ひの新選組まつり2024と日野・高幡・立川の歴史散歩|4本の開催レポート

高幡不動尊の土方歳三像前に集まった新選組衣装の保育園児たち

2024年5月11日(土)、ゆる歴史散歩会は日野・高幡不動・立川エリアで4本の歴史散歩イベントを開催しました。午前10時から日野宿本陣、神明の百段階段、新選組のふるさと歴史館をめぐり、午後1時からは高幡不動尊の「第27回ひの新選組まつり」と高幡山へ。午後3時20分からは日野市郷土資料館と高幡台団地を訪ね、午後5時45分からは立川市柴崎町で日野の渡し跡などの歴史をたどりました。写真とともに、各地の歴史や見どころをご紹介します。

10:00|日野宿本陣・新選組のふるさと歴史館を歩く(11人)

「ひの新選組まつりの前に新選組のふるさと歴史館と甲州街道日野宿本陣に行こう」。午前の歴史散歩では、甲州道中の宿場・日野宿と、新選組を支えた多摩の人々の足跡をたどりました。

甲州街道日野宿本陣と佐藤彦五郎

甲州道中こうしゅうどうちゅう(甲州街道)は江戸と甲府方面を結ぶ街道で、日野宿はその宿場町として栄えました。「本陣」は大名・公家・幕府役人などの宿泊や休憩に使われた格式ある施設です。現存する日野宿本陣の建物は、1849年の火災後に再建され、1864年に完成しました。佐藤彦五郎さとうひこごろうが名主・問屋役を務めた土地でもあります。

甲州街道日野宿本陣の木造表門
「日野宿本陣」と書かれた門をくぐって見学へ。

彦五郎は土方歳三ひじかたとしぞうの姉ノブの夫で、家に天然理心流てんねんりしんりゅうの道場を開きました。そこには近藤勇こんどういさみや沖田総司らも出入りし、後の新選組につながる交流が育まれます。道場の活動は、現存する本陣建物が完成する前から始まっていました。

畳敷きの座敷や縁側、庭園を間近に見られるのが本陣見学の魅力です。土方歳三が寝ていたと伝わる場所も紹介されており、史料で確認できる建築史と、土地に伝わる逸話の双方から幕末の日野に思いを巡らせました。

日野宿本陣の座敷から眺める縁側と庭園
土方歳三が休んだと伝えられる場所に関連する座敷からの眺め。

座敷の境には山水画の描かれた襖や繊細な木製の建具があり、来客を迎える建物のしつらえが分かります。写真からも畳の間取りや建具の高さを感じ取れます。

日野宿本陣の襖絵と座敷を見学する人々
襖絵が残る座敷を見学。

展示パネルには「上段の間」についての案内もありました。本陣の部屋の配置や格式は、江戸時代の身分秩序が建築にどのように表れていたかを知る手掛かりです。なお、明治時代に移築された「上段の間」「御前の間」は2024年3月に文化財に指定されましたが、個人所有で非公開です。公開中の本陣内部とは区別して理解できます。

日野宿本陣の上段の間を紹介する展示と座敷
本陣の部屋の造りと「上段の間」の解説。

大きく開いた縁側では、庭と建物を一続きの景色として眺められます。住宅地の中に残る宿場時代の空間も、この場所ならではの見どころです。

日野宿本陣の縁側から庭を眺める見学者
庭へと開く縁側を見学。

庭の植栽と瓦屋根を合わせて見ると、街道に面した表門とは異なる、本陣の内側の落ち着いた表情が伝わります。日野宿での人馬の継ぎ立てや荷物の輸送を取り仕切ったのが「問屋場」、幕府の法令などを掲げたのが「高札場」です。日野図書館付近には両者の跡を伝える碑があり、日野宿交流館では宿場や甲州道中、新選組に関する地域資料を紹介しています。宿場の交通と行政の仕組みを知ると、本陣が果たした役割も理解しやすくなります。見学情報は日野市の日野宿本陣案内をご確認ください。

日野宿本陣の庭園と奥に見える木造家屋
緑豊かな日野宿本陣の庭園。

神明の百段階段と日野の地形

日野市神明では長い百段階段を上りました。丘の斜面をまっすぐ上る階段と、上から見下ろす市街地の写真が印象的です。段丘上の高い土地と低地の高低差は、日野の街の成り立ちを実感できる身近な地形の教材にもなります。

日野市神明の百段階段を上る歴史散歩の参加者
神明の百段階段を上る一行。

階段の上からは街並みが眼下に広がります。古い宿場町と周囲の高台との位置関係を考えるうえでも、こうした眺望は役立ちます。

百段階段の上から見下ろす日野市の街並み
百段階段の上から望む日野市街。

新選組のふるさと歴史館と多摩の隊士たち

新選組のふるさと歴史館は、新選組の結成以前から幕末維新までを、日野の歴史と結び付けて学べる施設です。新選組は京都の治安維持などにあたった集団として知られますが、その背景には多摩の剣術道場と地域の人間関係がありました。井上源三郎いのうえげんざぶろうは新選組六番隊長を務め、1868年の鳥羽・伏見の戦いで戦死しました。兄の井上松五郎は八王子千人同心で、佐藤彦五郎に天然理心流を紹介した人物とされます。日野駅周辺には井上家の墓所がある宝泉寺、1858年の天然理心流奉納額が伝わる日野八坂神社、佐藤彦五郎新選組資料館に加え、兄弟の史料や近藤勇ゆかりの刀などを伝える井上源三郎資料館もあります。資料館は開館日が限られるため、訪問前の確認が必要です。

新選組のふるさと歴史館の外観と新選組の旗
新選組のふるさと歴史館を訪問。

館内の記念撮影スペースでは、新選組ゆかりの人物をかたどったパネルと一緒に写真も撮りました。2024年5月11日は企画展「描かれた新選組Ⅹ」の会期中でした。2004年の大河ドラマ『新選組!』や「新選組フェスタin日野」から20年を振り返り、新選組が歴史だけでなく物語や映像を通じて親しまれてきた歩みを紹介した展示です。

新選組のふるさと歴史館で隊士の人物パネルと記念撮影する参加者
人物パネルと一緒に記念撮影。

新選組の歴史を知るための年表と資料

日野にゆかりの深い佐藤彦五郎は1827年、井上源三郎は1829年、近藤勇は1834年、土方歳三は1835年に生まれました。新選組の流れを年代で整理すると、1858年に日野の牛頭天王社(現在の八坂神社)へ天然理心流の奉納額が納められ、1863年に近藤勇らが上洛し、京都で新選組が成立。1864年には池田屋事件が起こり、1867年には大政奉還によって幕府の政治が大きく転換します。1868年の鳥羽・伏見の戦いで井上源三郎が戦死、同年には近藤勇も処刑され、1869年に箱館戦争で土方歳三が戦死します。五稜郭の開城はその後です。幕末の日付は旧暦と新暦の混同に注意が必要です。

新選組の編制はどのように変わったか

新選組は1863年、近藤勇や芹沢鴨らを中心とする壬生浪士組として出発しました。1864年には各組の指揮者を配置し、1865年には銃隊や槍隊などを組み合わせた行軍計画も作成されています。結成から数年の間に、指揮体制と部隊の編制が変化していった様子を図にまとめました。

新選組の編制の変化を示す概略図。1863年の初期指揮体制、1864年の八組編制、1865年の兵種別行軍計画を比較
新選組の編制の変化(1863~1865年・概略図)。初期の指揮体制、八組の編制、兵種別の行軍計画を比較。

1864年の八組編制と1865年の行軍計画は、小島資料館所蔵の『行軍録』などを参考に整理しました。

矢の山公園にも幕末以後の歴史が刻まれています。1921年(大正10年)の陸軍特別大演習では、この付近から当時の皇太子(後の昭和天皇)が演習を視察したとされます。公園には市内の八坂神社や高幡山金剛寺などから移された戦没者の慰霊碑もあり、近代の日野と戦争の記憶を伝えています(矢の山公園の現地案内板の紹介)。

日野周辺の歴史散歩に関する写真

13:00|高幡不動とひの新選組まつり(9人)

午後は「関東三大不動の一つ高幡不動と『ひの新選組まつり』に行こう」を開催。高幡不動尊の境内は、新選組ゆかりの歴史を伝える場所であると同時に、祭りを楽しむ人々でにぎわっていました。

高幡不動尊金剛寺と土方歳三

高幡不動尊金剛寺たかはたふどうそんこんごうじは、関東三大不動の一つに数えられる古刹です。境内には重要文化財の不動堂や仁王門があり、土方歳三の菩提寺としても知られています。土方歳三像のほか、近藤勇と土方歳三を顕彰する1888年建立の「殉節両雄之碑じゅんせつりょうゆうのひ」も見どころです。

高幡不動尊金剛寺の境内案内図

土方歳三像の前では、新選組の浅葱色の羽織をまとった保育園児たちが並んでいました。幕末の歴史が、今では地域の祭りを通じて子どもたちにも親しまれていることが伝わる光景です。

高幡不動尊の土方歳三像前に集まる新選組衣装の保育園児たち
土方歳三像の前に集まった新選組姿の子どもたち。

2024年のひの新選組まつりと隊士コンテスト

第27回ひの新選組まつりは2024年5月11日(土)・12日(日)に開催されました。11日は高幡不動尊で隊士コンテストや慰霊法要などが、12日は日野宿周辺で隊士パレードなどが行われました。写真の隊士コンテストは11日の催しです。刀や隊服のイメージに加えて、幕末の戦いでは銃や大砲も使われていました。会場には砲弾や小銃弾の資料もあり、武器の変化を考える機会にもなりました。

ひの新選組まつり会場に展示された幕末の砲弾と小銃弾
幕末の砲弾と戊辰戦争期の小銃弾を紹介する展示。

高幡山の散策路と城跡の伝承

高幡不動尊の背後に広がる高幡山には、多摩丘陵の起伏を感じられる緑の散策路があります。木々に囲まれた道を歩き、高台から市街地の眺めを楽しみました。中世の高幡城跡と伝わる場所もありますが、城主や合戦の経緯には諸説があり、伝承と確認された遺構を区別して考える必要があります。

高幡山の緑豊かな遊歩道を歩く参加者
高幡山の散策路を歩きました。

標高や地形の変化を足元で感じながら歩くと、境内を中心とする祭りのにぎわいとは違った高幡の魅力が見えてきます。

高幡山の展望地点から市街地を眺める参加者
木々の間から広がる多摩の街並み。

高幡不動尊へ戻ると、隊士コンテストが行われていました。歴史上の人物に扮した出演者が舞台に立ち、多くの観客が見守っていました。寺院の史跡と現代の祭りを一緒に楽しめる催しです。

2024年ひの新選組まつりの隊士コンテストの舞台と観客
第27回ひの新選組まつりの隊士コンテスト。

15:20|日野市郷土資料館と高幡台団地散歩(6人)

「日野市郷土資料館で日野の歴史学習と高幡台団地散歩」では、歴史上の人物だけでなく、昔の暮らしや自然、丘陵地の街づくりにも目を向けました。

日野市郷土資料館で地域の暮らしと自然を学ぶ

日野市郷土資料館は、地域の生活用具、歴史写真、自然資料などを通じて日野の歩みを学べる施設です。訪問した建物の入口には「日野市郷土資料館」「日野市中央公民館高幡台分室」の表示がありました。

2024年当時の日野市郷土資料館と高幡台分室の入口
2024年に訪れた日野市郷土資料館の入口。

資料館では古い街並みや地域の変遷を示す写真を見学しました。道路や住宅の広がりを古写真と見比べると、同じ土地の使われ方が時代によって変わる様子が分かります。

訪問日の2024年5月11日は、企画展「千歯扱き探偵団~文字からたどる農具の流通」(4月20日~7月7日)の会期中でした。千歯扱きせんばこきは、木製の台に並べた鉄の歯に稲や麦の穂を通し、穀粒をしごき落とす脱穀用具です。展示では、日野市郷土資料館が所蔵する40点をもとに、製作者名・製作地・製作年など農具に残された文字を読み解き、作られた場所から使われた地域までの流通を探っていました。

2024年5月11日の日野市郷土資料館「千歯扱き探偵団」企画展会場に並ぶ千歯扱きの実物と見学者
企画展「千歯扱き探偵団~文字からたどる農具の流通」。千歯扱きの実物や解説を見学しました。

千歯扱きの生産地として知られるのは、鳥取県の倉吉くらよし、福井県の若狭わかさ地方(代表的な製造地は早瀬)、新潟県の佐渡さど、島根県の木次きすきなどです。倉吉では江戸時代中期から製造が盛んになり、行商や修理・販売の仕組みを通じて各地へ広まりました。農具の刻印や銘は、日野の農作業と遠方の生産地を結び付ける手掛かりになります。単に昔の道具を並べるだけでなく、一つひとつの文字から地域間のつながりを考えられる企画展でした。

日野市郷土資料館の古写真や地域の変遷を紹介する展示
古写真から日野の街並みの変化を知る展示。

鳥や動物の標本を集めた展示にも足を止めました。郷土史は古文書や建物だけでなく、その地域に暮らしてきた生き物や自然環境を知ることからも深まります。

日野市郷土資料館の鳥類や動物の標本を見学する参加者
鳥類や動物の標本を見学。

高幡台団地と多摩丘陵の街づくり

高幡台団地周辺は、多摩丘陵の起伏のある土地に住宅地が広がる場所です。坂道や階段、斜面の緑からは、地形に合わせて街がつくられてきたことがうかがえます。日野市では住民参加による「高幡台団地地区まちづくり計画」を策定し、緑豊かな丘陵の景観を生かしながら、センター街区の活用や多様な住まいづくりを検討してきました。郷土資料館で見た古い日野の風景と現在の住宅地を重ね合わせると、戦後の住宅開発から地域のまちづくりへと続く変化にも目を向けられます(日野市の地区まちづくり計画)。

17:45|立川ナイトウォーク・柴崎町の歴史散歩(7人)

夕方からは「立川ナイトウォーク。立川市柴崎町(立川南方面)をお散歩」を開催。甲州街道と多摩川の交通史、中世武士の館、古い神社や遺跡など、立川駅南側の地域史をたどりました。近くの立川公園「ガニガラ広場」は、立川崖線の湧水や柴崎用水を生かした公園で、2017年に開園しました。立川市によると、かつて周辺にはカニが多く、「がにがら」と呼ばれたことが広場の名称の由来です(立川市の立川公園案内)。

立川市のガニガラ広場の東屋で集合した歴史散歩の参加者
ガニガラ広場の東屋に集合。ここから立川市柴崎町の歴史散歩が始まりました。

集合後は、緑が続く根川緑道沿いを歩きました。水辺に沿った散策路は、住宅地の近くで自然を感じられる場所です。

立川市の根川緑道沿いを歩く歴史散歩の参加者
緑の多い根川緑道沿いを歩く参加者たち。

日野の渡し跡と甲州道中

多摩川を挟んで日野と立川を結んだ「日野の渡し」は、甲州道中の往来を支えた重要な交通路でした。夏の増水期には渡し船、冬の渇水期には仮橋が使われたとされ、1926年に日野橋が完成すると渡船は廃止されます。橋ができる以前に人々がどのように川を渡ったのか、石碑を前に考えました。

日野の渡し碑を見学する立川歴史散歩の参加者
日野の渡し跡の碑。多摩川と甲州街道の歴史を伝えます。

立川氏館跡・普済寺と中世武士の歴史

柴崎町しばさきちょうの歴史を知るうえで注目したいのが、普済寺ふさいじの境内に残る立川氏館跡です。東京都指定史跡で、本堂東側には高さ約2メートル、長さ約40メートルの土塁が残り、外側には堀跡も確認されています。武蔵七党の西党につながるとされる立川氏の拠点を伝えますが、鎌倉時代と戦国時代の同氏の関係には不明な点もあります。

2024年5月11日の立川ナイトウォークで訪れた普済寺の境内と堂宇、参加者たち
普済寺の境内を見学。歴史ある堂宇と緑に囲まれた境内の様子。

境内には立川市教育委員会の文化財案内板があり、寺の建物や立川氏との関わりなどを詳しく紹介しています。

立川市教育委員会による玄武山普済寺内文化財案内板
「玄武山普済寺内文化財案内」の説明板。境内に残る文化財の背景を知ることができます。

木造の山門にも足を運びました。中世の館跡を伝える土地に、寺院の歴史が受け継がれています。

立川市柴崎町にある普済寺の山門と境内を歩く参加者
普済寺の山門。立川市柴崎町の寺院を歩きました。

八幡神社本殿跡、大和田遺跡と立川の地形

柴崎町周辺には、立川氏の氏神として1252年に創建されたと伝わる八幡神社の本殿跡もあります。八幡神社は1907年に諏訪神社へ遷宮され、旧地が史跡として残されました。普済寺の塔頭(子院)・心源庵では寺子屋教育が行われ、1870年(明治3年)には郷学校が開かれました。後の耦穎ぐえい学舎、柴崎学校を経て立川市立第一小学校へとつながる歴史は、「立川教育文化発祥の地」の碑に刻まれています。また「蚕糸振興記念碑」は、地域の養蚕・蚕糸産業に目を向ける手掛かりです(立川市の教育史案内)。

近くの諏訪神社は、811年に信州から勧請されたと伝わる古社です。隣接する諏訪の森公園は、かつての鎮守の森の一部を戦後に公園として整備した場所。毎年8月の諏訪・八幡両社例大祭では、元禄年間に始まったと伝わる獅子舞が奉納され、立川市の無形民俗文化財に指定されています(諏訪の森公園・獅子舞)。

また、青柳段丘上の大和田遺跡からは縄文時代などの遺構が見つかっています。一段高い立川段丘上の下大和田遺跡は別の遺跡で、旧石器時代の資料も確認されています。川沿いの低地と台地の違いは、長い時間を通じて人々がどこに住み、どの道を通ったかを考える手掛かりになります。こうした史跡の背景を知ると、現在の立川南口周辺の街並みも違った表情で見えてきます。

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TimeWalkは、現在地や指定地点の近くにある歴史スポットを地図で探し、自分で歴史散歩を楽しめるWebアプリです。日野・高幡・立川で別の史跡も調べてみたいときに活用できます。寺社境内や施設の見学条件は現地の案内に従ってください。

主な参考資料