湯島天満宮|梅のライトアップと上野御徒町の散歩|ゆる歴史

湯島天満宮のイベント イベント

湯島天神や上野御徒町エリアを散歩します!湯島天神では梅まつり開催中です♪
※名前は湯島天満宮、湯島神社、湯島天神、どれもOKです。

基本情報

日時2023年3月2日 18:30~20:00
場所御徒町~湯島周辺
内容湯島天満宮の梅のライトアップ、上野、御徒町の歴史と散歩
費用参拝する方はお賽銭
その他なし
※ 現地で発生すると予想される費用です。イベント参加費ではありません。

流れ

こちらの流れを想定していますが、当日の状況で変更する可能性もあります。人数が多い場合は4〜5人単位でグループ分けをします。

18:30集合、自己紹介、予習
19:00湯島天満宮散策
19:30周辺散策
20:00終了

申し込み

サークル管理サイトのつなげーと(こちら)を使用していますのでご確認ください。
招待コードが求められた場合は「542290」を入力してください。利用手数料(500円)が無料になります♪

詳細&予習

湯島天満宮

学問の神様・菅原道真(845-903)を祀っている東京を代表する天満宮です。創建は458年です!天之手力雄命 (あめのたぢからをのみこと)を祀ったのが始まりで、1355年に菅原道真 (すがわらのみちざね)を祀りました。

1478年に太田道灌(1432-1486)が再建、1591年に徳川家康(1543-1616)が豊島郡湯島郷に朱印地を寄進しました。その後学者や文人の参拝も続いています。1690年に徳川5代将軍綱吉(1646-1709)が湯島聖堂を昌平坂に移しさらに湯島天満宮を崇敬しました。1995年に総檜造り(そうひのきづくり)でリニューアルされています。

受験シーズンには多数の受験生が合格祈願に訪れます。梅の花でも有名で約300本の梅木のうち約8割は白梅です。1942年の「婦系図の歌(湯島の白梅)」という歌は戦中時に大ヒットしました。

主祭神

・天之手力雄命 (あめのたぢからをのみこと)
・菅原道真公 (すがわらのみちざねこう)

天神信仰と菅原道真

天神信仰」とは神さまとして崇められた菅原道真に対する信仰のことです。菅原道真が左遷されて太宰府で亡くなったあと、左遷を言い出した人が死んだり、天変地異や疫病などが発生したりなど世の中が不安になりました。これらは菅原道真の怨霊の仕業かと思うようになりました。一方、雷雨は一般の民にとっては恵みの雨となり、全国で崇拝されていきました。そのうち菅原道真の学問に対する偉大な実績や人柄から、天神信仰は文学、詩歌、書道、芸能の神として崇められるようになりました。この天神信仰を各地に天神講(てんじんこう)が広め今のように全国各地で学問の神として崇拝されるようになりました。

○○講の講は結社とか集まりとかと思ってください。庚申信仰をする集団である庚申講(こうしんこう)や富士信仰をする集団である富士講(ふじこう)などでも使われます。

菅原道真と梅と牛

太宰府に左遷された時、自宅の紅梅殿で詠んだ梅をテーマにした歌の中の梅の木が一夜のうちに太宰府に飛来した飛梅伝説(とびうめでんせつ)など梅にまつわる話が多く残っています。

また、菅原道真の遺言で「自分の遺骸を牛に乗せてその牛の行くところにとどめよ」とありその牛が動かなくなったところを墓所としたとのことです。これ以外にも牛を慈しんでいたようで、そのため、湯島天満宮の境内には石造りの臥牛があり、「撫でうし」として信仰されています。

アメヤ横丁(通称、アメ横)

  • 御徒町は元々は民家や長屋がひしめき合う下町の住宅街でした。江戸時代は将軍の護衛を行う下級武士(騎乗が許可されない武士)である御徒(おかち)が多く住んでいました。
  • アメヤ横丁の由来は2つの説があります。
    1. 戦後、飴を販売する店が並んでいたこと
    2. アメリカ進駐軍の放出物資を売る店も多かった説
  • 付近の上野広小路は上野にある広小路という意味です。江戸時代、火災が非常に多く一度家事になると木造建築のためどんどん拡大していきました。広小路はそれを止めるために設けられています。江戸市中に火除地として何箇所かありました。両国広小路、浅草広小路、大崎広小路などです。
明暦の大火・・・1657年に発生した江戸時代の最大と言われる火事です。別名振袖火事とも呼ばれます。死者は10万人とも言われます。これにより江戸のまちづくりなどシステムが大幅に変更されました。広小路や隅田川の橋ができたことや大名屋敷や寺社が江戸城から離れたところに移動したことなどがこの家事の影響です。

上野公園

  • 江戸時代は東叡山寛永寺がありました。
  • 戊辰戦争(上野戦争)により寛永寺が焼け野原となりました。
  • 焼けた上野台地をどうするかという状況で、オランダ人軍医であるボードワン博士が公園にすることを提言し日本発の公園となりました。
  • ボードワン博士の銅像が上野公園の中に設定されています。
  • 上野公園がある上野台地は遺跡や古墳もあり考古学的にも価値があります
  • 東叡山寛永寺は天台宗であり、比叡山延暦寺の影響を受けています。
  • 不忍池は琵琶湖を、弁天島は竹生島を表しています。
  • 清水寺を模した清水観音堂があり不忍池や弁天島が見渡せる場所にあります。
  • 清水観音堂の中には上野戦争時の砲弾が残っていて見ることができます。
  • 寛永寺には徳川15代のうち、6代が眠っています。他は芝増上寺に6代、日光東照宮に2代、谷中霊園に1代です。
  • 1884年~1892年、不忍池の周りは競馬場となっていました。
  • 不忍池には流入する川は現在はありません。出ていく川もありません。昔は両方ありました。その名残は今も少しあります。

イベントレポート

イベント終了後に投稿します。

この記事を書いた人
ゆる歴史散歩会 会長
なかまつ

北海道大学工学部卒。美術館は週に2回、海外旅行は年に6回行く、ゴリゴリの理系出身のIT系ビジネスマン。隣が図書館のため毎月10冊の本を借りている。趣味の延長で、東京の歴史や芸術を楽しむゆる〜いイベントを企画している。

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