八王子の歴史と絹の道を歩く|鑓水商人・八王子宿・道了堂跡・絹の道資料館

八王子市鑓水の大塚山公園に残る道了堂跡の礎石と石造物

八王子の歴史は、八王子城だけでは終わりません。今回歩いたのは、八王子駅周辺の子安神社、甲州街道八日市宿跡、大久保長安陣屋跡、桑都日本遺産センター 八王子博物館から、鑓水の道了堂跡、絹の道、絹の道資料館、大塚五郎吉屋敷跡、小泉家屋敷へ続くルートです。

歩くと、平安期に由来する「八王子」の地名、北条氏照と八王子城、江戸時代の甲州街道と八王子宿、幕末の横浜開港、鑓水商人による生糸流通までが一続きになります。現在の市街地や多摩丘陵に、古代・中世・近世・近代の痕跡が重なっていることが分かるコースです。

今回のコース概要|八王子駅周辺から鑓水・絹の道へ

区分内容
前半子安神社、市守大鳥神社、横山党館、極楽寺、甲州街道八日市宿跡、大久保長安陣屋跡、念仏院、本立寺、桑都日本遺産センター 八王子博物館
後半坂上バス停、道了堂跡、浜街道鑓水峠越(絹の道)、絹の道資料館、大塚五郎吉屋敷跡、小泉家屋敷、永泉寺
移動当日の記録では八王子駅南口から坂上までバスを利用。後半終了後は永泉寺入口から南大沢駅、新宿方面へ移動
主なテーマ八王子の地名、北条氏照、八王子城、甲州街道、八王子宿、八王子千人同心、桑都、横浜開港、鑓水商人、絹の道

八王子の歴史を簡単に|城下・宿場・桑都・絹の道

八王子市は東京都南西部、多摩地域に位置します。2026年6月末の住民基本台帳人口は559,727人です。市街地の西側には高尾山や八王子城跡、南側には多摩丘陵が広がり、中心部は甲州街道と鉄道によって発展してきました。人口は八王子市の住民基本台帳人口を参照しています。

戦国時代には北条氏照が八王子城を拠点とし、1590年の落城後は徳川家康の支配下で大久保長安らが新しい八王子宿の整備を進めました。江戸時代には甲州道中の宿場と八王子千人同心の町として栄え、周辺では養蚕・織物も発達します。

1859年に横浜港が開港すると、八王子周辺に集まった生糸は鑓水を通って横浜へ運ばれました。この道が後に「絹の道」と呼ばれます。八王子が「桑都」と呼ばれる背景には、養蚕・織物だけでなく、生糸を集めて横浜と結ぶ流通の歴史もありました。東京各地の産業史とのつながりは、東京の産業集積地図|皮革・紙・薬問屋・玩具・問屋街から読む街の歴史でも紹介しています。

「八王子」の地名の由来|八王子神社と北条氏照

八王子市の公式資料では、延喜16年(916年)、妙行という僧が現在の元八王子町にある深沢山の麓に庵を建て、牛頭天王と8人の王子を祀って八王子権現と称したという伝承が地名の背景とされています。北条氏照が深沢山に城を築いた際、この八王子権現を守護神とし、城は八王子城と呼ばれました。

北条氏照(1542~1590)は後北条氏の有力武将で、八王子城を西方防衛の拠点としました。1590年、豊臣秀吉の小田原攻めで氏照自身は小田原城に入り、八王子城は前田利家・上杉景勝らの軍勢に攻められて落城します。小田原開城後、氏照は兄の北条氏政とともに切腹しました。

八王子城落城後、大久保長安によって甲州道中の新しい八王子宿が整えられ、古い八王子の地域は「元八王子」と呼ばれるようになりました。地名の成立には、八王子信仰、八王子城、宿場の移転が重なっています。詳しくは八王子市公式の八王子市の名前の由来(八王子神社)で確認できます。

八王子の地名に残る歴史|子安町・片倉・鑓水

子安町は子安神社に由来します。八王子市公式では、天平宝字3年(759年)、淳仁天皇の妃・粟田諸姉の安産祈願のため子安明神が祀られたことを起源としています。

片倉には片倉城跡があり、丘陵と谷が入り組む八王子南部の地形を体感できます。地名の語源には複数の説明があるため、ここでは現地で確認できる片倉城跡と地形の関係を押さえておくと理解しやすいです。

鑓水(やりみず)は多摩丘陵の谷戸に広がる地域です。幕末から明治にかけて生糸商人の拠点となり、八王子と横浜を結ぶ流通の中継地として発展しました。現在は住宅地と里山景観の中に、商人屋敷跡、石垣、道標、古道が残っています。

前半ルート|八王子駅周辺で甲州街道・八王子宿を歩く

前半は八王子駅周辺を歩きます。神社、中世武士の痕跡、八王子城落城後の宿場整備、八王子千人同心まで、中心市街地に残る歴史を時代順に追える区間です。各名称はGoogleマップへのリンクです。

  1. 子安神社
    子安町の地名につながる神社です。八王子市域で最古級の草創年代を伝え、古代から続く地域信仰を知る起点になります。現在の八王子駅周辺に、近世の宿場より古い歴史があることを確認できます。
  2. 市守大鳥神社
  3. 横山党館
    横山党は武蔵七党の一つです。中世の武士団が活動した土地と、後の八王子宿の市街地が重なっていることが分かります。
  4. 極楽寺
    1504年(永正元年)、滝山城主大石定重が城下に創建したと伝わり、北条氏照の八王子城築城に伴って移転し、落城後に現在地へ移ったとされます。境内には北条氏照の家臣・長田作左衛門、八王子千人同心組頭の塩野適斎、武田氏滅亡後に松姫とともに八王子へ来た玉田院に関わる墓があります。戦国から江戸へ町の中心が移る過程を一か所で追える寺です。
  5. 甲州街道八日市宿跡
    江戸時代の八王子宿は、甲州道中沿いに連なる宿々から構成されました。八日市宿跡では、現在の中心市街地が宿場町として発展した歴史を確認できます。建物が残っていない場所でも、街路や地名を追うと宿場の範囲が見えてきます。
  6. 大久保石見守長安陣屋跡
    大久保長安(1545~1613)は八王子城落城後、新しい八王子宿の整備に関わり、八王子に陣屋を置きました。八王子の中心が山城の城下から甲州道中沿いの宿場へ移ったことを理解する重要地点です。
  7. 念仏院(時の鐘)
  8. 本立寺
    八王子千人同心の千人頭・原胤敦(1749~1827)の墓があります。原胤敦は1800年に蝦夷地御用で白糠へ赴き、『新編武蔵国風土記稿』の編纂にも関わりました。八王子千人同心をさらに知るなら、ひの新選組まつり〜日野市郷土資料館〜立川市柴崎町にも関連人物と多摩地域のつながりがあります。
  9. 桑都日本遺産センター 八王子博物館
    八王子の歴史を通史で確認できる施設です。現地を歩いた後に展示を見ると、八王子城、甲州道中、千人同心、織物・養蚕が別々の話ではなく、同じ地域史の中でつながります。
  10. つるや製菓の都まんじゅう(時間があれば)
    八王子駅周辺で親しまれてきた焼きまんじゅうです。歴史散歩の途中で、現在の街の名物にも触れられます。

絹の道とは|八王子・鑓水と横浜港を結んだ生糸の道

絹の道は、八王子方面から鑓水を通り横浜へ向かう街道です。もとは「神奈川往還」「浜街道」と呼ばれ、1859年の横浜開港後、輸出用の生糸を運ぶ主要な流通路の一つになりました。八王子市は、八王子の中心部から鑓水を経て横浜へ至る浜街道が生糸の流通路となり、後に「絹の道」と呼ばれるようになったと説明しています。

生糸は山梨・長野や関東各地から八王子周辺へ集まり、商人の手で横浜へ送られました。港からは海外へ輸出され、幕末から明治初期の日本にとって重要な輸出品となります。街道には荷を運ぶ人だけでなく外国人も往来し、八王子市の資料ではハインリヒ・シュリーマンや写真家フェリックス・ベアトらが八王子宿や養蚕の様子を記録したことも紹介されています。

鑓水商人とは|生糸取引で栄えた大塚五郎吉・八木下要右衛門

鑓水商人は、鑓水を拠点に生糸の売買と輸送を担った商人です。横浜開港以前から生糸取引に関わり、開港後は横浜との商流が拡大しました。平本平兵衛、八木下要右衛門、大塚徳左衛門、大塚五郎吉などが知られています。

鑓水商人は利益を蓄えるだけでなく、地域にも痕跡を残しました。大塚山の道了堂、諏訪神社の石灯籠、商人屋敷の石垣などです。現地では「商人がいた」という説明だけでなく、なぜこの丘陵の集落に大きな屋敷や石垣が残るのかを見ると、生糸流通で得た富と地域社会の関係が分かります。

その後、鉄道の発達や生糸流通の仕組みの変化によって、浜街道を利用する輸送の重要性は低下しました。短期間に繁栄した鑓水商人の記憶が、道了堂跡、屋敷跡、絹の道資料館に残っています。八王子市公式の世界とつながった絹の道でも、鑓水商人と横浜開港の関係を確認できます。

後半ルート|鑓水の道了堂跡・絹の道資料館を歩く

後半は八王子駅からバスで坂上へ移動し、多摩丘陵の鑓水を歩きました。当日の記録では13:02に八王子駅南口2番のりばを出発し、13:26に坂上へ到着しています。

  1. 坂上(バス停)(集合場所)
  2. 北野台堂の下公園
  3. 道了堂跡
    1874年、鑓水商人の大塚五郎吉が中心となり、浅草花川戸から道了尊を勧請して建立した堂の跡です。鑓水商人が生糸取引で得た富を地域の信仰や施設に還元した例で、現在は大塚山公園に礎石や石造物が残ります。現地では建物そのものより、丘陵の街道沿いに堂を建てた立地と残存する石造物を見ます。
  4. 八王子市鑓水の大塚山公園に残る道了堂跡の礎石と石造物
    鑓水の道了堂跡、2010年。撮影:Tx-re/Wikimedia Commons/Public Domain。
  5. 東京都水道局 鑓水給水所
    丘陵上にある給水施設です。鑓水の古道が現在の大規模住宅地や都市インフラと隣り合っていることが分かります。
  6. 浜街道鑓水峠越(絹の道)
    かつて「神奈川往還」「浜街道」と呼ばれた道で、横浜開港後に輸出用生糸が運ばれました。現在も未舗装の古道区間が残り、荷を運んだ当時の道幅や丘陵越えの地形を体感できます。史跡名だけを見るより、坂、路面、切通し状の地形に注目すると輸送路だった理由が分かります。
  7. 絹の道供養塔
  8. 絹の道資料館(八木下要右衛門屋敷跡)
    生糸商人・八木下要右衛門の屋敷跡に建つ資料館です。養蚕、製糸、鑓水商人、絹の道に関する資料を展示しています。屋敷跡の石垣も見どころで、鑓水商人の経済力を現地で確認できます。最新の開館情報は八王子市公式の絹の道資料館で確認してください。
  9. 八王子道道標
    鑓水が八王子方面と周辺村落を結ぶ交通の分岐点だったことを伝える道標です。古道歩きでは、道標の向きと現在の道路を見比べると旧道の方向が分かりやすくなります。
  10. 大塚五郎吉屋敷跡
    道了堂建立の中心となった鑓水商人・大塚五郎吉の屋敷跡です。道了堂跡とあわせて歩くことで、商人の居住地と街道沿いの信仰施設の位置関係を確認できます。
  11. 鑓水板木の杜緑地
    鑓水の谷戸と丘陵の自然を残す場所です。絹の道は都市間を結ぶ街道であると同時に、このような起伏のある地形を越える道でした。
  12. 小泉家屋敷
    多摩丘陵の養蚕農家の姿をよく残す歴史的建造物です。現在の主屋は1878年に再建されたもので、商人側の資料だけでは見えにくい「生糸を生み出した農村」の生活を伝えます。絹の道を理解するうえで、流通だけでなく養蚕農家を見る重要地点です。
  13. 曹洞宗 高雲山 永泉寺
    鑓水の集落にある寺院で、八木下家の母屋を移築して本堂としたと伝えられています。絹の道資料館の屋敷跡とあわせて見ると、鑓水商人の家と地域の寺院のつながりが分かります。

鑓水・絹の道で現地を見るポイント

  • 道の起伏:生糸を運んだ浜街道は多摩丘陵を越えます。古道の坂や路面に注目すると輸送の負担を想像できます。
  • 石垣と屋敷跡:絹の道資料館周辺には鑓水商人の富を伝える痕跡があります。
  • 養蚕農家:小泉家屋敷を見ると、生糸流通を支えた農村側の生活まで視野が広がります。
  • 道了堂跡:商人の利益が地域の信仰や公共的な施設に使われたことを示す場所です。

町田側から絹の道周辺を歩く場合は、野津田・小野路で新緑を満喫!町田の歴史、自然、建築、史跡などをたっぷり楽しもうもあわせてどうぞ。小野路宿や鎌倉古道、町田駅周辺の絹の道碑まで、南側から地域史をつなげられます。

帰宅ルート(当日の記録)

Googleルート検索

八王子・多摩の歴史をさらに歩く

八王子千人同心と多摩の幕末史をつなげたい場合は、日野の新選組・八王子千人同心を巡る散歩が関連します。絹の道を町田側へ延ばすなら、野津田・小野路の歴史散歩へ続けられます。

ゆる歴史散歩会では、東京周辺の史跡、神社仏閣、建築、地形などを実際に歩くイベントを開催しています。募集中の街歩きは今後のイベント一覧から確認できます。

TimeWalkで八王子・鑓水の歴史スポットを探す

TimeWalkは、現在地や指定地点の近くにある歴史スポットを地図で探し、自分で歴史散歩を楽しめるWebアプリです。八王子駅周辺や鑓水で、この記事に載っていない史跡を探しながら歩きたい場合にも使えます。

参考資料

この記事を書いた人
ゆる歴史散歩会 運営者
なかまつ

北海道大学工学部卒。現在はIT系会社員の傍ら、年間400回以上の街歩きイベントを企画し、これまで延べ25,000名以上の方にご参加いただいている、ゆる歴史散歩サークルを運営しています。東京の歴史・文化・建築・地形などを、初心者でも気軽に楽しめるイベントとして企画しています。

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