東池袋・大塚・千石・巣鴨ナイトウォーク|巣鴨プリズン・都電・徳川慶喜を巡る歴史散歩

1945年撮影の巣鴨プリズン

池袋の高層ビル街を出発し、東池袋、大塚、千石、巣鴨へ。現在は一続きの市街地に見えるこの一帯には、監獄、造幣局、路面電車、花街、寺院、徳川最後の将軍の屋敷という異なる時代の痕跡が重なっています。夜の街を歩くと、再開発された場所と古い道筋の対照がよく分かります。

このコースでは、中池袋公園から巣鴨プリズン跡、旧造幣局東京支局跡、大塚、千石を経て、徳川慶喜巣鴨屋敷跡まで歩きます。池袋駅そのものの発展は池袋駅の歴史、池袋駅周辺の史跡は池袋の歴史散歩で詳しく紹介しています。

コース概要|東池袋から大塚・千石・巣鴨へ

  1. 中池袋公園
  2. 巣鴨プリズン跡・慰霊碑「永久平和を願って」
  3. 東京国際大学「哲学の杜」
  4. IKE・SUNPARK
  5. 南大塚公園・都電6000形6162号
  6. 観光山 東福寺
  7. 千石・巣鴨の旧街道周辺
  8. 徳川慶喜巣鴨屋敷跡

池袋駅・大塚駅・巣鴨駅は、1903年4月1日に日本鉄道豊島線の駅として同時に開業しました。鉄道が通る以前には田畑や集落が広がっていた場所が、市街地、繁華街、副都心へと変わっていく過程を一つのルートでたどれます。

東池袋|巣鴨監獄からサンシャインシティへ

中池袋公園から東へ進むと、サンシャインシティの高層建築が近づきます。現在の東池袋中央公園とサンシャインシティ周辺には、1895年に巣鴨監獄が設けられました。のちに巣鴨刑務所、東京拘置所と名称や役割を変え、敗戦後は連合国軍の管理下で「巣鴨プリズン」として使われました。

1945年撮影の巣鴨プリズン
1945年撮影の巣鴨プリズン。現在のサンシャインシティ周辺には、かつて刑務所・拘置所がありました。国際文化情報社『画報現代史 第1集』掲載写真/Public Domain

巣鴨プリズンには東京裁判の被告や戦争犯罪人として裁かれた人々が収容され、1948年12月23日には東條英機ら7人の死刑が執行されました。東京拘置所は1971年に小菅へ移転し、跡地では再開発が進みます。1978年にサンシャインシティが開業し、東池袋の景観は大きく変わりました。

東池袋中央公園には、慰霊碑「永久平和を願って」が残ります。高層ビルと公園の現在の姿を見てから往時の写真を見ると、同じ土地が国家施設から商業・文化の拠点へ転換した時間の大きさが伝わります。

なぜ池袋に「巣鴨プリズン」があったのか

現在の住所は豊島区東池袋ですが、施設が置かれた明治期には現在とは町名や行政区分が異なりました。池袋駅の開業は1903年で、監獄の設置より後です。「巣鴨」という施設名と現在の「池袋」という地名のずれは、鉄道開業と都市化の前後で地域の呼ばれ方や中心が変わったことを物語っています。

造幣局跡地|IKE・SUNPARKと東京国際大学

巣鴨プリズン跡から南東へ進むと、かつて造幣局ぞうへいきょく東京支局があった一帯に入ります。東京出張所は1939年に豊島区へ移り、1941年から貨幣製造を開始、1943年に東京支局となりました。貨幣や勲章などを製造した施設は2016年にさいたま市へ移転し、広い跡地の再整備が進みました。

旧造幣局東京支局跡地のIKE・SUNPARK
旧造幣局東京支局跡地に整備されたIKE・SUNPARK。造幣局は2016年にさいたま市へ移転しました。

跡地の一部には、2020年に「としまみどりの防災公園(IKE・SUNPARK)」が開園しました。普段は芝生の広場として使われ、災害時にはヘリポートや救援物資の受け入れ・集配場所になる防災拠点です。工場の閉鎖後に住宅や商業施設だけを建てるのではなく、都市の防災機能を担う大規模な公園へ転換された点に、近年の東池袋の都市計画が表れています。

東京国際大学「哲学の杜」

造幣局跡地には東京国際大学池袋キャンパスも整備され、2023年9月に開校しました。キャンパスの「哲学の杜」は噴水と緑地を備えた空間です。史跡そのものではなく、造幣局の跡地が公園と大学へ分かれて再生された現在を確認できる場所として見ると、ルートの意味がはっきりします。

大塚|鉄道と都電が育てた繁華街

東池袋から大塚へ向かいます。江戸時代、現在の新大塚駅周辺は巣鴨辻町と呼ばれ、春日通りと白山通りの間には田畑が広がっていました。1903年に大塚駅が開業すると市街化が進み、戦前には都内有数の繁華街へ成長します。

大塚の発展を支えたもう一つの交通機関が路面電車です。1911年に王子電気軌道が大塚―飛鳥山間を開業し、その後の路線拡張を経て、現在の東京さくらトラム(都電荒川線)へつながりました。鉄道駅と路面電車が交わったことが、人の流れと商業の集積を生みました。

南大塚公園の都電6000形6162号

南大塚公園には、都電6000形6162号が保存されています。豊島区によると、かつて都民の足として活躍した都電を残したいという地元住民の要望を受け、1971年に設置されました。大塚が路面電車とともに発展した街であることを、実物の車両から確認できます。

大塚三業地周辺の街並み
大塚三業地周辺の街並み(現地撮影)

大塚三業地|駅前の繁栄が生んだ花街

駅周辺の繁栄とともに、大塚には料亭・待合茶屋・芸者置屋が集まる三業地が形成されました。1924年には正式な花街として許可され、戦後にも営業が続きました。現在の街並みには当時の建物や区画の記憶が点々と残ります。詳しい成立過程と現地の見どころは大塚三業地を歩く記事で紹介しています。

大塚三業地周辺に残る街並み
大塚三業地周辺に残る街並み(現地撮影)

観光山 東福寺|古い道筋を伝える寺

東福寺とうふくじは南大塚にある真言宗豊山派の寺院です。境内周辺には大塚・巣鴨方面の古い道筋を知る手掛かりが残り、近代の繁華街とは異なる大塚の時間を感じられます。鉄道と都電で急速に都市化した街の中に、寺院や旧道の痕跡が残っていることが大塚散歩の面白さです。

千石から巣鴨へ|旧村名と街道の記憶

大塚から南東へ進むと文京区千石に入ります。千石4丁目の巣鴨大鳥神社は、1688年に巣鴨村の鎮守として創祀されたと伝わり、1864年に始まった酉の市が現在まで続いています。住所は「千石」でも社名に「巣鴨」が残ることから、現在の町名だけでは見えにくい旧村の広がりが分かります。

千石周辺をさらに歩くなら、西日暮里・千駄木から本駒込・千石へ歩く歴史散歩もつながります。巣鴨側では旧中山道沿いに庚申塚や寺院、商店街が続き、近代鉄道以前の街道の軸が現在の街に残っています。

巣鴨地蔵通り商店街の入口と通り
巣鴨地蔵通り商店街、2009年2月。撮影:Kentin/Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0。

旧中山道を板橋側から巣鴨まで歩くルートは、板橋から巣鴨へ旧中山道を歩く歴史散歩で詳しく紹介しています。

徳川慶喜巣鴨屋敷跡|「ケイキさまの梅屋敷」

ルートの終盤にあるのが、第15代将軍・徳川慶喜とくがわよしのぶの巣鴨屋敷跡です。慶喜は静岡から東京へ戻った1897年から、巣鴨駅が設置されるまでの約4年間をこの屋敷で過ごしました。庭に梅の木が多く、地域では「ケイキさまの梅屋敷」と呼ばれて親しまれたと豊島区の資料に記されています。

徳川将軍家系図
徳川将軍家系図。徳川慶喜は江戸幕府第15代将軍です。

巣鴨駅は1903年に池袋駅・大塚駅と同時に開業しました。慶喜が暮らした静かな郊外に鉄道が通り、地域が都市化へ向かう転換点と重なります。その後、慶喜は小石川へ移り、1913年に亡くなりました。小石川での足跡は茗荷谷・小石川を歩く記事でも紹介しています。

東池袋から巣鴨まで歩くと見える東京の変化

東池袋では、巣鴨監獄と造幣局という大規模な施設の跡地が、サンシャインシティ、大学、防災公園へ変わりました。大塚では1903年の鉄道開業と路面電車が繁華街を育て、花街の記憶が街区に残ります。千石と巣鴨では、現在の町名より古い村名や旧中山道の道筋が今の街に重なっています。

このルートは2025年2月1日のナイトウォークで使用したコースです。高層ビル、公園、路面電車、旧道、寺院、屋敷跡を順に歩くことで、明治から令和までの都市の変化を一晩の散歩でたどれます。

参考資料・公式情報