丸の内エリアの歴史と建築ツアー

丸の内の歴史と建築ツアー イベント
丸の内の歴史と建築ツアー
今回訪れる主な建築物

丸の内の歴史

江戸時代と今の丸の内の比較

明治維新以降、陸軍の諸施設は皇居の東側に置かれていました。その後、広大な用地を求め郊外への移転が始まりました。1874年に編成され、呉服橋に置かれていた歩兵第三聯隊は、1889年に現在の港区六本木七丁目(国立新美術館があるところでそこに模型あり)へ移転することになりました。その兵舎の建築費用を捻出するため、丸の内の陸軍用地を民間に払い下げることを決定しましたが、入札は不落に終わり、結局、岩崎彌之助が率いる三菱社が引き受けることになった。1890年、三菱は丸の内一帯の土地の払い下げを受け、敷地内の建物を取り壊し、広大な空地としたことから三菱ヶ原と呼ばれていました。三菱はロンドンの金融街にあるロンバード・ストリートが参考に大オフィス街の建設をし、その街並みは「一丁倫敦(いっちょうロンドン)」とも呼ばれました。
※1丁=60間=約109m

1914年に東京駅が開業すると、丸の内の北側もオフィス街として発展しました。東京海上ビルディングや丸ビルなど、アメリカ式のビルが建ち並んだため、行幸通り一帯は明治期の一丁倫敦の街並みに対し「一丁紐育(いっちょうニューヨーク)」とも呼ばれました。

東京駅(1914年)

東京駅が開業する前の鉄道網

ドイツから招聘されて、日本の鉄道建設を指導していた技術者フランツ・バルツァーにより駅の位置や規模、構内の配置が決められました。駅舎は陸軍の練兵場跡地だった西側(現在の丸の内側)となりました。東側には貨物ヤードが置かれることになりました。バルツァーは日本風の駅舎を提案していたのですが、日本側に反対されました。

駅舎は辰野金吾と葛西萬司が設計し、1914年に開業しました。

1945年、アメリカ軍による東京大空襲山の手大空襲)で丸の内駅舎に焼夷弾が着弾し、大火災を引き起こされました。これによりレンガ造の壁やコンクリート製の床など構造体は残ったのですが、鉄骨造の屋根は焼け落ち内装も大半が失われました。

復旧後の八角屋根は5年もてばよいということで、薄い木材で応急的に設置されましたが、このときの駅舎はこのまま60年使用されることになりました。

2007年に駅舎を本来の姿に近い形態に復原する工事が始まりました。

2012年に復原された駅舎で全面再開業しました。復原工事費用(約500億円)はJR東日本などが「空中権の売買」を行って捻出しました。

日本工業倶楽部会館(1920年)

設計:横河民輔、松井貴太郎ら
日本における数少ない本格的なセセッション様式(幾何学的意匠や渦を巻く植物模様が見られる様式)の建物です。国賓を迎えることを考慮して、入り口にはドリス式の柱が配され、正面階段も広くとられています。正面屋上には小倉右一郎作の二つの人像が置かれ、男性はハンマー、女性は糸巻きを手にし、当時の二大工業石炭と紡績を示していました。

この工業倶楽部会館は財界の記念碑的な存在でした。
1997年、老朽化、耐震性の欠如、機能更新の必要性から建替えることとなりました。
会館の西側部分を保存、その他の部分を再現し、登録文化財としての歴史的景観の保全を図ることとしました。屋上の坑夫と織女の像、正面玄関の石柱、石材等はオリジナルの材料を使用し、主要施設である大会堂、大食堂部分をほぼ完全に保存すると共に、玄関から3階に至る大階段、ロビーについては内装材を保存活用し、内部空間を再現することにしました。
会館部分全体を免震材の上に載せて、2003年竣工しました。

東京銀行集会所(1916年)

設計:横河民輔
かつて存在した三菱地所と一般社団法人全国銀行協会の共同所有の、モダンルネサンス様式のオフィスビルです。時代とともに事務所や国際会議の機能として不十分となったため、一部を保存して建て替えが決定し、1993年に竣工しました。

この新しいビルは2014年に隣の銀行会館やみずほ銀行本店ビルとあわせて建て替えることとなり、2020年にそれらが一体となったみずほ丸の内タワーが竣工しました。

東京海上ビルディング本館(1974年)

東京海上火災保険は三菱第2号館(現・明治生命館)が完成したことを受けて本店をここに移転しました。1918年に内田祥三設計の東京海上日動ビルディングが竣工しました。戦後GHQにより接収されました。その後建て替えとなり、1974年に前川國男設計の東京海上ビルディング本館が竣工しました。

この建て替えのときに美観・高さ制限論争が発生しました。当時、丸の内エリアは100尺規制の名残で100尺(約31m)の高さ制限ぎりぎりのビルが整然と立ち並ぶ景観でした。前川國男による当初案の建築確認申請書では、高さ127mの高層ツインタワーが建つ計画となっていました。ここで皇居の周囲の美観地区や皇居を見下ろすようなビルを建てることの是非をめぐり論争が起こりました。実情は、周辺に低容積のビル(不利なビル)を多く抱えることから計画を阻止したい三菱地所などが反対していました。最終的にツインではなくシングルの99mのビルで妥協し建設許可が下りました。

ちなみに、日本で初めて100mを超えたのは同じ時期に完成した147mの霞が関ビルです。

丸の内ビルディング(1923年)

設計:桜井小太郎
江戸時代には備前岡山藩松平家(池田)の屋敷がありました。

1923年に竣工しましたが、同年の関東大震災に被災し、1925年に再度竣工しました。戦前では最大で、「東洋一のビル」といわれていました。低層階を一般客に開放し、ショッピングモールなどを展開する形も日本で最初に導入しました。当時の多くの歌や小説の舞台にもなり、巨大な建築物であったため「丸ビル何杯分」などと引用されていました。

1995年、耐震性能の低下などを理由に丸ビルの建替えを発表しました。日本建築学会は保存要望書を三菱地所に提出しましたが要望は通らず取り壊され、2002年に「新しい丸ビル」という名前で竣工しました。向かいに新丸ビルがあるためとても紛らわしかったですが、2004年に新丸ビルも取り壊され2007年に「新しい新丸ビル」が竣工しました。

丸ビルの建替えにあたっては、東京駅赤レンガ駅舎(3階建てに復原)敷地における未利用分容積率の一部を分割して周辺敷地に移転して、指定容積率を超える高層大規模建築化が図られました。

2022年秋から2023年春にかけ、初の大規模改装を行っています。

三菱一号館(1984年)

設計:ジョサイア・コンドル
洋風事務所建築で、煉瓦造の建物内に銀行や商社、郵便局が入居していました。1968年に老朽化のため解体し、2009年に美術館として復元されました。当時、洋風事務所建築は横浜、神戸の外国人居留地や長崎の出島などにも見られましたが小規模のものが多く、本建物は異例の大型建築でした。

明治生命館(1934年)

設計:岡田信一郎
古典主義様式の最高傑作として高く評価され、わが国近代洋風建築の発展に寄与した代表的な建造物と言われています。

1945年~1956年、アメリカ極東空軍司令部として接収され、連合国軍最高司令官の対日理事会の会場として使用されました。マッカーサー総司令官もこの会場で開催された会議に何回も出席しています。1997年、昭和の建造物として初めて国の重要文化財に指定されました。

岡田信一郎(1883-1932)
東大建築学科卒。大正から昭和初期にかけて、大阪市中央公会堂(原案)、東京府美術館、歌舞伎座、明治生命館、ニコライ堂修復、日本銀行小樽支店など、建設当時から話題になった作品を多く手がけた建築家

丸の内二重橋ビル(2018年)

富士ビルヂング、東京商工会議所ビル、東京會舘ビルの3棟の一体建て替えプロジェクトにより2018年に竣工しました。都市再生特別地区に指定されたため、容積率の上限が1300%から1500%に緩和されています。

敷地を一体化することで、1フロアの面積が大きくなり、皇居外苑側への眺望可能な空間の幅が拡がるという利点を生かしています。

帰宅困難者一時受け入れエリアの設置、非常用発電機設備の設置、水害に備え重要電気室を地上階に設置など、BCP(事業継続計画)の充実も図られています。BCPとは、企業が自然災害、大火災、テロ攻撃などの緊急事態に遭遇した場合に最低限の事業を継続するための計画のことです。

東京會舘(1922年)

設計
初代本館(1922年):田辺淳吉
二代目本館(1971年):谷口吉郎

「民間初の社交場」として皇居前に建てられたルネサンス様式の建造物でした。戦後数年間は連合国総司令部(GHQ)接収され、将校クラブとして営業していました。世界的芸術家や政財界の大物が訪れ、1975年にはエリザベス女王夫妻もお迎えしました。井上靖三島由紀夫らの著作にも登場しています。2019年、丸の内二重橋ビルに三代目となる新本館をリニューアルオープンしました。

国際ビルヂング(1911年)

1911年に竣工し、ミュージカルや歌舞伎など演劇用の劇場として親しまれていましたが、1955年からは映画館に転用されていました。
1966年、隣接する東宝と共同という形であらたなビルが竣工しました。帝国劇場と合築であり、この部分は帝劇ビルとも呼びます。
2022年、建物の老朽化等を理由に、隣接の帝国劇場及び帝劇ビルとともに再開発を決定し、2025年を目途に一時休館する予定です。

機能的にも構造的にも異なる「オフィスと劇場」を1つのビルに収容する難易度の高い建築です。オフィス部分は三菱地所、劇場部分は阿部事務所、建物外観と劇場内装は谷口吉郎が連携して設計しました。

第一生命館(1938年)

竣工後、第一生命保険本社のほか郵便局、女学校校舎、警視庁仮庁舎、GHQ本部などとしても利用されていました。
1989年から1995年にかけてDNタワー21として再開発されました。西寄り部分は維持されましたが、内装はマッカーサー記念室などを除き全て失われています。

  • 設計図案は一般から募り、応募268案の内10案が優秀賞に選出され、この10案の作者には賞金が送られました
  • この地はかつて東京湾が湾入し日比谷入江を形成していたところにある軟弱な地盤だったため、20m以下には丈夫な岩盤があることが確認されました
  • 太平洋戦争中は陸軍により東部軍管区司令部が置かれ、屋上に高射砲陣地が設置されました
  • 終戦後は1952年まで連合国最高司令官総司令部として使用されていました

有楽町ビル(1966年)と新有楽町ビル(1967年)

この地には、戦後開館したスバル座とオリオン座の二つの映画館がありました。その後毎日新聞社を経て三菱地所の土地となり有楽町ビルを建設しました。これらのビルの竣工により丸の内仲通りの東側は丸ノ内ビルヂングから有楽町ビルヂングまで途切れずに三菱地所により整備されたこととなりました。

2021年、三菱地所より有楽町エリアの再構築の一環として有楽町ビルと新有楽町ビルヂングを共に建て替えることが発表されました。「ファッションやメディア系のテナント誘致や、様々な実証実験の場としての活用等も検討している。」とも発表されています。

Slit Park YURAKUCHO(2022年)

2022年5月25日 報道関係各位

三菱地所株式会社は新たな取り組みとして、新国際ビル・新日石ビル間の路地空間をリニューアルし、都市の隙間の公園機能として「SLIT PARK」を
2022年6月1日より開業しますことをお知らせいたします。(中略)この生まれ変わった空間を、有楽町エリアの新しい拠点として訪れる全ての方々に開放し、キッチンカーや路外ショップによる飲食・物販のサービス、空間に躍動感をもたらすアートの設置、また誰でも気軽に参加できるようなイベントを積極的に企画、実施することで出会いや交流を促進し、街の魅力度向上に繋げていきます。

5つの特徴

  1. 通路として利用されてきた路地裏空間をフルリニューアルし、多目的な活動空間に転用
  2. トークセッション等の会場機能やキッチンカー展開による飲食機能を実装
  3. wifi及び電源を各所に完備、執務空間として常時利用可能
  4. ワークショップ等を通じ、有楽町ならではのコミュニティ形成を促進
  5. 有楽町で推進するアート関連の取り組みを始め、大丸有全体で催す各種企画と連携
https://www.mec.co.jp/news/archives/mec220525_slitpark.pdf

新東京ビル(1963年)

日興証券は1960年頃の岩戸景気で業容を拡大していたことから、事務所オーナーの三菱地所はこれに応じるために、三菱東7号館、三菱仲6号館、の三菱仲8号館、三菱21号館の建替えを決定し、1963年に新東京ビルが竣工しました。 建物内に矢橋六郎作のモザイク画「彩雲流れ」があります。

東京国際フォーラム(1996年)

設計:ラファエル・ヴィニオリ、渡辺邦夫(構造部)
東京の代表的国際コンベンションセンターの一つで旧東京都庁跡地に建てられました。
7つのホール、展示ホール、33の会議室、店、レストラン、相田みつを美術館があり、様々なイベントや展示が開催されています。旧東京都庁舎前のシンボルであった太田道灌の像も引き続き設置されています。

旧東京都庁舎・丸の内庁舎

東京府庁舎は当初、千代田区内幸町一丁目に置かれました。
1894年に丸の内に赤煉瓦二階建てドイツ風の府庁舎が完工しました。
1943年に東京都が設置されそのまま府庁舎が初代の東京都庁舎となりましたが、建物は戦災で焼失しました。

戦後、同跡地に建てられた第一庁舎(旧東京都庁舎・丸の内庁舎)は、現庁舎と同じく丹下健三の案が選ばれ、1957年に落成しました。モダニズムの典型的な作例で、開放的なピロティなど、ル・コルビュジエ的な要素を使いつつも、鉄骨・ガラスといった近代的素材を多用して「軽さ」を表現しているといわれます。

都庁の新宿移転により庁舎はすべて解体され、跡地は東京国際フォーラムとなりました。

この記事を書いた人
ゆる歴史散歩会 会長
なかまつ

北海道大学工学部卒。美術館は週に2回、海外旅行は年に6回行く、ゴリゴリの理系出身のIT系ビジネスマン。隣が図書館のため毎月10冊の本を借りている。趣味の延長で、東京の歴史や芸術を楽しむゆる〜いイベントを企画している。

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