーション展です。坂本龍一の知識量よりも、音と映像がどう並び、どうずれ、空間全体がどう作品として構成されているかを見ることが入口になります。

開催情報

展覧会名RYUICHI SAKAMOTO + SHIRO TAKATANI AMBIENT KYOTO – TOKYO
会期2026年8月28日(金)〜10月25日(日)
休館日会期中無休
会場麻布台ヒルズギャラリー
住所東京都港区虎ノ門5-8-1 麻布台ヒルズ ガーデンプラザA MB階
開館時間平日10:00〜19:00/土・日曜・祝日10:00〜20:00(最終入館は閉館30分前)※9月11日のみ18:00閉館
料金平日:大人 前売2,200円・当日2,500円/土日祝:大人 前売2,500円・当日2,800円。未就学児・小学生・中学生・高校生は無料。障害者手帳所持者と介助者1名は無料。
アクセス東京メトロ日比谷線「神谷町駅」5番出口地下1階から直結。東京メトロ南北線「六本木一丁目駅」4番出口から徒歩約7分。

チケット条件や開館時間は変更される場合があるため、来場前にはAMBIENT KYOTO – TOKYO公式サイトで最新情報を確認してください。

参考文献・公式資料