大手町は、皇居の東側に広がる日本有数のオフィス街です。高層ビルの間には、平将門を祀る将門塚、江戸城の正門だった大手門、江戸時代の堀や大名屋敷の記憶が残ります。明治以降は官庁街、戦後は金融・報道・通信の中心地となり、現在は大規模な都市再生が続いています。
この町の変化を一言で表すと、海辺の低地から江戸城前の武家地へ、官庁街から経済中枢へ、さらに複合都市へという流れです。大手町の地名の由来、将門塚、江戸前島、官庁街、箱根駅伝、連鎖型再開発、TOKYO TORCHまでを時代順に解説します。


大手町の歴史を3分でつかむ年表
| 時代 | 大手町で起きた変化 |
|---|---|
| 古代・中世 | 現在の将門塚周辺に神田明神が創建されたと伝わり、平将門の伝説が残りました。 |
| 江戸時代 | 日比谷入江の埋め立てと道三堀の開削が進み、大手門前に譜代大名の屋敷が並びました。 |
| 明治時代 | 大名屋敷跡に内務省、大蔵省、文部省、印刷局などが置かれ、官庁街になりました。 |
| 昭和前期 | 関東大震災後の復興事業と土地区画整理が進み、1929年に町名・町界が整理されました。 |
| 戦後 | 官庁の再配置と国有地の払い下げにより、銀行、新聞社、経済団体などの本社が集積しました。 |
| 21世紀 | 老朽化したビルを業務継続しながら建て替える連鎖型都市再生が進み、TOKYO TORCHの整備が続いています。 |
大手町の名前の由来|江戸城の正門「大手門」
「大手」は城の正面を意味し、「大手門」は城の表玄関にあたる門です。大手町は、江戸城の正門である大手門の前に位置することから名付けられました。現在の大手門は皇居東御苑の入口の一つで、その周辺は特別史跡江戸城跡に含まれます。
江戸時代の大手門前には、老中や若年寄を務める譜代大名の屋敷や幕府の施設が置かれました。城の正面を固める政治・行政の中枢だったことが、明治の官庁街、戦後のビジネス街へつながっています。
参考:UR都市機構「大手町地域について」、環境省「特別史跡江戸城跡」
古代・中世|将門塚と神田明神の始まり

大手町でもっとも古い歴史を伝える場所が将門塚です。平将門は10世紀前半に関東で勢力を広げ、朝廷軍との戦いで討たれました。京都でさらされた首が東国へ飛び、大手町に落ちたという話は、史実ではなく後世に語り継がれた伝説です。将門塚は、この伝説と将門への信仰を現在に伝えています。
神田明神の社伝では、天平2年(730)に出雲氏族の真神田臣が、現在の大手町・将門塚周辺にあたる武蔵国豊島郡芝崎村で神社を創建したとされます。延慶2年(1309)には将門が祭神として祀られ、元和2年(1616)に江戸城の表鬼門を守る現在の外神田へ遷座しました。
将門塚は江戸時代、庄内藩酒井家の上屋敷内にありました。関東大震災後には旧大蔵省の庁舎建設が進みましたが、塚は大手町の歴史を伝える場所として残されました。現在も高層ビルの足元にあり、古代・中世の伝承と現代の都市景観が隣り合っています。
江戸以前の地形|大手町は海辺に近い低地だった
徳川家康が天正18年(1590)に江戸へ入ったころ、現在の日比谷、丸の内、大手町周辺には日比谷入江が入り込み、その東側には江戸前島と呼ばれる細長い陸地が延びていました。現在のビル街からは想像しにくいものの、大手町は海と川に近い低地でした。
幕府は江戸城と城下町を整備するため、全国の大名に土木工事を命じました。江戸前島では道三堀が開削され、沿岸の水運と江戸城が結ばれました。平川の流路も日本橋川方面へ付け替えられ、慶長11年から12年(1606~1607)ごろには日比谷入江の埋め立てが進みました。水辺を改造した大規模な都市工事が、現在の大手町の地盤と街路の原型をつくりました。
江戸時代|大手門前に譜代大名の屋敷が並ぶ
江戸城の正門である大手門前は、将軍への登城や幕府の政務に直結する重要な場所でした。周辺には譜代大名の上屋敷が並び、老中や若年寄など幕政を担う大名も暮らしました。現在の大手町が行政や企業の中枢である背景には、江戸時代から続く「中心に近い土地」という性格があります。

当時は現在の大手町一・二丁目付近に、道三町、銭瓶町、永楽町などの地名がありました。道三町は、江戸初期に開かれた道三堀に由来します。道路や建物が変わった後も、日本橋川、常盤橋、大手門、外濠の石垣などをたどると、江戸の都市構造を読み取れます。
江戸城と東京の成り立ちをさらに詳しく知りたい方は、東京駅の歴史と建築を徹底解説もあわせてご覧ください。
明治時代|大名屋敷から官庁街へ
明治維新で大名屋敷が役割を終えると、新政府は広い屋敷跡を中央官庁や軍用地へ転用しました。大手町一丁目には内務省と大蔵省、二丁目には文部省と大蔵省印刷局が置かれます。印刷局では紙幣、官報、切手、印紙、証券などが製造され、大手町は近代国家の制度を支える官庁街になりました。
隣接する丸の内では軍用地が三菱へ払い下げられ、1894年に三菱一号館が完成しました。大手町が官庁街として発展したのに対し、丸の内は民間のオフィス街として成長します。この違いが、現在まで続く両地区の成り立ちを形づくりました。


| 地区 | 明治以降の主な性格 | 現在につながる特徴 |
|---|---|---|
| 大手町 | 中央官庁、印刷局などの官用地 | 金融、報道、通信、経済団体、公共機関が集まる業務地区 |
| 丸の内 | 軍用地の払い下げ後に民間オフィスを整備 | 東京駅前のオフィス、商業、文化施設が集まる地区 |
参考:UR都市機構「大手町の歴史」、千代田区「大手町・丸の内・有楽町・永田町地域のまちづくり」
震災・戦災・戦後復興|官庁街から経済の中心へ
1923年の関東大震災後、街路や橋梁の復興と土地区画整理が進みました。大手町では1929年に町名・町界が整理され、1932年には鉄骨鉄筋コンクリート造の野村ビルヂングが建設されました。近代的な業務地区への転換は、震災復興を通じて加速しました。
第二次世界大戦後の1947年、麹町区と神田区が合併して千代田区が成立します。1952年には霞が関を中心とする中央官庁街の整備計画が進み、大手町には各省庁の地方出先機関をまとめた合同庁舎が置かれました。その一方で生まれた国有地は民間へ払い下げられ、銀行、新聞社、経済団体などの本社ビルが建設されました。
1956年7月20日には丸ノ内線の大手町駅が開業しました。その後、東西線、千代田線、半蔵門線、都営三田線が加わり、大手町は地下鉄5路線が集まる交通結節点になりました。東京メトロ大手町駅は2026年に開業70周年を迎えています。
大手町と箱根駅伝|読売新聞社前がスタート・フィニッシュ
正月の箱根駅伝は、現在の大手町を全国に印象づける行事です。大会の正式名称は東京箱根間往復大学駅伝競走で、大手町の読売新聞社前と箱根町の芦ノ湖を往復します。往路は大手町から箱根へ、復路は箱根から大手町へ戻ります。
箱根駅伝は1920年に始まりました。構想の背景には、金栗四三らの「世界に通用する長距離走者を育てる」という目標がありました。大手町のスタート地点は、新聞社が集まった戦後の街の性格と、国民的なスポーツ行事が結びついた場所です。
箱根駅伝スタート・フィニッシュ地点をGoogleマップで見る
参考:東京箱根間往復大学駅伝競走公式サイト「箱根駅伝とは」、関東学生陸上競技連盟「第102回東京箱根間往復大学駅伝競走」
大手町連鎖型都市再生|業務を止めずに街を建て替える
20世紀末の大手町では、企業の本社や公共機関が集まる一方、築30年以上のビルが増えていました。敷地に余裕がなく、24時間稼働する報道・通信・金融などの業種も多いため、建物を一斉に解体して建て替える方法は困難でした。
転機となったのが、大手町合同庁舎に入っていた行政機関のさいたま新都心への移転です。空いた土地に最初の建物を造り、そこへ既存ビルの利用者が移転します。次に空いた跡地へ新しい建物を造り、さらに次の利用者が移る。この流れを繰り返すのが連鎖型都市再生です。
- 移転の起点となる空き地に新しいビルを建設する
- 周辺の企業や機関が新しいビルへ移る
- 空いた旧ビルを解体し、次のビルを建設する
- 移転と建て替えを連鎖させ、業務を継続したまま街区を更新する

2002年には行政と地権者などによる「大手町まちづくり推進会議準備会」が発足し、UR都市機構が事業全体の調整を担いました。連鎖型再開発は、単独の高層ビルを建てる計画ではなく、大手町という業務地区の機能を維持しながら複数街区を更新する仕組みです。
再開発の仕組みを詳しく知りたい方は、丸の内・大手町を歩く|東京駅保存と容積移転で読む再開発入門も参考になります。
参考:UR都市機構「大手町連鎖型都市再生プロジェクト」、UR都市機構「連鎖型都市再生事業について」
TOKYO TORCHと大手町の未来
2026年7月時点、TOKYO TORCHは大手町二丁目の常盤橋街区で進む約3.1ヘクタールの複合再開発です。下水ポンプ所や変電所など都心の重要インフラを稼働させながら、10年以上をかけて4棟の建物と広場を段階的に整備しています。常盤橋タワーは2021年、銭瓶町ビルディングは2022年に完成しました。
中心となるTorch Towerは2023年に着工しました。計画では高さ約390メートルで、オフィス、商業施設、展望施設、住宅、ホテル、約2,000席のホールなどが入ります。約7,000平方メートルの広場「TOKYO TORCH Park」や変電所棟を含む街区全体の完成は、2028年3月末の予定です。
大手町の都市再生は、江戸城前の交通と政治の中心、明治の官庁街、戦後の経済中枢という役割を引き継ぎながら、災害対応、環境性能、交流、居住、文化を加える段階に入っています。
参考:三菱地所「Torch Tower新築工事着工」、TOKYO TORCH公式サイト「TOKYO TORCH Projects」
大手町の歴史を歩く60~90分コース
大手町は、地下鉄駅から徒歩で歴史の重なりを確認できます。歩く順序は次の通りです。
- 大手町駅:戦後の業務地区を支えた地下交通の中心
- 将門塚:平安時代の伝説と神田明神の起源を伝える場所
- 大手門:大手町の地名の由来となった江戸城の正門
- 和田倉門周辺:江戸城の濠と城門、丸の内との境界を確認できる場所
- 読売新聞社前:箱根駅伝のスタート・フィニッシュ地点
- 常盤橋・TOKYO TORCH:江戸の城門跡と21世紀の都市再生が接する場所
大手門の開園日・入園時間、工事中の通路、駅出口は変更される場合があります。訪問前に皇居東御苑、東京メトロ、各施設の公式案内をご確認ください。
よくある質問
大手町の名前は何に由来しますか?
江戸城の正門だった大手門の前に位置することが由来です。「大手」は城の正面を意味します。
大手町と丸の内の違いは何ですか?
大手町は明治以降に官庁街となり、戦後は金融、報道、通信、経済団体が集まる地区へ発展しました。丸の内は軍用地の払い下げ後、三菱による民間オフィス街として整備されました。現在は地下街や道路で連続していますが、近代の出発点が異なります。
将門塚はなぜ大手町にあるのですか?
京都でさらされた平将門の首が東国へ飛び、この地に落ちたという伝説に基づきます。首が飛んだ話は史実ではなく伝承ですが、塚は長く信仰の対象となりました。
大手町がオフィス街になった理由は何ですか?
江戸城正門前という立地を受け継ぎ、明治に中央官庁が置かれたことが出発点です。戦後、国有地へ銀行、新聞社、経済団体などの本社が建ち、地下鉄網も整備されたことで、企業活動の中心地になりました。
Torch Towerはいつ完成しますか?
三菱地所の公表計画では、Torch Tower、変電所棟、TOKYO TORCH Parkを含む街区全体の完成は2028年3月末の予定です。工事計画は変更される可能性があるため、最新情報は公式サイトで確認してください。
まとめ|大手町は東京の中心が更新され続ける場所
大手町は、江戸以前の水辺、江戸城大手門前の大名屋敷、明治の官庁街、戦後のオフィス街を経て、現在の都市再生へ至りました。将門塚、大手門、旧大名屋敷の位置、新聞社、常盤橋を順に歩くと、時代ごとの役割が同じ場所に重なっていることがわかります。
高層ビルは大手町の新しい姿ですが、その立地と役割は江戸時代以前からの地形、城郭、行政、交通の歴史の上に成り立っています。
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大手町の歴史は、現地を歩くと地形、城門、堀、街路、建物の位置関係まで立体的に理解できます。将門塚から大手門、和田倉門、常盤橋、TOKYO TORCHへ進むと、古代の伝承、江戸城下、近代の官庁街、現代の再開発が同じ街の中で重なっていることを確認できます。
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