枝川と塩浜エリア(豊洲~木場)を歩いてみました|しおかぜ橋の夜景と運河の歴史散歩

汐見運河に架かる夜のしおかぜ橋と水面に映る橋の灯り イベント
汐見運河越しに見る、ライトアップされた夜のしおかぜ橋。

2025年3月19日(水)19時30分から、ゆる歴史散歩会では「枝川と塩浜エリア(豊洲~木場)を歩いてみます♪」を開催しました。参加者は9人。豊洲駅周辺から枝川・塩浜を通り、木場・東陽町方面へ抜ける夜の街歩きです。

今回のテーマは、江東区湾岸部の「埋立地」「運河」「物流」「戦後のまちの変化」です。豊洲の再開発された街並みから少し東へ歩くだけで、運河に囲まれた住宅地、貨物線の痕跡、橋の形、洲崎や木場へ続く水辺の歴史が見えてきます。夜風が気持ちよく、ドラマや映画のロケ地に出てきそうな、きれいで落ち着いた雰囲気の夜散歩になりました。

枝川・塩浜は、豊洲と木場・深川の間にある水辺の街です。観光名所が連続する場所ではありませんが、埋立地、運河、物流、湾岸開発、在日コリアンの生活史、洲崎方面へ続く戦後都市史が重なっています。橋・水路・線路跡・学校・住宅地の配置を見ながら歩くと、東京湾岸がどのように都市へ変わっていったのかが分かるのが、この地域を歩く面白さです。

汐見運河に架かる夜のしおかぜ橋と水面に映る橋の灯り
汐見運河越しに見る、ライトアップされた夜のしおかぜ橋。

江東区の枝川・塩浜・豊洲はどんな場所か

枝川・塩浜・豊洲は、江東区の南部、東京湾に近い臨海部に位置します。西側には豊洲、北側には木場・東陽町、周辺には潮見・辰巳・東雲といった湾岸の町が続きます。検索では「潮浜」と書かれることもありますが、町名としては「塩浜」です。

江東区は、江戸時代以来の埋立てと水運によって発展してきた地域です。門前仲町や木場のように江戸の町人文化や物流と深く結びついた場所がある一方で、豊洲・枝川・塩浜のように近代以降の埋立てで形づくられた土地もあります。古い寺社や城跡を巡る散歩とは少し違い、このエリアでは「土地そのものがどのように造られ、何のために使われてきたのか」を想像しながら歩くのが面白いところです。

江東区公式の地名由来によると、枝川は東京市の「枝川改良工事計画」によって河川を掘り下げた土砂で埋め立てられたことに由来し、豊洲は将来の発展を願って「豊かな洲」となるよう命名されたとされています。塩浜は塩田の名残ではなく、住居表示の際に「塩崎町」と「浜園町」から一字ずつ取って生まれた町名です。参考:江東区「江東区の地名由来」

行政地図東京都江東区
今回歩いた豊洲・枝川・塩浜・木場は、いずれも東京都江東区の湾岸部に位置します。

地図で見ると、枝川・塩浜は豊洲、木場、深川、洲崎をつなぐ結節点にあります。豊洲だけを見ると湾岸再開発の街、木場だけを見ると材木と水運の街、洲崎だけを見ると遊郭・歓楽街跡の街に見えますが、その間にある枝川・塩浜を歩くと、埋立地・運河・物流・住宅地・戦後史が一つの流れとしてつながります。

枝川・塩浜を歩く前に知っておきたい歴史

豊洲|工業地から湾岸再開発の象徴へ

集合した豊洲周辺は、現在ではタワーマンション、商業施設、オフィス街、豊洲市場などのイメージが強い場所です。夜に歩くと、広い道路や整った歩道、ビルの灯りが目立ち、「新しい湾岸の街」という印象を受けます。

しかし豊洲は、もともと港湾・工業と深く結びついてきた場所でもあります。かつての造船所やガス工場など、湾岸の産業を支えた土地利用があり、その後の再開発によって現在の住宅地・商業地へ変わってきました。歩いていると、現在の整った街並みの背後に、工業地から生活の街へ移り変わった東京湾岸の近現代史が重なって見えてきます。

枝川|運河と埋立地に重なる戦後史

豊洲から枝川へ入ると、街の雰囲気は少し落ち着きます。集合住宅や学校、教会、運河沿いの道があり、観光地として大きな看板があるわけではありません。それでも、ここは東京の近現代史を考えるうえで大切な場所です。

枝川は、戦前・戦後を通じて在日コリアンの歴史とも関わりの深い地域として知られています。今回の街歩きでも、東京朝鮮第二初級学校や教会の周辺を通り、地域の記憶に少し触れました。現在の街並みからは、いわゆるコリアタウンらしいにぎわいはあまり感じません。だからこそ、学校や教会の存在が、かつてこの地域に集まった人びとの暮らしやコミュニティを静かに伝えているように感じられました。枝川を含む東京の在日コリアン集住地の背景は、東京のコリアンタウンと在日コリアン集住地の歴史|新大久保・三河島・枝川はどう生まれたのかでも整理しています。

このテーマは、珍しさとして消費するのではなく、埋立地の造成、戦時下・戦後の移動、住宅地化、教育や信仰の場の形成と合わせて丁寧に見る必要があります。夜の枝川は静かな住宅地でしたが、静かだからこそ、地名や施設、道の形から歴史を読み取る街歩きになりました。

しおかぜ橋の白い主塔と遠くに見える東京スカイツリーの夜景
しおかぜ橋からは、運河沿いの街並みと東京スカイツリーも望めました。

塩浜|運河・物流・線路跡で読む湾岸の記憶

塩浜へ進むと、汐見運河や塩浜運河など、水辺の存在がよりはっきり感じられます。運河沿いの道、橋、倉庫や集合住宅の配置を見ると、この地域が「住む場所」であると同時に、長く「運ぶ場所」「つなぐ場所」でもあったことが分かります。

特に印象的だったのが線路跡です。橋脚や線路の一部が残っている場所では、参加者の視線も自然と足元や橋の構造に向かいました。地図だけでは分かりにくい貨物輸送の記憶が、現地に立つと一気に具体的になります。木場・深川方面の水運や物流の歴史に関心がある方は、木場〜古石場〜牡丹を歩いてみよう、江東区東部の廃線跡や運河の痕跡に関心がある方は、西大島から北砂・南砂・東陽エリアの廃線跡や運河後を散策しようも近いテーマです。

今回歩いたルート|豊洲から枝川・塩浜、木場方面へ

今回の散歩では、豊洲駅周辺から出発し、枝川・塩浜の運河沿いを通って、木場・東陽町方面へ向かいました。再開発された豊洲の夜景から始まり、枝川の住宅地、塩浜の水辺、しおかぜ橋、潮風の散歩道、洲崎方面へと、江東区南部の性格の違う街並みを一晩でたどる流れです。

同じエリアを歩くときは、豊洲・枝川・塩浜・木場・洲崎の位置関係を先に地図で見ておくと、運河や橋の意味が分かりやすくなります。特に、しおかぜ橋周辺、線路跡、洲崎方面への抜け方を意識すると、単なる夜景散歩ではなく「東京湾岸の都市史を読む散歩」として楽しめます。

豊洲周辺|新しい湾岸の入口から出発

19時30分に豊洲周辺を出発しました。夜の豊洲は、仕事帰りの人や帰宅する人が行き交い、駅前の明るさと湾岸の広い空が印象的です。都市的で整った街並みから歩き始めることで、後半に現れる枝川・塩浜の静かな雰囲気との違いがよく分かりました。

豊洲は「新しい街」として見られがちですが、実際に歩くと道路の幅、運河の位置、橋の配置に、かつての工業地・港湾地帯としての骨格が残っています。歴史散歩では、古い建物だけでなく、街区や水路の形も大切な手がかりになります。

枝川周辺|現在の静けさの中に残る地域の記憶

枝川では、住宅地の中を歩きながら、学校や教会、運河に囲まれた土地の形を確認しました。昔はコリアタウンとしてさまざまな背景があった地域ですが、現在の夜の街並みからは、その印象は強くありません。むしろ、静かな住宅地の中に学校や教会が残っていることが、地域の歴史を少し感じさせてくれました。

線路跡|橋脚とレールに残る物流の時代

今回、参加者の関心が高かった見どころの一つが線路跡でした。湾岸部には、かつて港湾・工場・倉庫と鉄道を結ぶ貨物線があり、現在も越中島方面には鉄道の気配が残ります。橋脚や線路が見える場所では、ふだん通り過ぎるだけでは気づきにくい都市の裏側を見たような面白さがありました。

鉄道遺構は、古い駅舎のように分かりやすく保存されているとは限りません。むしろ、橋の下、空き地の形、道路の曲がり方、わずかに残るレールのような断片に注目することで、かつての物流の流れが見えてきます。

夜のしおかぜ橋を歩くゆる歴史散歩会の参加者たち
夜風を感じながら、9人でしおかぜ橋を渡りました。

しおかぜ橋|夜景がきれいな水辺のハイライト

今回のハイライトは、やはりしおかぜ橋でした。橋の白い主塔、歩道の照明、汐見運河に映る灯りがとてもきれいで、夜風を感じながら歩くのにぴったりの場所です。参加者9人でゆっくり橋を渡ると、住宅地と運河、遠くの東京スカイツリー、周辺の建物の灯りが一つの夜景として見えてきました。

しおかぜ橋は、橋そのものの形も印象的です。たもとには階段やスロープがあり、単に水路を渡るだけでなく、高低差を感じながら街を見渡せます。ドラマや映画のロケ地で見たことがあるような、整っていて静かな水辺の風景でした。

江東区観光協会の情報では、汐浜運河沿いには「潮風の散歩道」が整備されており、南開橋から新砂橋にかけて水辺の散策を楽しめます。夜だけでなく、季節の花が見られる時期に歩くのもよさそうです。参考:江東区観光協会「汐浜運河沿いの潮風の散歩道」

ライトに照らされたしおかぜ橋の歩道と白い主塔
歩道の照明が水辺の夜散歩を印象的に見せてくれます。
しおかぜ橋へ続く階段とらせん状の歩道橋の夜景
しおかぜ橋のたもと。高低差のある構造も街歩きの見どころです。

潮風の散歩道から洲崎方面へ|歓楽街跡の面影を探す

塩浜から木場・東陽町方面へ向かうと、洲崎の歴史にもつながっていきます。洲崎は、かつて遊郭や戦後の歓楽街として知られた場所ですが、現在は住宅地となっており、夜に通り過ぎただけでは当時の面影はほとんど感じられません。

今回は洲崎遊郭跡地をじっくり歩く回ではなく、ルートの中で通過する形でした。ただ、埋立地・運河・物流の歴史をたどったあとに洲崎方面へ進むと、江東区南部が単なる住宅地や再開発エリアではなく、景勝地、木場の物流、歓楽街、戦後の都市変化が重なった場所であることが分かります。洲崎の歴史を詳しく知りたい方は、洲崎パラダイス跡を歩く歴史散歩レポート|東陽町・深川に残る戦後東京の記憶も参考になります。

あわせて読みたい|湾岸・運河・埋立地・戦後都市史の関連記事

枝川・塩浜は単独で見るより、周辺の豊洲・木場・深川・洲崎とつなげて見ると理解しやすいエリアです。江東区の水辺や埋立地、運河、戦後の都市史に関心がある方は、次の記事もあわせてご覧ください。

夜に歩く枝川・塩浜の魅力

枝川・塩浜は、有名観光地のように名所が並ぶエリアではありません。しかし、夜に歩くと、運河沿いの静けさ、橋の照明、水面に映る街灯、住宅地の落ち着きがよく感じられます。特にしおかぜ橋周辺は、街歩きの最後に少し立ち止まりたくなるほどきれいでした。

また、このエリアはドラマや映画のロケ地に出てきそうな雰囲気があります。派手な観光地ではなく、生活の場として整えられた水辺だからこそ、画面に映える落ち着きがあります。歩道や橋がきれいに整備されている一方で、線路跡や運河の配置を見れば、湾岸の物流や埋立地の歴史も感じられます。

まとめ|枝川・塩浜は運河と夜景から東京の近現代史が見える街

2025年3月19日の「枝川と塩浜エリア(豊洲~木場)を歩いてみます♪」では、9人で豊洲から枝川・塩浜、木場・東陽町方面へ夜の歴史散歩を楽しみました。夜風が気持ちよく、しおかぜ橋の夜景がとてもきれいで、写真にも残したくなる印象的な回になりました。

一方で、ただ景色がきれいなだけではなく、枝川の戦後史、塩浜の運河と物流、線路跡、洲崎方面の歓楽街跡など、東京の近現代史を歩きながら学べるルートでもありました。豊洲の再開発された街並みから少し歩くだけで、江東区湾岸部の重層的な歴史が見えてきます。

東京湾岸の歴史は、石碑や古い建物だけではなく、運河の幅、橋の位置、埋立地の境目、住宅地の並び方にも残っています。枝川・塩浜を歩くと、豊洲の湾岸開発、木場・深川の水運、洲崎の戦後史がひとつながりの都市の変化として見えてきます。東京の埋立地や運河の街歩きに関心がある方にとって、今回のルートはよい入口になるはずです。

ゆる歴史散歩会では、東京周辺の歴史スポットや文化施設を、初心者にも分かりやすく巡る街歩きイベントを開催しています。一人参加の方も多く、歴史に詳しくない方でも気軽に参加しやすい雰囲気です。今回のように、夜景を楽しみながら地形・運河・鉄道跡・地域の歴史をゆるく学べる散歩も、今後も開催していきます。

この記事を書いた人
ゆる歴史散歩会 運営者
なかまつ

北海道大学工学部卒。現在はIT系会社員の傍ら、年間400回以上の街歩きイベントを企画し、これまで延べ25,000名以上の方にご参加いただいている、ゆる歴史散歩サークルを運営しています。東京の歴史・文化・建築・地形などを、初心者でも気軽に楽しめるイベントとして企画しています。

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