上野公園の紅葉歴史散歩|西郷隆盛像・清水観音堂・上野大仏と徳川将軍家を巡る開催レポート

上野恩賜公園の野口英世像前に集まるゆる歴史散歩会の参加者

2023年12月3日開催|上野公園の全スポットを巡る紅葉散歩

2023年12月3日13時45分から、ゆる歴史散歩会で「上野公園の全スポットを巡る紅葉散歩。上野公園のすべてがわかります♪」を開催しました。参加者は26名。12月初旬の上野恩賜公園はイチョウの黄葉やモミジの紅葉が残り、歴史を学びながら季節の景観も楽しめる時期でした。

上野恩賜公園は、江戸時代の東叡山とうえいざん寛永寺の旧境内を基盤とし、明治期に公園・博物館・動物園などが整備された場所です。東京都によると、1873年に日本最初期の公園の一つとなり、2023年には開園150周年を迎えました。今回は野口英世像、西郷隆盛像、上野大仏とパゴダ、清水観音堂などを巡り、「寺院の山」から「文化の森」へ変化した上野を現地でたどりました。

紅葉の上野恩賜公園を歩く歴史散歩の参加者
黄色や赤に色づいた木々の中を歩く参加者。26名で上野公園の歴史スポットを巡りました。

今回のコース概要

今回の散歩では上野公園内を歩きながら、銅像、寺社・仏堂、記念物、公園景観を順に見ていきました。上野公園には東京都が紹介するだけでも、不忍弁天堂、西郷隆盛像、清水観音堂、旧寛永寺五重塔、上野大仏とパゴダ、野口英世像など多数の歴史スポットがあります。ひとつずつ見ると別々の名所に見えますが、寛永寺の歴史、上野戦争、明治の公園化という流れを意識すると、現在の景観がどのようにできたのかがつながって見えてきます。

野口英世像からスタート|近代科学の記憶が残る上野

散歩の一場面では、野口英世のぐちひでよ像の前に集まりました。東京都の上野恩賜公園公式案内では、この像は竹の台噴水の東側に建つ全身立像として紹介されています。上野には国立科学博物館をはじめ近代の学術・文化施設が集まり、江戸時代の寺院空間だけでなく、明治以降の日本が築いた「文化と科学の拠点」という側面も重なっています。

上野恩賜公園の野口英世像前に集まるゆる歴史散歩会の参加者
2023年12月3日、野口英世像前で歴史散歩。黄葉したイチョウに囲まれながら上野公園の見どころを巡りました。

写真では黄葉したイチョウに囲まれた像の周囲に参加者が集まり、解説を聞く様子が写っています。26名での街歩きでしたが、広い公園内を実際に移動しながらスポット同士の位置関係を見ることで、地図や文章だけではつかみにくい上野の広がりを体感できる散歩になりました。

黄金色のイチョウ並木|歴史と季節を一緒に歩く

上野公園の魅力は、史跡や文化施設だけではありません。東京都は公園の主な植物としてイチョウ、クスノキ、ケヤキ、サクラ、ハスなどを挙げています。今回の開催日は12月3日。園内ではイチョウが鮮やかな黄色に染まり、青空との対比が印象的でした。

秋の上野恩賜公園を彩るイチョウ並木
黄金色に染まった上野公園のイチョウ並木。12月初旬ならではの景観も今回の散歩の見どころでした。

春の桜で知られる上野ですが、晩秋から初冬にかけては黄葉・紅葉が歴史的建造物や銅像の背景になります。同じ史跡でも季節によって見え方が変わるのは、屋外の歴史散歩ならではの面白さです。

上野大仏とパゴダ|災害の歴史を伝える大仏山

続いて大仏山へ向かいました。東京都の公式案内によると、上野大仏は1631年に堀直寄ほりなおよりによって寄進され、その後たび重なる地震や火災を経験しました。現在は大仏のご尊顔が保存され、大仏再建の願いを込めた仏塔「パゴダ」も建てられています。

紅葉に囲まれた上野大仏のパゴダへ向かう参加者
上野大仏のある大仏山へ。現在は大仏の顔と、再建を願って建立されたパゴダが残ります。

写真は紅葉の中、大仏山の階段を上る参加者の様子です。上野公園を「近代的な都市公園」としてだけ見ると見落としやすい場所ですが、この一帯がかつて寛永寺の広大な寺域だったことを考えると、上野大仏や清水観音堂、旧寛永寺五重塔などが公園内に点在している理由が分かりやすくなります。

西郷隆盛像|上野の近代史を象徴するランドマーク

上野公園の象徴として親しまれているのが西郷隆盛さいごうたかもり像です。東京都によると、像の作者は高村光雲たかむらこううんで、1898年12月18日に除幕式が行われました。連れている犬は「ツン」で、犬の部分は後藤貞行ごとうさだゆきが制作しています。

上野恩賜公園の西郷隆盛像と黄葉したイチョウ
上野公園を代表する西郷隆盛像。高村光雲作で、1898年に除幕されました。

西郷は戊辰戦争期、勝海舟との会談を通じて江戸城無血開城に関わった人物です。一方、その直後の1868年には上野で旧幕府側の彰義隊と新政府軍が戦い、寛永寺の主要建物の多くが焼失しました。西郷像を眺めるとき、すぐ近くの上野の山そのものが幕末維新の戦場だったことを重ねると、銅像の立つ場所にも歴史的な奥行きが生まれます。

清水観音堂|京都の清水寺にならった寛永寺の名残

清水観音堂きよみずかんのんどうは1631年、京都の清水寺にならって建立されたお堂です。清水観音堂公式によると、1694年に現在地へ移築され、上野の山に現存する創建年代が明確な建造物として最古で、国の重要文化財に指定されています。

上野恩賜公園の清水観音堂
寛永寺の清水観音堂。京都の清水寺にならって1631年に建立され、現在の建物は国指定重要文化財です。

寛永寺を開いた天海てんかいは、上野の山に京都や比叡山を意識した宗教空間を形づくりました。清水観音堂を京都の清水寺にならって建てたことも、その構想を現在に伝える分かりやすい例です。いまは博物館や美術館が並ぶ上野公園ですが、江戸時代の建物を実際に見ることで、近代以前の上野の姿を想像しやすくなります。

紅葉散歩で見えてきた「寺院・戦場・公園」の三層

今回の散歩で大きな軸になったのは、上野の山が一つの時代だけでできている場所ではないことです。江戸時代には寛永寺の広大な境内が広がり、1868年の上野戦争で景観が大きく変化し、1873年には公園制度のもとで近代的な公園へ歩み始めました。その後、博物館、動物園、美術館などが集まり、現在の文化拠点へ発展しています。

上野公園の成立から上野戦争、博物館の森への変化をさらに詳しく知りたい方は、上野公園まるわかりガイド|寛永寺・上野戦争・博物館の森を歩いて学ぶ歴史散歩もあわせてご覧ください。公園の外周まで含めて歩くなら、上野公園の外周を歩く歴史散歩も参考になります。

TimeWalkで上野の史跡を自分のペースで探す

今回のような街歩きを自分でも楽しみたい方は、TimeWalkを使うと、現在地や指定地点の近くにある歴史スポットを地図で探せます。現在地から歩ける史跡を地図で探すことで、上野公園から上野桜木・谷中方面へも歴史散歩を広げられます。

開催レポートまとめ

26名で巡った12月の上野公園は、黄金色のイチョウや紅葉の中に、江戸の寛永寺、幕末の上野戦争、明治以降の近代公園という異なる時代の痕跡が重なる散歩になりました。銅像やお堂を単独の名所として見るだけでなく、「なぜこの場所にあるのか」をたどると、上野公園全体が一つの大きな歴史資料のように見えてきます。

参考資料(開催レポート追補)


上野公園と徳川将軍家|寛永寺に眠る6将軍と霊廟遺構

上野公園は、江戸時代には東叡山とうえいざん寛永寺の広大な境内でした。現在の公園、東京国立博物館、上野動物園、不忍池周辺に、徳川将軍家の祈りと葬送を担った大寺院の痕跡が点在しています。

寛永寺には、4代徳川家綱、5代徳川綱吉、8代徳川吉宗、10代徳川家治、11代徳川家斉、13代徳川家定の6人の将軍が葬られています。将軍霊廟の大半は1945年の空襲で失われましたが、家綱・綱吉の霊廟勅額門や水盤舎、奥院の宝塔などが残り、江戸の上野が徳川将軍家の重要な宗教空間だったことを伝えています。

上野公園全体の成立、上野戦争、公園化、博物館・動物園の歴史まで通して知りたい方は、上野公園まるわかりガイド|寛永寺・上野戦争・博物館の森を歩いて学ぶ歴史散歩もあわせてご覧ください。

江戸時代の上野・寛永寺周辺を示す図
江戸時代の上野・寛永寺周辺を示す図。現在の上野公園を中心に広大な寺域が広がっていました。

なぜ上野に寛永寺が建てられたのか

寛永寺は1625年、天海てんかいによって創建されました。寛永寺公式では、徳川幕府の安泰と万民の平安を祈るため、江戸城の鬼門にあたる北東の上野台地に建立されたと説明されています。山号の「東叡山」は「東の比叡山」を意味し、比叡山延暦寺になぞらえた寺院でした。

創建当初の寛永寺は将軍家の祈祷寺でした。転機は1680年です。4代将軍徳川家綱が寛永寺に葬られ、翌1681年に霊廟が造営されると、寛永寺は徳川将軍家の菩提寺も兼ねるようになりました。さらに皇室から山主を迎える輪王寺宮の存在も加わり、江戸時代の寛永寺は高い格式を持つ大寺院へ発展しました。

江戸にはもう一つ、芝の増上寺という徳川家の大きな菩提寺がありました。寛永寺と増上寺にそれぞれ6人の将軍が葬られ、初代家康と3代家光は日光、15代慶喜は谷中霊園に墓所があります。芝側の霊廟と現存遺構は、増上寺の見どころと歴史|徳川将軍家墓所・三解脱門・境内の史跡を歩くで詳しく紹介しています。

寛永寺に眠る6人の徳川将軍

寛永寺に墓所がある将軍は、4代家綱、5代綱吉、8代吉宗、10代家治、11代家斉、13代家定の6人です。将軍ごとに独立した壮麗な霊廟が造営された時代もありましたが、維新後の撤去や1945年の空襲を経て、現在残る建築は限られています。

代将軍寛永寺との関係・時代
4代徳川家綱1680年に寛永寺へ葬られ、翌年に厳有院霊廟が造営されました。寛永寺が将軍家の菩提寺を兼ねる契機となった将軍です。
5代徳川綱吉1698年に根本中堂を建立。1709年に寛永寺へ葬られ、常憲院霊廟が造営されました。
8代徳川吉宗享保の改革を進めた将軍。1751年に寛永寺へ葬られました。
10代徳川家治田沼意次が幕政の中心を担った時代の将軍。1786年に寛永寺へ葬られました。
11代徳川家斉長期政権を築いた将軍。1841年に寛永寺へ葬られました。
13代徳川家定ペリー来航後の幕末政局を担った将軍。1858年に没し、寛永寺に墓所があります。
徳川将軍家の系図
徳川将軍家の系図。寛永寺には歴代15人のうち6人の将軍が葬られています。

家綱・綱吉の霊廟に残る重要文化財

現存する将軍霊廟遺構の中心が、4代家綱の厳有院げんゆういん霊廟と、5代綱吉の常憲院じょうけんいん霊廟です。台東区の文化財一覧では、厳有院霊廟の勅額門・水盤舎・奥院、常憲院霊廟の勅額門・水盤舎・奥院が国の重要文化財として挙げられています。

勅額門ちょくがくもんは天皇から賜った額を掲げる門です。文化庁の国指定文化財等データベースによると、厳有院霊廟勅額門は1681年、常憲院霊廟勅額門は1709年の建築で、いずれも四脚門、切妻造、前後軒唐破風付、銅瓦葺という格式の高い形式を取ります。厳有院霊廟の水盤舎は1699年、常憲院霊廟の水盤舎は1709年の建築です。

霊廟建築群は1945年の空襲で大部分を焼失しましたが、勅額門、水盤舎、奥院の宝塔などは被害を免れました。現在の位牌所は1963年に再建されています。霊廟内部は通常非公開ですが、台東区の案内では家綱・綱吉の勅額門を道路側から見学できます。

徳川15代将軍の墓所一覧

将軍の墓所を一覧にすると、寛永寺と増上寺が徳川将軍家の二大菩提寺として機能していたことがよく分かります。

代将軍墓所
初代徳川家康日光東照宮
2代徳川秀忠増上寺
3代徳川家光日光山輪王寺
4代徳川家綱寛永寺
5代徳川綱吉寛永寺
6代徳川家宣増上寺
7代徳川家継増上寺
8代徳川吉宗寛永寺
9代徳川家重増上寺
10代徳川家治寛永寺
11代徳川家斉寛永寺
12代徳川家慶増上寺
13代徳川家定寛永寺
14代徳川家茂増上寺
15代徳川慶喜谷中霊園

寛永寺6人、増上寺6人、日光2人、谷中霊園1人という配置です。15代慶喜は寛永寺で謹慎した経歴を持ちますが、墓所は谷中霊園にあります。

上野公園は巨大な寛永寺の境内だった

江戸時代の寛永寺は、現在の上野桜木にある根本中堂周辺から上野公園一帯へ広がり、多数の堂宇と子院が並ぶ巨大な寺院空間でした。現在の噴水広場付近には根本中堂、東京国立博物館の敷地付近には本坊がありました。

上野の山には京都や比叡山を意識した堂宇が配置されました。清水観音堂は京都の清水寺にならい、不忍池弁天堂は不忍池の中島に建ち、旧寛永寺五重塔、上野大仏、開山堂なども寺域を構成しました。上野公園を歩くと、博物館や動物園の間に江戸時代の寺院景観が断片的に残っています。

旧寺域を公園の外側まで含めて歩くなら、上野公園の外周を歩く歴史散歩も参考になります。

上野戦争と公園化で景観は大きく変わった

1868年、旧幕府側の彰義隊しょうぎたいと新政府軍が上野で戦いました。上野戦争で根本中堂、本坊など寛永寺の主要建築の多くが焼失します。江戸時代の巨大寺院はここで大きく姿を変えました。

1873年、太政官布達による公園制度の発足に伴い、上野は公園用地に指定されました。寛永寺公式の沿革では、1879年に川越・喜多院の本地堂を移築して現在の根本中堂が再建されています。旧境内にはその後、博物館、美術館、動物園などが整備され、現在の「文化の森」へ変わっていきました。

上野公園に残る歴史資料

上野の近代化と博物館の成立は、国立科学博物館の見どころと歴史でもたどれます。

現在の上野で徳川将軍家の歴史を見る場所

  • 寛永寺根本中堂:現在の寛永寺本堂。1879年に川越・喜多院の本地堂を移築して再建されました。
  • 徳川家綱・綱吉霊廟勅額門:国指定重要文化財。霊廟内部は通常非公開ですが、勅額門は道路側から見学できます。
  • 旧寛永寺本坊表門:上野戦争の戦火を免れた旧本坊の遺構です。
  • 清水観音堂:江戸時代の寛永寺を伝える国指定重要文化財。現在も上野公園内に残ります。
  • 旧寛永寺五重塔:上野動物園内に残る重要文化財。現在の塔は1639年の再建です。
  • 不忍池弁天堂・上野大仏・開山堂:上野の山に広がった寛永寺の信仰空間をたどる手掛かりです。

上野駅から公園内だけを歩いても多くの史跡を見られますが、寛永寺根本中堂と将軍霊廟は上野桜木側にあります。公園の北側まで足を延ばすと、江戸時代の寺域が現在の公園境界より広かったことを体感しやすくなります。

上野の歴史散歩を広げる

上野公園全体を地形・江戸・幕末・明治まで通して歩くなら、上野公園まるわかりガイドが便利です。公園内で開催した企画は、上野公園で謎解き&宝探し散歩でも紹介しています。

自分のペースで史跡を探したいときは、TimeWalkで現在地や指定地点の近くにある歴史スポットを地図から探せます。現在地から歩ける史跡を地図で探すと、上野公園から上野桜木・谷中方面へ散歩を広げやすくなります。

参考資料