冬の池袋は、駅前の明かりから赤レンガの大学キャンパス、静かな住宅街、公園の夜景へと表情を変えます。今回の散歩は池袋駅西口から出発し、立教大学のクリスマスツリーを中心に、教育、鉄道、地名、建築、戦災の記憶をたどる7つの歴史スポットを結びます。池袋駅そのものの歩みは、池袋駅の歴史を完全解説で詳しく紹介しています。

池袋イルミネーション散歩のルート
当時の散歩で巡ったのは、池袋駅西口から立教大学、自由学園明日館、南池袋公園、中池袋公園へ向かう7地点です。西口側では近代の学校と鉄道の歴史をたどり、立教大学でクリスマスの灯りを楽しんだ後、戦災の記憶が残る南池袋へ進みます。

東京府豊島師範学校発祥之地|池袋が学生街になる前史
池袋西口公園の一角に、東京府豊島師範学校の発祥を伝える碑があります。東京府は1908年、人口増加と義務教育の拡大に伴う教員不足へ対応するため、池袋に新しい師範学校を設けることを決めました。翌1909年に開校し、1911年には附属小学校も開かれます。
現在の池袋は大学や専門学校が集まる学生街ですが、その形成は駅の発展と並行して進みました。豊島師範学校の開校後、1918年には立教大学が池袋へ移転します。学校、下宿、商店が駅西側に集まり、農地の残る郊外だった池袋は教育の街へ変わっていきました。
1945年4月13日から14日にかけての空襲で学校施設は焼失しました。現在は碑が、池袋に教員養成の拠点があった時代を伝えています。
東京鉄道教習所跡の動輪|鉄道人材を育てた池袋
池袋駅西口には、鉄道教育の歴史を伝える動輪があります。1922年に開校した東京鉄道中学は、関東大震災後の1924年、池袋にあった東京鉄道教習所へ移転しました。鉄道の運行を支える人材を育てる施設が、巨大ターミナルへ成長する池袋のすぐそばに置かれていたのです。
校舎は戦災で失われましたが、学校の系譜は現在の芝浦工業大学附属中学高等学校へつながっています。駅の歴史を交通施設だけで見ると見落としやすい、鉄道人材教育の痕跡です。
池袋地名ゆかりの池|「池袋」の名をたどる
元池袋史跡公園には、「池袋地名ゆかりの池」の碑があります。この付近にはかつて丸池と呼ばれる湧水池があり、弦巻川の水源の一つでした。豊島区は、この丸池が「池袋」という地名の由来になったとする説を紹介しています。
池は都市化の中で姿を消しました。現在の元池袋史跡公園は再開発に伴って1998年に開園し、池袋の地名と水辺の記憶を残しています。地上から消えた弦巻川の流れは、弦巻川跡を歩く歴史散歩レポートで池袋西口から護国寺方面までたどれます。
立教大学|クリスマスツリーと赤レンガのキャンパス
散歩の中心になるのが立教大学池袋キャンパスです。立教の歴史は1874年、米国聖公会の宣教師チャニング・ムーア・ウィリアムズが築地に開いた私塾に始まります。大学は1918年に池袋へ移転し、1919年には本館、礼拝堂、図書館、食堂、寄宿舎を含む新キャンパスが形を整えました。
正門から見える赤レンガの本館を中心に、礼拝堂と旧図書館が左右に並びます。池袋キャンパスの建物をさらに詳しく見たい方は、立教大学池袋キャンパス建築ガイドもあわせてどうぞ。
戦後から続くヒマラヤ杉のイルミネーション
本館前の2本のヒマラヤ杉は1920年ごろに植えられました。立教大学によると、クリスマスイルミネーションは戦後間もない1949年ごろに始まりました。当初は400個ほどだった色電球は、その後1,000個を超える規模になり、1977年からは点灯式も続いています。
点灯はキリスト教の暦に沿い、クリスマスを待つアドベント(降臨節)から、1月6日のエピファニー(顕現日)まで続くのが伝統です。年度ごとの点灯期間や関連行事は、立教大学公式のChristmas in Rikkyoで発表されます。

赤レンガ校舎と礼拝堂
本館の右手に建つ立教学院諸聖徒礼拝堂は1918年竣工の赤レンガ建築です。縦長の窓と尖頭アーチ、木造トラスの内部空間が特徴で、現在も礼拝や学校行事に使われています。

本館を挟んだ反対側には、旧図書館のメーザーライブラリー記念館があります。1919年の落成から長く図書館として使われ、現在は立教学院展示館も入っています。赤レンガの建物が正門から一体の景観をつくる点も、池袋キャンパスの見どころです。

本館のアーチを抜けた先には第一食堂があります。教室、礼拝堂、図書館、寄宿舎、食堂を一つのキャンパスにまとめた初期の計画が今も建物から読み取れます。イルミネーションの季節は、ヒマラヤ杉の光と赤レンガの校舎が重なり、立教が池袋へ移った大正期の景観を身近に感じられます。
自由学園明日館|フランク・ロイド・ライトが残した学校建築
立教大学から歩いて向かえる自由学園明日館は、1921年に羽仁吉一・羽仁もと子夫妻が創立した自由学園の校舎として建てられました。設計はフランク・ロイド・ライトと遠藤新。低く水平に伸びる屋根、中央棟を軸に広がる構成、幾何学的な窓にライトの建築思想が表れています。
自由学園は1934年に東久留米へ移転し、旧校舎は「明日館」と呼ばれるようになりました。1997年には国の重要文化財に指定されています。外観だけでも、立教大学の赤レンガ建築とは異なる大正期の学校建築を続けて見比べられます。
豊島区空襲犠牲者哀悼の碑|1945年4月の城北大空襲
南池袋公園の東側には、豊島区空襲犠牲者哀悼の碑があります。1945年4月13日深夜から14日未明にかけての城北大空襲で、豊島区では778人が死亡し、約3万4,000戸が全焼、16万1,661人が被災しました。

当時この一帯は「根津山」と呼ばれ、空襲犠牲者の多くが一時的に埋葬されました。現在の公園の明るい風景の中に碑が残ることで、池袋が戦災から復興した街であることを伝えています。1946年の池袋駅には、焼け跡の中で営業する仮駅舎の姿が記録されています。
中池袋公園のふくろう像|池袋の街角文化
散歩の終点は中池袋公園です。園内には「梟の樹を創る会」による「ふくろうの路の梟像 第20号」があります。池袋では駅構内の「いけふくろう」をはじめ、街の各所にフクロウの像や意匠が置かれてきました。
地名の「池袋」と鳥の「ふくろう」を掛けた親しみやすいモチーフは、歴史的な地名の記憶とは別のところから育った現代の街のシンボルです。丸池の碑から歩き始めた地名の話が、街角のフクロウへつながります。

