2022年公開のアニメーション映画『犬王』は、室町時代の京都を舞台に、異形の能楽師・犬王と、盲目の琵琶法師・友魚が出会い、熱狂的な舞台を生み出していく物語です。
奇抜な衣装、群衆を巻き込む演奏、巨大な舞台装置。二人の公演は現代のロックライブのように描かれます。その中心にいる犬王は、映画のために作られた名前ではありません。室町幕府三代将軍・足利義満から高く評価され、世阿弥の芸にも影響を与えた実在の能楽師です。
映画は、歴史にわずかな記録しか残らなかった芸能者を主人公に据えました。犬王の実像から、琵琶法師が語った『平家物語』、壇ノ浦に沈んだ宝剣までたどると、作品を支える中世の世界がつながります。
『犬王』は何を描いた映画か
映画『犬王』は、古川日出男の小説『平家物語 犬王の巻』を原作とし、湯浅政明が監督、野木亜紀子が脚本、松本大洋がキャラクター原案を担当しました。音楽は大友良英です。歴史監修、能楽監修、琵琶監修を置き、中世芸能の要素を大胆なアニメーションへ置き換えています。
物語の時代は、南北朝の争いが終わり、足利義満が政治と文化の中心にいたころです。犬王と友魚は、世に知られていない平家の物語を舞台にし、京都の観客を熱狂させます。人気を得るほど、誰の物語が公に語られ、誰の物語が消えていくのかという問題に近づいていきます。
映画の友魚は創作された人物です。一方、犬王は当時の記録に名を残しています。史実と創作を重ねたことで、記録からこぼれた芸能者や語り手の存在が物語の中心に置かれました。
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犬王は実在した
史実の犬王は、近江猿楽の比叡座に属した役者です。生年は伝わっていません。1413年に亡くなったことが記録されています。
当時の猿楽は、後の能へつながる舞台芸能でした。各地の座が寺社や権力者の保護を受けながら活動し、役者や一座は芸を競い合っていました。犬王は近江猿楽を代表する名手として知られ、観阿弥の死後、義満から最も高い評価を得た役者とされています。
義満は出家後の法名「道義」から一字を与え、犬王は道阿弥と名乗りました。1408年、後小松天皇が義満の邸宅である北山第を訪れた際にも、犬王が猿楽を演じています。天皇の行幸という大きな政治行事で舞台を任された事実から、犬王が当代最高級の芸能者だったことが分かります。
犬王は優美な歌と舞を得意としました。なかでも天女舞は高く評価され、世阿弥が大和猿楽へ取り入れました。犬王の芸は、物まねの面白さを中心としていた猿楽が、美しい歌舞を軸とする能へ洗練される過程に影響を与えました。
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世阿弥と犬王は同じ時代のスターだった
世阿弥は、父の観阿弥とともに大和猿楽の観世座を率い、足利義満の保護を受けました。能の演目と理論を残したため、現在の能楽史では中心人物として知られています。
犬王も同じ義満の時代に活躍しました。二人は異なる猿楽の系統に属し、将軍の評価を受ける立場でも競い合っていました。ただし、犬王と世阿弥の関係は敵対だけで説明できません。世阿弥は犬王の天女舞を自らの芸へ取り込み、その価値を認めています。
中世の芸能は、一人の天才だけで完成したものではなく、複数の座と役者が技法を交換し、観客と保護者の評価を受けながら変化しました。世阿弥が文章として残した理論の中にも、犬王をはじめとする同時代の芸が流れ込んでいます。
1413年に犬王が亡くなった際、『満済准后日記』には、天から花が降り、紫雲がたなびいたと記されました。極楽往生を表す瑞相として書かれたもので、犬王の死が同時代の人々に大きな出来事として受け止められたことを伝えています。
犬王の芸が現代に残りにくかった理由
犬王は将軍と天皇の前で演じ、世阿弥の芸へ影響を与えました。それでも、現在知られる演目や伝書の多くは世阿弥の側に残っています。
大きな違いは、芸を継承する仕組みです。世阿弥は『風姿花伝』『花鏡』などの伝書を書き、演技論や作品を後継者へ渡しました。観世座の流れも後世まで続きました。犬王の近江猿楽では、本人の芸を体系的に伝える著作や、現在まで同じ形で続く強い継承組織が確認しにくくなっています。
舞台芸術は、上演された瞬間に消えていきます。詞章、型、楽曲、衣装、演出を次代の人が受け継いで初めて、後世の観客が触れられます。犬王の天女舞は世阿弥の能へ吸収されましたが、犬王自身の名義でまとまった演目群としては残りませんでした。
映画は、この史料の空白を「禁じられた演目が消された」という劇的な物語に組み替えています。史実の犬王に起きたことをそのまま再現した場面ではなく、芸能が記録と継承を失ったとき、演者の名も薄れていくという現実を映像化したものです。
友魚の背景にある琵琶法師と平曲
友魚は創作人物ですが、その背景にいる琵琶法師は実在しました。盲目の僧形の芸能者が琵琶を奏で、『平家物語』を節をつけて語りました。この芸能を平曲、演奏に使う楽器を平家琵琶と呼びます。
平家琵琶は、語りの伴奏として使われます。歌を絶えず楽器で支える演奏ではなく、前奏、場面の区切り、息継ぎの間などに音を入れ、語られる情景と感情を深めました。戦場の緊張、人物の悲しみ、滅びの余韻が、声と琵琶の響きによって聴衆へ届きました。
南北朝時代には、明石検校覚一が、それまで伝えられてきた詞章を整理し、曲節を整えました。覚一が弟子に口述筆記させた本文は「覚一本」と呼ばれ、現在広く読まれる『平家物語』の基礎になっています。
琵琶法師たちは、室町時代に成立した盲人の職能組織である当道座に属しました。平曲の演奏だけでなく、後には箏や三味線などを担う人々も加わり、音楽を職業として継承する仕組みになりました。
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『平家物語』の本文は一つに定まっていなかった
現在の読者は『平家物語』を一冊の古典として手に取ります。しかし、物語は語りと書写を重ねる中で増補と改訂が行われ、多くの本文が生まれました。
平家物語には、琵琶法師の上演に近い「語り本系」と、読むことを中心に発達した「読み本系」があります。覚一本のほか、延慶本、長門本、源平盛衰記など、巻数も収録する逸話も異なる諸本が伝わっています。国立公文書館の所蔵資料でも、同じ場面の内容や表現が写本によって大きく違うことが確認できます。
語り手は、聴衆や地域に応じて場面を磨き、新しい伝承を加えました。書写する人も、別の本文を参照しながら物語を整えました。こうして『平家物語』は、一つの完成原稿から複製された本ではなく、多数の語り手と読者が育てた物語になりました。
映画で犬王と友魚が「知られていない平家の物語」を舞台にする設定は、この多様な伝承を土台にしています。映画内の具体的な演目は創作ですが、広く定着した本文の外側に別の語りが存在したという構図は、『平家物語』の成立史と重なります。
物語全体の流れと源平合戦の主要場面は、忙しい人のための『平家物語』|読んだ気になれる源平合戦要約で確認できます。
映画のライブ表現は室町の熱狂を置き換えている
映画の犬王は、長い腕を生かした舞、巨大な鯨の演出、橋の上の公演などで群衆を熱狂させます。エレキギターのような琵琶、照明のような炎、観客との掛け合いは、現代のライブ文化を思わせます。
室町時代の舞台に現代のロック装置が存在したという描写ではありません。映画は、当時の猿楽が持っていた新しさと興奮を、現代の観客が体感できる言葉へ翻訳しています。
猿楽や田楽は、寺社の祭礼、勧進興行、権力者の邸宅などで演じられました。将軍や貴族だけでなく、多くの人が集まる場でも上演され、人気役者と一座は評判を競いました。足利義満による保護は、猿楽の役者が上層文化を吸収し、舞台芸術として洗練される契機になりました。
現在の能楽堂では、定型化された舞台と静かな鑑賞環境が整っています。犬王が生きた時代は、芸の形が大きく変わる途中でした。映画のライブ演出は、完成後の伝統芸能から遡るのではなく、観客の目前で新しい舞台が生まれる瞬間を描いています。

壇ノ浦に沈んだ宝剣と三種の神器
映画の物語を動かすもう一つの軸が、壇ノ浦に沈んだ宝剣です。
1185年、源氏と平家の最後の合戦が長門国の壇ノ浦で行われました。敗北した平家一門は、幼い安徳天皇とともに海へ身を投じました。『平家物語』では、天皇の祖母である二位尼が、三種の神器のうち剣と勾玉を携えて入水する場面が語られます。
三種の神器は、鏡・剣・勾玉から成り、皇位継承の象徴として扱われてきました。壇ノ浦の後、鏡と勾玉は回収され、剣は海中に失われたと伝えられました。この剣をめぐっては、熱田神宮に伝わる草薙剣の本体と、宮中で用いられた形代を区別する説明もあります。
剣の喪失は、その後の皇位継承にも影を落としました。後鳥羽天皇は三種の神器がそろわない状態で即位し、中世の人々にとって神器の所在は政治と信仰に関わる問題になりました。
映画は、この中世史の大きな謎を犬王の家族と友魚の運命へ結びつけています。海に沈んだ剣は、失われた平家の記憶と、語る者に課された力を象徴する存在として使われています。

映画『犬王』が描いた「歴史に残る声」
映画の犬王は、舞うことで自分の身体を取り戻します。友魚は、名を変え、語り方を変え、平家の死者の声を舞台へ戻します。二人の成功は、芸能が過去の出来事を現在の観客へ運ぶ力として描かれています。
史実の犬王は、足利義満に愛され、後小松天皇の前で演じ、世阿弥の能に影響を与えました。その功績の大きさに比べ、本人の演目や言葉はわずかしか伝わっていません。一方、犬王の天女舞は世阿弥の芸へ取り込まれ、別の流れの中で現在の能へつながりました。
『平家物語』も、語られるたびに形を変えました。覚一本が広く読まれるようになった後も、長門本や延慶本など異なる本文が残り、同じ戦いと人物を別の角度から伝えています。歴史に残る物語は、最初から一つに決まっていたのではなく、語り手、書き手、保護者、聴衆の選択によって形づくられました。
『犬王』は、史料の少ない一人の芸能者を、現代のアニメーションと音楽で再び舞台へ立たせました。犬王が実在したという事実を入口にすると、映画の華やかなライブの奥に、声と身体で物語を受け渡してきた中世の芸能者たちが見えてきます。
よくある質問
犬王は本当に実在した人物ですか
実在した能楽師です。近江猿楽の比叡座に属し、道阿弥とも名乗りました。足利義満から高く評価され、1408年の後小松天皇による北山第行幸でも猿楽を演じました。
友魚も実在した人物ですか
友魚は映画と原作小説の創作人物です。人物の背景には、琵琶の伴奏で『平家物語』を語った実在の琵琶法師と平曲の文化があります。
犬王は世阿弥のライバルだったのですか
同時代に異なる猿楽の座で活躍し、足利義満から評価を受けた有力役者同士でした。世阿弥は犬王の得意芸だった天女舞を大和猿楽へ取り入れています。
映画のようなロックライブが室町時代にあったのですか
映画の音響や舞台装置は現代的な表現です。猿楽や田楽が観客を集め、人気役者と一座が新しい芸を競った熱気を、ロックライブの感覚へ置き換えています。
壇ノ浦に沈んだ剣は見つかったのですか
三種の神器のうち鏡と勾玉は回収され、剣は海中に失われたと伝えられています。宮中の剣を草薙剣の形代とする考え方があり、神器の本体と形代をめぐる伝承が中世以後も続きました。
参考文献・参考サイト
- アニプレックス「犬王」
- 日本芸術文化振興会 文化デジタルライブラリー「能・世阿弥 世阿弥のいた環境―ライバル」
- 日本芸術文化振興会 文化デジタルライブラリー「葵上・隅田川 犬王の芸風」
- 日本芸術文化振興会 文化デジタルライブラリー「能楽[能・狂言]の歴史」
- 日本芸術文化振興会 文化デジタルライブラリー「平家琵琶」
- 日本芸術文化振興会 文化デジタルライブラリー「楽器図鑑 平家琵琶」
- 国文学研究資料館「平家物語」
- 国立公文書館「平家物語――妖しくも美しき―― 平家物語諸本」
- 国立公文書館「長門本『平家物語』」
- 渡邊大門『奪われた「三種の神器」―皇位継承の中世史』草思社文庫、2019年
- 古川日出男『平家物語 犬王の巻』河出文庫
