川越まつりと川越の歴史散歩|旧山崎家別邸・大沢家住宅・川越城本丸御殿を歩く

川越まつり

川越の町を歩くと、川越城の城下町、江戸と結ばれた商業都市、1893年の大火後に広がった蔵造り、そして川越氷川神社の祭礼が、同じ通りの上で重なっていることが分かります。2023年10月14日の散歩会で設定したルートを土台に、旧山崎家別邸、大沢家住宅、川越市立博物館、川越城本丸御殿、川越氷川神社をたどりながら、川越まつりと城下町の歴史を紹介します。

寺社を含めて川越をさらに広く歩く場合は、川越・喜多院完全ガイド|中院・仙波東照宮と消えた南院を2時間で歩くもあわせてご覧ください。

川越が城下町から「小江戸」へ育った理由

川越城は長禄元年(1457)、扇谷上杉持朝おうぎがやつうえすぎ もちともの命を受けた太田道真おおた どうしん太田道灌おおた どうかん父子によって築かれたと伝わります。江戸時代に入ると、川越は江戸北方を守る重要拠点となり、幕府の重臣が城主を務めました。

寛永15年(1638)の大火後、川越藩主松平信綱まつだいら のぶつなの時代に城郭と城下町の整備が進みます。江戸と川越を結ぶ新河岸川しんがしがわの舟運も発達し、物資だけでなく江戸の文化も川越へ運ばれました。城、商人町、祭礼が近い距離にまとまる現在の川越を理解するうえで、この17世紀の都市整備が大きな節目になります。

川越まつりの歴史

川越まつりの起点は慶安元年(1648)です。松平信綱まつだいら のぶつなが川越氷川神社へ神輿みこし、獅子頭、太鼓などの祭礼用具を寄進し、祭礼を奨励しました。慶安4年(1651)には神輿が城下を渡御とぎょし、町人たちが供奉したと伝わります。

元禄11年(1698)には高沢町が江戸の祭礼にならった踊り屋台を出し、川越の祭礼は江戸の天下祭の影響を受けながら発展しました。文政9年(1826)の「川越氷川祭礼絵巻」には城へ向かう祭礼行列が描かれ、天保15年(1844)には十ヶ町の山車が一本柱形式にそろえられます。新河岸川舟運で江戸と結ばれていた川越だからこそ、江戸の祭礼文化を取り込みながら独自の山車行事を育てられました。

「川越氷川祭の山車行事」は2005年に国の重要無形民俗文化財となり、2016年には「山・鉾・屋台行事」の一つとしてユネスコ無形文化遺産に登録されました。

曳っかわせと川越型の山車

曳っかわせひっかわせは、山車同士が出会ったときに正面を向け、囃子はやしと踊りを交わす川越まつりの見どころです。町同士が囃子を披露し合う挨拶として受け継がれ、勝敗は決めません。交差点などで複数の山車が向き合うと、回転する囃子台、提灯を掲げる曳き手、異なる曲調の囃子が重なり、城下町の通りそのものが舞台になります。

川越まつりの夜に山車同士が向き合う曳っかわせ
川越まつりの曳っかわせ。山車が向き合い、囃子と踊りを交わします。

川越の歴史散歩ルート

散歩会では、前半に商人町と川越城、後半に川越氷川神社と祭礼会場を歩く構成としました。実際の町の動線に沿って歩くことで、江戸時代の城下町から明治・大正期の商都、現在の川越まつりまでを一続きにたどれます。

時間帯地点歴史の見どころ
14:00〜16:301小江戸蔵里 川越市産業観光館旧鏡山酒造の明治・大正・昭和の酒蔵
2原田家住宅1893年の大火後に建てられた商家
3佐久間旅館1911年築の登録有形文化財「奥の間」
4旧山崎家別邸1925年築の和洋折衷住宅
5時の鐘1893年の大火と翌年の再建
6大沢家住宅1792年築、大火を生き残った商家
7川越市立博物館城下町・舟運・大火・蔵造りを立体的に確認
8川越城本丸御殿1848年竣工の現存御殿
17:00〜19:009川越氷川神社川越まつりを生んだ城下町の総鎮守
10仲町観光案内所周辺鳶のはしご乗りと祭礼の町並み
11祭礼会場各所夜の曳っかわせ

小江戸蔵里から旧山崎家別邸へ―近代川越を歩く

小江戸蔵里

小江戸蔵里は、旧鏡山酒造の酒蔵を活用した施設です。明治・大正・昭和の各時代に建てられた蔵が残り、2010年に川越市産業観光館として開館しました。城下町の商業が近代産業へ移る過程を、酒造建築のまとまりとして見られる場所です。

原田家住宅

原田家は米穀問屋「足立要あだよう」を営んだ商家です。現在の店蔵は明治30年(1897)に上棟されました。1893年の川越大火から数年後、商人たちが防火を強く意識して町を建て直した時期の建築で、蔵造りの町並みが形成されていく時代を伝えます。

佐久間旅館奥の間

国登録有形文化財の佐久間旅館奥の間は明治44年(1911)築です。防火性を意識した厚い壁を持ち、2階には銘木を使った書院造の座敷が設けられています。商家の店蔵とは異なる、宿泊施設の近代和風建築として川越の建築文化の幅を見せてくれます。

旧山崎家別邸

旧山崎家別邸は、老舗菓子店「亀屋」5代目の山崎嘉七やまざき かしちが大正14年(1925)に建てた隠居所です。設計した保岡勝也やすおか かつや辰野金吾たつの きんごに学び、三菱で建築設計を担った建築家でした。

和館と洋館を並べ、数寄屋的な意匠、洋室、庭園、ステンドグラスを一体にした住宅で、山崎家の生活の場であると同時に皇族を迎える迎賓の場にも使われました。蔵造りの商家が並ぶ川越に、大正期の商人文化と近代建築が加わったことを示す建物です。

1893年の川越大火と蔵造りの町並み

明治26年(1893)の川越大火は、市街地の広い範囲を焼きました。復興にあたった商人たちは、火災を生き残った耐火性の高い建物を参考にしながら店を再建し、現在の一番街につながる蔵造りの町並みが形成されました。川越の蔵造りは、大火後の防火と商業復興から生まれた町並みです。

現在の一番街は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。制度のしくみや全国の保存地区との違いは、重要伝統的建造物群保存地区とは?歴史的な町並みを守る制度で詳しく紹介しています。

時の鐘

時の鐘は江戸初期、川越城主酒井忠勝さかい ただかつが現在地に建てたものが始まりと伝わります。現在の鐘楼は1893年の川越大火で焼失した翌年、明治27年(1894)に再建されました。江戸時代から町に時刻を知らせてきた役割と、明治の大火から復興した町の記憶を同時に残しています。

大沢家住宅

大沢家住宅は寛政4年(1792)、呉服太物商の西村半右衛門が建てた商家です。1893年の大火を焼け残り、その姿が川越商人たちの防火建築の手本になりました。川越市の文化財解説では、後に広がる典型的な店蔵よりも「塗家造」に近い建物とされています。大火前の商家と、大火後に発達した蔵造りをつなぐ存在です。

川越市立博物館と川越城本丸御殿

川越市立博物館

川越市立博物館は川越城二の丸跡に建ち、町を歩いて見た歴史を整理するのに適した施設です。常設展示では城下町模型、新河岸川しんがしがわ舟運、1893年の大火、商業の発展、蔵造りの実物大模型、川越まつりなどを扱っています。城と商人町、舟運、祭礼が、一つの都市の発展として結びつきます。

川越城本丸御殿

現存する川越城本丸御殿は嘉永元年(1848)、川越藩主松平斉典まつだいら なりつねの時代に竣工しました。当時は16棟、約1,025坪に及ぶ大規模な御殿でしたが、現在は玄関・大広間などと、移築されていた家老詰所が残ります。

川越城は1457年の築城から戦国期を経て徳川政権下の重要拠点となり、幕末まで城下町の中心でした。蔵造りの一番街から本丸御殿へ歩くと、商人の町として知られる川越の土台に城と武家地があったことを実感できます。

川越氷川神社と夕暮れの川越まつり

川越氷川神社は城下町の総鎮守として川越藩主の保護を受け、1648年の松平信綱まつだいら のぶつなによる祭礼奨励から現在の川越まつりへつながりました。現本殿は天保13年(1842)に着工し、幕末から明治初年にかけて完成した建物です。精緻な彫刻の中には川越氷川祭の山車人形も表され、社殿と祭礼の結びつきを目で確かめられます。

夕方からは山車の提灯に灯が入り、昼に歩いた城下町の道が祭礼空間へ変わります。仲町周辺ではとびのはしご乗りなどの演技が行われる年もあり、夜は各所で曳っかわせが続きます。川越まつりは、川越城、商人町、川越氷川神社の関係が現在まで形を変えながら続く都市祭礼です。

川越まつりで披露される鳶のはしご乗り
川越まつりで披露される鳶(とび)のはしご乗り。

川越をさらに歩くなら

川越の城下町史をさらにたどるなら、喜多院・仙波東照宮・中院まで足を延ばすと、1638年の川越大火と徳川家の関係が別の角度から見えてきます。喜多院では大火後に江戸城紅葉山から移されたと伝わる御殿建築が残り、川越が江戸と政治的にも深く結ばれていたことを伝えます。

川越市の喜多院に建つ慈恵堂の正面
喜多院の慈恵堂、2008年。撮影:Twilight2640/Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0。

仙波東照宮は徳川家康を祀る社で、喜多院とともに1638年の大火後に再建されました。喜多院・中院まで含めた2時間の歩き方は、川越・喜多院完全ガイドにまとめています。

川越市の仙波東照宮に建つ社殿
仙波東照宮、2020年。撮影:Tak1701d/Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0。

参考資料