清澄白河から人形町へ|清洲橋・水天宮と江戸の史跡を歩くナイトウォーク

隅田川に架かる清洲橋の吊橋構造

清澄白河駅から隅田川沿いを北西へ進み、人形町・水天宮方面まで歩くナイトウォークです。二代目中村芝翫宅跡、猿子橋跡、旧新大橋跡、歌川広重が描いた「みつまたわかれの淵」、川船番所跡、清洲橋、水天宮をたどります。江戸の深川と日本橋を結んだ水辺の歴史から、関東大震災後の復興橋梁までを現地で追えるコースです。

今回のコース概要|清澄白河駅から人形町・水天宮へ

  • 出発地:清澄白河駅
  • 到着エリア:水天宮・人形町
  • 主なスポット:二代目中村芝翫宅跡、猿子橋跡、旧新大橋跡、みつまたわかれの淵、川船番所跡、清洲橋、水天宮
  • テーマ:深川の町、江戸の水辺と舟運、歌舞伎、浮世絵、隅田川の橋、震災復興、水天宮信仰

所要時間と距離は当日の記録から確認できないため、ここでは記載していません。各地点へのリンクはGoogleマップです。

今回巡るスポット

  1. 清澄白河駅
  2. 二代目中村芝翫宅跡
  3. 猿子橋跡
  4. 旧新大橋跡
  5. みつまたわかれの淵(名所江戸百景)
  6. 川船番所跡
  7. 清洲橋
  8. Daiwaリバーゲート
  9. 水天宮
  10. 時間があれば人形町を散策

清澄・常盤|深川の町と歌舞伎役者の足跡

清澄は、江東区によると寛永6年(1629)ごろに干潟の開拓が進んだ地域です。はじめは弥兵衛町と呼ばれ、元禄8年(1695)の検地で清住町となりました。隣接する常盤は、深川村の分郷だった松代町に由来する町です。今回の前半では、この常盤周辺に残る史跡を続けて歩きます。

二代目中村芝翫宅跡|深川に残る歌舞伎役者の旧居跡

二代目中村芝翫宅跡は、江東区常盤2丁目に登録されている史跡です。二代目中村芝翫は江戸後期に活躍した歌舞伎役者で、のちに四代目中村歌右衛門を襲名しました。江東区の史跡として現在も旧居の場所が伝えられており、清澄白河駅から歩き始めて早い段階で、深川と江戸歌舞伎のつながりに触れられます。

猿子橋跡|現在の道路から水路の痕跡を読む

猿子橋跡は、江東区常盤1丁目に残る登録史跡です。現在は橋そのものを渡る場所ではありませんが、史跡名と位置を確認すると、今の道路だけでは分かりにくい過去の水辺の構造を意識できます。深川では川や堀、橋が人や物の移動と密接に結びついていました。

旧新大橋跡|元禄6年に架けられた隅田川の橋

旧新大橋跡は、江東区常盤1丁目から中央区側にかけて登録されている史跡です。新大橋は元禄6年(1693)、現在の橋より下流側に架けられました。江戸時代の新大橋は、深川と対岸を結ぶ重要な橋で、歌川広重の『名所江戸百景』「大はしあたけの夕立」にも描かれています。

現在の新大橋は昭和51年(1976)架設の斜張橋で、江戸時代の橋とは位置も構造も異なります。旧新大橋跡では、現在の橋だけを見るのではなく、隅田川の渡河地点が時代とともに移ったことを押さえると街の変化が分かりやすくなります。

みつまたわかれの淵|歌川広重が描いた日本橋中洲の水辺

みつまたわかれの淵は、日本橋中洲付近の隅田川に結びつく歴史的な呼称です。中央区が紹介する『江戸名所図会』には、新大橋の下流で流れが分かれる場所であり、潮と水が分かれることから「別れの淵」と呼ばれたと記されています。江戸時代には月見や納涼の名所でもありました。

歌川広重が描いた名所江戸百景「みつまたわかれの淵」
歌川広重『みつまたわかれの淵』、1857年。Brooklyn Museum/Wikimedia Commons/パブリックドメイン。

歌川広重は安政4年(1857)、『名所江戸百景』の一図としてこの水辺を描きました。現在は護岸や橋、建物によって景観が大きく変わっています。現地では、浮世絵と同じ景色を探すより、隅田川の流れと中洲の位置関係を見ながら江戸の水辺を想像すると理解しやすい場所です。

川船番所跡|江戸の舟運を管理した水辺の史跡

川船番所跡は江東区常盤1丁目付近の登録史跡です。江戸では川が人や物資を運ぶ重要な交通路で、船の往来を管理する番所が置かれました。小名木川は江戸初期に行徳方面から塩を運ぶために開削された運河で、隅田川との接続部に近いこの一帯は、水運の歴史を考えるうえで重要な場所です。

今回のルートでは、みつまたわかれの淵から川沿いを歩いてこの史跡へ向かいます。江戸の交通を道路だけで考えず、川を「道」として見ると、深川に橋や番所の史跡が多い理由がつながります。

清洲橋|関東大震災後の帝都復興を伝える重要文化財

清洲橋は、日本橋中洲と江東区清澄一丁目を結ぶ隅田川の橋です。関東大震災後の帝都復興事業で昭和3年(1928)3月に架けられました。当時の深川区清住町と日本橋区中洲町から一字ずつ取り、「清洲橋」と名付けられています。現在は国の重要文化財です。

隅田川に架かる清洲橋の吊橋構造
清洲橋、2015年。撮影:T.Kiya/Wikimedia Commons/CC BY-SA 2.0。

現地で見たいのは、隅田川をまたぐ優美な吊橋の構造と、川面から立ち上がる橋全体の輪郭です。江戸の水辺を歩いてきたルートの途中で、震災後の東京が近代的な橋梁へ更新されていく過程を目で確認できます。

日本橋中洲から水天宮へ|江戸の水辺から信仰の町へ

清洲橋を渡ると日本橋中洲側へ入ります。途中のDaiwaリバーゲート周辺を通り、水天宮へ向かいます。ここまで歩くと、清澄・常盤の深川側から隅田川を越え、日本橋蛎殻町・人形町の市街地へ移る地理的な変化も分かります。

水天宮|久留米藩有馬家から日本橋蛎殻町へ

水天宮は、安産・子授けの信仰で知られる日本橋蛎殻町の神社です。東京の水天宮は、文政元年(1818)に久留米藩9代藩主の有馬頼徳が、国元の水天宮の御分霊を芝赤羽根橋の上屋敷内へ勧請したことに始まります。明治4年(1871)に青山へ、翌年に現在の日本橋蛎殻町へ移りました。

東京都中央区の水天宮本殿と寳生辨財天
水天宮 本殿と寳生辨財天、2016年。撮影:tak1701d/Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0。

江戸時代、上屋敷内の水天宮は人々の信仰を集め、毎月5日に一般の参拝が許されました。今回の散歩では、隅田川の橋や舟運の史跡をたどった最後に、江戸の大名屋敷に由来する信仰が現在の日本橋に続いていることを確認できます。

人形町まで歩くと見える、このコースの歴史

このルートでは、清澄・常盤に残る歌舞伎役者の旧居跡や橋跡から、隅田川の舟運、広重が描いた景観、震災復興で架けられた清洲橋、水天宮までを一続きに歩きます。江戸の深川と日本橋は川で隔てられていましたが、橋と舟運によって人と物が行き交っていました。現在の街路だけでは見えにくい水辺の歴史を、史跡の位置からたどれるのがこのコースの特徴です。

清澄・深川を別のルートから歩くなら、両国〜清澄の史跡と夜景を楽しむナイトウォークもあわせてご覧ください。

自分で歴史スポットを探すならTimeWalk

TimeWalkは、現在地や指定地点の近くにある歴史スポットを地図で探し、自分で歴史散歩を楽しめるWebアプリです。清澄白河、人形町、水天宮周辺で今回とは別の史跡を探したいときにも使えます。

解説付きの街歩きに参加する

ゆる歴史散歩会では、東京の史跡、神社仏閣、建築、地形などを現地で解説しながら歩くイベントを開催しています。募集中の企画はイベント一覧から確認できます。歴史初心者や一人参加の方も参加できます。

散歩前の参考図

今回のルートは江東区から中央区へ移ります。以下はエリアを把握するための既存資料です。

江東区の行政地図
中央区の行政地図

参考資料

この記事を書いた人
ゆる歴史散歩会 運営者
なかまつ

北海道大学工学部卒。現在はIT系会社員の傍ら、年間400回以上の街歩きイベントを企画し、これまで延べ25,000名以上の方にご参加いただいている、ゆる歴史散歩サークルを運営しています。東京の歴史・文化・建築・地形などを、初心者でも気軽に楽しめるイベントとして企画しています。

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