表参道・青山・西麻布・六本木の歴史散歩|夜の街を歩いてたどる

表参道~六本木ナイトウォーク

表参道から青山、西麻布を抜けて六本木へ。夜になるとショーウインドーや街路樹の光が目を引く道ですが、足元には明治神宮の参道、江戸の大山道、戦災、暗渠、軍用地の記憶が重なっています。

2023年9月の夜散歩で歩いたエリアを軸に、現在の街並みからたどれる歴史をまとめました。表参道では近代東京の都市計画と戦災、青山では地名と街道、西麻布では川と旧町名、六本木では軍都から文化施設へ変わった土地の履歴をたどります。

表参道|明治神宮の参道と同潤会の記憶

表参道は、1920年に鎮座した明治神宮へ向かう正面参道として整備された道です。青山通りから神宮橋方面へ延びる大通りとケヤキ並木は、その後の街の骨格になりました。現在はファッションの街として知られますが、出発点には大正期の都市整備があります。

表参道のケヤキ並木と表参道ヒルズ
表参道のケヤキ並木。左手に表参道ヒルズが見えます(2007年)/撮影:Ystokyo、Wikimedia Commons(Public Domain)

1927年、同潤会青山アパートが建つ

関東大震災後の住宅供給を担った同潤会どうじゅんかいは、1927年に表参道沿いへ青山アパートを完成させました。鉄筋コンクリート造の集合住宅は、住まいだけでなく店舗やギャラリーも入るようになり、長く表参道の景観を形づくりました。

解体前の同潤会青山アパート(2002年)
解体前の同潤会青山アパート(2002年)/撮影:PhantomII.Rider、Wikimedia Commons、CC BY-SA 4.0

青山アパートは2003年に解体され、跡地には2006年に表参道ヒルズが開業しました。旧アパートの記憶は「同潤館」に受け継がれています。表参道ヒルズの内部には、表参道の坂とほぼ同じ勾配で続くスロープが設けられ、土地の傾斜そのものが建築に取り込まれています。

原宿から表参道、青山にかけての暗渠や同潤会、善光寺まで詳しく歩くなら、「原宿・表参道・青山の歴史散歩」でさらに詳しく紹介しています。

表参道交差点|1945年5月25日の山の手空襲

1945年5月25日夜から26日未明、東京の山の手一帯は大規模な空襲を受けました。赤坂・青山周辺にも焼夷弾しょういだんが降り、表参道と青山通りの交差点付近では多くの人が犠牲になりました。3月10日の下町大空襲とは別の日に、現在の表参道も激しい戦災に見舞われています。

表参道交差点近くには、戦災犠牲者慰霊碑「和をのぞむ」が立っています。港区政60周年を機に2007年に建立されたもので、華やかな通りの一角に1945年の記憶を残しています。現在のケヤキ並木にも、戦後に植え直された木々が含まれます。

青山|大山道と青山家の土地を歩く

「青山」の地名は、徳川家康の重臣青山忠成あおやまただなりに由来します。1590年、忠成は赤坂から渋谷方面に広がる土地を与えられ、その後、青山家の名が一帯の地名として定着しました。

現在の青山通りは、江戸時代の大山道おおやまみちに重なります。江戸から相模国の大山へ向かう道として人々が行き交い、近代には東京の幹線道路へ変わりました。1964年の東京オリンピックを前に道路の拡幅や都市整備が進み、現在の青山の景観へつながっています。

南青山の青山霊園も青山家の土地に由来します。1872年に神葬墓地として開かれ、1874年には公共墓地として広く利用されるようになりました。大通りから少し入るだけで、江戸の大名屋敷地と明治以降の東京の墓地政策が同じ地形の上に重なっていることが分かります。

西麻布|「笄」の地名と暗渠になった川

現在の西麻布という町名は1967年に生まれました。それ以前は麻布笄町、麻布霞町など複数の町に分かれており、古い町名は坂や橋の名に残っています。

その代表が「こうがい」です。かつて根津美術館の池付近を水源とする笄川が流れ、天現寺付近で古川へ合流していました。現在の川は暗渠あんきょとなり、水面は地上から姿を消しています。それでも笄坂、笄橋、旧笄町という名前を追うと、谷筋に沿って水が流れていた時代の地形が浮かび上がります。

西麻布の笄坂
笄坂。坂下を流れていた笄川と旧地名「笄町」の記憶を伝えます。写真:港区(CC BY)

西麻布の坂と旧町名をさらに歩くなら、「西麻布の歴史を巡る夜散歩」で詳しく紹介しています。

六本木|軍都の痕跡から国立新美術館へ

西麻布から六本木へ入ると、街の歴史は軍用地と戦後の再編へつながります。現在の六本木7丁目にある国立新美術館の敷地は、かつて陸軍第一師団歩兵第三連隊の兵営でした。現存する別館は1928年に建てられた兵舎の一部です。

敗戦後、敷地は米軍に接収され、返還後は東京大学の研究施設として使われました。その後、国立新美術館が整備され、2007年に開館します。夜の六本木で美術館の周囲を歩くと、軍隊の土地が研究施設を経て文化施設へ変わった約80年の土地利用が一か所に重なっています。

六本木7丁目と乃木坂の軍都・再開発の歴史は、「六本木7丁目・乃木坂の歴史散歩」で詳しく紹介しています。六本木全体を丁目別にたどる場合は、「六本木1〜7丁目の歴史」もあわせて読めます。

表参道から六本木まで、夜散歩でたどれる4つの時代

  1. 表参道:1920年の明治神宮鎮座と参道整備、1927年の同潤会青山アパート、1945年の山の手空襲
  2. 青山:1590年から続く青山家の地名、大山道から青山通りへの変化
  3. 西麻布:旧笄町と笄川の暗渠、坂に残る江戸以来の地形
  4. 六本木:陸軍兵営、米軍接収、東京大学を経て国立新美術館へ移った土地利用

表参道から六本木までの道には、江戸の街道と大名屋敷、大正期の都市整備、戦争と復興、戦後の再開発が、歩ける距離の中に連続しています。夜の景色を眺めながら歩くと、昼とは違う静けさの中で坂や道幅、古い地名が目に入りやすくなります。

参考資料