高井戸・久我山の歴史散歩|東京ごみ戦争、浴風会の礼拝堂、玉川上水と向ノ原遺跡

東京都杉並区高井戸東にある杉並清掃工場の外観

京王井の頭線の高井戸から久我山にかけては、神田川と玉川上水に挟まれた武蔵野台地の一角です。現在の住宅地の中に、約3万年前の旧石器時代、江戸の上水、関東大震災後の社会福祉、昭和の「東京ごみ戦争」、そして現代の清掃工場まで、異なる時代の痕跡が近い距離に重なっています。

見どころは、杉並清掃工場と東京ごみ戦争歴史みらい館、焼却熱を利用する「高井戸の里 あし湯」、関東大震災をきっかけに生まれた浴風会の本館と礼拝堂、旧上高井戸村の鎮守・第六天神社、国史跡の玉川上水、高井戸公園、向ノ原遺跡です。近現代史だけでなく、なぜこの一帯に古い遺跡が集中するのかまで地形とともにたどれます。

杉並区の行政地図

2025年12月27日開催レポート|ごみ戦争から遺跡まで、高井戸・久我山を歩く

2025年12月27日11時から、12名で「ごみ戦争、足湯、歴史的建造物、多宗教の礼拝堂、遺跡などいろいろ巡ってみよう」を開催しました。杉並清掃工場と東京ごみ戦争歴史みらい館から始まり、焼却熱を利用する足湯、旧上高井戸村の鎮守、浴風会よくふうかいの歴史的建造物、さらに久我山周辺の遺跡へと視点を移しながら、近現代の都市問題と福祉、地域信仰、考古学までを一度にたどる内容です。

この地域の面白さは、年代の離れたテーマが徒歩圏に重なっていることです。昭和の「東京ごみ戦争」を伝える施設から、大正末~昭和初期の福祉建築、旧石器・縄文時代の遺跡まで、同じ街を歩きながら東京の都市史を時間軸で行き来できます。以下では、当日に確認した場所と写真を中心に振り返ります。各スポットの詳しい歴史背景は、この記事後半の解説もあわせてご覧ください。

今回の主な見学先

  • 杉並清掃工場・東京ごみ戦争歴史みらい館
  • 環境学習施設「高井戸の里 あし湯」
  • 第六天神社
  • 浴風会本館・礼拝堂・東京都太田記念館
  • 向ノ原遺跡B地点など久我山周辺の歴史スポット

杉並清掃工場で「東京ごみ戦争」を現地から考える

最初の大きなテーマは杉並清掃工場です。高く伸びる白い煙突を間近に見ると、現在の高井戸に清掃工場が存在すること自体が地域景観の一部になっていると分かります。一方、その建設までには長い住民運動と行政との交渉がありました。杉並区の記録によれば、1966年に東京都が高井戸への清掃工場建設を発表したことをきっかけに反対運動が始まり、1974年の和解を経て、初代工場は1982年に完成しました。

杉並区高井戸の杉並清掃工場に立つ白い煙突
杉並清掃工場の白い煙突。高井戸の街並みの中でも目印になる存在です。

館内では施設模型などを見ながら、ごみ処理施設がどのように街の中に組み込まれているのかを確認しました。現在の工場は2017年から稼働しており、焼却で生じる熱は発電や周辺施設への熱供給にも利用されています。

杉並清掃工場の館内展示と施設模型
杉並清掃工場の館内。施設模型などを見ながら、ごみ処理の仕組みを学びました。

東京ごみ戦争歴史みらい館では、清掃工場建設反対運動から和解、工場建設へ至るまでの資料や映像が展示されています。現在の施設だけを見ると完成した都市インフラに見えますが、展示を通すことで「どこに、どのような手続きで必要施設を置くのか」という都市行政の課題が、地域住民の生活と直結していたことが見えてきます。

杉並清掃工場内の東京ごみ戦争歴史みらい館入口
東京ごみ戦争歴史みらい館。清掃工場建設反対運動から和解、工場建設までの経緯を資料と映像でたどれます。

見学の流れの中では「高井戸の里 あし湯」にも立ち寄りました。ごみ焼却で生じる熱を利用した施設で、巨大な清掃工場のエネルギー利用を身近な形で体感できます。歴史資料を読んだ直後に足湯へ移ることで、かつて対立の焦点だった清掃工場が、現在は地域向け施設も備える場所になっている変化を具体的に感じられる構成でした。

杉並清掃工場の焼却熱を利用する高井戸の里あし湯
環境学習施設「高井戸の里 あし湯」。ごみの焼却で生じる熱が地域で活用されていることを体感できます。

第六天神社で旧上高井戸村の地域史に触れる

近代の清掃行政から時代をさかのぼり、第六天神社にも立ち寄りました。第六天神社は旧上高井戸村の鎮守とされ、現在の住宅地の中に村落時代の信仰の痕跡を伝えています。境内に入ると、清掃工場や幹線道路がある現在の高井戸とは異なる時間の層を意識できます。

杉並区高井戸西の第六天神社の鳥居と社殿
旧上高井戸村の鎮守と伝わる第六天神社。住宅地の中に地域の信仰の歴史が残っています。

浴風会で本館と礼拝堂の建築を見る

浴風会よくふうかいは関東大震災で被災した高齢者の援護を目的として設立され、1926年に本館が完成しました。今回の散歩では、本館を正面だけでなく裏側からも観察し、中央塔を核にした建物の構成や外壁の表情を見比べました。東京都選定歴史的建造物の解説板も確認し、建物が残されている理由を現地の説明と外観の両方から確かめました。

浴風会の歴史的建造物である礼拝堂の外観
浴風会の礼拝堂。1928年建造で、キリスト教礼拝堂を思わせる外観と梵鐘が同居する特徴的な建物です。
浴風会本館を裏側から見た外観
浴風会本館の裏側。中央塔を中心に左右へ広がる建物の構成を別の角度から確認しました。
浴風会本館の正面外観と前庭
浴風会本館の正面。1926年に完成し、東京都選定歴史的建造物となっています。
浴風会本館の東京都選定歴史的建造物解説板
浴風会本館の解説板。設計者や建築年、建物の特徴が紹介されています。

構内では、建物を単に外から眺めるのではなく、解説を確認しながら立ち止まって見学しました。写真のように建物と参加者が同じ画面に入ると、本館のスケール感も伝わります。

浴風会本館周辺を見学する参加者と建物外観
浴風会の構内を見学。歴史的建造物を実際の外観と解説を照らし合わせながら巡りました。

もう一つの見どころが礼拝堂らいはいどうです。浴風会公式の紹介では1928年の建造で、キリスト教の礼拝堂を思わせる外観を持つ一方、内部には1928年設置の梵鐘ぼんしょうがあるとされています。特定の宗教だけに寄せない浴風会の姿勢が建築にも表れた、今回のテーマを象徴する場所でした。

向ノ原遺跡B地点で、歴史の時間軸を旧石器・縄文時代へ

街歩きの時間軸は、近現代から一気に先史時代へさかのぼります。向ノ原遺跡むかいのはらいせきB地点は神田川南岸の台地上にあり、説明板によると旧石器時代から縄文時代早期前半にかけての集落跡です。1987~1988年の発掘では旧石器時代のナイフ形石器などの石器類や、調理・焚火の跡と考えられる礫群、縄文時代草創期の土器などが確認されています。

杉並区久我山の向ノ原遺跡B地点の説明板
向ノ原遺跡B地点の説明板。旧石器時代から縄文時代早期前半にかけての遺構・遺物が確認されています。

また、浴風会では東京都太田記念館の碑文も確認しました。現地に残る碑文や記念施設は、建物そのものの意匠だけでは読み取れない、施設と支援者・関係者とのつながりを知る手がかりになります。

浴風会にある東京都太田記念館の碑文と太田氏のレリーフ
浴風会の東京都太田記念館にある碑文。施設の由来と寄贈者について記されています。

清掃工場のような現代の都市インフラ、震災後の福祉施設、村の鎮守、そして旧石器・縄文時代の遺跡を一続きに歩いたことで、高井戸・久我山が「一つの時代の街」ではなく、長い時間の上に現在の住宅地が成り立っていることを実感できる散歩になりました。学習要素の多いコースですが、足湯や建築観察も挟みながら、テーマを切り替えて巡れるのがこの地域ならではの楽しさです。

高井戸・久我山は神田川と玉川上水にはさまれた歴史の帯

久我山くがやまから高井戸にかけての神田川流域では、向ノ原遺跡、東原遺跡、高井戸東遺跡など、旧石器時代から縄文時代に及ぶ遺跡がまとまって確認されています。神田川沿いの低地と、その南北に続く台地の縁が、古くから人の生活に適した場所だったことが考古資料からわかります。

江戸時代になると、この地域の南側を玉川上水が通り、武蔵野台地の村々へ水を分けながら江戸市中を支えました。さらに近代には鉄道や住宅地が広がり、関東大震災後には浴風会が設けられ、戦後の都市化の中では清掃工場建設をめぐる大きな住民運動が起きました。高井戸・久我山は、地形、水、福祉、都市インフラの歴史を一度に見られる地域です。

甲州街道側の高井戸の歴史は、当サイトの高井戸宿の史跡と神田川を巡る歴史散歩でも紹介しています。

杉並清掃工場――東京ごみ戦争の舞台に建った清掃工場

杉並清掃工場の歴史は、1966年11月14日、東京都が高井戸への清掃工場建設を新聞折り込みのチラシで知らせたことから大きく動き始めました。地域住民への事前説明がないまま計画が示され、5日後には建設反対期成同盟が発足します。1968年には測量隊の立ち入りを住民が阻止し、反対運動は足かけ9年に及びました。

背景には高度経済成長期のごみ急増があります。当時、東京23区のごみの多くを受け入れていた江東区では、悪臭やハエ、収集車から流れる汚汁など深刻な環境負担が続いていました。1971年9月28日、美濃部亮吉みのべりょうきち東京都知事は「ごみ戦争」を宣言。1972年と1973年には江東区が杉並区のごみ搬入を阻止し、東京全体の問題として対立が表面化しました。

1974年11月25日に東京地方裁判所で和解が成立し、工場は住民との協議を重ねながら建設されました。初代杉並清掃工場は1982年に完成し、1983年に本格操業を開始。現在の工場は2017年に建て替えを終え、「地域にとけ込み、信頼される清掃工場」を掲げています。高さ約160メートルの白い煙突は、高井戸の景観を遠くから見分ける目印です。

東京都杉並区高井戸東にある杉並清掃工場の外観
杉並清掃工場、2024年12月8日。撮影:Asanagi/Wikimedia Commons/CC0。

現在の杉並清掃工場では、可燃ごみを焼却し、その熱を発電や周辺施設への熱供給に利用しています。工場内にはごみ処理工程を見学できるルートがあり、敷地周辺にはウォーキングロードも整備されています。施設情報は東京二十三区清掃一部事務組合の杉並清掃工場公式ページで確認できます。

東京ごみ戦争歴史みらい館――住民運動と清掃行政を資料でたどる

東京ごみ戦争歴史みらい館は杉並清掃工場内にあり、清掃工場建設反対運動から和解、工場建設までの経過を資料や映像で紹介しています。高井戸の住民側は、安全や環境条件を具体的に求める協議へ進み、1974年の和解後も工場建設に住民の意見を反映させました。清掃工場建設の経緯は、都市インフラを地域との協議で形づくった記録として残されています。

杉並区によると、みらい館は午前9時から午後4時まで利用でき、最終入場は午後3時30分、休館日は日曜日と年末年始です。見学条件は変更される場合があるため、訪問前に杉並区の施設案内で最新情報を確認できます。

東京ごみ戦争の経緯を映像で見ると、年表だけではつかみにくい住民運動と行政交渉の距離感がわかります。以下の動画は、この章の背景理解に役立つ記録です。

もう一つの映像も、清掃工場と東京ごみ戦争を別の角度から確認できる資料です。現地を歩く前後に見ると、現在の静かな施設風景と昭和40年代の対立の落差がつかみやすくなります。

高井戸の里 あし湯――ごみの焼却熱を身近に感じる

環境学習施設「高井戸の里 あし湯」は、杉並清掃工場のごみ焼却で生じる熱を利用した足湯です。巨大な焼却炉や発電設備を見学したあと、同じエネルギー利用を足元で体感できる点が特徴です。

杉並区の案内では、利用時間は午前9時から午後3時30分、最終入場は午後3時です。日曜日、年末年始のほか、定期補修工事などで熱供給ができない日も休止します。足ふきタオル等が必要です。

高井戸市民センターと杉並清掃工場の煙突
高井戸市民センターと杉並清掃工場の煙突、2025年3月13日。撮影:Asanagi/Wikimedia Commons/CC0。

第六天神社――旧上高井戸村の鎮守

第六天神社は旧上高井戸村の鎮守です。創建年代は詳しくわかっていませんが、杉並区の文化財案内では鎌倉時代頃と伝えられています。祭神は面足命おもたるのみことと惶根命かしこねのみことです。

天保年間(1830~1843)に本殿と拝殿が焼失し、本殿は1856年、拝殿は1881年に再建されました。中央自動車道の新設にともない、1972年には鉄筋コンクリート製の覆殿と幣殿が設けられています。道路と住宅に囲まれた現在の境内に、江戸末期から明治期の社殿の系譜が残ります。

かつての祭礼では、宵宮に農作業を終えた人々が当番で拝殿にこもる「おこもり」が行われ、昭和初期頃までは雨乞い神楽も伝わっていました。神社は信仰の場であると同時に、農村だった上高井戸の暮らしを伝える場所です。

東京都杉並区高井戸西にある第六天神社の拝殿
高井戸の第六天神社拝殿、2015年2月25日。撮影:Thirteen-fri/Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0。

由緒と祭礼は杉並区の第六天神社文化財案内でも確認できます。

浴風会――関東大震災から始まった高齢者福祉

浴風会よくふうかいは、1923年の関東大震災で被災し、自力で生活することが難しくなった高齢者を援護するために設立されました。御下賜金と義捐金を設立資金とし、1925年1月15日に財団法人として認可されています。1926年に本館が竣工し、翌1927年から浴風園で入所者の受け入れが始まりました。

浴風会本館は、内田祥三うちだよしかずと土岐達人ときたつんどの設計で1926年に完成しました。中央に塔を置き、左右へ翼部を広げる外観は、内田が手がけた東京大学安田講堂にも通じる構成です。2001年には東京都選定歴史的建造物に選定されました。

関東大震災後の社会事業という点では、同じ震災を契機に住宅供給を担った同潤会とも時代背景が重なります。当サイトの表参道・青山の歴史散歩では、1927年完成の同潤会青山アパートを紹介しています。

浴風会礼拝堂――キリスト教建築の姿と梵鐘が同居する

浴風会の礼拝堂は1928年に建てられました。本館と同じ設計者が担当し、広い敷地の中央部に配置されています。外観にはキリスト教の礼拝堂を思わせる要素がある一方、内部には仏教の法要にも対応する空間があり、1928年設置の梵鐘も残ります。

浴風会は特定宗派に限定せず、入所者それぞれの信仰に配慮してきました。その考え方が建物にも表れ、礼拝堂の中に異なる宗教文化の要素が共存しています。高齢者福祉施設の建築としてだけでなく、大正末から昭和初期の社会事業が信仰をどう扱ったかを見られる貴重な建造物です。

本館と礼拝堂の歴史は、浴風会公式の法人概要と浴風会公式の礼拝堂紹介で確認できます。

玉川上水――江戸の人口増加を支えた43キロの水路

玉川上水は、江戸の人口増加に対応するため幕府が1652年に整備を計画し、1653年に庄右衛門しょうえもん・清右衛門せいえもん兄弟が工事を請け負って開削しました。羽村取水口から四谷大木戸まで約43キロメートル、高低差は約92メートルです。自然流下だけで水を運ぶため、武蔵野台地のわずかな起伏を読みながら水路が通されました。

杉並区内では牟礼橋から代田橋まで約6キロメートルを流れ、周辺の村々へ分水されました。飲料水だけでなく、灌漑や水車の動力にも使われ、武蔵野台地の新田開発を支えます。久我山付近には烏山村分水口跡や上北沢村分水口跡も残り、上水が「江戸へ水を送る水路」であると同時に、沿線の村を潤したインフラだったことがわかります。

玉川上水は2003年、江戸・東京の発展を支えた土木遺産として国の史跡に指定されました。現在の流れや制度の変化は、東京都水道局の玉川上水の歴史が詳しいです。

下流の新宿・笹塚で玉川上水が暗渠へ変わっていく様子は、玉川上水旧水路を歩く新宿〜笹塚の歴史散歩で詳しく紹介しています。

高井戸公園――神田川と玉川上水の間に広がる新しい都立公園

高井戸公園は、神田川と玉川上水にはさまれた武蔵野台地上にある都立公園です。1957年に都市計画決定され、旧NHK富士見ヶ丘運動場などの土地取得と整備を経て、2020年6月1日に一部開園しました。2024年6月時点の開園面積は約10.9ヘクタールで、芝生広場、野球場、球技場、テニスコートなどがあります。

芝生広場は災害時の復旧・救援活動の場としても位置づけられています。地上では新しい公園ですが、その地下と周辺には旧石器・縄文時代の遺跡が広がり、近代の運動施設から防災公園への土地利用の変化も重なっています。

向ノ原遺跡B地点――神田川南岸に残る最古級の縄文文化

向ノ原遺跡B地点は、神田川南岸の台地上にある旧石器時代から縄文時代早期前半の遺跡です。東側の高井戸公園付近に広がる向ノ原遺跡と同じ遺跡の西端にあたります。

1987年から1988年にかけての発掘調査では、旧石器時代のナイフ形石器や、調理・焚火の跡と考えられる礫群れきぐんが8か所確認されました。縄文時代では、草創期そうそうきの隆起線文りゅうきせんもん土器と爪形文土器が約30点出土し、早期前半の住居跡も6基見つかっています。

さらに高井戸側の高井戸東遺跡では、約3万2千年前と推定される局部磨製石斧などが出土しています。神田川上流の久我山から高井戸にかけて、旧石器時代から縄文時代草創期の遺跡が集中することは、この地域の歴史を理解する大きな手がかりです。

杉並区高井戸地区を流れる神田川と桜並木
高井戸橋から見た神田川と桜並木、2023年3月31日。撮影:MaedaAkihiko/Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0。

出土資料の概要は杉並区の向ノ原遺跡B地点、高井戸東遺跡については杉並区の高井戸東遺跡で確認できます。

高井戸・久我山を歩くと、東京の都市史が一続きになる

この一帯では、神田川沿いの遺跡、江戸の玉川上水、旧村の鎮守、関東大震災後の浴風会、東京ごみ戦争を経て建った杉並清掃工場が、徒歩圏に並びます。時代ごとに別々の史跡として見るより、水と台地を軸に歩くと、高井戸・久我山が長く生活の場所として選ばれてきた流れがつながります。

神田川の治水や東京の地下インフラまで広げて知りたい場合は、神田川・環七地下調節池の解説もあわせて読むと、古代から現代までの「水と都市」の変化を追えます。

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街歩きの途中で周辺の史跡をさらに探したいときは、TimeWalkを使うと、現在地や指定地点の近くにある歴史スポットを地図で探せます。高井戸・久我山のように遺跡、神社、歴史的建造物、水路が近接する地域では、寄り道先を見つけるのにも向いています。

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