日展とは?1907年の文展から帝展・新文展・現在の日展まで歴史と特徴を初心者向けに解説

1907年の第1回文展で二等賞を受賞した和田三造の油彩画《南風》

「日展」は、日本で最も名前を知られた公募美術展の一つです。

しかし、「国がやっている展覧会なの?」「文展や帝展とは何が違うの?」「なぜ2024年は第11回だったのに、2025年から突然第118回になったの?」と聞かれると、かなり分かりにくい歴史を持っています。

日展の源流は、1907年(明治40年)に文部省が始めた第1回文部省美術展覧会、通称「文展」です。

そこから、

文展 → 帝展 → 新文展 → 戦後の日展 → 1958年から民間団体・社団法人日展 → 現在の公益社団法人日展

へと、制度と運営主体を変えながら続いてきました。

現在の日展は国営展覧会ではありません。公益社団法人日展が主催する民間の公募美術展です。

一方で、その歴史は明治政府が設けた「官展」までさかのぼります。

この記事では、日展とは何か、文展・帝展・新文展との関係、なぜ民間団体になったのか、現在の5科、公募と審査の仕組み、そして2026年第119回日展までを初心者向けに整理します。

日本の主要な美術団体・公募展の全体像は、日本の美術団体・公募展の歴史と違いで整理しています。

日展とは?まず30秒で分かる

日展の正式な展覧会名は「日本美術展覧会」です。

現在は公益社団法人日展が主催し、毎年秋に東京・六本木の国立新美術館で本展を開催しています。

現在の5科は、

  • 日本画
  • 洋画
  • 彫刻
  • 工芸美術

です。

一般から作品を募集し、審査を通過した入選作品を、日展の会員・準会員などの作品とともに展示する「公募展」です。

2026年の第119回日展は、10月30日から11月22日まで開催されます。

日展の最大の特徴は、現在の民間公募展でありながら、その歴史の源流が1907年の国主催展「文展」にあることです。

「官展」と「現在の日展」は同じものではない

日展を理解するうえで最初に区別したいのが、「官展」と現在の日展です。

官展とは、政府・公的機関が主催した美術展覧会を指す歴史的な呼び方です。

日展につながる主な官展には、文部省美術展覧会(文展)、帝国美術院美術展覧会(帝展)、新文展などがあります。

これらは国の美術行政と直接結びついていました。

しかし現在の日展は、文化庁が主催している展覧会ではありません。

1958年に日本芸術院から分離し、社団法人日展という自主的な民間団体になりました。

現在の主催者は公益社団法人日展です。

したがって、「日展は昔から今までずっと国営の展覧会」と理解するのは誤りです。

正確には、「国が始めた官展の歴史を受け継ぎながら、現在は民間の公益社団法人が運営している公募展」と考えると分かりやすくなります。

なぜ明治政府は全国規模の美術展をつくったのか

明治時代、日本では西洋式の美術教育や美術制度が急速に整えられていきました。

東京美術学校の設立、博覧会の開催、美術団体の結成などを通じて、「美術家の作品をどのように発表し、評価するのか」という制度も必要になります。

日展公式の歴史では、後に文部大臣となる牧野伸顕(まきの・のぶあき)が、フランス留学中に美術展覧会を見て、日本でも公設展を開くことを望んだと説明しています。

1906年、牧野が文部大臣になると、公設の美術展覧会開催が具体化しました。

そして翌1907年、第1回文部省美術展覧会が開催されます。

これが現在の日展が自ら「礎」と位置づける出発点です。

1907年、第1回文展が始まる

第1回文部省美術展覧会、通称「文展」は1907年に開催されました。

当初の部門は、日本画、西洋画、彫刻の3部門です。

全国から作品を公募し、審査によって入選・受賞作を決める大規模な官設展覧会でした。

1907年の第1回文展で二等賞を受賞した和田三造の油彩画《南風》
和田三造《南風》、1907年。第1回文展二等賞受賞。撮影:Sailko/Wikimedia Commons(CC BY 3.0)

和田三造(わだ・さんぞう)の《南風》は、第1回文展で二等賞を受賞した作品です。

現在は東京国立近代美術館に所蔵され、重要文化財に指定されています。

この作品は、日展の「118年以上の歴史」という抽象的な説明を、具体的に理解するうえで非常に分かりやすい資料です。

現在の日展へ続く展覧会の最初期から、このように全国の作家が作品を出し、審査によって評価される仕組みがあったのです。

1919年、「文展」から「帝展」へ

1919年、美術行政の制度改編によって帝国美術院が設けられました。

これに伴い、展覧会も「帝国美術院美術展覧会」、通称「帝展」へ移行します。

日展公式の変遷表では、1919年を第1回帝展としています。

つまり、文展が終わって全く無関係な展覧会が新設されたというより、国の美術展覧会制度が再編され、名称と運営の枠組みが変わったと理解する方が適切です。

1927年、第8回帝展から「美術工芸」が加わりました。

ここで、日本画、西洋画、彫刻、美術工芸の4部門になります。

現在の日展の5科に近い構成が、昭和初期には形づくられ始めていたのです。

1926年開館の東京府美術館が「官展の舞台」に

帝展・新文展・戦後の日展などの主要会場となった旧東京府美術館
旧東京府美術館(後の東京都美術館旧館)/国立国会図書館・Wikimedia Commons(Public Domain)

1926年、上野公園に東京府美術館が開館しました。

現在の東京都美術館の前身にあたる建物です。

帝展、新文展、戦後の日展をはじめ、多くの美術団体の公募展がこの上野の美術館を主要な発表の場として利用しました。

日本の公募美術団体を調べると、東京都美術館の名前が何度も登場するのはそのためです。

日展だけでなく、二科展、院展、独立展などの歴史を考えるうえでも、上野は日本近現代美術の巨大な「発表の場」でした。

1935年「帝展改組」が美術界を揺らした

1935年、帝展制度は大きく改組されました。

いわゆる「帝展改組」です。

審査員や美術家の扱い、既存団体との関係などをめぐって大きな混乱が起こり、日本の美術界を揺るがしました。

1936年春には「改組第1回帝展」が開催されますが、この名称での展覧会は一度だけです。

同年秋には「昭和11年文部省美術展覧会」が開催され、1937年からは「新文展」が始まりました。

この1930年代の官展制度をめぐる混乱は、日展史だけの出来事ではありません。

当時の美術家が「官展へ参加するか」「自分たちで別の展覧会をつくるか」を考える契機となり、新制作派協会など在野団体の成立にも深く関わりました。

公募美術団体を個別に見るだけでは分かりにくい、日本美術界全体の大きな転換点です。

戦争末期、官展も開催できなくなる

新文展は戦時下でも続きました。

しかし戦争が激しくなると通常の美術展覧会開催は困難になります。

1944年には一般公募展が制限され、文部省による「戦時特別美術展覧会」が開催されました。

1945年は開催されていません。

日展公式の変遷表にも、1945年は「開催なし」と明記されています。

現在では毎年開催されることが当然に見える日展も、戦争によって一度途切れた歴史を持っています。

1946年、初めて「日展」という名前が登場

終戦翌年の1946年、美術展覧会が再開されます。

春に第1回日本美術展覧会、秋に第2回日本美術展覧会が開催されました。

「日本美術展覧会」の略称が「日展」です。

したがって、「日展」という現在の名称そのものは明治時代から使われていたわけではありません。

1907年の文展から約40年後、戦後になって登場した名称です。

1948年の第4回日展からは「書」が加わりました。

これにより、日本画・洋画・彫刻・工芸美術・書という現在の日展につながる5科体制になります。

1948年から「書」が加わり、現在の5科へ

日展の大きな特徴は、美術の複数分野を一つの展覧会で見ることができることです。

現在の5科は、

主な内容
第1科 日本画日本画
第2科 洋画油彩、水彩などを含む洋画
第3科 彫刻彫刻
第4科 工芸美術陶芸、染織、漆芸、金工など幅広い工芸
第5科 書漢字、かな、調和体、篆刻などの書

です。

この5科が一つの大規模展覧会として同時に並ぶことが、日展の大きな特徴です。

院展や創画展のような日本画専門展、独立展のような洋画中心の展覧会とは、会場全体の性格が大きく異なります。

1958年がもう一つの大転換|国の制度から民間団体へ

日展の歴史で最も重要な転換の一つが1958年です。

戦後の日展は、日本芸術院など公的制度との関係のもとで運営されていました。

しかし1958年4月26日、日本芸術院から分離して「社団法人日展」が設立されます。

日展公式の沿革は、このとき「完全なる自主的経営機関」となったと説明しています。

そして同年、民間団体として改めて「第1回日展」を開催しました。

ここで回数が一度リセットされます。

現在の日展を「今も官展」と誤解してはいけない最大の理由がここにあります。

1907年から続く歴史的系譜は受け継いでいますが、1958年以降の主催主体は自主的な民間美術団体になったのです。

なぜ「第1回日展」が何度も登場するの?

日展の歴史を調べると、「第1回」が何度も出てきます。

初心者には非常に分かりにくい部分です。

主な節目だけ整理すると、

名称・回数
1907第1回文展
1919第1回帝展
1937第1回新文展
1946第1回日展
1958社団法人日展による第1回日展
1969改組第1回日展
2014改組 新 第1回日展
2025第1回文展からの通算表記に変更し、第118回日展

となります。

組織・制度改革のたびに展覧会の回数を新しく数え直してきたためです。

その結果、同じ「日展」の歴史の中に複数の「第1回」が存在します。

1969年、そして2014年にも組織改革

1958年の民間法人化後も、日展は組織改革を重ねました。

1969年には組織改編が行われ、「改組第1回日本美術展覧会」が開催されました。

翌1970年には名称を再び「日展」とし、第2回日展として継続。

この系列は2013年の第45回日展まで続きました。

2012年には公益法人制度改革に伴って公益社団法人へ移行し、現在の「公益社団法人日展」となります。

2014年には組織改革に伴い「改組 新 第1回日展」を開催。

2021年からは「改組 新」の表記を外し、第8回日展となりました。

このように日展は、「伝統が長いから制度も昔のまま」なのではありません。

長い歴史の中で何度も組織・審査・展覧会名称を見直してきました。

2007年、上野から六本木の国立新美術館へ

長く上野を主要会場としてきた日展ですが、2007年、国立新美術館の開館とともに東京展会場を六本木へ移しました。

現在の日展東京展が開催される東京・六本木の国立新美術館
日展の東京会場・国立新美術館。撮影:Yo Hibino/Wikimedia Commons(CC BY 2.0)

現在の日展では、国立新美術館の公募展示室10室すべてを使用します。

日本画、洋画、彫刻、工芸美術、書という5科を大規模に展開するためです。

国立新美術館の公募展スケジュールを見ても、10室すべてを使用する展覧会は大規模です。

実際に見る場合、全作品を細かく鑑賞しようとすると相当な時間が必要です。

2025年、なぜ「第11回」から突然「第118回」になった?

日展の回数表示で特に混乱しやすいのが、2024年から2025年の変化です。

2024年は「第11回日展」でした。

ところが2025年は「第118回日展」。

107回も展覧会を追加開催したわけではありません。

日展は2025年から、回数の数え方そのものを変更しました。

公式説明によれば、1907年の第1回文展を礎として続いてきた歴史と伝統を踏まえ、2025年から「第1回文展からの通算開催回数」で表記することにしたのです。

その結果、2025年=第118回、2026年=第119回となりました。

これまで制度改革のたびに回数をリセットしていたものを、歴史全体を一本につないで数える方式へ変えた、と考えると分かりやすいでしょう。

日展は誰でも応募できる?

日展は公募展です。

一般の作家も、開催要綱に定められた条件を満たせば作品を応募できます。

2026年第119回日展では、5科それぞれについて1人1点を出品できます。

作品は自分で制作した未発表のものが基本で、制作から5年を超えた作品や、他の公募展へ出品・陳列した作品などには制限があります。

2026年度の出品手数料は14,000円です。

応募した作品がすべて展示されるわけではありません。

鑑審査を通過した作品が入選作として会場に展示されます。

つまり日展は、美術館が完成済みの有名作品を借り集めて構成する企画展とは、成り立ちが全く違います。

2026年は95人の審査員|外部審査員もいる

2026年第119回日展では、5科それぞれに、内部審査員17人、外部有識者2人の19人が選ばれています。

5科合計で95人です。

内部審査員は会員・準会員から選出され、毎年入れ替わります。

日展公式は、審査員全員が「日展審査員行動基準」を守り、公正・公平な鑑審査を行うとしています。

公募展を見るとき、展示作品だけでなく、「誰がどのような制度で作品を選んでいるのか」を確認すると、その団体の性格がより分かります。

入選・特選・会友・準会員・会員――公募展は作家の活動の場

日展には、一般応募者だけでなく、会友、準会員、会員など、継続して日展に関わる作家がいます。

公募から入選し、受賞・継続出品を重ねることで、日展との関係が深まっていく制度です。

賞も複数あります。

例えば2025年第118回日展では、内閣総理大臣賞、文部科学大臣賞、東京都知事賞、日展会員賞、特選などが設けられました。

ただし、賞の構成は年度・科によって異なるため、毎年の開催情報を確認する必要があります。

初心者が会場を見る場合、一般入選作品と会員作品、特選や大臣賞などの受賞作を見比べると、公募展の仕組みが分かりやすくなります。

地方巡回展と普及事業

日展は東京本展の後に地方巡回展を行います。

本展後には地方巡回展が行われます。

直近の第118回日展は、京都、名古屋、大阪、安曇野、金沢を巡回しました。

また日展は、鑑賞者向けの普及事業にも力を入れています。

2026年第119回会期中には、らくらく鑑賞会、ミニ解説会、グループ作品解説などが予定されています。

ミニ解説会は、平日の午後に約30分、5科それぞれで作家による解説を聞ける企画です。

「公募展は作品数が多すぎて、どう見ればよいか分からない」という初心者にとって、こうした解説は利用価値があります。

2026年第119回日展はいつ?料金は?

2026年の第119回日展は、2026年10月30日(金)~11月22日(日)に国立新美術館で開催されます。

観覧時間は午前10時~午後6時、入場は午後5時30分まで。

休館日は原則火曜日ですが、11月3日(火・祝)は開館し、11月4日(水)が休館となります。このほか11月10日・17日が休館です。

使用展示室は1A・1B・1C・1D、2A・2B・2C・2D、3A・3Bの全10室。

作品ジャンルは、日本画・洋画・彫刻・工芸美術・書の5科です。

料金は、

  • 一般 1,500円
  • 20人以上の団体 1,200円
  • 午後4時以降のトワイライトチケット 700円
  • 大学生以下 無料
  • 障害者手帳を持つ人と付添者1人まで 無料

です。

5科すべてを見るなら、かなり大規模な展覧会です。

時間が限られている場合は、最初から「全部見る」ことを目標にしなくても構いません。

初めて日展を見るなら、どう回ればいい?

日展は作品数・会場面積ともに大きいため、初心者ほど「全部見なければ」と考えない方が楽しみやすくなります。

おすすめは、次の順番です。

1. まず5科を一度確認する

日本画・洋画・彫刻・工芸美術・書がどの展示室にあるか、案内図で把握します。

2. 興味のある2科を重点的に見る

例えば、日本画+洋画、彫刻+工芸美術、日本画+書など、自分の関心に合わせて選びます。

3. 受賞作品を見る

大臣賞、東京都知事賞、特選などの表示があれば、その年にどんな作品が評価されたのかを確認します。

4. 一般入選作と会員作品を見比べる

公募展ならではの作家区分を見ると、単なる作品鑑賞とは違った楽しみ方ができます。

5. 時間が合えばミニ解説会を利用する

作家本人の説明を聞くと、作品の技法や見方が分かりやすくなります。

日展は「5科全部を一日で完全理解する展覧会」ではなく、「日本の公募美術を横断的に体験できる巨大な入口」と考えるとよいでしょう。

院展・二科展・創画展などと何が違う?

日展と他の主要公募美術展は、現在の作品ジャンルだけでなく、歴史上の出発点が違います。

団体・展覧会歴史上の起点現在の主な分野
日展1907年の文展から帝展・新文展・戦後日展へ日本画・洋画・彫刻・工芸美術・書
日本美術院・院展1898年、岡倉天心らが創立。1914年再興日本画
二科会・二科展1914年、文展洋画部に「第二科」を求めた運動から独自展絵画・彫刻・デザイン・写真
独立美術協会・独立展1930年、一九三〇年協会の流れなどから若手が新団体を創立洋画
新制作協会・新制作展1936年、官展参加を拒んだ若手作家が創立絵画・彫刻・スペースデザイン
創画会・創画展1948年の創造美術を起点に、1974年に創画会として独立日本画
二紀会・二紀展1947年、旧二科会会員9人が「第二の紀元」として創立絵画・彫刻

日展が他団体と大きく違うのは、国の官展制度そのものから続く歴史を持つことです。

一方、二科会、新制作協会、独立美術協会などは、その官展制度との距離や反発を一つの契機として成立しました。

つまり日展の歴史を理解すると、他の美術団体が「なぜ必要になったのか」も理解しやすくなります。

まとめ|日展の歴史を知ると、日本の公募美術団体全体が見えてくる

日展の源流は1907年の第1回文展です。

そこから、文展 → 帝展 → 新文展 → 戦後の日展へと制度が変わりました。

1948年には書が加わり、現在につながる5科体制が成立。

1958年には日本芸術院から分離して社団法人日展となり、国の官展制度から自主的な民間美術団体へ移行しました。

現在は公益社団法人日展が、日本画・洋画・彫刻・工芸美術・書の5科による大規模公募展を開催しています。

2025年からは、1907年第1回文展からの通算回数で数える方式となり、2026年が第119回です。

日展は、日本の大規模公募展であると同時に、官展制度から民間の公募展へ移行した歴史を持ちます。

日展そのものから二科会が直接生まれたわけではありませんが、官展という巨大な制度が存在したからこそ、その外側に別の発表の場をつくろうとする美術団体が次々に登場しました。

日展の歴史は、日本近現代美術の「中心制度」の歴史であると同時に、院展、二科展、独立展、新制作展など、さまざまな公募美術団体がなぜ存在するのかを理解する入口でもあるのです。

美術団体・公募展シリーズ

日本の美術団体・公募展の全体像二科会・二科展新制作協会・新制作展光風会・光風会展一水会・一水会展

参考文献・確認資料