東武東上線の大山駅を出ると、すぐに長いアーケードが続きます。ハッピーロード大山商店街は、約560メートルに約200店が集まる板橋区有数の商店街です。ところが少し歩けば、旧川越街道の記憶、大山福地蔵、渋沢栄一が長く運営に携わった養育院の跡へと景色がつながります。
大山は、街道沿いの往来、鉄道開通、戦後の商業発展、近代福祉、そして現在の再開発が重なる街です。商店街だけを歩いても楽しい場所ですが、歴史を知ると「なぜここに人が集まり続けたのか」が立体的に見えてきます。
大山の歴史散歩|まず押さえたい街の成り立ち
板橋区の「大山まちづくり総合計画」では、「大山」という地名について、現在の東京都健康長寿医療センター付近にあった丘を「大山」と呼んだという説と、神奈川県の大山へ向かう大山詣でに由来するという説が紹介されています。
この地域は、板橋宿から川越城方面へ向かう川越街道沿いに位置していました。川越街道は中山道の脇往還として江戸と川越を結び、江戸幕府成立後には重要幹線として整備されました。現在の大山周辺にも、人や物が行き交う道の歴史が残っています。
大山福地蔵に残る、街道沿いの記憶
大山54番地には、大山福地蔵があります。板橋区の案内によれば、文化・文政期ごろ、川越街道付近に「お福」という行者が現れ、街道筋の人々の病苦を癒やして慕われたと伝わります。のちに大山で暮らし、地元の人々から「お福地蔵」として祀られました。

現在の大山は商店街の印象が強い一方、この地蔵尊は、商店街成立以前から街道を行き交った人々の生活を感じられる場所です。
大山駅の開業が、人の流れを変えた
1914(大正3)年に東上鉄道、現在の東武東上線が開通し、1931(昭和6)年には大山駅が開業しました。板橋区は、大山駅の開業によって人の集まりがさらに増え、街が発展したとしています。

江戸期には街道が人の往来を支え、近代になると鉄道が新しい流れをつくりました。大山の商業地としての成長は、この二つの交通軸の上に重なっています。
ハッピーロード大山商店街は1978年に誕生
現在のハッピーロード大山商店街は、1978(昭和53)年にアーケード商店街として誕生しました。東武鉄道の公式紹介では、全長約560メートル、約200店舗が集まり、1日に約3万人が行き交う商店街とされています。

青果、惣菜、飲食、菓子、衣料、生活用品など、日常の買い物を支える店が連なり、食べ歩き目的でも楽しめます。大山駅南口から商店街へ入ると、そのまま川越街道方向へ歩けるため、歴史散歩の導線としても分かりやすい構造です。
大山では、古い街道と鉄道駅、その周囲の住宅地や公共施設が近い距離に重なり、巨大商店街のにぎわいを支えています。数百メートル歩くうちに、商業の街から近代福祉の歴史へ場面が切り替わります。
養育院|江戸の救済制度から始まる東京の福祉史
大山駅の北側にある東京都健康長寿医療センターは、1872(明治5)年に創立された養育院をルーツとします。養育院は、明治初期の東京で困窮者、病者、孤児、高齢者、障害者などを保護した施設でした。
その原資につながったのが、松平定信の寛政の改革で始まった七分積金です。町の経費を節約して積み立て、災害や困窮への備えとした仕組みで、明治維新後に東京府へ引き継がれました。
養育院設立時の東京府知事だった大久保一翁は、幕末から救済施設の設置構想を持っていました。江戸期の救済資金と明治政府の都市政策が結びつき、近代東京の福祉施設へ受け継がれていきます。
渋沢栄一が約50年支えた養育院
渋沢栄一は1874(明治7)年から養育院の運営に関わり、1876(明治9)年に事務長へ就任しました。1890(明治23)年に養育院が東京市営となると院長となり、1931(昭和6)年に亡くなるまで長く運営を支えました。

養育院には廃止論が起きた時期もありましたが、渋沢は存続に力を尽くし、分院や専門施設を整えて事業を広げました。企業経営だけでなく、都市で暮らしを失った人を支える仕組みの維持にも深く関わった人物です。
渋沢栄一が東京で関わった銀行、製紙、ガス、ホテル、物流、福祉を一続きに見たい場合は、「渋沢栄一が形づくった東京|日本橋・兜町・王子・飛鳥山を歩く」で詳しく紹介しています。
なぜ養育院は板橋・大山に来たのか
養育院は創立以来、東京市内で移転を重ねました。本郷、浅草、神田、本所、大塚などを経て、板橋へ拠点を移していきます。板橋分院は1914(大正3)年に開設されました。
転機となったのが1923(大正12)年の関東大震災です。大塚の施設が被災したため、板橋の分院が本院となりました。現在の大山周辺に養育院の歴史が残るのは、この移転の結果です。
東京都健康長寿医療センターの敷地には、1925(大正14)年に建立された旧養育院長渋沢栄一銅像が残ります。渋沢本人も除幕式に出席しました。隣には「養育院本院」の碑があり、病院の敷地そのものが養育院の歴史を伝える場所になっています。
養育院・渋沢記念コーナー
東京都健康長寿医療センター病院棟2階には「養育院・渋沢記念コーナー」があります。養育院から現在のセンターまで約150年の歴史を、パネルや実物資料で紹介しています。公式案内では平日9時から17時まで利用できます。

1972(昭和47)年には東京都養育院附属病院が設立され、1986(昭和61)年に東京都老人医療センターへ改称。2009(平成21)年には病院と研究所を統合した地方独立行政法人東京都健康長寿医療センターが発足し、2013(平成25)年に現在の新病院が開院しました。
いま大山の景色は大きく変わっている
大山では現在、駅周辺のまちづくりと再開発が進んでいます。ハッピーロード大山商店街の中ほどに位置する大山町クロスポイント周辺地区では、補助第26号線の整備と市街地再開発が一体で進められ、再開発事業は2026(令和8)年6月12日付の組合解散認可をもって完了しました。
道路整備によりアーケードの一部が撤去され、東武東上線の立体化や駅前広場を含む計画も進んでいます。歴史散歩というと古い建物を探すイメージがありますが、大山では「街が変わる途中」そのものを歩いて確認できます。
東京各地の再開発を、江戸・明治以来の街の成り立ちと合わせて見たい場合は、「東京の再開発10地区|築地・高輪・渋谷・新宿はどう変わる?」もあわせてどうぞ。
大山を歩くなら、この順番が分かりやすい
- 東武東上線・大山駅
- ハッピーロード大山商店街
- 大山福地蔵
- 旧川越街道周辺
- 東京都健康長寿医療センター
- 旧養育院長渋沢栄一銅像・養育院本院碑
- 養育院・渋沢記念コーナー
商店街で食べ歩きを楽しみながら歴史スポットをつなげられるのが、このコースの特徴です。大山駅を中心にまとまっているため、各地点を別々に訪れるよりも、街道、商店街、福祉施設の位置関係をつかみやすくなります。
大山の歴史を歩くと見えるもの
大山のにぎわいは、江戸期の街道交通から近代の鉄道、戦後の商業発展へと積み重なってきました。江戸期には川越街道が人と物を運び、近代には鉄道と大山駅が新しい人の流れを生み、戦後の商業発展の上にハッピーロード大山が誕生しました。その近くでは、江戸の救済制度を受け継いだ養育院が板橋へ移り、現在の東京都健康長寿医療センターへ歴史をつないでいます。
アーケードの買い物客、街道沿いの地蔵尊、病院の敷地に立つ渋沢栄一像。現在の街並みの中に、異なる時代の痕跡が数分おきに現れるのが大山です。

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