浅草ほおずき市・四万六千日の歴史|浅草寺・浅草神社・凌雲閣跡を歩く

浅草ほおずき市

7月9日・10日の浅草寺では、境内にほおずきの露店が並びます。この2日間は、46,000日分の功徳があるとされる「四万六千日しまんろくせんにち」の縁日です。浅草の夏を代表する行事を起点に、浅草寺、浅草神社、時の鐘、浅草公園六区、凌雲閣跡まで歩くと、信仰の町から近代娯楽の町へ広がっていった浅草の歴史を一続きでたどれます。

浅草寺境内のほおずき市の露店
浅草寺のほおずき市。Photo: Ocdp / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0

今回の散歩で巡る主な場所

  • 浅草文化観光センター
  • 浅草寺と四万六千日・ほおずき市
  • 浅草神社
  • 時の鐘
  • 奥山おまいりまち
  • 浅草公園六区と凌雲閣跡

浅草駅周辺の見どころを短い距離で結べるため、寺社だけでなく、江戸の時刻制度や明治の娯楽街まで時代をまたいで歩けるのがこのコースの魅力です。浅草へ向かう前に、上野・稲荷町から浅草へ歩く歴史散歩も読むと、浅草の西側に広がる寺町とのつながりがつかみやすくなります。

浅草文化観光センターから町の全体像を見る

雷門の向かいにある浅草文化観光センターは、台東区の観光案内施設です。現在の施設は地下1階から8階まであり、観光案内や展示、展望テラスなどを備えています。最初にここへ立ち寄ると、雷門・仲見世・浅草寺が一直線に並ぶ位置関係と、その周囲に広がる浅草の町を立体的に把握できます。

浅草寺周辺の案内図

浅草と上野・下谷を広く歩きたい場合は、尾張屋版江戸切絵図で浅草・下谷を読むガイドも役立ちます。現在の観光地の下に、寺社・町人地・水運の町が重なっていたことがよく分かります。

浅草寺の四万六千日とほおずき市

浅草寺では、毎月の特別な縁日に参拝すると通常より大きな功徳くどくが得られるとする「功徳日」が設けられています。なかでも7月10日は46,000日分の功徳があるとされ、特に四万六千日と呼ばれます。46,000日はおよそ126年に相当し、「一生分の功徳が得られる縁日」として広まりました。

四万六千日の参拝は江戸時代に定着し、少しでも早く参拝しようと前日の9日から人が集まったため、現在は7月9日と10日の両日が縁日となっています。浅草寺公式では、ほおずき市の起源を明和年間(1764〜1772)とし、芝の愛宕神社で行われていたほおずき市の影響を受けて浅草寺でも市が立つようになったと説明しています。

赤く色づいたほおずき

江戸では、ほおずきの実を丸飲みすると大人の癪や子どもの虫気を除くという民間信仰がありました。浅草寺のほおずき市では、盆棚に飾る鉢植えや枝ほおずきに加え、風鈴を添えた鉢も夏の景色をつくります。この2日間には「黄札」と呼ばれる祈祷札や雷除札も特別に授与されます。

浅草寺は浅草の町の起点だった

浅草寺の縁起では、推古天皇36年(628)3月18日、隅田川で漁をしていた檜前浜成ひのくまのはまなり・檜前竹成ひのくまのたけなり兄弟の網に観音像がかかったことを起源とします。土地の長だった土師真中知はじのあたいなかともがその像を聖観世音菩薩と知り、のちに自宅を寺として供養したと伝えられます。

浅草寺周辺の風景
浅草寺の境内

観音信仰を中心に参詣者が集まり、門前に商いと見世物が増えたことが浅草の発展につながりました。現在の浅草で寺社、仲見世、興行街が近接しているのは、長い時間をかけて参詣と娯楽が結びついてきたためです。

浅草神社と「三社」の由来

浅草寺本堂の東側にある浅草神社は、浅草寺の縁起に登場する土師真中知、檜前浜成、檜前竹成の三人を郷土神として祀ります。かつて「三社権現」と呼ばれたことが、現在の三社祭の名につながっています。明治初年の神仏分離を経て、社名は現在の浅草神社となりました。

寺と神社が隣り合う配置は、浅草の歴史を理解するうえで重要です。三社祭も江戸時代には浅草寺と一体となった「観音祭」「浅草祭」として営まれ、神輿が観音堂に上げられるなど、寺と神社の結びつきが色濃く残っていました。

江戸の暮らしを刻んだ時の鐘

浅草寺の境内には、江戸の時刻を知らせた「時の鐘」があります。江戸では鐘の音が人々の生活時間を共有する役割を担い、各地の鐘が順に時を知らせました。現代の時計とは違い、日の出と日の入りを基準に昼夜をそれぞれ六等分する不定時法が使われていたため、季節によって一刻の長さも変わりました。

江戸の時の鐘の位置を示した図

奥山から浅草公園六区へ|参詣地が娯楽の町になる

浅草寺の西側に広がる奥山は、江戸時代から見世物や大道芸でにぎわった場所です。明治になると浅草寺境内は「浅草公園」として整備され、1884年には区画が六つに分けられました。なかでも第六区は芝居小屋や映画館が集まる興行街として発展し、近代浅草の娯楽文化を象徴する地域になりました。

凌雲閣跡|明治の浅草を見下ろした十二階

六区を代表する建物が、1890年に開業した凌雲閣りょううんかくです。「浅草十二階」の名で親しまれ、10階までは煉瓦造、11・12階は木造の楼閣でした。8階まではエレベーターが設けられ、上階の展望施設から東京を一望できました。

1893年の浅草凌雲閣(浅草十二階)
1893年の凌雲閣(浅草十二階)。江木商店『東京景色写真版』より。Public domain/Wikimedia Commons

凌雲閣は関東大震災で大きく損壊し、その後解体されました。現在は塔そのものは残っていませんが、跡地周辺を歩くと、寺社の門前町から劇場・映画館が集まる近代娯楽街へ変わった浅草の転換点を実感できます。浅草を含む東京の歴史散歩を広げたい方は、東京の歴史散歩おすすめコースもあわせてどうぞ。

ほおずき市と浅草散歩の見どころ

四万六千日では、浅草寺の信仰、ほおずき市の民間信仰、雷除札などの年中行事が一度に重なります。そこから浅草神社、時の鐘、奥山、六区、凌雲閣跡へ進むと、古代の縁起、江戸の参詣文化、明治の都市娯楽までが徒歩圏内につながります。ほおずきの鮮やかな朱色だけでなく、同じ町に積み重なった時代の違いにも目を向けると、浅草散歩の密度が大きく変わります。

TimeWalkで浅草の史跡を地図から探す

浅草を自分のペースで歩くなら、TimeWalkでは現在地や指定地点の近くにある歴史スポットを地図から探せます。浅草寺周辺から六区、蔵前方面へ寄り道しながら歩くときにも便利です。現在地から歩ける史跡を地図で探す

この記事を書いた人
ゆる歴史散歩会 運営者
なかまつ

北海道大学工学部卒。現在はIT系会社員の傍ら、年間400回以上の街歩きイベントを企画し、これまで延べ25,000名以上の方にご参加いただいている、ゆる歴史散歩サークルを運営しています。東京の歴史・文化・建築・地形などを、初心者でも気軽に楽しめるイベントとして企画しています。

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