東京駅丸の内駅舎は、1914年に開業した東京の玄関口です。設計は日本近代建築を代表する辰野金吾。約335メートルに及ぶ赤レンガ駅舎は、1945年の空襲で3階部分と南北ドームを失い、戦後復興を経て、2012年に創建時の姿へ保存・復原されました。
現在の駅舎には、創建時から残る1・2階の煉瓦躯体、復原された3階とドーム、営業を続けながら施工された免震構造が共存しています。東京駅の歴史をたどると、日本の鉄道網、丸の内の都市形成、戦災復興、文化財保存の歩みが一つにつながります。
東京駅丸の内駅舎の基本データ
- 開業:1914年12月20日
- 着工:1908年3月25日
- 設計:辰野金吾、辰野葛西事務所
- 長さ:南北折曲り延長約335メートル
- 創建時の構造:鉄骨煉瓦造、地上3階建て
- 建築様式:辰野式フリー・クラシック
- 重要文化財指定:2003年
- 保存・復原工事:2007年着工、2012年完成
東京駅の歴史年表
- 1872年:新橋―横浜間に日本初の鉄道が開業
- 1908年:中央停車場の建設工事に着手
- 1914年:東京駅が開業
- 1921年:原敬首相が東京駅で暗殺される
- 1923年:関東大震災。丸の内駅舎は大きな被害を免れる
- 1929年:八重洲口を開設
- 1930年:浜口雄幸首相が東京駅で狙撃される
- 1945年:空襲で屋根、3階部分、南北ドームなどを焼失
- 1947年:2階建ての姿で戦災復興工事が完成
- 1964年:東海道新幹線が開業
- 2003年:丸の内駅舎が国の重要文化財に指定
- 2007年:保存・復原工事に着手
- 2012年:保存・復原工事が完成
- 2017年:丸の内駅前広場が完成
東京駅ができる前――新橋と上野が分断されていた時代
明治時代の東京では、東海道方面の玄関口は新橋駅、東北・北関東方面の玄関口は上野駅でした。南北の鉄道が都心でつながっておらず、人や貨物が両方面を移動するには駅間の連絡が必要でした。
この分断を解消するため、東京の中心に中央駅を置き、南北の鉄道を結ぶ「中央停車場」計画が進められました。東京駅は新しいターミナルを一つ増やす計画ではなく、全国鉄道網を首都の中心で接続する事業として誕生しました。
なぜ東京駅は皇居の正面に建てられたのか
丸の内駅舎は、皇居から東へ伸びる行幸通りの正面に位置します。行幸通り側から東京駅を見ると、赤レンガ駅舎の中央部へ視線が導かれます。鉄道の利便性だけでなく、皇居と向き合う首都の表玄関として計画された配置です。
江戸時代の丸の内には大名屋敷が並んでいました。明治以降、三菱による開発でオフィス街へ変わり、1914年の東京駅開業後は業務地区としてさらに発展しました。東京駅、行幸通り、皇居、丸の内の街区は、鉄道整備と都市計画によって結びついています。
丸の内の街づくりと近代建築を続けて知りたい方は、丸の内エリアの歴史と建築ツアーもあわせてご覧ください。
丸の内口と八重洲口の違い
丸の内口は、赤レンガ駅舎、皇居、行幸通り、丸の内オフィス街へつながる歴史景観の入口です。駅前広場から丸の内駅舎の全景を確認できます。
八重洲口は、新幹線、高速バス、地下街、日本橋・京橋方面へつながる交通と商業の入口です。1929年に開設され、戦後の駅前開発を経て、現代的な東京駅の顔になりました。
丸の内側には保存された歴史建築、八重洲側には高速交通と商業機能が集まり、駅の東西で東京の異なる時代が見えます。
辰野金吾と「辰野式フリー・クラシック」
東京駅丸の内駅舎を設計した辰野金吾は、工部大学校でジョサイア・コンドルに学び、イギリス留学を経て、日本の建築教育と設計の発展を主導しました。代表作には日本銀行本店本館と東京駅丸の内駅舎があります。
丸の内駅舎は、赤い化粧レンガと白い石材を組み合わせ、古典建築の要素を自由に構成した「辰野式フリー・クラシック」の代表例です。長大な壁面を白い帯や窓の反復で分節し、南北ドームと中央部を強調することで、巨大な駅舎に秩序と正面性を与えています。
延長約335メートルの規模、皇居と向き合う配置、赤と白の外観によって、鉄道施設と首都の記念建築という二つの役割を両立させました。
東京駅丸の内駅舎の建築見どころ
赤レンガと覆輪目地
外壁には、赤い化粧レンガと白い花崗岩などが使われています。レンガの目地を中央で盛り上げる覆輪目地は、壁面に陰影を生む仕上げです。保存・復原工事では、創建時の材料と施工方法が調査され、外観の質感が再現されました。
約335メートルの長大な駅舎
丸の内駅舎は中央部から南北へ長く伸びています。中央口だけでなく、南口から北口まで歩くと、駅施設、ホテル、ギャラリーなどを収める建物の規模がわかります。
創建時から残る1・2階と復原された3階
保存・復原工事では、1・2階の既存の構造レンガや化粧レンガなどを保存し、失われた3階部分を鉄筋コンクリートの躯体と化粧レンガで復原しました。外観は一体に見えますが、下層には創建時の材料、上層には現代の構造技術が使われています。
天然スレートの屋根
創建時の屋根には天然スレートが使われていましたが、戦災で失われました。保存・復原工事では、再利用できるスレートを残し、南北ドームや中央部などに国産の天然スレートを用いて屋根を整えています。
南北ドームの八角形空間
丸の内南口と北口のドーム内部は八角形です。八つのコーナーに鷲と干支の装飾が配置され、上部へ視線が集まる構成になっています。
8種類の干支
ドームには十二支のうち8種類が方位に沿って配置されています。八角形の四方に当たる子、卯、午、酉は省かれ、残る八支が見られます。
翼を広げた鷲
ドームの八つのコーナーには、左を向いた鷲が置かれています。両翼を広げた大鷲は約2.1メートルあり、床から見上げる印象以上に大きな装飾です。
東京駅と戦争――失われた3階とドーム
1945年5月25日の空襲で、丸の内駅舎は屋根と内装を焼失し、3階部分と南北ドームも大きな被害を受けました。強固な煉瓦壁は残りましたが、創建時の外観は失われました。
戦後は鉄道機能の早期回復が優先され、1947年に2階建ての駅舎として復興しました。南北ドームの位置には八角形の簡素な屋根が設けられ、この姿が約60年間使われました。
現在の丸いドームと3階部分は、戦災を免れてそのまま残った部分ではなく、2012年の保存・復原工事で戻されたものです。

保存復原工事――「昔風の建物」ではなく根拠に基づく復原
丸の内駅舎の保存・復原工事は2007年に着工し、2012年に完成しました。写真、図面、文献、残存部材、工事中の調査をもとに、3階部分、南北ドーム、屋根、外壁、内部装飾を創建時の姿へ近づけています。
文化財建築で用いる「復原」は、資料や遺構などの根拠に基づいて元の姿を再現することを指します。東京駅では創建時の部材を可能な限り保存し、失われた部分を調査結果に基づいて補いました。
創建時の部材を残す
1・2階の構造レンガ、外壁の化粧レンガ、ドーム天井裏に残っていた石膏装飾の一部などが保存されました。南ドームでは、戦災を受けながら残った創建時の石膏部材の一部が補強され、復原したレリーフへ取り付けられています。
営業中の駅を免震化する
工事では、駅舎を営業させたまま建物を仮受けし、地下に免震層を設けました。アイソレータとオイルダンパーによって地震の揺れを建物へ伝わりにくくする、日本最大規模の免震レトロフィット工事でした。
容積率移転で保存と再開発を両立する
歴史的な駅舎を高層化せずに保存するため、東京駅敷地で使わない容積を周辺の再開発地区へ移す特例容積率適用地区制度が活用されました。駅舎の景観を守りながら、周辺の高層建築と都市更新を進める仕組みです。
容積率移転と丸の内・大手町の再開発を現地で学べる内容は、丸の内関連記事一覧でも紹介しています。
東京駅で起きた二つの首相襲撃事件
原敬暗殺事件
1921年11月4日、首相の原敬は京都へ向かうため東京駅を訪れ、丸の内南口付近で襲撃されて亡くなりました。現在も床面に事件現場を示す印があります。
浜口雄幸狙撃事件
1930年11月14日、浜口雄幸首相は岡山へ向かう途中、東京駅で狙撃されました。浜口は重傷を負い、翌1931年に亡くなりました。
二つの事件は、東京駅が国家の要人も日常的に利用する交通拠点であり、政党政治が緊張を抱えた時代の舞台だったことを伝えています。原敬と近代日本の政党政治については、歴代首相一覧と近代日本史で詳しく解説しています。
新幹線開業で全国鉄道網の中心へ
1964年に東海道新幹線が開業すると、東京駅は高速鉄道の起点になりました。その後、東北、上越、北陸、山形、秋田方面の新幹線も集まり、在来線と全国の高速鉄道を結ぶ拠点へ発展しました。
丸の内側の赤レンガ駅舎と、八重洲側の新幹線・商業施設を見比べると、大正期の中央駅と現代の巨大ターミナルが同じ場所に重なっていることがわかります。
東京駅を現地で見る30分・60分・90分コース
30分――丸の内駅舎の建築を見る
- 行幸通り側から駅舎と皇居を結ぶ軸線を見る
- 丸の内駅前広場で約335メートルの全景を見る
- 南口ドームで干支と鷲を確認する
- 北口ドームと見比べる
60分――戦災と政治史までたどる
- 30分コースを歩く
- 外壁の1・2階と復原された3階を見比べる
- 南口付近で原敬遭難現場の印を確認する
- 駅舎内の東京ステーションギャラリー周辺を見る
90分――丸の内と八重洲を歩き比べる
- 60分コースを歩く
- KITTE周辺から丸の内駅舎を別の角度で見る
- 構内を通って八重洲口へ移動する
- 新幹線改札、商業施設、バスターミナルを確認する
東京駅の周辺まで歩く場合は、大手町の歴史と未来も散策の参考になります。
東京駅についてよくある質問
東京駅はいつ開業しましたか
1914年12月20日に開業しました。工事は1908年に始まり、約6年半をかけて完成しました。
東京駅を設計したのは誰ですか
辰野金吾です。辰野葛西事務所が実施設計をまとめました。
現在の東京駅は創建時の建物ですか
1・2階を中心に創建時の煉瓦躯体や材料が残り、戦災で失われた3階、屋根、南北ドームなどは2012年に復原されました。
なぜ干支は8種類だけですか
ドーム内部が八角形で、八つのコーナーに方位に合わせて干支を配置したためです。子、卯、午、酉を除く八支があります。
東京駅はなぜ重要文化財なのですか
日本の鉄道網の起点となる中央駅であり、明治期の市区改正計画に基づく首都東京の象徴的建築であること、辰野金吾の集大成となる大規模な鉄骨煉瓦造建築であることが評価されています。
TimeWalkで東京の歴史を現地から楽しむ
建築や街の歴史は、現地で位置関係、距離、素材、地形を確かめると理解が深まります。東京駅では、行幸通りと皇居の軸線、丸の内駅舎の長さ、創建部分と復原部分、丸の内と八重洲の違いを歩いて確認できます。
TimeWalkでは、東京の歴史、建築、文化、地形をテーマに、初心者でも参加しやすい街歩きを紹介しています。記事で得た知識を現地の風景と結びつけたい方は、開催内容をご覧ください。
まとめ――東京駅は近代東京の歴史を保存する現役の駅
東京駅丸の内駅舎には、中央停車場計画、辰野金吾の建築、丸の内の都市形成、戦災復興、文化財保存、免震技術、容積率移転、新幹線網の発展が重なっています。
丸の内駅前広場から全景を見た後、1・2階と3階、南北ドーム、行幸通り、八重洲側を順に歩くと、東京駅が大正時代の姿を保存した現役の巨大ターミナルであることがわかります。
参考文献・参考資料
- 文化遺産オンライン「東京駅丸ノ内本屋」
- JR東日本・東京ステーションシティ「東京駅の概要・歴史」
- JR東日本・東京ステーションシティ「丸の内駅舎のみどころ」
- JR東日本「東京駅丸の内駅舎の保存・復原」
- JR東日本「東京駅丸の内駅舎保存・復原工事及び八重洲口開発」
- 東京ステーションギャラリー「施設案内」
- 千代田区観光協会「東京駅宰相襲撃事件」
- 鹿島建設「東京駅丸の内駅舎保存・復原工事」
- 日本免震構造協会「東京駅丸ノ内本屋の免震構造」
