赤坂見附から四谷見附まで、江戸城外堀に沿って歩く歴史散歩です。赤坂御門の石垣、弁慶濠、喰違見附、赤坂離宮、四谷門跡をたどると、現在の道路や鉄道の下に江戸城西側の防御線が続いていたことが分かります。
スタートは赤坂見附駅、ゴールは四ツ谷駅が分かりやすい順路です。駅間だけなら徒歩約1.4km・17分ほどですが、史跡を一つずつ確認しながら歩くと、外堀の高低差や石垣・土塁の違いまで追える散歩コースになります。
赤坂見附から四谷見附を歩く意味
江戸城の外堀は、城の防御施設であると同時に、城下町の輪郭を形づくる都市基盤でした。赤坂見附から四谷見附にかけては、堀の水面、石垣、土塁、門跡が比較的近い範囲に残り、江戸初期の築城と明治以降の都市改造を一続きに見られます。

赤坂見附跡|外堀に残る赤坂御門の石垣
赤坂御門は江戸城外郭の主要な門の一つでした。現在の赤坂見附交差点付近には石垣が残り、巨大な石を組んだ門の規模を間近で確かめられます。赤坂見附周辺は外堀の水面もよく残り、城門と堀が一体だった江戸城外郭の姿を想像しやすい場所です。
石垣には明治初期の測量に使われた几号水準点の刻印も残ります。江戸時代の城郭遺構が、近代には測量の基準として再利用された痕跡です。
弁慶濠|現在も水をたたえる江戸城外堀
弁慶濠は赤坂見附から紀尾井町へ延びる外堀です。現在も水面が残り、道路と高層建築に囲まれた都心で江戸城外堀の幅と高低差を実感できます。赤坂見附側の石垣と合わせて見ると、門へ近づく動線が堀によって絞られていたことが分かります。
喰違見附|石垣ではなく土塁で守った虎口
喰違見附は、紀尾井町に残る江戸城外郭の入口です。千代田区観光協会によると、1612年に築かれ、石垣ではなく土塁を食い違わせて通路を折る構造が残ります。江戸城外郭門のなかでも初期の姿を伝える貴重な場所です。
赤坂見附の大規模な石垣と比べると、同じ城の入口でも防御の方法が異なります。数百メートル歩くだけで、江戸城整備の時期や設計思想の違いを見比べられます。
赤坂仮皇居と紀尾井町|大名屋敷から近代国家の舞台へ
紀尾井町一帯には江戸時代、紀州徳川家など大名の屋敷が置かれました。明治になると旧大名屋敷地は皇室施設や官庁、学校などへ転用され、街の役割が大きく変わります。
現在の明治記念館本館は、1881年に赤坂仮皇居の御会食所として建てられた建物を移築したものです。外堀沿いの散歩では、江戸の大名屋敷地が明治国家の施設へ組み替えられていく流れもたどれます。

迎賓館赤坂離宮|紀州徳川家の屋敷地に建つ宮殿
迎賓館赤坂離宮の敷地は、江戸時代には紀州徳川家の屋敷でした。1909年に東宮御所として現在の本館が完成し、戦後の用途変更を経て、現在は外国の賓客を迎える迎賓施設として使われています。

四谷見附|甲州街道が外堀を越える江戸城西側の要所
四谷門は、甲州街道が江戸城外堀を越える場所に設けられました。寛永13年(1636)の外堀普請で整備され、現在もJR四ツ谷駅麹町口周辺に石垣が残ります。門そのものは失われましたが、駅と道路の間に残る石垣から枡形門の位置を読み取れます。
四谷見附の先には、外堀普請を契機に寺院が集まった四谷寺町が広がります。寺町の成り立ちと西念寺、須賀神社、於岩稲荷田宮神社などは、四谷の神社仏閣10か所を歩く歴史散歩で詳しく紹介しています。
四谷見附橋|江戸の城門跡に架かった近代の橋
四谷見附橋は1913年に竣工しました。近接する赤坂離宮との調和を意識した装飾が施され、外堀と鉄道をまたぐ近代都市の橋として四谷の景観を変えました。旧橋の一部は多摩ニュータウンへ移され、現在の長池見附橋として再生されています。
歩く順番と9スポット
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