歌舞伎町の歴史|戦後復興から新宿コマ劇場、ゴジラ、東急歌舞伎町タワーまで

東急歌舞伎町タワーのテラスから夜景を楽しむ参加者

2024年7月10日開催レポート|眠らない街「歌舞伎町」の過去・現在・未来

2024年7月10日19時から、13名で「眠らない街『歌舞伎町』の過去~現在~未来。歌舞伎町タワーにも行きます♪」を開催しました。今回のテーマは、戦後復興から劇場街として発展した歌舞伎町を歩き、現在のまちづくりや東急歌舞伎町タワーまでを同じ街の歴史として見ていくこと。夜の繁華街を歩きながら、街路・広場・娯楽施設が時代ごとにどう更新されてきたのかを確かめました。

東急歌舞伎町タワー館内から新宿の夜景を眺める参加者
2024年7月10日の開催レポート。東急歌舞伎町タワーから夜の新宿を眺め、歌舞伎町の現在を体感しました。

今回のコース概要

歌舞伎町の街中で、戦後の劇場街の骨格を伝えるシネシティ広場周辺や現在の繁華街を見たあと、東急歌舞伎町タワーへ向かいました。正確な歩行距離・所要時間は記録がないため掲載していません。見どころは、戦後に計画された「劇場の街」が現在の広場や大型エンターテインメント施設へどうつながっているか、そして高層階から東西で表情の異なる新宿を見比べられる点です。

戦後復興から生まれた「歌舞伎町」という街

現在の歌舞伎町は、戦災後の新宿で進められた復興と深く結びついています。もともと現在の歌舞伎町一丁目の多くは角筈つのはずと呼ばれた地域に含まれ、戦後の区画整理のなかで劇場や映画館などを集める構想が進みました。「歌舞伎町」という町名も、歌舞伎の演舞場を中心とした娯楽街をつくる構想に由来します。歌舞伎劇場そのものは実現しませんでしたが、1950年代には新宿コマ劇場や新宿東急文化会館などが開業し、「劇場の街」という性格が具体的な都市空間になっていきました。

今回の散歩では、こうした歴史を年表だけで追うのではなく、現在の道路や広場、大型施設の配置と重ねて見ました。街の中心に人が集まる空間を置き、その周囲に娯楽施設を集積させる考え方は、施設が建て替わった現在にも読み取れます。

シネシティ広場で見た、道路・広場を使う現在の歌舞伎町

歌舞伎町シネシティ広場のKabukicho Street Live公認ストリートライブ実証実験案内
シネシティ広場では「Kabukicho Street Live」の公認ストリートライブ実証実験が行われていました。

シネシティ広場では、写真のとおり「Kabukicho Street Live」の公認ストリートライブ実証実験が実施されていました。戦後の復興計画で娯楽街の中心として構想された「広場」が、現代では音楽やイベントなど街の文化を発信する空間として使われていることが分かる場面でした。建物だけでなく、広場そのものの使われ方を見ると、歌舞伎町が「鑑賞する場所」から、街なかで文化に触れる場所へ機能を広げていることが見えてきます。

旧ミラノ座の記憶を引き継ぐ東急歌舞伎町タワー

東急歌舞伎町タワーの高層外観を見上げた夜景
旧新宿TOKYU MILANO跡地を中心に開発され、2023年に開業した東急歌舞伎町タワー。

散歩の後半は東急歌舞伎町タワーへ。公式資料によると、建物は地上48階・地下5階、高さ約225メートルで、2023年4月14日に開業しました。ホテル、劇場、映画館、店舗などを備える複合施設です。ここで大切なのは、新しい超高層ビルが突然現れたわけではないことです。この場所では1950年の東京産業文化博覧会を経て、1956年に新宿東急文化会館が開業し、映画館「ミラノ座」などが長く歌舞伎町の娯楽文化を支えました。新宿TOKYU MILANOは2014年末に閉館し、その跡地を中心とする再開発が現在のタワーへつながっています。

つまり、東急歌舞伎町タワーは「歌舞伎町の未来」を象徴する建物であると同時に、戦後から続く映画・舞台・娯楽の系譜を受け継ぐ場所でもあります。公式サイトでも、歌舞伎町の歴史・文化・出来事・記憶・人の営みを施設の文化発信につなげる考え方が示されています。

テラスと高層階から、新宿の都市史を立体的に見る

東急歌舞伎町タワーのテラスから夜景を楽しむ参加者
東急歌舞伎町タワーのテラスで新宿の夜景を見学。地上の歌舞伎町とは違う視点から街を観察しました。

タワーではテラスにも出て、夜景を眺めました。地上では看板や店舗、細い街路が視界を埋める歌舞伎町ですが、高い場所から見ると新宿の都市構造を別の角度から捉えられます。13名で夜景を囲みながら、歩いてきた繁華街を上から見直せたことも、夜開催ならではの楽しさでした。

東急歌舞伎町タワーから望む西新宿の超高層ビル群の夜景
東急歌舞伎町タワーから見た西新宿の夜景。歌舞伎町側から超高層ビル群を一望しました。

とくに印象的なのが西新宿の超高層ビル群です。現在の西新宿には、かつて淀橋よどばし浄水場があり、1965年まで稼働していました。その跡地で副都心開発が進み、超高層ビル街が形成されました。歌舞伎町側の戦後娯楽街と、西新宿側の浄水場跡地から生まれた超高層業務地区。成立の経緯が異なる二つの新宿を一枚の夜景として見られるのが、この眺望の面白さです。

西新宿の成り立ちは、「西新宿の高層ビル群はなぜ生まれた?淀橋浄水場と新宿副都心の歴史」で詳しく紹介しています。新宿駅周辺を地下から読み解くなら、「新宿駅の地下ダンジョン完全ガイド」もあわせてどうぞ。

歩いて分かった、歌舞伎町の「過去・現在・未来」

今回の街歩きでは、戦後復興で構想された劇場街、昭和の映画・劇場文化、シネシティ広場の現在の使われ方、そして東急歌舞伎町タワーまでを一続きに見ました。施設は入れ替わっても、「人を集め、娯楽や文化を発信する街」という歌舞伎町の骨格は形を変えながら続いています。夜の街を実際に歩き、最後に高い場所から新宿全体を見渡すことで、地上で見た歴史を立体的に振り返る開催となりました。

周辺をさらに歩いてみたい方は、「西新宿、北新宿、大久保をブラタモリ風にナイトウォーク」も参考になります。また、TimeWalkで現在地から歩ける史跡を地図で探すと、現在地や指定地点の近くにある歴史スポットを地図から探し、自分のペースで歴史散歩を楽しめます。

開催レポート参考資料


以下は、歌舞伎町の歴史をより詳しく知りたい方向けの解説です。

新宿駅東口の北側に広がる歌舞伎町は、映画館、劇場、ホテル、飲食店が密集する東京を代表する繁華街です。現在の街路の骨格は戦後復興でつくられ、町名の「歌舞伎」は、実際に歌舞伎劇場を中心とした娯楽街をつくる計画から生まれました。劇場そのものは実現しませんでしたが、その後、新宿コマ劇場やミラノ座が集客の核となり、現在は新宿東宝ビルと東急歌舞伎町タワーがその役割を受け継いでいます。

歌舞伎町の街並み

歌舞伎町は、戦後の都市計画、昭和の劇場文化、2000年代の再生事業、2020年代の大型開発が同じ街区に重なっています。歩くときは建物に加え、シネシティ広場、セントラルロード、歌舞伎町一番街のアーチ、ゴールデン街、四季の路まで見ると、街がどのように更新されてきたのかがつながります。

歌舞伎町になる前の土地

現在の歌舞伎町一帯は、明治時代には旧大村藩主の別邸が置かれ、大正時代には府立第五高等女学校が建てられました。新宿区の景観資料にも、現在の繁華街とは大きく異なる土地利用が記録されています。

1945年の空襲で一帯は大きな被害を受けました。終戦から間もない同年9月、角筈一丁目北町会を母体に復興協力会が設立され、当時の町会長・鈴木喜兵衛すずき きへえを中心に道路、上下水道、電気、防火施設まで含む街の再建が進められます。東京都の都市計画を担った石川栄耀いしかわ ひであきも計画に関わり、広場を中心に芸能施設を配置する新しい繁華街が構想されました。

なぜ「歌舞伎町」という名前になったのか

町名が「歌舞伎町」となったのは1948年です。戦災復興土地区画整理のなかで、歌舞伎の演舞場を中心に映画館や劇場などの芸能施設を集める構想があり、その計画を町名に残しました。

歌舞伎劇場の誘致は実現しませんでした。それでも、広場と劇場街を組み合わせた都市計画は街の骨格として残ります。現在のシネシティ広場周辺に大きな娯楽施設が集まり、その周囲を飲食店や商業施設が囲む構造には、戦後復興期の発想が受け継がれています。

歌舞伎町の街路と建物

新宿コマ劇場とミラノ座がつくった「劇場の街」

1950年には東京産業文化博覧会が開かれ、会場施設の一部がその後の興行街の基盤になりました。1956年には新宿コマ劇場が開場し、同じ年に新宿東急文化会館も開業します。映画館「ミラノ座」やスケートリンクを備えた東急側の施設と新宿コマ劇場が、歌舞伎町の集客を支える二つの大きな核になりました。

新宿コマ劇場は演歌、歌謡曲、ミュージカルなど幅広い公演で知られ、2008年に閉場しました。その跡地には2015年、新宿東宝ビルが開業。TOHOシネマズ新宿とホテルグレイスリー新宿が入り、8階テラス付近には巨大なゴジラヘッドが設置されました。高さ約12メートルのゴジラヘッドは、現在の歌舞伎町を代表する景観の一つです。

新宿東宝ビルと歌舞伎町の街並み

一方、新宿TOKYU MILANOは2014年末に閉館しました。その跡地を中心に再開発されたのが、2023年4月開業の東急歌舞伎町タワーです。館内には映画館、劇場、ライブホール、ホテル、飲食施設が入り、6~8階のTHEATER MILANO-Zaは「ミラノ」の名を継承しています。昭和の劇場街が、映画・舞台・音楽・宿泊を組み合わせた複合型のエンターテインメント拠点へ変わった場所です。

歌舞伎町一番街とセントラルロード

靖国通り側から歌舞伎町へ入ると、赤い「歌舞伎町一番街」のアーチが目に入ります。一番街では1951年に東京スケートリンクが開館し、貸しスケート靴店、喫茶店、飲食店が増えて若者が集まる街へ変化しました。入口アーチは1969年から設置され、改修を重ねながら現在も歌舞伎町の象徴になっています。

歌舞伎町一番街周辺の夜景

一番街の西側を進むセントラルロードは、新宿東宝ビルのゴジラヘッドを正面に望むため「ゴジラロード」とも呼ばれます。新宿東宝ビルの開業後、シネシティ広場とともに再整備され、戦後に計画された劇場街の中心軸が現代的な歩行空間へ更新されました。

ゴールデン街と四季の路に残る戦後新宿

歌舞伎町の南東部には新宿ゴールデン街があります。戦後の露店整理を背景に形成され、1950年代には小規模な飲食店が密集する地区となりました。1960年代後半から「ゴールデン街」の呼称が広がり、1970年代には作家、映画人、演劇人など文化人が通う場所として知られるようになります。現在も木造の小さな店舗が連なる独特の景観が残っています。

ゴールデン街の西側に沿う新宿遊歩道公園「四季の路」は、かつて都電13系統の専用軌道でした。都電は1970年に廃止され、軌道敷を新宿区が整備して1974年に遊歩道公園として開園しました。全長約260メートルの細長い緑道を歩くと、繁華街のすぐ脇に鉄道の痕跡が残っていることが分かります。

2000年代の「歌舞伎町ルネッサンス」

歌舞伎町は1970年代以降、性風俗店や反社会的勢力の進出などを背景に、治安面の課題が強く意識される時期を迎えました。2002年には歌舞伎町商店街振興組合が安全・安心の街を目指す宣言を行い、2005年には地元、行政、警察、有識者などで「歌舞伎町ルネッサンス推進協議会」が設立されます。

新宿区は2007年に「歌舞伎町まちづくり誘導方針」を策定し、「エンターテイメントシティ歌舞伎町」をまちづくりの方向として掲げました。その後、新宿東宝ビルの開業、シネシティ広場とセントラルロードの整備、東急歌舞伎町タワーの開業へと更新が続いています。安全対策と同時に、道路や広場をイベントに使う仕組みを整え、街そのものをエンターテインメント空間として活用する方向へ進みました。

東急歌舞伎町タワーで見る現在の歌舞伎町

東急歌舞伎町タワーは、現在の歌舞伎町がどこへ向かっているかを最も分かりやすく見せる施設です。地下から地上にライブホール、映画館、劇場、飲食、ホテルを重ね、かつてのミラノ座が担った「映画を見る場所」から、鑑賞、滞在、食事を一体化した目的地へ役割を広げています。

17階のJAM17にはダイニング、バー、テラスがあり、西新宿方面の高層ビル群を眺められます。歌舞伎町の地上の密集した街路と、西新宿の超高層都市を同時に見渡せるため、新宿が東西で異なる都市形成をたどったことも実感しやすい場所です。

西新宿の高層ビル街が生まれた背景は、「西新宿の高層ビル群はなぜ生まれた?淀橋浄水場と新宿副都心の歴史」で詳しく紹介しています。新宿駅周辺の都市改造を立体的に見たい場合は、「新宿駅の地下ダンジョン完全ガイド」もあわせて読むと、歌舞伎町と駅周辺のつながりが分かります。

歌舞伎町の「未来」は街区全体の更新へ

2026年現在、新宿区は歌舞伎町でエリアマネジメントの検討を進めています。将来像では、劇場街、シネシティ広場、ゴールデン街、新宿区役所、風林会館周辺などを「核」とし、西武新宿駅前通り、一番街・セントラルロード、大久保公園、区役所通り、花道通りなどを歩行者の回遊軸として結ぶ考え方が示されています。

ゴールデン街では、木造建築と狭い路地がつくる景観を残しながら防災性を高めるまちづくりが進んでいます。昭和の路地空間、戦後復興でできた広場、現代の大型エンターテインメント施設を共存させながら街を更新していくことが、これからの歌舞伎町の大きなテーマです。

現地で見たい7つの場所

  1. 歌舞伎町一番街アーチ:1969年から続く繁華街の入口。戦後の若者文化が広がった一番街の象徴です。
  2. セントラルロード:新宿東宝ビルのゴジラヘッドを正面に見る、現在の歌舞伎町の代表的な軸です。
  3. 新宿東宝ビル:新宿コマ劇場跡地。映画館、ホテル、ゴジラヘッドが昭和の劇場街を現在につないでいます。
  4. シネシティ広場:戦後復興で計画された「広場」の考え方を現在まで受け継ぐ街の中心です。
  5. 東急歌舞伎町タワー:旧新宿TOKYU MILANO跡地を中心に開発された、映画・劇場・音楽・ホテルの複合施設です。
  6. 新宿ゴールデン街:戦後新宿の小規模店舗と路地の景観が濃く残る地区です。
  7. 四季の路:都電13系統の専用軌道跡を歩ける遊歩道です。

周辺まで広げるなら、「西新宿、北新宿、大久保をブラタモリ風にナイトウォーク」も歩き方の参考になります。

TimeWalkで歌舞伎町周辺の歴史スポットを探す

歌舞伎町を自分のペースで歩くなら、TimeWalkで現在地から歩ける史跡を地図で探すこともできます。現在地や指定地点の近くにある歴史スポットを地図で探し、自分で歴史散歩を楽しめるWebアプリです。

参考資料・公式情報

歌舞伎町は、1945年の焼け跡から計画された「劇場の街」という骨格を残しながら、時代ごとに集客の核を入れ替えてきました。新宿コマ劇場とミラノ座、新宿東宝ビル、東急歌舞伎町タワーを一本の流れで見ると、歓楽街という一語では見えにくい都市計画と娯楽文化の歴史が現地の景観から読み取れます。

この記事を書いた人
ゆる歴史散歩会 運営者
なかまつ

北海道大学工学部卒。現在はIT系会社員の傍ら、年間400回以上の街歩きイベントを企画し、これまで延べ25,000名以上の方にご参加いただいている、ゆる歴史散歩サークルを運営しています。東京の歴史・文化・建築・地形などを、初心者でも気軽に楽しめるイベントとして企画しています。

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