【裏原】表参道~原宿ナイトウォーク。表参道のケヤキ並木じゃないところを歩きます

①表参道駅

和をのぞむ 戦争慰霊碑

太平洋戦争の末期、昭和二十年五月、山の手地域に大空襲があり、赤坂・青山地域の大半が焦土と化しました。 表参道では、ケヤキが燃え、青山通りの交差点付近は、火と熱風により逃げ場を失った多くの人々が亡くなりました。 戦災により亡くなった人々を慰霊するとともに、心から戦争のない世界の平和を祈ります。

善光寺山門

善光寺は浄土宗に属する寺院で、創立は1601年(慶長6年)と伝わる。山号は南命山といい、詳名は「南命山無量寿院善光寺」、本尊は1尺5寸の阿弥陀如来である。同本尊は767年(神護景雲元年)、8月の十五夜に法如尼という人物が當麻寺の紫雲庵で念仏を唱えている最中に信州善光寺の如来が現れ、その姿を写したものという。創立当初の善光寺は尼寺で、かつては谷中にあった。善光寺第109世大蓮社光忍円誉智慶が徳川家康に請願して江戸谷中に7500坪の土地の寄進を受けて、伽藍を建立した。谷中の旧地は玉林寺(台東区谷中一丁目7-15に現存)付近で、今では「善光寺坂」と坂の名にその名残をとどめている。第111世誓誉智伝の時期、1648年(慶安元年)9月17日に徳川家光から朱印地(高5石)を拝領した。谷中の伽藍は、1703年(元禄16年)11月29日に小石川水戸邸を火元とする大火(元禄地震による火事)によって焼失した。1705年(宝永2年)、第113世心誉智善が高5石の朱印地を徳川吉宗から賜り、現在の場所に間口75間、奥行100間の堂宇を新築して同年12月に至って移転した。そのため、善光寺は第113世心誉智善を中興開基とする。

信州善光寺と同様の真っ暗な須弥壇(しゅみだん)の下を歩いて鍵に触れる戒壇巡りがある。

徳富蘆花旧宅跡

徳冨蘆花(とくとみ ろか、1868~1927、享年60)は、豪農・徳富一敬の次男として肥後熊本に生まれた。本名は健次郎。兄は近代を代表する論客・徳富蘇峰(そほう)。『自然と人生』『不如帰』などを著わり、文壇に独自の地位を築いた。明治39年(1906)、パレスチナを経てロシアに渡り、トルストイを訪問。土に生きることに感銘を覚え、帰国する。翌年、青山高樹町より千歳村粕谷の地へ移住し、そこで「美的百姓」を称し、半農生活を送りながら著作活動を続けた。その頃の様子を綴ったのが随筆『みみずのたはこと』である。同書には、江戸時代の純農村から大都市近郊農村へと変貌しつつあった当時の粕谷の様子が生き生きと綴られている。世田谷区粕谷一丁目にある蘆花恒春園内には、蘆花旧宅のほか、愛子夫人居宅、表書院「梅花書屋」、奥書院「秋水書院」等があり、隣接する共同墓地にある碑は兄・蘇峰の筆にによる。

表参道まちかど庭園

旧渋谷川についての解説と、参道橋の親柱がある。

戦後の渋谷川とその周辺

原宿橋親柱

旧渋谷川にかかっていた橋の親柱。

原宿外苑緑道

都会の喧騒が嘘かのように落ち着いている公園。同区画にはルアール東郷(結婚式場)、ラ・グランド・メゾン東京(フランス料理店)、渋谷区立中央図書館、原宿警察署、渋谷区立原宿外苑中学校がある。

旧海軍経理学校の正門敷石

大日本帝国海軍で庶務・会計・被服・糧食を受け持つ主計科[3]要員育成のために置かれた軍学校としての養成学校である。主計科士官の基礎教育を行う初級士官養成校の機能と、主計科の専門教育を主計科士官および下士官・兵に施す術科学校としての機能を兼ね、さらに研究機関でもあった。1907年(明治40年)に創設され、第二次世界大戦終結後に日本海軍が解体されるまで続いた。主要校舎所在地は現在の東京都中央区築地。海軍兵学校および海軍機関学校とならぶ旧海軍三校の一つである。通称・略称として海経と呼ばれる事例もある。

モーツアルト通りの皿噴水

竹下通りと平行にある1960年代に暗渠化された小径。独特の雰囲気を持つ場所として発展し、レンガ調の石畳や建物、緑が広がる様子は、ヨーロッパの町並みを思わせる情緒ある空間を作り出している。この小径の下には、明治神宮の「清正井(きよまさのいど)」から菖蒲田(しょうぶた)、南池(なんち)を経て、渋谷川につながる川が流れている。かつてこの川は周囲の水田を潤す灌漑用水として利用され、近所の子どもたちの格好の遊び場でもあった。その小川を東京オリンピックの頃に下水道管とともに埋め立て、暗渠となった。

ブラームスの小径

同上

WITH HARAJUKU PARK(3F)

2020年竣工。江戸時代にこの敷地にあった「源氏山」を再生し、屋上緑化テラスを階段状に地上から5階屋上テラスまで積層している。3階テラスの原宿駅側には、フランス人のアーティスト Xavier Veilhan(グザヴィエ・ヴェイヤン) によるアートワーク作品「La Statue de Harajuku」が設置されている。神宮の森の深い緑に対比して、鮮やかなオレンジ色に着彩された人物と鳥が台座の上に載り、来館者が手に触れることができる。待ち合いの場としても人気のある彫刻作品である。

⑫原宿駅

この記事を書いた人
ゆる歴史散歩会 会長
なかまつ

北海道大学工学部卒。だけどIT系会社員。美術館とお笑いが好き。海外旅行は年に6回行ってたがこのサークルをはじめから減少。隣が図書館のため毎月10冊の本を借りている。趣味の延長で東京の歴史や芸術を楽しむゆる〜いお出かけイベントを企画している。

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