護国寺を歴史散歩|徳川綱吉・桂昌院、重要文化財の本堂と音羽の見どころ

東京メトロ有楽町線・護国寺駅を出ると、正面に大きな仁王門、その奥に元禄期の本堂が構えています。東京都文京区の護国寺は、五代将軍・徳川綱吉とくがわつなよしが生母・桂昌院けいしょういんの願いを受け、天和元年(1681)に創建した真言宗豊山派の大本山です。江戸の祈願寺として始まり、明治以降は近代日本を担った政治家たちの墓所も置かれました。

境内では、国の重要文化財である本堂と月光殿、仁王門、薬師堂、鐘楼などを通して江戸寺院の建築をたどれます。門前から南へ一直線に延びる音羽通りまで視野を広げると、護国寺を中心に育った門前町と、現在の文京区の街路がつながって見えてきます。

護国寺の歴史|1681年、綱吉と桂昌院が創建

護国寺の創建は天和元年(1681)です。五代将軍・徳川綱吉とくがわつなよしが、生母・桂昌院けいしょういんの発願を受け、上野国の大聖護国寺から亮賢僧正を招いて開山としました。幕府の高田薬園だった土地を寺地とし、桂昌院の念持仏である天然琥珀の如意輪観世音菩薩像を本尊として、神齢山悉地院護国寺と号しました。寺領は三百石を与えられています。

翌天和2年(1682)に堂宇が完成し、元禄10年(1697)には現在の観音堂(本堂)が造営されました。護国寺は将軍家の祈願寺として発展します。明治16年(1883)と大正15年(1926)の火災で多くの堂宇を失いましたが、本堂は元禄期の姿を伝え、関東大震災と戦災もくぐり抜けました。

江戸から近代へ大きく変化した東京で、17世紀末の大規模寺院建築が現在まで残ることが護国寺の大きな価値です。

本堂|元禄10年建立の国指定重要文化財

境内の中心となる観音堂(本堂)は元禄10年(1697)の建立です。文化庁の国指定文化財等データベースでは、桁行七間・梁間七間、入母屋造、向拝三間の建物として登録され、昭和6年(1931)に重要文化財に指定されています。

正面から見ると、幅の広い屋根と深い軒、大きな木組みがつくる量感が目を引きます。近づくと柱や組物の密度がよく分かり、元禄期の大寺院らしい雄大さを実感できます。護国寺を散策するなら、まず本堂を正面から見たあと、側面へ回って建物の奥行きと屋根の構成を見ると立体感をつかみやすくなります。

月光殿|桃山時代の客殿が護国寺に残る

月光殿は、本堂と並ぶ国指定重要文化財です。文化庁の登録名称は「護国寺月光殿(旧日光院客殿)」。桃山時代の建築で、昭和6年(1931)に重要文化財へ指定されました。護国寺公式では、近江三井寺から移築された建物として紹介されています。

元禄期の大きな本堂と、より古い桃山時代の客殿が同じ境内にあるため、時代の異なる木造建築を一度に見比べられます。内部公開や立入範囲は時期によって異なるため、見学時は寺の案内で公開状況を確認すると分かりやすいです。

仁王門・薬師堂・鐘楼・惣門|境内で見る江戸の建築

本堂の周囲にも、江戸期の建築が点在しています。仁王門は八脚門・切妻造の丹塗りの門で、正面に金剛力士像、背面に増長天と広目天を安置します。本堂造営の元禄10年(1697)より少し後の建立と考えられています。

薬師堂は元禄4年(1691)の建立です。もとは一切経堂として建てられ、のちに現在地へ移築されて薬師堂となりました。花頭窓など禅宗様の意匠が見どころです。鐘楼は袴腰付の重層入母屋造で、江戸時代中期の建築。内部の梵鐘は天和2年(1682)の寄進で、銘文には桂昌院による観音堂建立の事情が記されています。

本坊へ通じる惣門は、寺院の門というより大名屋敷の表門に近い形式です。将軍と桂昌院の御成りに対応した格式を伝え、護国寺が幕府と強く結びついた寺だったことを建築そのものが物語ります。

音羽通り|護国寺の門前町が現在の街路に残る

護国寺の歴史は、仁王門の外に続く音羽の街にも刻まれています。仁王門から南へ伸びる音羽通りは、江戸時代に護国寺の門前町として発展した地域の軸です。文京区の資料にも、音羽通りが護国寺の門前町として栄えたことが記されています。

現在も音羽通りは護国寺から江戸川橋方面へほぼ一直線に延び、寺の山門が通りの正面に見えます。嘉永6年(1853)の江戸切絵図でも、護国寺から門前へ延びる道と町人地を確認できます。江戸の参詣路が、現代の幹線道路の骨格として残った場所です。

古地図と現在の街を重ねて歩くなら、「音羽絵図を徹底解説|護国寺・音羽通り・目白台を古地図で読む」で、護国寺と音羽通りの位置関係を詳しく紹介しています。

明治以降の墓所|三条実美・山県有朋・大隈重信らが眠る

明治維新後、護国寺は徳川将軍家との関係を離れ、一般の墓所が造成されました。文京区は、三条実美さんじょうさねとみ、山県有朋やまがたありとも、田中光顕たなかみつあき、大隈重信おおくましげのぶらの墓があることを案内しています。

三条実美墓は東京都指定旧跡です。三条は幕末の尊王攘夷運動から明治新政府の成立に関わり、太政大臣を務めました。山県有朋は長州出身の軍人・政治家で、内閣総理大臣を2度務めています。大隈重信は佐賀出身の政治家で、首相を務め、早稲田大学の前身となる東京専門学校を創設しました。

江戸幕府の祈願寺として始まった護国寺に、明治国家の中枢を担った人物たちの墓が置かれたことで、境内には江戸政治と近代政治の記憶が重なっています。人物名を追うだけでなく、寺の役割が時代とともに変わった流れを意識すると、墓所の意味がつかみやすくなります。

護国寺散策のモデルコース

  1. 東京メトロ有楽町線「護国寺」駅
  2. 仁王門
  3. 本堂(観音堂)
  4. 薬師堂・鐘楼
  5. 月光殿周辺
  6. 墓所
  7. 仁王門へ戻り、音羽通りを江戸川橋方向へ

境内だけでも江戸寺院の建築と近代の墓所をたどれます。さらに音羽通りへ出ると、門前町の歴史と谷地の地形まで散歩のテーマが広がります。護国寺周辺の地形を川跡から見るなら、水窪川跡を池袋東口から護国寺・音羽へたどる歴史散歩と、弦巻川跡を池袋・雑司が谷から護国寺へたどる歴史散歩がつながります。

アクセス

  • 所在地:東京都文京区大塚5丁目40番1号
  • 最寄り駅:東京メトロ有楽町線「護国寺」駅から徒歩1分
  • 都バス:「護国寺正門前」から徒歩1分

境内の行事や公開範囲は時期によって変わるため、訪問前の最新情報は大本山 護国寺の公式サイトで確認できます。

TimeWalkで護国寺周辺を歩く

護国寺から音羽・雑司が谷方面へ歩くなら、現在地や指定地点の近くにある歴史スポットを地図で探せるWebアプリ「TimeWalk」も使えます。護国寺周辺では、弦巻川の暗渠をたどるコースが音羽・江戸川橋へ続いています。

TimeWalkで弦巻川暗渠コースを見る
現在地から歩ける史跡を地図で探す

参考資料

まとめ

護国寺では、元禄10年の本堂、桃山時代の月光殿、幕府との関係を伝える門や鐘楼、明治以降の墓所が一つの境内に重なっています。仁王門の外へ出れば、音羽通りに江戸の門前町の骨格が続きます。寺院建築、徳川将軍家、近代政治、古地図、東京の地形を短い散歩の中でつなげられる場所です。