日比谷から霞が関、永田町、赤坂見附へ。現在は公園、官庁街、国会議事堂が並ぶ東京の政治中枢ですが、江戸時代には江戸城の門と大名屋敷が連なる武家地でした。歩いていくと、江戸城を守る外郭から明治の官庁街、近代議会の舞台へと変わった東京の歴史を一続きにたどれます。

日比谷見附跡――江戸城外郭の門から歩き始める
日比谷見附跡は、江戸城外郭を守った日比谷御門の跡です。見附には門、石垣、濠などが組み合わされ、城内へ入る交通を監視しました。門そのものは明治初期に撤去されましたが、日比谷公園の心字池周辺には枡形を構成した石垣が残っています。
現在の日比谷公園周辺は、徳川家康が江戸へ入ったころには日比谷入江と呼ばれる海や湿地が広がっていました。江戸城下の造成によって埋め立てられ、江戸時代には大名屋敷地となります。明治維新後は陸軍の訓練地、日比谷練兵場を経て、1903年に日比谷公園が開園しました。日比谷の変遷と園内の史跡は日比谷公園の歴史と見どころで詳しく紹介しています。日比谷から桜田門・半蔵門へ進むルートは、日比谷見附・桜田門・皇居外苑の歴史散歩でたどれます。
米沢藩上杉家江戸藩邸跡――江戸城を囲んだ大名屋敷
桜田門の正面付近には米沢藩上杉家江戸藩邸跡があります。米沢藩主上杉家の上屋敷が置かれた場所で、江戸城の周囲に有力大名の屋敷が並んでいた武家地の姿を伝えます。
初代米沢藩主の上杉景勝は、関ヶ原の戦い後に会津120万石から米沢30万石へ移されました。のちに米沢藩は15万石となり、江戸後期には9代藩主上杉治憲(鷹山)が藩政改革を進めます。江戸の大名は領国と江戸を往復し、幕府の膝元に大規模な藩邸を構えました。
霞が関――大名屋敷から日本の官庁街へ
明治維新は霞が関の景観を大きく変えました。大名屋敷の広い敷地は政府施設へ転用され、1870年には外務省が旧黒田邸へ移ります。明治20年代には官庁を集中させる計画が進み、司法省や大審院などの近代的な庁舎が建てられました。
江戸城の南側に広がった武家地は、明治政府の中央官庁が集まる街へ姿を変えました。現在「霞が関」が中央官庁の代名詞として使われる背景には、この明治以来の都市形成があります。
国会議事堂――仮議事堂から46年を経て完成
日本の議会は1890年、第1回帝国議会から始まりました。当時、現在の国会議事堂はまだなく、霞が関付近に建てられた木造の仮議事堂が使われました。仮議事堂は火災などを経て3代にわたり、現在の議事堂が完成するまで46年間、議会の舞台となりました。
現在の国会議事堂は1920年に着工し、17年の工事を経て1936年11月に完成しました。鉄骨鉄筋コンクリート造で、中央塔の高さは65.45メートル。建築資材は国産品を使う方針が採られ、工事には延べ254万人が携わりました。左右対称の建物は、正面から見て左が衆議院、右が参議院です。
永田町――旗本屋敷の地名が政治の代名詞になるまで
「永田町」という町名は1872年に成立しました。江戸時代、この一帯には永田姓の旗本屋敷が馬場沿いに並び、「永田馬場」と呼ばれたことが地名の由来とされています。明治以降は軍用地や政府関係施設が置かれ、1936年に国会議事堂が完成しました。国会と政党の活動が集中したことで、現在では「永田町」が日本の政界を表す言葉として定着しています。
日比谷・霞が関・永田町一帯をさらに広く歩くコースは、永田町・国会議事堂・霞が関・日比谷の夜散歩でも紹介しています。
茱萸坂――植物と山王祭の記憶が残る坂
茱萸坂は、国会議事堂南側から霞が関方面へ下る坂です。江戸時代の地誌では、坂の両側にグミの木があったことが名の由来とされています。「番付坂」という別名もあり、山王祭の行列をここで確認したことに由来すると伝わります。
国会議事堂や官庁が並ぶ現在の景観の中に、植物や祭礼に由来する江戸の坂名が残っています。
三べ坂――三つの大名屋敷が残した名前
三べ坂の名は、岡部筑前守、安部摂津守、渡辺丹後守という三つの大名屋敷が坂の周辺にあったことに由来すると伝わります。坂上には松平出羽守の屋敷もあり、赤坂御門の御水番役を務めたことから「水坂」とも呼ばれました。
現在の永田町を歩くと、政治施設の間を縫う坂道の名前に、江戸時代の屋敷配置が残っています。
赤坂見附跡――江戸城の門と大山道
散歩の終盤に訪れる赤坂見附跡は、江戸城外郭の赤坂御門があった場所です。1636年、福岡藩主黒田忠之らによって門の石垣が築かれ、現在も枡形石垣の一部が残ります。
赤坂御門は城を守る門であると同時に、江戸から青山、世田谷を経て相模国の大山方面へ向かう大山道の起点でもありました。日比谷見附から歩き始め、赤坂見附で終えると、江戸城外郭の二つの門と、その間に広がった武家地の変化をたどれます。
歩いてたどるコース
- 日比谷見附跡
- 米沢藩上杉家江戸藩邸跡
- 霞が関官庁街
- 国会議事堂
- 永田町
- 茱萸坂
- 三べ坂
- 赤坂見附跡
日比谷の江戸城外郭から、霞が関の官庁街、永田町の国会議事堂、赤坂見附へ進むことで、江戸の武家地が近代国家の中枢へ変わった過程を地形と史跡から追えます。
参考資料
- 参議院「国会議事堂のあらまし」
- 国立国会図書館「議事堂」
- 国土交通省「霞ヶ関官庁の集積と立地の歴史をふり返る」
- 千代田区「町名由来板:永田町一丁目」
- 千代田区「坂の名前」
- 千代田区観光協会「米沢藩上杉家江戸藩邸跡」「茱萸坂」「赤坂見附跡」

