荒川区の西端に広がる西尾久は、都電荒川線、あらかわ遊園、古い寺社、町工場や商店が同じ生活圏に重なる町です。昭和初期には温泉を核に料理屋・待合・芸者置屋が集まり、「尾久三業」と呼ばれる花街も形成されました。
現在の住宅地を歩くと、尾久温泉の面影、三業地の記憶、煉瓦工場から遊園地へ変わった隅田川沿い、東京に残った都電の車庫が数十分の徒歩圏に収まります。西尾久の成り立ちを知ると、日常の街並みの見え方が大きく変わります。

西尾久はどんな町か
西尾久は一丁目から八丁目まであり、荒川区が地域別人口などで用いる7地区の一つです。区の西側で北区に接し、南部はJR尾久駅方面、北部は都電荒川線と隅田川沿いへつながります。
荒川区の街づくり資料では、西尾久は近代以降に農地から市街地へ変わり、1929年の尾久駅開設、工場立地、住宅化が進んだ地域として整理されています。現在も住居、商店、町工場、鉄道施設が近接し、近代東京の都市化を歩いて追える地域です。
尾久の地名と旧尾久町
尾久の地名は古く、「小具」などの表記も見られます。中世には尾久一帯が鶴岡八幡宮と関係を持ち、現在の尾久八幡神社にも14世紀までさかのぼる記録が残ります。
近代になると、1889年に上尾久村・下尾久村などをもとに尾久村が成立し、1923年に尾久町となりました。1932年、尾久町は南千住町・三河島町・日暮里町とともに東京市荒川区へ編入され、自治体としての「尾久町」は姿を消しました。その地名は現在も東尾久・西尾久として残っています。
荒川区全体では、明治以降に隅田川の舟運や広い土地を背景として工場が増え、関東大震災後には人口流入と宅地化が進みました。西尾久も農村から住商工が混ざる市街地へ変化していきます。
尾久温泉から三業地へ
西尾久の歴史で特に重要なのが、碩運寺と尾久温泉です。1913年、飛鳥山と三ノ輪を結ぶ王子電気軌道が開通し、翌1914年、碩運寺で掘った井戸からラジウムを含む鉱泉が見つかりました。寺では「寺の湯」を開き、のちに「不老閣」と呼ばれる湯治場へ発展しました。
温泉客が集まるにつれ、周辺には温泉旅館や商店が増え、料理屋・待合・芸者置屋の三業種も集積しました。荒川区は、この寺の湯を尾久三業発展のきっかけとして紹介しています。都心の大規模花街とは性格が異なり、温泉地と郊外の行楽地が結びついて形成された点が尾久の特徴です。
現在、温泉街や花街の建物はほとんど残っていませんが、宮ノ前から小台にかけての住宅地には、かつての三業地を示す地名や記憶が伝わっています。散歩では「何も残っていない」と見るより、都電の開通、温泉、商店、花街が一体となって街を成長させた流れをたどると理解しやすくなります。
阿部定事件と待合「満佐喜」
尾久三業の名を全国に知らしめた出来事の一つが、1936年の阿部定事件です。阿部定と料理店主の石田吉蔵は、尾久三業地の待合「満佐喜」に滞在し、5月18日に石田が殺害されました。事件は新聞で大きく報じられ、尾久の名も広く知られることになります。
この出来事だけを切り離すと猟奇事件の印象が強くなりますが、場所が尾久だった理由には、当時ここに待合や料理屋が集まる三業地が成立していたという都市史があります。現在の西尾久二丁目周辺を歩くと、住宅地の中に昭和初期の花街の記憶が重なっていたことが分かります。
尾久八幡神社|中世から続く尾久の鎮守
尾久八幡神社は西尾久三丁目に鎮座し、尾久地域の歴史を考えるうえで欠かせない神社です。創建年は明確ではありませんが、荒川区によると、1312年に尾久の地が鎌倉の鶴岡八幡宮へ寄進された頃までさかのぼると考えられています。神社に残る棟札から、1385年には社殿が建てられていたことが確認できます。
境内には区指定文化財の上尾久村村絵図や八幡神社棟札、1729年銘の手水鉢などが伝わります。尾久が農村だった時代から都市化するまで、地域の中心にあり続けた場所です。
あらかわ遊園|煉瓦工場の跡に生まれた遊園地
隅田川沿いのあらかわ遊園は1922年に民営遊園として開園しました。この一帯では明治初期から煉瓦製造に適した土と舟運を背景に煉瓦工場が営まれ、遊園地はその工場跡に造られました。
園の周囲に残る荒川遊園煉瓦塀は、開園当時の構造と考えられる区登録有形文化財です。長手だけの段と小口だけの段を交互に積む「イギリス積み」で、現在の遊園地の景色の中に明治・大正期の産業史が残っています。
遊園地だけを見ると家族向けの観光施設ですが、煉瓦塀まで足を延ばすと、隅田川沿いの工業地から行楽地へ変わった西尾久の土地利用を一度に見ることができます。
荒川車庫と都電おもいで広場
荒川車庫前停留場のそばには、東京都交通局の荒川電車営業所と「都電おもいで広場」があります。広場は2007年に開設され、1954年製の5500形「PCCカー」と、1962年製の旧7500形「学園号」を展示しています。
都電荒川線は、東京の路面電車網が大きく縮小した後も残った路線です。西尾久では、現役の電車、車庫、保存車両、沿線の住宅地が同じ視界に入り、路面電車が生活交通として残る東京の風景を実感できます。
今回歩くルート
JR尾久駅から荒川車庫前へ向かい、隅田川沿いのあらかわ遊園、尾久八幡神社、尾久温泉と三業地の痕跡をたどって戻る流れです。各地点の地図はGoogleマップを開きます。
荒川区をもう少し歩く
尾久の歴史を続けて歩くなら、隣接する東尾久の歴史散歩がつながります。都電そのものを詳しく見たい場合は、都電荒川線を全停留場から見る記事もあわせてどうぞ。
荒川区の近代化を別の地域から見るなら、町屋の歴史散歩、三河島〜新三河島の街歩きも関連します。西尾久と同じく、農地・工場・鉄道・住宅地が重なってきた荒川区の変化を比較できます。
TimeWalkで西尾久周辺の史跡を探す
街歩きの途中で周辺の史跡を追加で探したいときは、TimeWalkで現在地から歩ける歴史スポットを地図で探すことができます。現在地や指定地点の近くにある歴史スポットを見つけ、自分のペースで歴史散歩を組み立てられるWebアプリです。
参考資料
西尾久は、中世の鎮守、近代の工業化、温泉と三業地、遊園地、都電が一つの生活圏に重なる町です。開催後は、実際に歩いた順路や当日の写真を加え、現在の街並みと歴史の痕跡がどう見えたかを開催レポートとして追記します。
