2023年12月30日15時、11人で「歴史が色濃く残る町、水戸街道の『松戸宿』を散策します♪」を開催しました。松戸駅を出発し、松戸中央公園、戸定が丘歴史公園、鮮魚街道、小山樋門、旧松戸宿本陣跡などを巡りました。この記事では、まず当日の流れを写真でたどり、その後に松戸宿・旧陸軍工兵学校・旧徳川昭武邸・鮮魚街道の歴史をまとめて解説します。
開催レポート|松戸駅から松戸宿の歴史をたどる
松戸駅に集合して出発。冬の午後、駅前の市街地から高台へ歩き始めました。今回のコースは、江戸の宿場と舟運、明治の徳川家、近代土木、旧陸軍施設という異なる時代の痕跡が徒歩圏内に重なるのが特徴です。

最初に向かったのは松戸中央公園です。公園には旧陸軍工兵学校の正門門柱と歩哨哨舎が残っており、現在の公園風景の中で近代の軍事教育施設の痕跡を見ることができます。


続いて戸定が丘歴史公園へ進み、旧徳川昭武邸と旧徳川昭武庭園(戸定邸庭園)へ向かいました。

その後、鮮魚街道の跨線橋へ。現在の鉄道を越える場所から線路と町並みを眺めながら、鉄道以前に魚を急いで運んだ道の存在を重ね合わせました。


高台から低地へ下った後は、坂川沿いの小山樋門で明治期の煉瓦土木を見ました。

途中では近くを散歩していた柴犬にも出会いました。史跡を追うだけでなく、こうした町の日常に触れられるのも街歩きならではです。

後半は旧水戸街道の松戸宿へ。松戸宿河津桜通りを歩き、旧本陣跡では案内碑を囲んで、かつて宿場の中心に置かれていた施設の位置をたどりました。冬の午後から夕方へ移る町を11人で歩き、現在の風景と歴史上の交通・都市機能を重ねていく散歩になりました。


松戸宿|水戸街道と江戸川舟運が交わった宿場町
松戸宿は、日本橋から水戸城下へ向かう水戸道中の2番目の宿です。水戸道中は千住宿で日光道中から分かれ、新宿を経て江戸川を渡り、松戸、小金へと北上しました。松戸市デジタルミュージアムによると、街道沿いには317棟の建物が連なり、旅籠28軒、食物屋33軒がありました。1851年には468戸、人口2,224人に達し、毎月4と9のつく日には市が立ちました。
宿場の中心だった宮前町には本陣、脇本陣、問屋場が置かれました。問屋場には公用輸送のため人足25人と馬25匹が用意され、旅人や荷物を次の宿へ継ぎ送りました。幕府は1616年に松戸を定船場の一つとし、江戸川対岸の金町側には金町松戸関所を置きました。松戸宿は街道だけで完結した町ではなく、渡船と河岸を通じて水運とも結ばれていたのです。

旧松戸宿本陣は幕末の火災後に再建されましたが、明治維新で本陣としての役割を終えました。建物は個人宅として残ったものの、老朽化のため2004年に取り壊され、現在は跡地を示す碑が立っています。現在の街路だけでは宿場の輪郭は薄くなっていますが、本陣・脇本陣・問屋場、渡船場、河岸の位置を重ねると、宿場町の機能が見えてきます。
松戸中央公園と旧帝国陸軍|工兵学校の正門と歩哨哨舎
松戸駅東口から高台へ上がると、現在の松戸中央公園一帯に相模台の近代史が残ります。1905年には松戸競馬場が開かれましたが、1918年に船橋へ移転しました。その跡地に1919年、陸軍工兵学校が開校しました。工兵は架橋や鉄道敷設などの技術を担う兵科で、学校は1945年8月まで置かれました。
1920年に造られた煉瓦造りの正門門柱4基と、警備に使われた歩哨哨舎が現存し、松戸市指定有形文化財となっています。現在は公園として開かれた場所に、かつての施設の入口がそのまま残っているため、土地利用の変化を実物から読み取れます。

近くの松戸市民会館には、松戸市出身の宇宙飛行士・山崎直子さんが2010年にスペースシャトル「ディスカバリー号」へ搭乗したことを記念する碑もあります。相模台から国府台までの地形、国府台合戦、旧陸軍施設を続けて歩くなら、市川・国府台〜松戸の歴史散歩でも詳しく紹介しています。
旧徳川昭武邸|戸定邸と明治の庭園
戸定が丘歴史公園に残る戸定邸は、水戸徳川家第11代当主で水戸藩最後の藩主でもある徳川昭武が1884年に建てた私邸です。昭武は1867年、将軍名代としてパリ万国博覧会へ派遣され、幕末外交の最前線を経験しました。

戸定邸は増築を経て、現在は9棟・23室が廊下で結ばれています。松戸市によれば、明治時代の徳川家の住まいがほぼ完全に残る唯一の建物で、国の重要文化財です。庭園は1884年から本格的に造られ、1890年頃までに全体が整えられました。芝生を中心とし、かつて江戸川や田園、遠く富士山を借景に取り込んだ構成を持ち、国の名勝「旧徳川昭武庭園(戸定邸庭園)」に指定されています。

敷地内の戸定歴史館では、昭武と兄・徳川慶喜の資料、1867年パリ万国博覧会関係資料、松戸徳川家に伝わった品々が展示されます。宿場町の松戸に明治の徳川家の生活空間が残ったことで、幕末から明治への転換を建物と史料の両方からたどれます。
鮮魚街道|銚子の魚を江戸へ急送した道
鮮魚街道は、銚子方面の鮮魚を江戸へ運ぶ物流路です。銚子沖でとれた魚は船で利根川をさかのぼり、布佐河岸で陸揚げされ、馬で松戸河岸まで運ばれました。松戸で再び船に積み替え、行徳を経て日本橋の魚市場へ向かいました。傷みやすい魚を運ぶため、川と陸路を組み合わせて時間を短縮した交通網でした。
松戸には旅客中心の渡船場、物資を扱う納屋河岸、船宿が集まった平潟河岸など、性格の異なる水運拠点がありました。納屋河岸には穀物、野菜、魚、薪、炭なども集まりました。鉄道が整う以前の松戸は、水戸街道と江戸川舟運、鮮魚街道を接続する物流拠点でもあったのです。
散歩で出会う、そのほかの松戸の史跡
小山樋門|江戸川と坂川を結ぶ明治の煉瓦土木
戸定邸から低地へ下り、坂川沿いを進むと1898年完成の小山樋門があります。江戸川の水位が上がった際に坂川へ水が逆流するのを防ぐための施設で、三つの煉瓦アーチを持ちます。「レンガ橋」「眼鏡橋」とも呼ばれ、2016年度には土木学会選奨土木遺産に認定されました。

松龍寺と松戸神社
松龍寺は1613年創建と伝わる浄土宗寺院です。山門は18世紀後半の建築と推定される一間薬医門で、松戸市指定有形文化財です。将軍が小金牧で行った御鹿狩では休息所となり、水戸徳川家の庇護を受けたと伝わります。
坂川沿いの松戸神社では、江戸時代の建築が残ります。本殿は18世紀半ばの手法を示し、拝殿は1855年の安政江戸地震後に再建され、1867年の棟札が残ります。本殿・拝殿・手水舎は2026年3月26日に松戸市指定有形文化財となりました。

千葉周作修行の地
宝光院と善照寺の間には、幕末の剣豪・千葉周作が修行した土地があります。1809年、15歳の周作は一家で松戸宿へ移り、剣術家浅利又七郎の道場で学びました。後に江戸で修行を重ね、北辰一刀流を開きます。父は馬医者として宝光院参道付近で開業し、浦山寿貞と称しました。
今回のコースと関連記事
今回歩いた主な順路は、松戸駅→松戸中央公園(旧陸軍工兵学校正門・歩哨哨舎)→戸定が丘歴史公園(旧徳川昭武庭園・戸定邸)→鮮魚街道の跨線橋→小山樋門→旧水戸街道・松戸宿周辺→旧松戸宿本陣跡→松戸駅です。旧松戸宿をさらに細かく見るなら、問屋場跡、脇本陣跡、御料榜示杭跡、平潟河岸跡なども近い位置にあります。
- 市川・国府台〜松戸の歴史散歩|下総国府・国分寺・国府台合戦・戦跡・戸定邸:相模台、旧陸軍工兵学校、戸定邸を国府台から続く地形と軍事史の流れで紹介しています。
- 団地まるわかりガイド|公団住宅・2DK・スターハウスから見る戦後日本の暮らし:松戸の常盤平団地を含め、戦後の郊外住宅と都市化の背景を解説しています。
TimeWalkで松戸の史跡を探す
今回のような街歩きを自分のペースで楽しみたいときは、TimeWalkも利用できます。現在地や指定地点の近くにある歴史スポットを地図で探し、自分で歴史散歩を楽しめるWebアプリです。現在地から歩ける史跡を地図で探すことで、松戸宿周辺の予習や復習にも使えます。

