目黒競馬場跡を歩く|不動前・下目黒の日本ダービー発祥地、トウルヌソル像、元競馬場通り

1932年の目黒競馬場で行われた第1回東京優駿大競走

不動前から下目黒を歩き、かむろ坂公園、羅漢寺川プロムナード、目黒競馬場跡、元競馬場通り、トウルヌソル像、行人坂へ向かう歴史散歩です。最大の見どころは、現在の住宅街に残る目黒競馬場の痕跡です。目黒競馬場では1932年(昭和7年)4月24日に第1回東京優駿大競走、現在の日本ダービーが開催されました。

現地では、競馬場跡を示す碑や「元競馬場前」の地名、曲線を描く外周道路をたどれます。この記事では、目黒競馬場がなぜ下目黒に造られ、なぜ府中へ移転したのか、日本ダービーとどのようにつながるのかを、実際に歩いたルートとあわせて紹介します。

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今回のコース概要|不動前から下目黒・目黒競馬場跡へ

今回歩いたのは、不動前エリアから下目黒へ入り、羅漢寺川沿いの道を経て目黒競馬場跡をたどり、行人坂方面へ向かうコースです。記事内に距離と所要時間の確定情報がないため、その2点は記載していません。

  • エリア:不動前・下目黒
  • 主要スポット:かむろ坂公園、羅漢寺川プロムナード、目黒競馬場跡、元競馬南泉公園、元競馬場通り、トウルヌソル像、行人坂
  • 歴史テーマ:下目黒の地域史、目黒競馬場、日本ダービー、競馬場跡の街路、江戸の目黒詣で

下目黒とは|目黒不動の門前と江戸の行楽地

東京都目黒区下目黒は一丁目から六丁目まであり、東部には瀧泉寺(目黒不動)があります。江戸時代の下目黒村は米・麦・野菜・タケノコなどを作る農村でしたが、目黒不動や大鳥神社の周辺には参詣客が集まり、茶屋や料理屋、土産物屋が並びました。

行人坂や権之助坂は、寺社への参詣や農産物の運搬に使われた道です。目黒一帯はタケノコの産地としても知られ、目黒不動の門前ではタケノコ飯が名物になりました。現在の住宅地を歩くと、寺社参詣でにぎわった江戸の下目黒と、近代に競馬場が置かれた下目黒が重なって見えてきます。

目黒周辺を別のテーマで歩くなら、三田用水跡など恵比寿〜目黒の史跡を巡るナイトウォークもあります。目黒駅周辺の近代史や水路跡まで範囲を広げて歩けます。

目黒競馬場とは|1907年に下目黒へ開設

目黒競馬場は1907年(明治40年)に下目黒に開設され、1933年(昭和8年)まで使われた競馬場です。目黒区によると、山手線目黒駅から約1キロの場所にあり、総面積は6万4,000余坪。調教馬場、出走馬を見せる引馬場、貴賓室を備えた観覧スタンドなどが設けられていました。

当時の政府は日露戦争後、軍馬の改良と増産を進め、競馬をその一環として奨励していました。目黒競馬場は、その政策と馬券収入を背景に誕生しました。開場した1907年12月の競馬は多くの観客を集めましたが、翌1908年に政府が馬券発売を禁止すると状況が変わります。

馬券禁止から競馬法まで

馬券が禁止された後、目黒競馬場の観客は大きく減りました。1914年(大正3年)には、的中者にデパートの商品券を贈る余興が始まり、観客を呼び戻します。1923年(大正12年)に競馬法が制定され、現金を払い戻す馬券の発売が再び認められると、目黒競馬場は活気を取り戻しました。

第1回日本ダービーは目黒競馬場で開催

1932年(昭和7年)4月24日、目黒競馬場で第1回東京優駿大競走が開催されました。現在の東京優駿、日本ダービーです。JRAによると、イギリスのダービーに相当する3歳馬の大競走として創設され、距離2,400メートルで行われました。

第1回には19頭が出走し、ワカタカが優勝しました。日本ダービーというと現在の府中・東京競馬場を思い浮かべますが、その出発点は下目黒です。現在の住宅地を歩く意味は、この「日本ダービー発祥の地」を道路や地名から確かめられるところにあります。

1932年の目黒競馬場で行われた第1回東京優駿大競走
目黒競馬場で行われた第1回東京優駿大競走、1932年。Wikimedia Commons/Public Domain。

なぜ目黒競馬場は府中へ移転したのか

目黒競馬場の周辺では宅地化が進み、施設を拡張しにくくなっていました。用地の大部分が借地だったことも運営上の課題でした。1933年(昭和8年)春の開催を最後に目黒競馬場は府中へ移転し、現在の東京競馬場へ引き継がれます。

日本ダービーは第1回と第2回を目黒で開催し、第3回の1934年から府中の東京競馬場で開催されています。目黒の名は競馬から消えたわけではなく、1932年に創設された「目黒記念」に残りました。

現在の競馬場を実際に楽しみたい方には、初めての大井競馬場・黒潮盃ガイドで、地方競馬、パドック、重賞の見方を紹介しています。

目黒競馬場跡で見るべき3つの痕跡

1. 住宅街に残る競馬場外周のカーブ

目黒競馬場の跡地は住宅地になっています。目黒区は、下目黒四丁目・五丁目・六丁目にかけて、当時の競馬場外周に沿った道が残ると紹介しています。多摩大学目黒高等学校裏の五差路から大きく半円を描き、不動小学校方面へ延びる道路です。

現地で見るべきなのは、建物そのものではなく道路の形です。曲線の道をたどると、住宅街の区画の中に競馬場の輪郭が残っていることが分かります。今回の散歩でも、この外周に沿う道を歩きました。

2. 「元競馬場前」と元競馬場通り

目黒通りには「元競馬場前」というバス停があり、周辺には「元競馬場」の名が残っています。競馬場がなくなって90年以上たっても、地名や道路名が土地の記憶を伝えています。元競馬場通りを歩くときは、周囲の道路の曲がり方とあわせて見ると位置関係をつかみやすくなります。

3. トウルヌソル像(元競馬場の碑)

目黒競馬場跡には、馬の銅像を備えた「元競馬場の碑」があります。像のモデルはトウルヌソルで、第1回日本ダービー優勝馬ワカタカの父にあたる種牡馬です。目黒区によると、第50回日本ダービーを記念し、日本中央競馬会と大鳥前元競馬場通り商店街振興組合の協力で1983年(昭和58年)に建てられました。

競馬場跡を初めて歩くなら、外周道路だけでなく、この像と「元競馬場前」の表示まで確認すると、かつて競馬場があった範囲を意識しやすくなります。

今回実際に歩いた場所

以下は今回の散歩で巡った場所です。Googleマップのリンクから各地点を確認できます。

  1. かむろ坂公園
  2. 羅漢寺川プロムナード
  3. 羅漢寺川ふれあい広場
  4. 目黒競馬場跡
  5. 元競馬南泉公園
  6. 元競馬場通り
  7. 目黒競馬場跡の外周道路を歩く経由地
  8. 目黒競馬場跡「トウルヌソル号」
  9. セブンイレブン 目黒元競馬場店
  10. 豪邸
  11. 豪邸
  12. 豪邸
  13. 行人坂(このまま駅へ)

目黒・白金・恵比寿へ歴史散歩を広げる

下目黒から周辺へ歩くなら、白金台と白金の庭園・建物・裏路地を巡る散歩もあわせて参照できます。目黒駅を挟んだ東側へ範囲を広げ、庭園や近代建築、住宅街の歴史をたどるルートです。

また、下目黒の門前町や江戸の行楽文化に関心があれば、東京の花街46地域を地図で比較した解説で、目黒不動周辺を含む東京各地の盛り場が生まれた背景を比較できます。

TimeWalkで目黒周辺の歴史スポットを探す

TimeWalkは、現在地や指定地点の近くにある歴史スポットを地図で探し、自分で歴史散歩を楽しめるWebアプリです。この記事のコースをそのまま歩かない日でも、目黒や不動前の周辺で近くの史跡、記念碑、神社仏閣などを探せます。

解説付きの街歩きに参加する

ゆる歴史散歩会では、東京の史跡、建築、地形、地名などを現地で解説しながら歩くイベントを開催しています。歴史初心者や一人参加の方も参加できます。最新の日程とテーマは今後のイベント一覧から確認できます。

参考資料

この記事を書いた人
ゆる歴史散歩会 運営者
なかまつ

北海道大学工学部卒。現在はIT系会社員の傍ら、年間400回以上の街歩きイベントを企画し、これまで延べ25,000名以上の方にご参加いただいている、ゆる歴史散歩サークルを運営しています。東京の歴史・文化・建築・地形などを、初心者でも気軽に楽しめるイベントとして企画しています。

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