下北沢の歴史とサブカルを歩く|ザ・スズナリ・下北線路街・古着・暗渠のナイトウォーク

夜の下北沢に建つ小劇場ザ・スズナリの外観

下北沢駅を起点に、夜の商店街、小劇場ザ・スズナリ、カトリック世田谷教会、森巖寺、小田急線の旧線路跡に広がる下北線路街を巡りました。江戸時代の寺院、戦後の建築、1980年代に育った演劇文化、鉄道地下化による新しい街並みが、徒歩圏内に重なるコースです。

下北沢の現在の賑わいをたどる手がかりは、1927年と1933年の鉄道開通、戦後の駅前食品市場、1981年に開場したザ・スズナリ、2013年の小田急線地下化にあります。訪れた12か所の風景とともに、商業地から文化の街へ発展した経緯を振り返ります。

今回の下北沢ナイトウォークのコース概要

  • 起点:下北沢駅
  • 主な巡回スポット:シモキタエキウエ、ミカン下北、下北線路街 空き地、reload、ザ・スズナリ、カトリック世田谷教会、森巖寺、原宿シカゴ 下北沢店、BONUS TRACK、シモキタ雨庭広場、シモキタのはら広場、NANSEI PLUS
  • 今回のテーマ:下北沢の小劇場、古着、戦後建築、寺院、小田急線地下化と街づくり。関連する寄り道のテーマとして、北沢川の暗渠と地形も紹介します。

下北沢とは|北沢・代沢・代田に広がる駅前文化圏

下北沢は東京都世田谷区北東部、下北沢駅を中心とする地域の通称です。「下北沢」という現在の町名はなく、駅周辺の北沢を中心に、代沢や代田の一部まで連続した街として認識されています。小田急線と京王井の頭線が交差する交通の結節点で、商店街、住宅地、劇場、ライブハウス、古着店などが近い範囲に集まっています。

世田谷区の行政地図
世田谷区の行政地図。下北沢駅周辺は区の北東部にあります。

町名の北沢は一丁目から五丁目、代沢は一丁目から五丁目、代田は一丁目から六丁目です。代田の地名には、かつてこの周辺にあった大きな窪地を巨人「ダイダラボッチ」の足跡と結びつける伝説も伝わっています。

江戸の下北沢を知る|森巖寺・淡島堂と地域の信仰

下北沢駅周辺が商業地になるよりはるか以前の歴史を伝えるのが、代沢にある浄土宗の八幡山森巖寺しんがんじです。寺の沿革によれば、1608年(慶長13年)、徳川家康の次男・結城秀康ゆうきひでやすの遺命に基づき、僧の清譽存廓上人が開山しました。秀康の位牌を祀る寺として開かれ、「浄光院」「森巖寺」の名には秀康の法名が用いられています。徳川家ゆかりの寺であることは、三つ葉葵の紋にも表れています。現在の本堂は1964年の建築です。

境内の淡島堂は、江戸時代の民間信仰と日常生活を考える手がかりです。現在の堂は1836年(天保7年)に完成し、「淡島の灸」で知られました。寺伝では、初代住職が紀州・加太の淡島神を勧請したことを由来とし、近くの淡島通りの名にもつながっています。使用済みの縫い針を供養する「針供養」は、世田谷区指定無形民俗文化財です。寺の解説には江戸時代の狂歌に針供養が登場することも紹介されています。徳川家の歴史と、灸・裁縫を通じた庶民の祈りの両方を読み取れる場所です。

鉄道開通から戦後の駅前市場へ|商業都市・下北沢の成立

下北沢周辺は、かつて旧下北沢村の農地や集落が広がる地域でした。1927年に小田急小田原線、1933年に帝都電鉄井の頭線(現在の京王井の頭線)が開通すると、駅を中心に住宅地と商店街が発達します。下北沢一番街商店街の年表には、1939年の「東京北澤通商店街商業組合」結成と、商店員がそろばん・習字を学ぶ「店員道場」の設立が記録されています。戦前から商業者が組織をつくり、人材を育成していた地域でした。

鉄道沿線に広がった住宅地|平田家住宅に残る昭和初期の暮らし

鉄道開通後の住宅地化を物語る建築として、周辺には平田家住宅(国登録有形文化財)があります。主屋は1936年(昭和11年)、門と塀は1937年の建築です。主屋にはサンルーム付きの応接室や和室、2階の洋室・座敷があり、当時の和洋折衷の暮らしが読み取れます。商店街の賑わいだけでなく、郊外住宅地として発展した下北沢の側面を伝える建物です。なお平田家住宅は、今回歩いた12スポットとは別の参考地点です。

戦後の駅前に生まれた食品市場|闇市から商業の街へ

戦後の大きな転機は、下北沢駅北口に現れた下北澤駅前食品市場です。終戦後の物資不足のなか、建物疎開で空いた土地に露店が集まり、闇市から常設の市場へと発展しました。世田谷区の研究報告は、この市場が「世田谷の食糧基地」と呼ばれたことや、戦前からの一番街の商店主と戦後に商売を始めた人々が協力して街を育てた経緯を紹介しています。食料品の売買が中心だった駅前には、のちに飲食店や衣料品店も加わりました。

市場の建物は2017年に取り壊され、駅北口の景観は大きく変わりました。かつての細い通路や店舗の密集した姿は、写真家・善本喜一郎氏の1984年の写真や、明治大学の建築史研究室が2011年に行った実測調査の記録に残っています。現在の駅前広場を歩く際にも、ここが戦後の生活物資を支えた市場のあった場所だと知ると、地上空間の変化を年代で捉えられます。

戦後の復興を伝える教会|今田健美神父とカトリック世田谷教会

商店街が物資不足を背景に発展した戦後、北沢一丁目ではカトリック世田谷教会も新たな活動を始めました。教会の創設に取り組んだのは今田健美こんだたけみ神父です。1945年の終戦後に復員し、小田急沿線で教会を開くことを申し出ました。教会公式の沿革によれば、地域の医師の紹介で民家の2階を借り、1946年に4人が参加するミサから活動が始まりました。1948年4月4日に聖堂が献堂され、「カトリック世田谷教会」となりました。

建築にも復興期の工夫が残されています。聖堂にはフランスから輸入された鉄パイプの骨組みが用いられ、1958年に完成した信徒会館は米軍放出のカマボコ兵舎3棟を組み合わせたものです。境内の「ルルド」はプールの改築で生じたコンクリート片などを活用して築かれ、1956年にフランスから聖母像を迎えました。地域に礼拝の場をつくった人々の活動と、限られた資材を生かす建築の工夫が一緒に分かる場所です。

現地の写真では、建物の入口付近と、細長く続く側面をそれぞれ見ることができます。特に側面からは、カマボコ兵舎に特徴的な、壁から屋根へと連続する曲面の形がよく分かります。

カトリック世田谷教会のカマボコ兵舎を活用した建物の入口付近の夜景
カトリック世田谷教会にあるカマボコ兵舎を活用した建物。入口付近の外観。
カマボコ兵舎の特徴である曲面屋根と窓の並びが分かるカトリック世田谷教会の建物側面
建物の側面。丸みを帯びた屋根と横に並ぶ窓から、カマボコ兵舎の特徴を読み取れます。

なぜ下北沢はサブカルの街になったのか|小劇場・音楽・古着・映画

戦後の食品市場と商店街が発展した下北沢では、1970年代以降、若い来街者に向けたファッションや飲食の店舗が増えました。しもきた商店街振興組合の年表には、1970年の駅前ビル竣工、1972年のタウン誌『プラザ下北沢』創刊と歩行者天国の開始が記録されています。店舗を対象とした地域研究では、1980年代になると20代前後の来街者を客層とする店が増えたことが報告されています。生活物資を買う地域の商店街から、買い物や文化を目的に人々が訪れる街への変化が進みました。

周辺には雑貨店、古着店、生地店などが集まり、「コットン・タウン」と呼ばれた時期もありました。現在も古着は下北沢を代表する文化の一つです。一方、住宅地としての側面も強く、代沢にはかつて佐藤栄作・竹下登邸がありました。繁華街と住宅地が隣接することも、駅から少し歩くだけで景色が変わる下北沢の特徴です。

2015年の下北沢の商店街と路地の街並み
下北沢の街並み、2015年。撮影:Aw1805/Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0。

ザ・スズナリと本多劇場グループ|下北沢の小劇場文化

ザ・スズナリは、1981年3月に開場した本多劇場グループ最初の小劇場です。その出発点は、1969年に建てられた木造2階建ての「鈴なり横丁」でした。1階は飲み屋、2階は「下北沢荘」というアパートで、建物を鉄骨で補強し、アパートの一部を客席や舞台に改装。残りの部屋は楽屋・事務所・ロビーとして生かされました。飲み屋と居住空間の中に劇場が組み込まれた独特の建築で、その成立過程は劇場公式の「1981年 上演の軌跡」に記されています。開場当初の公演記録には、1981年3月20~22日のホンダスタジオ『黄昏のボードヴィル ~まさご版~』が掲載されています。この劇場を生み出したのが、本多一夫ほんだかずお氏です。もとは新東宝ニューフェイスとして映画俳優を志し、映画会社の倒産後は下北沢で飲食店を経営しました。そこで築いた基盤を生かし、1980年に稽古場「本多スタジオ」、1981年にザ・スズナリ、翌1982年11月3日に本多劇場を開設。演じる場所を求める劇団と、観劇後に立ち寄れる飲食店が近くにある環境を育てました。下北沢の劇場文化は、演劇人の情熱と、場所をつくった経営者の働きが重なって発展したのです。

劇場を実際に使って文化を育ててきた側には、俳優の柄本明えもとあきら氏がいます。1976年にベンガル氏、綾田俊樹氏と劇団東京乾電池を結成し、現在も下北沢にアトリエを構えて活動しています。劇団は浅草で旗揚げしたのち、下北沢を拠点の一つとしてきました。劇場をつくる本多氏と、作品をつくり続ける演劇人の双方を見ると、小劇場の街が一人の力だけで生まれたのではないことが分かります。

今回のナイトウォークでもザ・スズナリに立ち寄りました。飲食店や住居と劇場が一体になった建物の来歴を知ると、商店が連なる街並みのなかに劇場がある光景を、演劇文化の歴史として読み解けます。

夜の下北沢に建つ小劇場ザ・スズナリの外観
ザ・スズナリ、2008年。撮影:Guwashi999/Wikimedia Commons/CC BY 2.0。

古着と個店がつくる下北沢らしさ

今回のコースでは原宿シカゴ 下北沢店を巡りました。日本やアメリカの古着を扱う店舗の周囲には小劇場や飲食店が集まり、狭い路地を挟んで多様な文化が隣り合っています。

映画・音楽まで徒歩圏に重なる文化

下北沢の音楽文化を語るキーパーソンは、ライブハウス「ロフト」の創業者、平野悠ひらのゆう氏です。1975年12月に下北沢ロフトを開設し、当時まだ珍しかったライブの場を街に広げました。ロフトプロジェクトの公式アーカイブには、サザンオールスターズ、金子マリ、憂歌団、中島みゆき、タモリらの出演記録が紹介されています。下北沢ロフトは1980年に当時の店長へ譲渡されましたが、音楽を目当てに街を訪れる人々が集まる土台の一つになりました。

下北沢にはライブハウスや映画館が集まり、演劇・音楽・映画を一つの街で行き来できます。NANSEI PLUSの「シモキタ – エキマエ – シネマ『K2』」もその一例です。古くからの文化施設だけでなく、再開発後の施設にも映画やイベントの場が入り、街の文化機能が更新されています。

小田急線地下化で下北沢はどう変わった?|下北線路街の再開発

小田急線の地下化は、下北沢の街路と交通を大きく変えた事業です。2013年3月23日、代々木上原~梅ヶ丘間約2.2kmで地下線の使用が始まり、東北沢・下北沢・世田谷代田の3駅が地下駅となりました。この区間の踏切9カ所が廃止され、線路を挟む地域の往来も変わりました。地下化は東京都の連続立体交差事業と小田急電鉄の複々線化事業を一体で進めたものです。複々線化の工事全体は2019年3月に完了しました。

複々線化では、急行などの列車と各駅停車の線路を分け、輸送力を高めています。下北沢駅では地下3階の急行線と地下2階の緩行線を重ねる構造が採用されました。以前の地上線路の一部には、小田急電鉄が整備した約1.7kmの「下北線路街」が生まれ、2022年5月に全面開業。商店、広場、宿泊施設、暮らしや学びの場が連なる歩行空間になっています。

鉄道とあわせて進んだ駅前広場や都市計画道路・補助第54号線の整備では、歩行者の回遊性、バス・タクシーの乗降、防災機能、建物の高さや街の景観などが論点となりました。世田谷区が公開する「下北沢駅周辺地区街づくりの経緯」には、商業者・住民との協議や道路計画をめぐる意見が残っています。利便性を高める交通計画と、路地や個店が連なる街の特徴をどう受け継ぐかという課題が、再整備の過程で議論されてきました。

2013年3月の地下化直前に下北沢駅付近を走る小田急線
地下化直前の下北沢駅付近の小田急線、2013年。撮影:Ryosuke Yagi/Wikimedia Commons/CC BY 2.0。

現在は、駅上のシモキタエキウエ、線路跡地のreloadやBONUS TRACK、NANSEI PLUSなど、新しい施設が点在しています。大型施設を一か所にまとめるのではなく、歩いて回れる複数の場所に分散しているため、昔からの商店街や路地と新しい開発が連続して見えるのが特徴です。

シモキタエキウエとミカン下北|駅周辺の新しい商業空間

小田急線下北沢駅の上部には、2019年11月1日に「シモキタエキウエ」が開業しました。飲食・物販店が入り、地下化後の新しい駅の顔になっています。京王井の頭線の高架下には2022年3月に「ミカン下北」が開業しました。名称の「ミカン」は「未完」に由来し、変わり続ける下北沢の性格を施設名に重ねています。

reload・BONUS TRACK・NANSEI PLUS|個店と街歩きを残す再開発

reloadは「店主の顔が見える個店街」を掲げる低層の商業空間です。BONUS TRACKは2020年に開業した小田急電鉄の線路跡地施設で、企画・運営を担ってきたのが「散歩社」です。開業時に共同代表だった小野裕之おのひろゆき氏と内沼晋太郎うちぬましんたろう氏らは、小規模な店舗と広場、住まいを組み合わせ、店主や訪れる人が活動を広げられる場所づくりに関わりました。小野氏のインタビューでは、施設名に線路跡地という意味と、音楽作品の本編にはない実験的な曲を収める「ボーナストラック」の意味を重ねた経緯が語られています。演劇や音楽の街で育まれた小さな活動の場を、鉄道地下化後の土地でも生かそうとする取り組みです。NANSEI PLUSには(tefu)lounge、ミニシアターK2、飲食店、広場などがあります。線路跡地を歩くと、鉄道インフラの更新が商業施設だけでなく、広場や文化施設を含む街の再編につながったことが分かります。

今回歩いた12スポット|現地で見るポイント

下北沢駅周辺の商業施設から小劇場、教会、寺院、線路跡地へ。実際に巡った12か所には、古い路地や建物を活用した空間と、地下化後に整備された広場が隣り合っています。現地では建物の来歴だけでなく、街路とのつながりにも注目しました。

1. シモキタエキウエ

シモキタエキウエは2019年に開業した小田急線下北沢駅上部の商業施設です。地下の駅ホームと地上の店舗が上下に重なり、線路が地上を通っていた頃との空間の使い方の違いが分かります。

2. ミカン下北

ミカン下北は京王井の頭線の高架下にある複合施設です。2022年に開業し、名称は「未完」に由来します。高架下という鉄道空間を使いながら、店舗や仕事場が街路に沿って並ぶ構成を見られます。

3. 下北線路街 空き地

下北線路街 空き地は、約1.7kmに及ぶ下北線路街の中に設けられたイベントスペースです。地下化前には鉄道が走っていた場所に、人が滞在しイベントを行う空間が生まれました。線路跡地の幅や駅との位置関係を現地で見ると、再開発のスケールを実感できます。

4. reload

reloadは下北線路街にある個店街です。2021年に開業し、「店主の顔が見える個店街」を掲げています。白い低層建物の間に細い通路が通り、大規模モールとは異なる路地状の空間になっています。

夜の写真では、通路に面したガラス張りの店舗から明かりがこぼれ、歩く人と店内の距離の近さが分かります。昔ながらの路地のような歩行空間を、現代の建物でつくっている点が見どころです。

夜の下北線路街reload、白い建物のガラス張りの店舗入口と歩行者が行き交う通路
夜のreload。ガラス張りの店舗が歩行者の通路に面し、店内の様子も街に開かれています。

もう一方の写真には、白い建物に沿った屋外テラスと、軒が連続する空間が写っています。通り抜けるだけでなく、店先で過ごせる場所も組み込まれています。

下北沢reloadの白い低層建築と屋外テラス、ひさしのある通路を夕暮れに撮影
reloadの建物とテラス。白い低層建築が連なり、個店の前にくつろげる屋外空間が設けられています。

5. ザ・スズナリ

ザ・スズナリでは、劇場のすぐ近くに飲食店が連なる様子を眺めました。1969年築の飲み屋とアパートを転用して劇場が生まれた経緯を知ると、建物と街路の近さにも歴史が感じられます。

6. カトリック世田谷教会

カトリック世田谷教会では、戦後に建てられた聖堂と、米軍放出の兵舎を転用した信徒会館に注目しました。今田健美神父による創設の経緯と建築の特徴は、前半の「戦後の復興を伝える教会」で紹介しています。

7. 八幡山 森巖寺

八幡山 森巖寺では、徳川家ゆかりの寺院が、駅前の商業地から離れた代沢に残ることに注目したいところです。結城秀康との関係や境内の淡島堂、針供養の歴史は、前半の「江戸の下北沢を知る」で解説しています。

8. 原宿シカゴ 下北沢店

原宿シカゴ 下北沢店は古着店です。日本やアメリカの古着を中心に扱う原宿シカゴの店舗で、古着文化が街の大きな特徴になっている下北沢を歩く上で分かりやすい立ち寄り先です。

9. BONUS TRACK

BONUS TRACKは下北沢駅と世田谷代田駅の中ほどにある下北線路街の施設です。2020年に開業し、飲食店や物販店、広場などが集まります。線路跡地に新しい商店街がつくられた例として、地下化後の街づくりを現地で確認できます。

10. シモキタ雨庭広場

シモキタ雨庭広場は下北線路街の広場です。鉄道地下化で生まれた地上空間の一部で、周辺にはSHIMOKITA COLLEGE(シモキタカレッジ)もあります。商業施設だけでなく広場や居住・学びの場が入っている点を見ると、線路跡地開発の幅が分かります。

11. 世田谷区立 シモキタのはら広場

世田谷区立 シモキタのはら広場には、線路跡地の再整備で生まれた緑地と歩行空間が広がります。駅周辺の店舗が集まる場所から緑のある広場へ歩くと、土地利用の変化を感じられます。

12. NANSEI PLUS

NANSEI PLUS(ナンセイプラス)は下北沢駅南西口側の複合エリアです。「まちのラウンジ」を掲げる(tefu)lounge、ミニシアターのシモキタ – エキマエ – シネマ『K2』、飲食店、広場などがあります。映画館や飲食店が駅前に集まる様子に、演劇・音楽とともに映画も楽しめる現在の下北沢の姿が表れています。

もう一つの下北沢史|北沢川の暗渠と地形を読む

ここまで紹介した12か所は、劇場、寺院、商店街、線路跡地などが中心でした。下北沢から代沢方面へ視点を広げると、街の下を通るかつての川筋にも地域の歴史が残っています。北沢川は下水道整備に伴って暗渠となった区間が多く、現在は川の上が緑道などに利用されています。「暗渠」とは、川や水路にふたをしたり地下に通したりして、地上から水の流れが見えなくなった状態をいいます。

旧河道を調べるときは、橋の名前が残る道、地形の高低差、曲がりながら続く細い道、水門などが手掛かりになります。下の図は、暗渠を探す際に目を向けたい地上の痕跡を整理したものです。図に挙げた特徴が一つあるだけで、その場所が暗渠だと確定するわけではありません。古い地図、自治体の河川資料、現地の地形を照らし合わせて考えると、より確かな歴史散歩になります。

暗渠探しの手がかりとして橋跡、護岸、水門、段差などを列挙した参考図
暗渠の痕跡を探すための参考図。図中の「強い順」は観察上の目安であり、旧水路を確定する公的な判定基準ではありません。

北沢川そのものを詳しく歩くなら、別の開催レポート「北沢川の暗渠を歩く|梅ヶ丘から池尻大橋・目黒川へ」をご覧ください。北沢川緑道、橋名、代沢のせせらぎ、烏山川との合流地点を、現地の景観と資料から紹介しています。この図はその散歩の予習にも役立ちます。

まとめ|下北沢の街並みをつくった人と場所

駅北口の旧食品市場跡、ザ・スズナリ周辺の路地、鉄道地下化で生まれた広場。人々が集まる場所とその役割は、時代とともに変わってきました。一方、森巖寺やカトリック世田谷教会には、商業や鉄道とは異なる地域の歴史が残っています。散歩で見た建物や道を手掛かりに、その場所をつくり、使い続けてきた人々の歩みをたどれるのが下北沢の魅力です。

実際の歴史散歩に参加する

ゆる歴史散歩会では、東京の街を歩きながら歴史・地形・建築・文化をたどる散歩イベントを開催しています。現在募集中の企画はイベント一覧で確認できます。

TimeWalkで近くの歴史スポットを探す

TimeWalkは、現在地や指定地点の近くにある歴史スポットを地図で探し、自分で歴史散歩を楽しめるWebアプリです。下北沢を自分のペースで歩くときも、周辺の史跡や歴史スポットを探す入口として使えます。

参考資料

この記事を書いた人
ゆる歴史散歩会 運営者
なかまつ

北海道大学工学部卒。現在はIT系会社員の傍ら、年間400回以上の街歩きイベントを企画し、これまで延べ25,000名以上の方にご参加いただいている、ゆる歴史散歩サークルを運営しています。東京の歴史・文化・建築・地形などを、初心者でも気軽に楽しめるイベントとして企画しています。

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